2026年8月12日、【秋葉原開催】渋谷アジャイル@スタートアップ#25に参加してきました。
渋谷アジャイルは、スタートアップでアジャイルを試行錯誤している人たちが各々の関心を持ち寄り対話・議論する実践型のコミュニティです。毎月第2水曜日にミートアップを開催しています。
すでに、参加直後の「残さなくては!」という何とも言えない衝動から、速報的なnoteはしたためています。
ただ、ここで実際に話題にあがっていた、エンジニアの「キャリア迷子」とはなんなのか。もう少ししっかりと考え直してみたくて、続きというか、別ベクトルの記事を書いてみることにしました。
OSTで出てきた全テーマ
note記事ではさらっと進めてしまいましたが、せっかくなのでこの日のOSTのテーマも整理しましょう。
ほら、noteだと表形式は表現しにくいけどQiitaなら余裕だしさ(そこなのか?)。
| 前半 | 後半 | |
|---|---|---|
| A | スクラム チームの生産性 何を見る? (DORA以外) |
- |
| B | 学習意欲の歩幅 速過ぎる人は 組織を壊すか? 遅い人の加速の ためには? |
AI仕様駆動 開発の中での プランニング |
| C | AI駆動開発での ジュニア育成 |
R&Dチームの 開発した AIエージェント 顧客へデリバリする 際の品質チェック |
| D | エンジニアの 幸せ |
キャリア迷子 あつまれ |
| E | 時間が ないよ |
作業以外の AIの使い込み ✖コード✖メール ✖要約 |
私自身は、前半はB、後半はDに参加させていただきました。
そう、この後半のDテーブルこそ、ウワサの「キャリア迷子」センターだ!
前半Bテーブルにも迷えるテーマが
これ、これですよねー。
学習意欲の歩幅
速過ぎる人は
組織を壊すか?
遅い人の加速の
ためには?
こちらも、興味深い視点はいろいろと出ました。密かにスラムダンクの昔の赤木のエピソードなども思い出しつつ、様々な立場の思いの数々を聴いていました。
ただ、そもそも渋谷アジャイルなら渋谷アジャイルで関心のあるメンバーが集まってこのテーマを語ること自体が、このテーマに対しては一定の属性(そもそもそこに来ようとするほどにはアクティブ層)に偏るという、こればかりは仕方のない宿命もあるんですよね……。
以前、社内LT会の中でこのあたりのテーマの雑談をしたというか、テーマを決めてたわけじゃないですが自然とそうなったなという回がありました。
難しいテーマなので、結論とか仮説をだすというよりは、とにかく拾い集めてとどめて置いたような記事だったのですが、この前半Bテーブルの話を聞いた後で読み返すと、またいろいろと考えてしまいますね。
いつかまた機会があったらこの問題を取り上げ直すこともあるでしょう。ただ、今回一番刺さったのは、やはりこの後に登場する「キャリア迷子」です。
ハロー、あなたはどんな「キャリア迷子」ですか?
いよいよ後半。いそいそと「キャリア迷子」センター、いや、Dテーブルに移動します。
まあ、別にDテーブルだけが特別ということもなく、どのテーブルもそれぞれに人は集まっていて、盛り上がってそうではあったのですが。
それにしても椅子が足りないので、周りから引っ張ってくる有様。迷子が多い。
「迷子といっても、色々な種類があると思って、私の場合はですね…」
こういう語り口で、促さなくても定義の確認や、認識のすり合わせから始める方が多いのが、いかにもエンジニアコミュニティっぽかったですよね。
実際に、色々な種類の「キャリア迷子」が申告されました。
- 選択肢が多すぎるから「キャリア迷子」
- 選択肢がなさすぎるように感じ始めて「キャリア迷子」
- なんだかとにかく行き当たりばったりで「キャリア迷子」
- 望んだキャリアを目指して、客観的にはしっかり進化したけど、行き詰まった「キャリア迷子」
- ナチュラルボーン「キャリア迷子」
- 置かれた場所で咲いていた「キャリア迷子」
- 人は誰もが、幸せ探す、旅人のような「キャリア迷子」
- そもそも自分の頃はまず「35歳で定年」とか言われて、たぶん違うんだろうと思ってたけど、本当に全然そうじゃなかった「キャリア迷子」
- とにかく、竜退治はもう飽きた「キャリア迷子」
なんというか全体的にはこんなかんじで色々。
実際には、現実のエピソードも踏まえ、もう少し生々しく実語られましたけども。
で、自分自身はどうなのかというと、
- 選んだ道は迷子の末に選ぶものじゃない気もする
- でも、選んだ理由は「それしかなかったから」としか言えない
- 一般論でまともに説明がつかない
- 教科書的なキリッとしたコンサル(概念・偏見)が外野から見れば、強制迷子センター送りにされそう
- とてもカオスな「キャリア迷子」
そのココロは、先日会社設立したばかりでした。
相変わらず、話しながら主観と客観、俯瞰と詳細をあわただしく行ったり来たりしながら、言葉を探すようにどう迷子なのか、語ってみたのですが。
「こう話すべき」とか、そういう一方的な発言をされてしまうことが一切なく、模索を味わうように、
「ああ、こういうことかなぁ」
「いや、違うのかな?」
「そういえば自分も」
などと、率直に言葉をかけ合う形で受け止めて、とても、とても助かりました。
「渋谷アジャイルに行けば、すべてうまくいく」!?
少し前に、これは別の文脈の話題でだったような気がしますが、
すぐに意味付けできない出来事に出会ったときに
解釈するんじゃなくて「へぇ~」って
「仮」ラベルを貼って留め置く、みたいな感覚って
大事なのかもって思ったりします
なんてことをポストしてたんですが、渋谷アジャイルのOSTにはそういうムードが醸成されていると感じることが多いような気がします。
まあ、参加して日は浅めなんですけれども。
「渋谷アジャイルに行けば、すべてうまくいく」
そんな胡散臭いほどキャッチ―な新書のタイトルみたいな発言を、渋谷アジャイルカンファレンスでどなたかから聞いた気がします。
パワーワード過ぎてその時はネタ的に笑いつつも伺ってましたが、ときどき、
あながち嘘でもないかもなあ
…と思わなくもないですよね。
もちろん、スピリチュアルなsomethingとかではなくてですね。
たぶん、「冒険する組織のつくりかた」などでも語られている「土壌」が肝なのかな、とか。
「あるべきところがある」という幻想が、迷子センターを生む?
渋谷アジャイルが、比較的成熟した、逸脱も受け入れて良しとする懐深さを持つコミュニティに感じるのは、これだけ(なんだろう、なんというか、ヒトとして?)考えて対話してゆく基礎力があって、年を重ねても偏屈になるどころかむしろ柔軟になっているように見える方たちが、それでも私は「キャリア迷子」ですと困り果てた姿をさらし合う場であるからなのでしょう。
「ねえ、君たち・あなたたち、本当に困ってる…?」
…って聞きたくなるほど、ある種、憎たらしいくらいに飄飄としている。
まあ、大なり小なり、自分たちでコミュニティをつくったり、飛び込んだり、発信したりしている方ばかりですからね。個として一定のブランディングが無意識にできているのだろうなと思います。
でもね、やはり真剣に迷子なのです。同じ時間に他にも興味深いテーマがたくさん掲げられているのに、迷子センターに引き寄せられているわけですからね。ただの酔狂じゃない。でも。
無粋だから、こういう場でわざわざそんなことは、言わない、聞かないんですけどね。
「あの、あなたたちぶっちゃけ、絶対シゴデキですよね?」
それが雁首そろえて迷子センターでトホホしているのだとしたら、そもそも、それでも迷子になってしまう現実の方に、なにかニセモノ、虚像、幻想、幻影があるのではないでしょうか。
迷子だと思うのはなぜ?
だって、本当はあるべき道があるはずだから。
そこから自分が外れていることだけはわかるから。
逸脱してしまっているから。
だとしたら、それは本当にあるべき道なのかしら。いや、そんな道が本当にあるのかしら。
「そもそもキャリアって轍(わだち)ですもんねぇー」
「そもそも別にいちどだって、思い描いた通りになんか進んできてないよ」
「そんなもんなんですよ。そうじゃないですか?」
そんな話が積み重なったときに、ふいにキャリアの語源が飛び出しました。
「まあねえ」
「通ってきた道そのものなんだよね。ふりかえるとそこにあるんだよね」
「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる…」(って高村光太郎もいってる)
この会話は、迷子を生み出しているまやかしの一端をとらえていたようにも思います。
ただ、これも一様というわけではなくて。
「こうありたいと思い描いて、そのように無事に進んだ」
「だからこそ、いま迷子なんです」
そんな方も、この日の迷子センターにはいらっしゃいました。
そりゃそうですよね。
馬車が思った通りに走らなくても、轍はあとからつく。それはたしかに大事な事実です。キャリアとは案外そういうもので、生まれいずるセレンディピティ、偶発性の価値は計り知れません。
一方で、予定していた目的地にしっかりたどり着くことだってある。
馬車を走らせるとき、たいていの御者は、最良の見通しを持っていたはずなのですから。
それなのに。
思い描いたはずの轍をふりかえってすら、エンジニアは迷子になるのです。
いや、なるのですというのも、もしかしたら違うのかもしれません。
エンジニアは、おそらく「キャリア迷子」をわざわざ自分から選ぶことがあるのです。
エンジニアは怠惰を美徳とし、退屈をエンジンとする
「私は、退屈が怖いのです」
かつてブルボン朝の(ほぼ?)最後の王妃マリー・アントワネットが、そのように手紙に綴ったとか。
マリー・アントワネットも恐れたその「退屈」こそ、じつは迷子センターにエンジニアを送り込む、最大にして最高で最強の、制御不能なエンジンなのではないでしょうか?
メロスが邪悪に対しては、人一倍に敏感であるように、エンジニアは退屈という名の悪魔に人一倍敏感です。怠惰(そして短気で傲慢)がエンジニアの美徳であるとはよく言ったものですが、退屈は、エンジニアの、なにを置いても討つべき親の仇みたいなものだと思います。
主語が大きすぎるので反論は認めます(←この言い方自体もどうなんだと常々思う)が、少なくともこの迷子センターに集まったエンジニア、という狭い母集団の中なら、わりと真理に近いものがあったように感じています。
体裁を取り払い、ただ話してゆくことで、何人かがハッとしたような様子でした。
私自身もそう。
不合理な選択。
たとえば一概に悪くない環境、自分を生かせる自負があっても、より不安定だったり、条件が悪くなっても飛び出してしまった人たち。
説明できない、言語化できない部分を残したまま、本能や直感で一歩前に出た私。
「ぶっちゃけ、飽きたっていうのもありますね」
丁寧に掘り下げれば、その飽きた感覚の一部には、飽きてしまうようなコンフォートゾーンにいたら、結果として成長が鈍り、いざという時対応できない「ヤバいやつ」になってしまう危機感だとか、一種の合理性が潜んでいる場合もあります。
なんですけど、どちらかというと本質はもっと単純。
ものづくりをする人間の本質的なエネルギーは、不確実性や未知に、好奇心でゾクゾクすることだからです。
迷子よ、行き止まりの道を行け
めざしたところに、うかつにも順調にたどり着いてしまったら、得られた達成感よりはるかに深い、絶望的な行き詰まり感を抱く。
それは息詰まりでもあり、生き詰まりでもあるのです。
あの夜、迷子センターに椅子が足りなくなるほど集まった迷子たちは、道が見えなくて困っていた…だけではありません。
エンジニアとして野生の衝動を取り戻すために、自ら進んで「キャリア迷子」であることを選んだ自覚がうっすらとある。だから、そんな自分の性分に困り果てていたのです。
「違う! そうじゃない!」という方もいたかもしれないけど、もうここはあえて言い切って進みます。斬捨て御免。
お行儀の良いキャリア論や会社の1on1から、かわいそうな迷子として「改修」リストに入れられかねないけれど、一番自然なありかたを必死で模索したら、ときには「キャリア迷子」になる。むしろ選んでしまうから。
教科書的に「正しく」「改修」されたいわけじゃない。
迷ったまま、ただそこにいられる、息継ぎできる場所が必要なのです。
この行き止まりの道を、正しそうな方へただ引き返すのではなくて。
いっそ、行き止まりのその先に行くために。




