はじめに
こんにちは。Tsukasaです!
タイトルにある通りエンジニアを辞めました!
今日は今までのキャリアの振り返りと何故エンジニアになったのか?そして何故辞めたのか?について振り返りたいと思います。
今までのキャリア
私は国際学部国際学科出身の正真正銘の文系です。
学生時代は韓国に留学していたこともあり、就活の軸は語学を活かしてグローバルに活躍できることでした。当時はエンジニアなんて全く考えていませんでしたし、エンジニアが何なのかもよくわかっていませんでした。
銀行員時代
新卒で入社したのは韓国系の外資金融でした。語学が活かせるということで支店の窓口勤務をしていました。お客さんの中には日本語が全く話せないという方も少なくなかったので、語学を活かすという点については当初の目標を達成することができたと思います。
その後住宅ローンに関する部署に人事異動となり、語学を使う機会が激減しました。そのため、より語学を活かせる環境、そして営業を経験してみたいと思うようになりました。
メーカー営業時代
その後韓国系のメーカーに法人営業として転職しました。この会社では社内公用語が韓国語で、社内規定やマニュアル、社内システムまでが全て韓国語という環境でした。韓国語ができないとそもそも入社すらできないという会社だったので難しさはありましたけど、やりがいはあったかなと思います。また担当が日本、中国、アメリカ、メキシコ、チェコという世界を股に掛けて働くことができました。
転機
順調?と思えたキャリアでしたが、転機が訪れます。2020年の某ウィルスです。
オリンピックは延期となり、インバウンドで盛り上がっていた旅行業界は軒並み右肩下がりとなり将来に対する漠然とした不安が出てきました。
当時の自分はただのマルチリンガルの営業。客観的に証明できるスキルも何もありませんでした。
当時は「駆け出しエンジニア」という言葉が流行っており、未経験から勉強してエンジニアになるといったことが流行?していました。自分もその波に乗ろうと思ったのです。
因みに当時も特に技術には興味はなく、技術力をつけて稼げるようになりたいという思いだけでした。
エンジニア転身のための準備
メーカーで働きながら、エンジニアになるための勉強をしていました。
当時はMENTAというアプリを用いて、現役のエンジニアの方からJavaを教わっていました。オブジェクト思考とかも学びながら、プログラミングを学んでいましたが、あまり面白味を感じなかったっていうのが正直なところでした。ですが、それはそれと割り切って必死に喰らいついたことはよく覚えています。結局1年ほど仕事と学習を並行してエンジニアとして転職することができました。
エンジニア時代
プログラマー?時代
2022年7月にエンジニアとして転職をしました。今から4年前の話です。当時年齢は29歳となっていて、年収はメーカー時代から200万円近くは下がったかと思います。
それでも今まで頑張って勉強して、エンジニアになれたので嬉しかったです。
ですが、現実は甘くありませんでした。現場で使われているソースコードは個人学習したものとは比べ物にならないくらい長く複雑な物でした。コードが2万行もあるようなシステムもあったかと思います。そしてちょっと勉強したくらいなので、当然プログラミングなどはさせてもらえませんでした。基本的には運用保守がメインでテスター等の業務が多かったです。
そしてその状況が1年程続きました。このままではマズイと思いもう一度プログラミングの学習をしてみたり、資格の勉強なども取り組んでみました。
Javaをやっていたこともあるので、一番基本的なJava Bronzeから勉強をしましたが、問題を解いても全然歯が立ちませんでした。プログラミングは自分には無理なのだろうか?と思うようになりました。しかしエンジニアには色んなポジションがあり、「PM」というポジションがあることを知ったのでした。
PM、ブリッジエンジニア時代
最初の会社でPMであったり、所謂上流工程側に行きたい旨を面談時に伝えましたが、この会社ではそのキャリアパスは準備できないという話になり、転職することを決意しました。
転職した会社は海外でオフショアしている会社でした。ポジションはブリッジエンジニア兼PMでした。基本的には技術に触れることはなく、プロジェクトの管理がメインでした。英語も毎日のように使うことができて、充実はしていました。しかし今度はあまりにも技術に触れる機会がなくなってしまったのです。一応「エンジニア」である以上、このままではまずくないか?というまたしても不安に襲われます。しかもビジネスモデル的にも要件定義や工数見積もりは全てインドで行うため、一般的に言われているPMとしての経験を積むこともできず、ただ通訳して、プロジェクトが予定通りに進んでいるかを見ているだけの状態でした。
AWS、JAWS-UGとの出会い
そしてまた人事面談にてもっと技術について強くなりたい旨を伝えました。
そこでAWSを学習することを勧められ、初めてAWSの勉強を始めたのです。
最初にCLFに合格して、その後SAAの勉強を始めました。しかしそこで大苦戦することとなり、AWS学習コミュニティであるJAWS-UGの存在を知り参加するようになりました。
SAAには最終的に合格することができ、当初の目的は達成しましたが、そこでの出会いであったり人との繋がりというところに面白さや魅力を感じてその後も参加するようになりました。
せっかくここまで勉強したので、クラウドエンジニアとしてAWSを使う仕事をしたいと思うようになりました。そしてご縁があって転職することができました。
何故エンジニアを辞めたのか?
そしたら何故今回エンジニアをやめることになったのでしょうか?
いくつかの要因にわけて整理したいと思います。
1.成功体験を積めなかったから
一番大きな理由としてはこれになるかと思います。
中々成功体験を積むことができませんでした。
歯車が狂い始めたのは2025年の秋ごろからでした。
きっかけはAWS-SAPの2連続不合格です。
SAP試験自体は実務経験が2年程あるような人たちが受ける試験です。
実務経験がないような私が本来受けるような試験ではありません。
しかし近年では未経験エンジニアのレベルも非常に高くなっていて、未経験でもSAPに一発で合格する方が増えてきています。
別に周りと比較しなくても、自分のペースで焦らずゆっくりやればいいのでは?と言う方もいらっしゃるかもしれませんが、私にはそんなことを言っているような余裕などはありませんでした。
何故なら最速でAWS案件にアサインされたかったからです。もちろん資格があるからと言って必ずしも技術力があるとは言えません。ですが、実務経験がない以上、客観的なスキルの証明には資格が絶対的に必要だったのです。
これがまだ20代でしたら、そこまで焦らずとも1つずつ資格の難易度を上げて、着実にステップアップしていけば良いと思います。それこそ小さな成功体験を積むことができます。しかし私は当時32歳でした。若手とは言えない中で最速で結果を求められるのに、悉く結果を出せなかった。この辺りから色々と考えるようになったのです。
会社としても結果を出していない人間に良いポジション、チャンスを与えるようなことはしません。当然のことです。SAPに合格していればAWS案件に無条件でアサインされていたかどうかはわかりません。しかし目の前にあったチャンスを悉く掴めなかったのは事実です。
誤解のないようにしたいのですが、これは前職に対する不満ではありません。寧ろ何の実績もない私を採用していただいたことに本当に感謝をしております。
更にタイミングの悪いことにその後Community Buildersにも落選しました。これについてはそこまで気にすることではないと思いますが、立て続けに何かに失敗しているところにこれまで追加されてしまったので、かなり大きな打撃だったと思います。
2.手を動かすことを面白いと思えなかったから
資格がダメなら手を動かして技術力をつけるしかないと思った私は、それまで以上にハンズオンに力を入れるようになりました。しかしこれを面白いと思えなかったのです。
技術が好きな皆さんには本当に申し訳ないですし、失礼だと思いますが、私がIT業界に来たのもAWSを勉強しているのも、技術が好きだからではなくてスキルをつけて自分の市場価値を上げたいからです。
ですので、初心者向けのハンズオンを週末にやる時も、技術的な好奇心というよりやらないといけないという義務感の方が強かったのです。やりたくてやるのではないので、机に向かうまでが相当心が重かったのです。
「誰の助けもなく、完走できるだろうか?これから孤独な闘いが始まるのか」と非常に憂鬱な気持ちで取り組んでいました。そして大抵うまくはいきません。途中で躓きます。最終的に終えることができても達成感というよりは一気に疲れが来るような感覚に襲われました。
そして取り扱っていた教材の多くは「初心者向け」です。
それですらこんなに躓いているのに、この先上のレベルに行くのは厳しいと思うようになりました。
コミュニティでもハンズオン勉強会に何度か参加したことがありますが、時間内に全てを終えられたことは殆どありません。勿論その過程で学ぶこともありますが、人間というのは悪い記憶の方が頭に残るものです。学びよりも「最後まで終えられなかった」という客観的な事実のみが残ったのでした。
そのため、気が付けばハンズオンとは「手を動かして何かを構築して、楽しく学ぶもの」ではなくて「よくわからない、難しい、終わらない、できない、楽しくないもの」になってしまったのです。
わからないことは面白くないですし、できないことは楽しくないですよね。
一方で自分の周りを見ていると皆さん趣味のように何かを構築したりしていました。
そもそも自分にはアイディアも浮かんでこないし、苦手科目に立ち向かうような感覚でやっていたので、楽しくてやっている人たちと肩を並べるのは無理だなと思ったのでした。
結局これも上記の成功体験を積むことができなかったに繋がっているかと思います。
3.情報の取捨選択ができなかったから
結局のところ、何を勉強したら良いのかわからなったので、兎に角色んな勉強会に参加しました。
よくはわからいけど、周りがみんな参加するってことは自分にも必要なはずだとその時は思っていたのです。
しかし、実際のところは初心者にはまだ早すぎるものだったり、自分の業務とは全く関係のないものありました。
その結果どれも中途半端になってしまって、結局何をしたらいいのか?がわからなくなってしまいました。
みんなが参加するから自分も参加する
みんなが買っているから自分も技術書を買う
みんながやっているから自分もやる
このように気が付けば、行動軸が自分ではなくて、周りになってしまったのです。
勿論周りの方のせいにするつもりは毛頭ありません。わからないなりに自分でしっかりと軸を持っていればこうはなりませんでした。結局自分の頭で考えられなかった自分自身に落ち度があるのです。
4.得意なことに技術要素がなかったから
試験にも合格できない。手も動かせない。技術にも興味はない。
自分にエンジニアとしての素質があるのか?という疑問が湧いてきました。
このころになると自分のロールをエンジニアと名乗ることに恥ずかしさすら感じるようになってきました。
初めて会う人には「エンジニア」ではなく、「IT系の仕事」とそれっぽく明言を避けるようになりました。
こういう時はSNSから離れたりしてデジタルデトックスをするのが良いのですが、そういう時に限って見てしまうものです。SNSで技術力の低いエンジニアを「園児ニア」と言っている投稿を見つけたのです。
うまいこと言ってるなと少し笑ってしまったのですが、自分もこの「園児ニア」に当てはまるなと思ったのです。
園児じゃ困るなと思いながら、これを見てから一度自分のスキルや強みを整理してみました。
・語学力
・コミュニケーション能力
・言語化
・説明能力
ぱっと出てきたのがこの4つでした。他にも色々ありましたが、ここに技術要素が1つも出てこなかったのです。
エンジニアなのに技術が得意じゃない。寧ろ苦手。それにこれだけ得意なことがあるのであれば、得意(長所)を伸ばした方が絶対に良いと感じたのです。わざわざ苦手なことに注力するよりも得意なことに注力した方が、より自分の価値を発揮できるし、何よりも楽しいと思ったのです。
そしてある方に「つかささんは人前で話していないと価値が半減してしまう。絶対に勿体ない」とも言われたのです。自分だけでなく、客観的に見てもそう思われているのであれば、本当にその通りなんだと思ったのです。
以上の4点から私は4年間やってきたエンジニアというロールをやめる決意をしました。
今は何しているの?
今は韓国系企業でプリセールスをやっています。
あれだけ、技術が苦手、興味がないって言いながらも結局IT企業にいるのかよって思った方もいらっしゃると思います。確かに私は技術は苦手ですし、興味もないですけど、それでも4年間はエンジニアをやってきました。
つまり多少なりとも知識はあるのです。完全にIT業界から離れることも考えましたが、それは勿体ないと思い、これまでの経験を掛け算できる方向に持って行きたかったのです。
そして外資系企業というのも自分の中では優先度が高めでした。
語学力は自分の最大の強みなので、絶対語学を活かせる仕事に就きたいと思ったからです。
それに以前も韓国企業で働いた経験があるので、文化であったり、韓国企業の特徴もわかっています。
今はプリセールスとして顧客や営業から寄せられる技術的な質問の対応などを行っています。
当然わからないことだらけなので、毎日が勉強です。エンジニアだった頃よりも勉強しているかもしれません。
自分で解決できるものは自分でしますが、そうでないものは韓国にいるエンジニアに確認をしています。
当然韓国語です。会社としても自分の価値を発揮できるようなポジションに置いていただいたのだと思います。
そしてこれは1つのプロジェクトマネジメントのようなものです。これはPM時代の経験が活きています。
その他にもパートナー企業の営業向けに自社製品の勉強会やITに関する勉強会を行ったりしています。
営業向けなので、できるだけかみ砕いて簡単に説明する必要があります。
これはエンジニアだった頃、何とかして状況を変えたくてQiitaに自分がわからないことを身の回りのものに例えて極限まで簡単な説明をしていた時の経験が活きています。
気が付いたら難しいことを簡単に説明するスキルが身についていたのです。
そしてわからない人に寄り添えるようになっていたのです。
エンジニアとしては目に見える成功体験は積めませんでした。しかしこの4年間で経験したことは確実に今に繋がっていたのです。 無駄なことは何もありませんでした。
コミュニティとの付き合い方
エンジニアではなくなった以上、コミュニティに参加する必要性は以前程ではなくなったと思います。
業務に関係のあることはやりますが、業務に関係のない技術のキャッチアップやハンズオンなどはもはや必要がないからです。興味があれば良いですが、再三繰り返すように興味はありません。
現に去年と比べても参加回数は激減しています。
しかし自分自身がJAWS-UG 初心者支部の運営として最近新たな目標ができました。
それは初心者の方が自分のように挫折してしまったり、離脱しない仕組み作りです。
「No more Tsukasa」です(笑)
毎度のことですが、初心者支部にいらっしゃる方は様々です。AWSを始めて1か月という方もいれば、まだ何もしていなくて、これから始めるという方もいらっしゃいます。
そういった方々がコミュニティに参加されるというのはきっと現状を変えたかったり、頑張りたい気持ちがあるからではないでしょうか。
そういった方々が挫折、離脱しない仕組みがあったら良いなと思います。
そしてこれは自分にしかわからない感覚だとも思っています。
もはやエンジニアではない上に技術に興味がない自分が技術コミュニティの運営をやっているのもよくわからないですが、自分みたいな人間が一人くらいいても面白いのではないでしょうか。
そして「挫折、離脱してしまった初心者目線」を基に自分の二の舞を作らせないというのもコミュニティに対しての貢献だと思います。
終わりに
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
4年間のエンジニア人生を振り返ってみても、行き当たりばったりで何だかフワフワしていて軸が定まっていなかったようにも見えるかもしれません。そして大した成功体験も積めなかったですし、成果を出すことができなかったのもまた事実です。
今でもITは苦手ですし、よくわかりません。ですが、自分がよくわからないからこそ、相手にわかりやすい説明ができるようになったとも思っています。
AWS-SAP不合格以外にも基本情報技術者試験にも不合格となっています。こういったところから見ても自分に素質はなかったと思います。その一方でAWS-CLF,AIF,SAAには合格することができました。唯一の成功体験はこの3つに合格できたことくらいです。CLFは初めてIT系の資格合格だったので、思い出深いですし、SAAは兎に角大苦戦した上での合格だったので、こちらも印象深いです。
苦手ではあるものの、この3つの試験での合格、不合格であったとは言え、全力で挑戦したことだけは誇っていいと思います。
「気合い、根性、執念」
この言葉は自分のモットーです。最終的にはエンジニアをやめましたが、この3つを体現できたのではないでしょうか。
そしてエンジニアをやったからこそ、自分の得意なことや強みに改めて気づくことができました。
今はそれを最大限に発揮できる環境で自分らしく楽しく働いています。今後も挫折を繰り返すとは思いますが、「気合い、根性、執念」で乗り越えていきたいなと思います!