こんにちは!
普段はデザイン会社でエンジニアをしている、とうようです。
今年は会社の方で二記事すでに出しているのですが、他にも書きたいな、でもネタが思いつかないなとなっている時にこのQiita史上最多記録をつくろう!アウトプットはいいぞカレンダー Advent Calendar 2022というアドベントカレンダーを見つけてこれだ!と思い、21日目に早速登録してキーボードをカタカタさせています。
現時点でほとんどどんな記事にするかの計画は立っていません。
なので程よくゆるい記事になると思いますが、ぜひ僕なりのアウトプット論1にお付き合いいただければと思います。
自分はアウトプット中毒である
まずアウトプット論を話す上で大事な部分として、自分は自分のことを一種のアウトプット中毒であると思っています。
思えばブログというものを始めたのは2009年2、この時自分は中学二年生です。
同じ頃にTwitterやFacebookも始めていました。ほとんどSNSのアーリーアダプターであったと言っても差し支えないでしょう。
Qiitaで言えば初めての投稿は2014年です。
こうもさまざまに投稿をしていると、アウトプットに対して一種違う感覚が自分の中に芽生えているのかなと感じています。
多くの人、特にアウトプットすることに対して躊躇してしまう人にありがちな感覚として「まさかりを恐れる」というのがあると思います。間違っていたらどうしよう?、これで炎上してしまったらなどなど。
ですが自分に限って言えばここを強く気にしたことはほぼありませんでした。
特にそれを象徴づける出来事は自分が中学卒業の頃に起こりました。
その頃、自分はAndroid2.0というバグがあって当たり前の魔境のようなOSのアプリ開発にチャレンジしていました。
基本的にプログラミングに関しては独学で進めていたので、バグを引くのは当たり前。その記録や悩みをブログにアウトプットしていました。
するととある人からざっくり言うとこんなコメントをされました。
これはこうすると解決できますよ。それより中学生だったらプログラミングなんかやらずに他の勉強した方がいいんじゃないですか?その時期からプログラミングを学ぶのは意味ないと思います。
これを読んで思いました。
「誰だお前」と。
こう批判されると、そこで折れるという人も中にはいるでしょうが、自分は好きでやっていたことだったのでこの謎のアドバイスを無視してプログラミングを続け、今に至ります。
現代においてはプログラミングは必修科目に入るようになってきており、判断としても間違いではなかったのかなという印象です。
このコメントの良し悪しに関してはここら辺にしておいて、考えたいのはこれをしっかり無視しその後もアウトプットを続けられたというポイントです。
ここに自分のアウトプット中毒味を感じるわけです。
じゃあなぜそんなにも中毒になっていたのでしょうか?これは自分がプログラミングが好きな理由にも通づるのですが、フィードバックの早さ、達成感を得られるまでの早さというところがあると思います。
もちろんモチベーションを世間の反応に置いてしまうと、反応を得られるまでには時間がかかったり、あげた例のような批判コメントなどがきて逆に傷ついてしまうこともあるでしょう。
ですがもしそのモチベーションが「完成」というポイントに置かれていたら、それは反応がどうあれ完成した時点で達成できます。
そしてこの完成というところへの最短距離を走れるのが「文章を書くこと」だったため、自分は達成感に簡単に浸れるアウトプットにどんどんとハマっていき、晴れてアウトプット中毒状態になったわけです。
アウトプットを正当化するために
自分のアウトプット中毒っぷりはなんとなくわかってもらった上で、アウトプットの良さというものを自分みたいな中毒じゃない人にも味わってもらえるようにまずは正当化の方法を学んでいきましょう。
ここからは持論パラダイスですが、正当化の方法の一番の近道は誰かに価値を還元しているという感覚を得るということです。
ただし注意すべきなのは、ここで過度にクオリティの高い価値を届けなければならない、と考えすぎてはいけません。そのアウトプットがあってるにせよ間違っているにせよ、そこから学びを得たり議論が生まれればそれは全て価値になるのです。ここにクオリティの巧拙は関係ありません。
話題にしているものへの習熟度別に想像してみると、次のように読んでいる人に役立つ余地があります。
- 習熟度ゼロ: 詰まって解決法もわからないところを質問のような形で記事にする → 同じ悩みを持つ人たちの集える場所になる、その話題に精通している人はそこに対して回答のコメントをすることによって自分の理解を言語化する機会を得られる
- 習熟度が少しだけ: 結果的に内容としては間違っている投稿をする → 話題に精通している人はまさかりを投げることで自分の理解を言語化する機会を得る、あるいは相手を傷つけないフィードバックの方法を試せる、習熟度が似た人であれば同じ間違いをしないでおこうと反面教師のように使える
- 習熟度がそこそこある: 精通している人には既知だが、初心者には役立つ記事を投稿する → 習熟度が自分より低い人には普通に参考になる、精通している人より初心者の時期が近い分わかりやすい記事になる可能性もある
- 習熟度がかなりある: 精通しているからこそ書ける記事を書く → 万人に役に立つ記事になる
アウトプットに対して躊躇してしまう人は最初から一番下を目指さなければ!と思っている人が多いように感じますが、このようにアウトプットというのはその巧拙・正誤に関係なく人の役に立つことがわかります。もちろんこれは意図的に読者を間違った方向に誘導するような悪意のある記事をのぞいて、ですが。
ここまではマイナスをゼロにする正当化の考え方ですが、さらにプラスしていける正当化の考え方を身につけるのにいい方法もあります。それは自分の属するコミュニティ向けに記事を書くということです。Docbaseやesa、Kibelaのようなドキュメントツールを導入している場合はそこに積極的に投稿していくというのが、正当化する近道になります。なぜならそれは引き継ぎであれ、ナレッジであれ、必ず自分の属するコミュニティの財産に直接なっていくという結果を得られるからです。
もちろんWebの海を彷徨えばいくらでも自分の書いた記事と似たような記事は出てくるでしょう。ですが、それがコミュニティ内のドキュメントツールにあるだけで、そのコミュニティの人はその知識にアクセスするコストがぐんと下がります。
そしてこの感覚を拡張していけば、全世界向けのブログだって同じ考え方をすることができるようになるかもしれません。
アウトプットの効能
最後にアウトプットの効能について語ってこの記事を締めたいと思います。
アウトプットの効能は、なんといっても「言語化する」という行為にあります。
感覚だけで理解できることは、正直世の中にたくさんあると思います。ですがそれを他人に伝える・再現性を持つ・知識にするのに避けて通れないのが言語化です。この過程を踏まなければいつまでも「なんとなく」で終わってしまい、その感覚を忘れてしまった瞬間、一気にできなくなる、というのがブランクの正体ではないでしょうか。
でも言語化しておけば、感覚以外の根拠を得られ、理解が深まります。それだけでなく、記録するという行為によって、例え感覚を忘れてしまった後でも見返せばその感覚を比較的容易に取り戻すことができます。
これは巧拙の伴うようなものごとに関してですが、そうでなくとも人は自分の思考したことを忘れがちな生き物です。
その時々の記録があることによって、その思考を深ぼったり、反省したり、さまざまな活用ができます。
そしてそうやって振り返って読んでいる自分と同じ効果が、読者にも同様に起こります。
そうやって少しずつ世界は前進していくんだと思います......というのは言い過ぎでしょうか。
でもそうやって世界に小さくとも影響を与えられるのが「アウトプット」なのだと思います。
まとめ
ぐわっと思いつきをひたすら書いていきましたがいかがだったでしょうか?
この記事を一言でまとめると、つまり
アウトプットはいいぞ!
です!笑(それはそう)
ここまで書き殴って完成させた達成感をひしひしと感じながら、今年も年末残りわずか走り抜けていこうと思います。