SlimeCompiler: 60年のコンパイラ技術を非可換環で革命する
はじめに:コンパイラ最適化の限界
現代のコンパイラ(GCC、LLVM、etc.)は数十の最適化パスを持っています。しかし、命令の並び替えに関しては、いまだに保守的です。
なぜか?
依存性解析の限界があるからです。
// この2つの命令、並び替えできる?
A: x = y + 1;
B: z = w * 2;
答え:できる。AとBは独立している。
// じゃあこれは?
A: x = y + 1;
B: z = x * 2; // ← xを使っている
答え:できない。BはAに依存している。
現在のコンパイラは、この判定を「依存性解析」で行います。しかし、ポインタのエイリアシング、外部関数の副作用、間接呼び出しなど、**不確実な場合は保守的に「並び替えない」**と判断します。
結果、多くの最適化機会が失われています。
発想の転換:依存性ではなく「可換性」で考える
ここで、数学の力を借ります。
非可換環理論の交換子(commutator)です。
[A, B] = AB - BA
-
[A, B] = 0なら、AとBは可換(順序不問) -
[A, B] ≠ 0なら、AとBは非可換(順序必須)
これ、量子力学でおなじみですよね。
[x̂, p̂] = iℏ ≠ 0 (位置と運動量は可換でない → 不確定性原理)
同じ数学がコンパイラにも使えるのです。
SlimeCompilerの核心
命令を環の要素にマッピング
命令 I を、その読み書き集合に基づいて環の要素 Φ(I) にマッピングします。
Φ(I) = Σ e_r^(read) + Σ e_w^(write)
可換性判定定理
2つの命令 I₁ と I₂ が可換である条件:
W(I₁) ∩ (R(I₂) ∪ W(I₂)) = ∅ かつ
W(I₂) ∩ (R(I₁) ∪ W(I₁)) = ∅
つまり、書き込み集合が相手の読み書き集合と交わらなければ、可換。
これはヒューリスティクスではありません。数学的証明です。
具体例
例1:可換な命令ペア
A: x = a + b; // W(A) = {x}, R(A) = {a, b}
B: y = c * d; // W(B) = {y}, R(B) = {c, d}
判定:
-
W(A) ∩ (R(B) ∪ W(B)) = {x} ∩ {c, d, y} = ∅✓ -
W(B) ∩ (R(A) ∪ W(A)) = {y} ∩ {a, b, x} = ∅✓
→ [A, B] = 0(可換、並列実行OK)
例2:非可換な命令ペア
A: x = a + b; // W(A) = {x}
B: y = x * 2; // R(B) = {x}
判定:
-
W(A) ∩ R(B) = {x} ∩ {x} = {x} ≠ ∅✗
→ [A, B] ≠ 0(非可換、順序維持必須)
応用:何ができるか
1. 命令並び替え(数学的保証付き)
可換グループ内の命令は、どの順序でも正しいことが証明されています。
- レイテンシ隠蔽
- パイプライン最適化
- キャッシュローカリティ向上
2. 自動並列化
可換グループ = データ競合ゼロが保証された並列実行可能領域
// 可換グループなら:
parallel {
A: x = f(a);
B: y = g(b);
C: z = h(c);
}
3. バグ検出
非可換なのに同期がない = 潜在的データ競合
// スレッド1 // スレッド2
A: *ptr = 1; B: x = *ptr;
[A, B] ≠ 0 かつ同期なし → 警告
4. 未定義動作の検出
i = i++ + ++i; // [i++, ++i] ≠ 0、シーケンスポイントなし → UB
ベンチマーク結果(シミュレーション)
| プログラム | 命令数 | 可換率 | 高速化 |
|---|---|---|---|
| 行列乗算 | 512 | 73.2% | 2.4× |
| 画像畳み込み | 634 | 78.5% | 2.7× |
| QuickSort | 423 | 67.1% | 2.1× |
| JSONパーサ | 356 | 41.2% | 1.4× |
| リンクリスト | 287 | 34.8% | 1.3× |
| イベント処理 | 198 | 29.3% | 1.2× |
観察:
- 数値計算コード(>70%): 積極的並列化が有効
- ポインタ多用コード(<40%): 保守的最適化が適切
なぜ今まで誰もやらなかったのか?
3つの壁
-
学問の壁: コンパイラ屋は抽象代数を学ばない。代数屋はコンパイラを知らない。
-
教育の壁: 環論(数学3-4年)とシステムプログラミング(CS 2-3年)はカリキュラムで交わらない。
-
歴史の壁: 依存性解析が「十分機能している」という60年の慣性。
SlimeCompilerは、この壁を一つのエレガントな洞察で突破します:
「読み書き集合が素なら、命令順序は冗長」
Slimeエコシステムとの関係
SlimeCompilerは、SlimeTree(日本特許出願中 2025-183827)の原理をコンパイラに適用したものです。
Slime技術スタック:
| 技術 | 適用領域 | 効果 |
|---|---|---|
| SlimeTree | データ構造 | 7×スループット |
| SlimeLLM | LLM推論 | 12×圧縮 |
| SlimeLearning | LLMトレーニング | 250-3000×コスト削減 |
| SlimeQCNA | 量子計算 | エラー訂正 |
| SlimeARAC | ロボティクス | 1ms決定論的制御 |
| SlimeCompiler | コンパイラ | 1.5-3×高速化 |
すべて同じ代数学。同じ洞察。同じ革命。
限界と誠実な境界
Appendix A: エイリアス解析依存
SlimeCompilerは、エイリアス解析が許す範囲でのみ最適化します。
void f(int *p, int *q) {
*p = 1; // A
*q = 2; // B
}
pとqが同じメモリを指す可能性がある場合 → 保守的に非可換と判定。
SlimeCompilerは、エイリアス解析が許す限り攻撃的だが、それ以上ではない。
Appendix B: 投機的可換性
静的解析で不確実な場合、ランタイム検証で可換性を確認する拡張も可能。
- メモリアクセスログ
- バージョン付きメモリ
- プロファイルガイド最適化
論文と実装
論文: SlimeCompiler: Commutative Ring Analysis for Compiler Optimization and Quality Assurance
- DOI: 10.5281/zenodo.17946400
- 14ページ、6定理、2付録
- CC BY 4.0
関連特許: 日本特許出願 2025-183827(SlimeTree)
まとめ
60年のコンパイラ技術 → ヒューリスティクスの積み重ね
SlimeCompiler → 代数学による数学的保証
[A, B] = 0 なら並び替え可能。
[A, B] ≠ 0 なら順序維持。
それだけ。でも、それが革命。
量子力学の不確定性原理と同じ数学が、あなたのコンパイラを支配する日が来ます。
ヒューリスティクスの先へ。代数学の深みへ。
参考文献
- Sasaki, H. (2025). SlimeTree: A Flexible Semantic Recording Structure. Zenodo.
- Sasaki, H. (2025). SlimeLearning: Commutative Training Framework. Zenodo.
- Sasaki, H. (2025). SS Theory: Commutativity as the Principle of Computational Collapse. Zenodo.
- Allen, F. E. (1970). Control Flow Analysis. ACM SIGPLAN Notices.
- Lattner, C. & Adve, V. (2004). LLVM: A Compilation Framework. CGO.
著者: 佐々木浩 / Javatel Corporation
ライセンス: CC BY 4.0
タグ: コンパイラ 最適化 非可換環 LLVM 並列化 バグ検出 SlimeCompiler