日本の就職活動は長年にわたり、大卒者が圧倒的に優遇されてきた。しかし、少子化による人材不足が深刻化する中、この大卒偏重の採用体制はもはや時代遅れだ。今こそ高卒者の採用を積極的に進め、新しい人材育成の道を切り開くべきだ。
しかし、政府が「企業の皆さん、高卒を採用しましょう!」とどれだけ声高に叫んでも、現状はそう簡単に変わらない。だからこそ、私は新たな一手として、大学1年生からのインターンシップを一般化することを提案する。
この記事では、この提案のメリットや課題について考察していく。
大卒優遇の問題点
大卒者を優遇する採用は、多様な人材の活用を妨げている。高卒者や専門学校卒業者が企業に参画する機会が限られ、結果として企業内のアイデアや視点が偏る。また、大学進学が経済的に難しい若者にとって、不平等な状況が生まれている。
さらに、「大卒は即戦力」「高学歴は優秀」という風潮があるものの、実際には大学で学ぶ内容が仕事に直結することは少ない。四年間の講義よりも、実務経験のほうが役立つことも多い。つまり、大卒かどうかを即戦力の判断基準にするのは的外れだ。
少子化と高卒採用の必要性
少子化による人材不足が深刻化する中、企業は高卒者の採用を積極的に進める必要がある。若くてエネルギッシュな人材を取り込むことで、組織の活性化が期待できる。「人材がいないから仕方なく高卒を採用する」というスタンスの企業より、「高卒が活躍できる組織づくり」を実現した企業こそ長生きするだろう。
大学1年目からのインターンシップ
大学1年目からインターンシップを始めるという提案は、人材育成の新しい形だ。学生が早い段階から実務経験を積むことで、自分の適性やキャリアプランを具体的に描けるようになる。企業側も若い人材を早期に発見し、育成するチャンスを得られる。
この取り組みのメリットは大きい。
・早期のキャリア形成:学生は就職後のイメージを早くから持ち、適性の判断が具体的になる。
・実務経験と収入:スキルを磨きながら収入を得ることができる。就職後のスキルに直結しないような無駄なアルバイトの時給に悩む日々からの解放だ。
・企業と学生の相互理解:企業は学生のポテンシャルをじっくりと見極め、学生も企業文化を理解する機会が増える。
学生の意識と風潮の変化
それでも大学に通う学生の多くは、1年目からインターンなんてする気は起きないかもしれない。「俺は大学でたくさん遊びたい!ゼミで出会った可愛い子と青春するんだ!」という風潮がしばらくは残るだろう。
しかし、一部の学生がインターンを始めれば、彼らの就活は当然有利になり、スキルの差も圧倒的に広がる。そうなると他の学生たちも「遊んでいる場合ではない」と感じ始めるだろう。
遊びたいなら、自分で稼いでから好きなだけ遊べばいい。
大学1年目からのインターンの一般化→高卒正社員採用への道
大学1年目からのインターンシップが一般化し、10代でも活躍できる組織づくりが整ってくれば、企業としても「インターンで短期的に雇うよりも、高卒の時点で正社員として雇ったほうが効率的だ」という考えが広まる可能性は高い。優秀な人材を早く確保できるなら、企業にとっても好都合だ。むしろ、「なぜ今までそうしなかったのか」と思うかもしれない。
課題と対策
この新しい取り組みにも課題はある。
・高卒者のスキル不足:大学で得られる専門知識が不足している可能性。
・対策:企業内の研修制度を充実させ、必要なスキルを補完する。そもそも、大学で学んだことが実務に直結しないことも多く、企業独自の研修のほうが遥かに効率的だ。
・社会的認知の低さ:高卒採用に対する社会の理解が不足している。
・対策:成功事例を共有し、高卒採用のメリットを広く周知する。「昔はこうだった」はもう通用しない。
企業の負担増加:若年者の早期育成にかかるコストや手間。
・対策:政府の支援策や補助金を活用し、企業の負担を軽減する。投資なくしてリターンなし、だ。
大学側の課題もある
大学在学中に、優秀な学生はインターンを通して企業から早期採用され、大学を中退するケースが出てくる可能性がある。これは大学側にとって痛手だ。
しかし、これは早期就職より勉学に専念することのメリットを提示できなかった大学側の責任である。
学生の就活が早まった結果、大学の存続が危ぶまれるなら、その大学は存在意義を問われるべきだ。需要のないサービスが淘汰されるのは自然の流れだろう。
結論
大卒優遇の採用体制を見直し、高卒者を積極的に採用することは、企業と社会に大きなメリットをもたらす。そのためには、大学1年目からのインターンシップを通じて、企業と若者が早期に接点を持つ環境を整えることが重要だ。
若者が必ずしも大学に入らないと満足に就職できない社会を廃止し、もっと早い段階で社会と関われる風潮を生み出すことで、日本全体の活力も向上する。
企業、教育機関、政府が一丸となって、新たな人材育成の形を築いていく必要がある。大学が「遊び場」ではなく「学びの場」としての役割を果たせないなら、その存在意義も問われるだろう。
時間と体力のある若者が4年という貴重な時間を好き勝手に遊んでいられる余裕は、残念ながら今の日本にはないだろう。
だからこそ、若者の力を最大限に活用する仕組みを整える必要がある。
体力と時間のある若者たちが、そのエネルギーを社会のために使えば、日本の未来はまだ少しだけ明るくなれると信じている。
以上。