それ、AIでできるよね?
これは、自分がものを作るときに毎回ぶつかる問いの話だ。
自分で何かを作ろうと思ったとき、誰かが新しいアプリのアイデアを話してくれるとき。頭の中でこの言葉が浮かぶ。
それ、AIでできるよね?
やる気を削ぐつもりはないので、声にはしない。
……嘘だ。たまに口をついて出る。
AIでできることが増えるたびに、この疑念の射程は広がっていく。
最近は「AIをPCに飼う」方法論を見聞きする機会も増え、なおさらだ。
何を作ろうとしても、AIが競合の筆頭にいる。
でも、アイデア自体がつまらないわけではない。
むしろ思うのは、AIが今どこまでできるかを知っていたら、そこからもっと面白い方向に転がせるんじゃないか、ということだ。
AIを触らないと、線が引けない
何を作るにしてもAIが競合にいるなら、AIを触ること自体が競合調査になる。
触るべき理由は単純だ。
- そもそも知らなければ、自分のアイデアがAIで代替可能だと気づけない
- 知っているだけでは、現状の限界を実感できない
- 触らなければ、AIでできることとできないことの線が見えない
ここで大事なのは、3つ目の「線を引く」ことだ。
何かを作るとき、「AIでできるかどうか」は実はあまり重要ではない。大抵のことは、ある程度AIでできてしまう。
重要なのは、AIでできる箇所と、できない箇所の境界がどこにあるかを自分の手で確かめることだ。
Nani.nowに見える「線」
例えば「翻訳」は、ChatGPTに文章を貼り付けて頼めば一瞬でできる。
技術的には、わざわざ専用アプリを使う理由は薄い。まさに「それ、AIでできるよね?」の典型だ。
それでも、Nani.now のようなAI翻訳アプリが成立している。
ここが面白い。
翻訳"そのもの"は、たしかにAIでできる。ここは線の内側だ。
でもAIを触っていると、線の外側が見えてくる。
この場面では丁寧語が安全か、それとも距離を縮めるべきか。直訳は通じるが、相手にどう受け取られるか。返信として自然な温度感はどれか。——こうした迷いは、翻訳の精度がどれだけ上がっても消えない。
Nani.now は、この線の外側を扱っている。文章を入れてすぐ翻訳できるアクセスの速さ。複数の言い回しの提案やニュアンス解説。文体・トーンに合わせた候補をボタン一つで試せる仕組み。場合によっては返信文の下書きまで用意している。
AIでできることと、できないことの境界を見極めて、できない側に対する導線を最初から組み込んでいる。
そしてこの線の外側で感じる不便——ここでは「摩擦」と呼びたい——は、おそらく自分だけのものではない。
作る理由は「摩擦」を拾えるかどうか
それ、AIでできるよね?
この問いは、アイデアを否定するためのものではない。
むしろ、「それでも作る価値があるのか?」を自分に問い直すためのものだ。
だからこそ、AIを触る。
AIでできることを知るためではなく、
AIでできることの境界で、自分なりの摩擦を拾うために。
そうやって拾った摩擦から何かを作ったとき、きっとまた誰かが——あるいは自分自身が——こう訊く。
それでも、AIでできるよね?