自分の「声」で書く技術――自己検閲をはずし、響く言葉を仲間と見つける
英知出版の読者モニタープログラムにより無料で書籍を受け取りました。
このサイトにレビューを書くようにもとめられてはおらず、下記はあくまで個人としての見解です。
近頃はBlogとかしか読まない感じになってしまい、強制的に読む機会があるなら積極的に参加している。
いまだにXと言い辛いTwitterだったと思うけど、募集していたので応募したら抽選してもらえた。
blogについても、なんかネタがないな~という理由で書いていなかったのだけど、この本を読んで、とりあえず書いてみようとおもって、Qiitaっぽくはないけどポエムとしてならいいや。ということで、ここに書いている。
感想
書評っぽくこの本だと、やっぱりいいものを書かなきゃとか思う気持ちが、そんなのはダメだよ(ダウティング(doubtingかな?)と書かれている)とことで書けなくしていると言っている。
だから、否定されない環境と仲間の中で書いていこう。その前に、リハビリとして思い立ったことをつらつらと書いていくことを繰り返そう。と言っている。
1973年(50年前!)の本なので言葉がちょっとわかりずらいと感じることもあって「やけくそライティング」なんかは、今だとマインドマップのように連想とかのほうが受け取りやすかったりするのかなとも思った。
あとは「心理的安全性」と言い変えたほうがわかりやすいのかな。その場で自分の言葉を書いてもいいという感覚は。
ここら辺の感覚は、自分もそうだなと思うことが多い。仕事の中だとどうしても沢山の人に物事を伝えなければいけないことが多くて、でもなんて書けばいいのかわからないとか若い時は思っていた気がする。
でも、締め切りが近すぎ、いいやと言葉をあんまりこだわらず出したものがそのまま通ったのを繰り返していくうちに、あんまり気にならなく書けるようになったと思う。ちょうどそのころ ラフコンセンサス(Rough Consensus)、 ランニングコード(Running Code)の考え方を知って、とりあえずは不十分でも形にする。見たいなことをやるようになった。今こうやって書くと、かなり誤解していたとは思うけど。
きちんとしたものを書かなければいけない。というのはどうしても自分を知っている場に対して書く場合だと仕方がないのかな。と思う。恥ずかしいし。
仲間を見つけるということは、今だとDiscordとかあるので、何かを志す人とかが集まっていろいろやりやすいとも思う。Xでも繋がれるだろうし。
ただ、この本でかかれている2か月以上、それなりの人数で最初は参加者の言葉を傾聴していくというティーチャーレスライティングクラスをしっかりやるのはとても難しそう。
今だったらLTで、無理やり発表あたりがいいのかな。自分も思えば、ログ解析ソフトでハートマークを書くとか、やったし。
やっぱり、何等かのきっかけが必要だと思う。自分もこのブログの前に、サイバーの題材で発表してみないと先輩に誘われて、発表してなんか楽しかったから、なんか書こうかなと思うようになったし。
この本は、その書こうという気持ちになるためのきっかけを与えてくれるにはいい本だと思う。自分もこんな感じで見直すきっかけとなったし。
今、なんか書いていないのは興味の範囲がLLMとかのAIに移っていて、そこで自分のやっていることがまだまだ小僧レベルなんだよな~ということ。
でも、こうやって書いていくことでとりあえずは自分の考えとか気持ちを残していくことはそんなに悪いことでもないと思う。
これから
これから、この本関連で英治出版は、なにかやっていくのかな?
本があって、それについてXでもnoteでも、Discordでも、なんらかの形で感想がまとまっていけるといいかもしれない。
多分、この本は何か書いてみようという気持ちにさせてくれるので、じゃ、どっかで拾ってもらえるとすごくいいことだと思う。
そういうことだと、今だとdiscordなんだろうな。
自分みたいなポエムばっかりになってしまったら、モデレーターの人も大変だろうけど。
その他
どうしてもeichishuppan
と打ってしまう。
検索して、いや、うれしいけどそうじゃない。