はじめに
こちらは エーピーコミュニケーションズ Advent Calendar 2025 8日目の記事です!
これは個人的な体験や考えから頭を整理するために作ったポエムです。
最近は当たり前のように生成AIで文章が書かれることも散見されるため、こうやって思いの丈をポエム的な文章にして残すこと自体に意味を感じています。
なので、思考をそのまま書き残してみます。
最初に主訴を整理するのであれば、エンジニアとは自分自身が取り組んでいる活動としての事象ではなくマインドのことで、「常に新しい技術に向き合っていく姿勢」がエンジニアになる(ならざるを得ない)になるのかな?と思いました。
暴論かもしれませんが、定例的作業に近い業務フローが整備されて標準化されている職業的な意味でのエンジニアは本質的エンジニアの楽しみを感じにくい存在であるのかなとそんな考えに至ったメモです。
エンジニアという職業
まず、エンジニアという職業は決して楽なものではないと思います。
肩書として現職では「クラウド(インフラ)エンジニア」になるとは思っているのですが、現実的には「フルスタックエンジニア」が近いと考えています。(ちなみにフルスタックエンジニアという表現はどうやら古いようで怪しい職業に見えてしまうみたいな意見もあるようです。)
業務や個人的な部分も含めて2025年を振り返ると、複数の新しい領域や技術に出会う機会があり、体感としてはクラウド以外を学んでいる時間の方が長く感じるくらいでした。
フロントエンドの学習として、ReactやCloudflareを触ってみたり、データ分析系としてはDatadog(資格のみ)、Databricks(PoC環境を構築)、生成AIの力を借りながらFlutter・React Nativeなどネイティブアプリの開発や自宅環境用に物理ルーターを触ってみたりProxmoxを導入するか検討をしたり、LangChain・n8n・Mastraなども気になっています。
上記は2025年な範囲の話でもちろん今までの積み上げもあるので一部開発やサーバー・ネットワーク・仮想基盤分野などもカバーしています。
結果としては「クラウドエンジニア」を自称することにも違和感を覚えており、「割となんでも触ってみているエンジニア」でしかないのかなと思い自分を見失うことがよくあります。
肩書は何をやる人と呼称できることは名刺がわりになりとても良いことだとは思うのですが、少しでも触ったものや作れる状態まで至ったものを含めていくと技術スタックがどんどんと溜まっていきカオスになってしまう気がするので難しいところですよね。
きっと皆さん含めた多くのエンジニアさんがそうなんだと思います。
また、生成AIの進歩と時代の流れとともに、業務レイヤーが薄く広く曖昧になっていき、最終的には「エンジニア」とはなんでもやる人の呼称になるのかなと、「○○エンジニア」の様な個別の肩書きは消えてしまうのではないかと思ったりしています。
エンジニアであることの負担と魅力
負担
エンジニアとしての経歴が長くなるとともに、年齢的な意味でも新しい技術を覚えることに対する抵抗や負担に感じる場面がそれなりにあります。
それでもエンジニアは、時代に合わせて技術情報を更新し続けなければならないという重い十字架を背負っています。
その学習時間に関しても必ずしも業務範囲で時間が確保できる保証もないので、自分の生活時間を使うことになることなど、休日にふと気になって調べる程度のことは誰にでも経験があるでしょう。
技術の進歩が止まらない限り、エンジニアのライフサイクルを終えない限りは付きまとう問題です。
特にAI技術の進歩は極端で、すべてを追いかけ続けることは現実的に不可能です。
細かいところや新興技術をキャッチアップしても最終的に負け技術となったものが自然淘汰されることは歴史を鑑みてもよくあることなので、時間の無駄になる可能性も十分にあります。
それだけ市場が盛り上がってるのは良いことですが、本格的に学習する側の負担は非常に大きく感じます。
AIエージェント機能やDeep research的な手段によって、調査やキャッチアップの負荷を軽減する方法が整ってきています。
その反面AIがたくさんタスクをこなしてくれるものだから大量にまとめてきた文章を読まないといけないし、最終決定は結局人間だしできることが増えた分やるべきことが散らかっていって結構大変です。
整理すると、AI補佐によって今後担当するレイヤーが増加したりAIでできることが増えた結果、薄く広く絶対量としての仕事内容は増えていくのかなとも考えています。
便利な技術が負荷を増やし、同時に負荷を軽減するという相反する構造になっているのも時代の進化ゆえなのが非常に難しいジレンマだと思います。
魅力
それでもエンジニアは純粋に面白いです。
個人的な体感ですが、ルーチンワークに飽きっぽく新しい技術とかそういうものに興味があればそれだけで適職です。趣味を包括し得る職業です。
お恥ずかしながら今年の後半は、食事中や寝室にもPCを持ち込んで触れてしまう場面が増えたため家族に指摘されることも多かったです。
興味が生活を侵食するほどに没頭してしまうということは、やはり根本として楽しいと感じるからこそできることなのかと思います。
本来、技術とは頭の中のアイデアを形にするためのものであり、もう少しビジネスライクな手段ですが、妄想したものを具現化できると考えると、その手段自体が非常に面白くワクワクします。
DTMに没頭していた頃や個人開発に熱中していた頃(今でも定期的にあるが)、過程自体が楽しく一日中PCの前から離れられなくなる時期もよくあったなと思い返します。
エンジニアはなにかと整理すると
ここまで考えるとエンジニアとはそもそも何なのかという問いが生まれます。
単に仕事としてタスクをこなすだけではなく、技術そのものを楽しみ、アイデアを形にすることを楽しめること。
こんな感覚的な部分がエンジニアであることの本質に近いのではないかと感じています!
これが書きながら考えた2025年時点での一端の結論です。
おわりに
2025年を経て、自分の軸がぶれている感覚があったのでエンジニアとしてどう在るべきかを再考する機会となりました。
時代や世代によって表面的な考え方自体は変わるものの、大きな本質的な視点としては、楽しみを感じて続けられるこの状態そのものが、「エンジニア」の姿勢なのかなと思いました。
皆さんがどう考えてどう向き合ってるか教えていただけると今後のエンジニア人生の励みになります!