はじめに:エッジは「平均」ではなく「分布の形」から見えてくる
クオンツトレードでは、価格を単なるチャートの線としてではなく、確率的に変動する時系列として扱います。
そのとき最初に見るべきなのは、「次に上がるか下がるか」ではありません。まず確認すべきなのは、リターン分布の性質です。
同じFXでも、USDJPY、EURUSD、AUDJPYでは値動きの性格が異なります。普段の値動きが小さい通貨ペアもあれば、まれに大きく飛ぶ通貨ペアもあります。また、上方向と下方向でリスクが対称とも限りません。
正規分布を想定した「理論上の市場」と、ファットテールを持つ「現実の市場」は別物です。標準的な平均・分散だけを見ていると、致命的な下方ショック(左テール)も、真のチャンス(右テール)も見落とします。
本記事では、為替240分足データを使い、次の流れでエッジ候補を探します。
- モーメント比較
- 観測された極端値の確認
- リターン分布の可視化
- 方向別リターン分析
- 急変後の平均回帰分析
- ボラティリティ別分析
- エッジ候補の整理
モーメント分析そのものは 完成した売買戦略ではありません。平均・分散・歪度・尖度を計算することが目的ではなく、そこから「どの通貨ペアで、どの方向に、どの局面で、条件付きリターンを深掘りすべきか」を考えることが目的です。
今回の分析で最も明確に浮上した候補は、AUDJPYの急落後ロング平均回帰です。特に2022年以降のデータでは、AUDJPYが下位5%または下位1%の急落をした後、24時間から48時間にかけて反発しやすい傾向が確認できました。
ただし、これはまだ「使える売買戦略」ではありません。取引コスト、スリッページ、損切り、最大逆行幅、年別安定性、WFO、Holdoutを確認する前の、あくまでエッジ候補です。
1. 使用データと分析条件
今回の対象は、以下の3通貨ペアです。
| 通貨ペア | 特徴 |
|---|---|
| USDJPY | 円と米ドルの代表的な通貨ペア。金利差、日銀、FRB、為替介入などの影響を受けやすい |
| EURUSD | 世界で最も流動性が高い通貨ペアの一つ。比較的安定した値動きを示しやすい |
| AUDJPY | リスクオン・リスクオフの影響を受けやすく、円高ショック時に大きく動きやすい |
使用した足は240分足、つまり4時間足です。短すぎる足よりノイズが少なく、日足よりサンプル数を確保しやすいからです。
分析条件は以下です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象期間 | 2022-01-02 20:00 〜 2026-04-02 12:00 |
| 対象通貨ペア | USDJPY / EURUSD / AUDJPY |
| 足種 | 240分足 |
| リターン定義 | 終値ベースの対数リターン |
| 未来リターン | 1本後(4H)、3本後(12H)、6本後(24H)、12本後(48H) |
| 注意点 | 取引コスト、スリッページ、損切り、ポジションサイズは未考慮 |
リターンは以下のように定義します。
log_return = log(close_t / close_{t-1})
log_return_pct = log_return * 100
記事内では読みやすくするため、対数リターンをパーセント表記で扱います。
2. モーメント比較:3通貨ペアの性格はかなり違う
まず、各通貨ペアのリターン分布を、標準偏差、歪度、超過尖度で比較します。
| 通貨ペア | リターン数 | 平均% | 中央値% | 標準偏差% | 歪度 | 超過尖度 | 最大% | 最小% |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| USDJPY | 6,848 | 0.0048 | 0.0085 | 0.2639 | -1.2543 | 20.7389 | 2.2019 | -3.5018 |
| EURUSD | 6,848 | 0.0002 | 0.0000 | 0.2000 | 0.2685 | 9.8131 | 2.3534 | -1.7885 |
| AUDJPY | 6,847 | 0.0040 | 0.0084 | 0.3013 | -0.1783 | 13.7414 | 4.2862 | -3.1557 |
- 標準偏差:最も高いのはAUDJPY(0.3013%)。3通貨ペアの中で最も値動きが大きく、利益幅も損失幅も大きくなりやすい。
- 歪度:USDJPYが-1.2543と大きくマイナス。上方向よりも下方向の極端な動きが分布に強く影響している。一見安定して見える局面でも、下方向ショックを強く警戒すべき通貨ペア。
- 超過尖度:USDJPYが20.7389と最も高く、次にAUDJPY(13.7414)、EURUSD(9.8131)。正規分布的な「なだらかな分布」ではなく、外れ値が多い分布。
3通貨ペアの「性格」仮説
- USDJPY:【見えない落とし穴】 下方向ショックとファットテールに注意
- EURUSD:【低ボラティリティ】 値動きは安定だが値幅が小さくコスト負けしやすい
- AUDJPY:【ワイルドカード】 値動きが最大、急変後の反発や継続を深掘りする価値が最も高い
重要:標準偏差だけでは十分ではない。
USDJPYは標準偏差ではAUDJPYより小さいが、歪度と超過尖度を見ると下方向ショックと外れ値リスクが非常に大きい。リスクを見るときは「平均的な値動き」だけでなく「まれに起きる極端な値動き」まで確認する必要がある。
3. 観測された極端値:最大値・最小値を見るとリスクの方向が分かる
モーメント指標だけでは、実際にどれほど大きな値動きが発生したのかが直感的に分かりにくいため、実測の最大・最小リターンを確認します。
- AUDJPY:最大上昇 +4.28% と最も大きい。上方向にも大きく動く通貨ペア。
- USDJPY:最大下落 -3.50% と大きく、下方向ショックの存在感が強い。
- EURUSD:最大上昇+2.35% / 最大下落-1.78%。極端値が比較的小さく、分布も相対的に安定。
ここで注目すべきは、単に「どの通貨ペアが一番危ないか」ではなく、極端値の方向です。
USDJPYは、標準偏差ではAUDJPYより小さいにもかかわらず、下方向の極端値が大きい。このため、USDJPYを単純な低ボラ通貨ペアのように扱うと、急落リスクを見落とす可能性があります。
この段階での分析の焦点
- USDJPY:下方向ショック後に反発するのか
- EURUSD:小さな値幅でもコスト控除後に残るエッジがあるか
- AUDJPY:大きな急落後に反発しやすいか
4. リターン分布:中心は細く、裾は厚い
3通貨ペアともリターンはゼロ付近に集中しますが、左右の裾を見ると、ゼロ付近に収まりきらない大きなリターンも存在します。特にUSDJPYとAUDJPYでは、裾が厚く、急変リスクを無視できない形になっています。
通常時と急変時を同じものとして扱ってはいけません。多くの時間帯ではリターンはゼロ付近に集まっていますが、トレードで大きな損失や大きな利益を生むのは、しばしばこの「まれな局面」です。
リターン分布を見る目的は、平均的な値動きを知ることだけではなく、「どの通貨ペアで、どの方向に、どれくらいの急変が起こりうるのか」を把握することにあります。
5. 方向別リターン分析:上昇足後と下落足後を分ける
現在足のリターンがプラスなら「上昇足」、マイナスなら「下落足」と分類し、1〜12本後の未来リターンを確認します。
USDJPY:上昇足後の未来リターンが比較的プラス。3本後から12本後にかけて右肩上がりで、短期モメンタム的な性質に見えます。ただし下方テールが大きいため、単純な追随ロングは危険です。
EURUSD:上昇足後・下落足後ともに平均リターンの振れが小さく、明確な方向性は弱い。単純な方向別条件ではエッジが出にくい。
AUDJPY:下落足後の未来リターンがプラスに出やすい。特に6本後・12本後にかけて平均リターンが上昇 ⇒ 「下落後に反発しやすい」という平均回帰仮説につながる。
ここでの条件はまだ粗い。小さな下落と大きな急落を同じ「下落足」として扱っているため、売買ルールとしては精度が足りない。
次にやるべきことは、新しいエッジを探すことではなく、「AUDJPYは下落後に戻りやすそう」という粗い仮説を、通常の下落と極端な下落に分解すること。方向条件を強度条件に変換する ― これが急変後分析の役割。
6. 急変後の平均回帰分析:AUDJPYの急落後反発が最も明確
各通貨ペアごとに現在足リターンの上位・下位を使って急変を定義します(上位/下位 5%、2.5%、1%)。
平均回帰リターンは次のように定義します。
# 急騰後に下がればショート方向の平均回帰
upper_shock_mr = -future_return
# 急落後に上がればロング方向の平均回帰
lower_shock_mr = +future_return
通常の下落と「パニック(急落)」を切り離すことで、方向条件を強度条件へと変換します。すべての通貨ペアで急変後の挙動を検証しましたが、USDJPYは急落後に必ずしも反発しません。明確なシグナルを発しているのは AUDJPYのみ です。
AUDJPYでは、下位1%や下位5%の急落後に、時間が経つほど平均回帰リターンが大きくなる傾向が見えます。特に48時間後の反発が顕著です。
| 条件 | ホライズン | 平均回帰リターン | 勝率 |
|---|---|---|---|
| AUDJPY 下位5%急落後ロング | 48時間後 | +0.2024% | 60.06% |
| AUDJPY 下位1%極端急落後ロング | 48時間後 | +0.3856% | 62.32% |
これは、今回の分析で最も明確に浮上したエッジ候補です。
一方、USDJPYも下位急落後の平均回帰はプラスですが、AUDJPYほど強くありません。USDJPYは下方向ショックが大きいにもかかわらず、急落後に十分な反発が出るとは限らないため、単純な逆張りロングには慎重さが必要です。
EURUSDは、上位1%急騰後ショートの勝率(56.52%)だけを見ると悪くありませんが、平均回帰リターンは安定してプラスではなく、値幅も小さいため、主役にするには弱い候補です。
今回の3通貨ペアの中では、AUDJPYの急落後ロング平均回帰が最も有望。
ただし、急落には、一時的なショックで終わるものと、さらに下落が続くものがあります。この2つを分けないと、平均では勝っていても実運用では大きな損失を受ける可能性があります。
7. ボラティリティ別分析:高ボラでは利益も損失も拡大する
同じ急落でも、低ボラ局面と高ボラ局面では意味が異なります。今回は、過去20本の対数リターン標準偏差を使ってボラティリティを定義し、Q1(低ボラ)からQ5(高ボラ)の5分位に分けます。
vol20 = rolling_std(log_return_pct, 20)
3通貨ペアすべてで、Q1からQ5に向かうほど未来の値動きが大きくなっています。
高ボラは両刃の剣。
高ボラ局面は「チャンス」でもあるが、同時に「リスク」でもある。未来の値幅が大きくなる ⇒ 利益幅だけでなく 損失幅も大きくなる。
特にAUDJPYは、全てのボラティリティ階層で未来絶対リターンが大きく、Q5ではさらに拡大します。AUDJPYの急落後ロング平均回帰を検討する場合、高ボラ局面では反発幅が大きくなりやすい一方で、途中の逆行幅も大きくなりやすいことを意味します。
AUDJPY急落後ロングをボラティリティ階層別に見る
AUDJPYの下位5%急落後ロングを、ボラティリティ階層別に確認すると、Q5高ボラでは6本後(24時間後)から12本後(48時間後)にかけて平均回帰リターンが大きく伸びています。
| 条件 | ホライズン | 平均回帰リターン | 勝率 |
|---|---|---|---|
| AUDJPY Q5高ボラ・下位5%急落後ロング | 24時間後 | +0.1446% | 54.76% |
| AUDJPY Q5高ボラ・下位5%急落後ロング | 48時間後 | +0.2854% | 61.90% |
ただし、低ボラから中ボラでも一部プラスの結果が出ています。エッジが「高ボラだけ」に限定されているとは言い切れません。
記事の主役は「AUDJPYの高ボラ急落後24時間反発」ではなく、より広く AUDJPYの急落後ロング平均回帰 に置くべき。高ボラ条件は 補助条件 として扱うのが妥当。
8. 年別安定性:全期間平均だけでは判断できない
エッジ候補が見つかっても、それが特定の期間だけで成立している可能性があります。
AUDJPYのQ5高ボラ・下位5%急落後ロング平均回帰を年別に見ると、2024年・2025年・2026年は比較的良好で、特に2025年では平均回帰リターンが大きくなっています。一方で、2023年は平均回帰リターンがマイナスです。
全期間平均でプラスでも、年別に見ると安定していない場合がある。特に高ボラ急落後ロングのような戦略は、ショック局面でさらに下落が続くと大きな損失を受ける可能性がある。
- AUDJPYの高ボラ急落後ロングは候補として残る
- しかし、年別に常に安定しているわけではない
- 2023年のようにマイナスになる年がある
- 年別安定性を確認せずに実運用へ進むのは危険
クオンツ分析では、全期間平均よりも、年別・局面別にどれだけ安定しているかが重要。
9. 次足始値エントリーと最大逆行幅の確認
ここまでの分析は終値ベースです。しかし実売買では、現在足の終値を確認した後に同じ終値でエントリーすることはできません。
シグナル判定:足 t の終値確定後
エントリー :足 t+1 の始値
決済 :足 t+1+h の始値または終値
この点を明確にしないと、バックテストにリーケージが入り結果が過大評価される可能性があります。
次足始値エントリーで確認すると、AUDJPYの下位5%急落後ロングは24時間後で平均 +0.1169%、勝率 57.48%。Q5高ボラに限定した場合も、平均 +0.1402%、勝率 54.76% とプラスを維持しています。
ただし、最大逆行幅(MAE)は無視できません。
| 指標 | 値 |
|---|---|
| AUDJPY Q5高ボラ・下位5%急落後ロング 24H保有 平均MAE | -0.9173% |
| AUDJPY Q5高ボラ・下位5%急落後ロング 24H保有 MAE 5%点 | -2.6542% |
平均的には反発していても、途中でさらに大きく下げるケースがあります。平均回帰リターンがプラスでも、その途中のドローダウンに耐えられなければ実運用では成立しません。
この候補を売買戦略に進めるための必須検証
- 次足始値エントリーでの正式なバックテスト
- スプレッドとスリッページの控除
- 固定損切り、ATR損切り、時間損切りの比較
- 最大逆行幅に基づくロット調整
- 年別・四半期別の安定性確認
- WFOによる過剰最適化チェック
- Holdoutによる最終検証
10. エッジ候補の整理
| 通貨ペア | エッジ候補 | 根拠 | 注意点 |
|---|---|---|---|
| USDJPY | 急落後ロング平均回帰 | 下位5%急落後48時間で +0.0484% | AUDJPYほど強くない。下方テールが大きく、イベント性急落に注意 |
| EURUSD | 急騰後ショート平均回帰 | 上位1%急騰後の勝率は56.52% | 平均リターンはプラスではなく、値幅も小さいため主張は弱い |
| AUDJPY | 急落後ロング平均回帰 | 下位5%急落後48時間で +0.2024%、勝率60.06% | トレンド化する急落を除外する必要がある |
| AUDJPY | 極端急落後ロング平均回帰 | 下位1%急落後48時間で +0.3856%、勝率62.32% | 件数は69件と少なく、過信は禁物 |
| AUDJPY | Q5高ボラ急落後ロング | 24時間で +0.1446%、48時間ではさらに大きい | 年別安定性に課題。最大逆行幅が大きい |
今回の近年データで最も浮上した候補は AUDJPYの急落後ロング平均回帰 です。特に、下位5%から下位1%の急落後に、24時間から48時間かけて反発しやすい性質が見えています。
一方で、「高ボラ局面に限定すれば必ずよい」とまでは言えません。高ボラ条件は反発幅を拡大させる可能性がありますが、同時に損失幅や最大逆行幅も拡大させます。
AUDJPYの急落後ロング平均回帰は有望なエッジ候補である。高ボラ条件は補助条件として有効な可能性があるが、リスク調整後に本当に改善するかは追加検証が必要である。
11. これは完成した売買戦略ではない
ここまでの結果だけを見て、すぐに売買ルール化するのは危険です。
今回の分析は、あくまでエッジ候補の探索です。実際の売買戦略にするには、以下の検証が必要です。
取引コスト
スプレッド、スリッページ、約定遅延を入れる必要があります。特にEURUSDのように値幅が小さい通貨ペアでは、見かけの優位性がコストで消える可能性があります。
約定タイミング
終値で条件を判定した場合、実際のエントリーは次足始値にする必要があります。終値判定・同時終値エントリーは、実売買では再現できない可能性があります。
損切りと最大逆行幅
平均リターンがプラスでも、途中で大きく逆行するなら、実運用では耐えられません。特にAUDJPYの高ボラ急落後ロングでは、平均MAEや5%点の逆行幅が大きく、損切り設計は必須です。
年別安定性
全期間でプラスでも、特定年だけで成績が出ている可能性があります。年別、四半期別、相場局面別に分けて、安定性を確認する必要があります。
WFOとHoldout
条件を複数試すほど、偶然良く見える結果が出やすくなります。Walk-Forward OptimizationとHoldoutで、過剰最適化を避ける必要があります。
まとめ:モーメント分析はエッジ探索の入口である
平均リターンを並べても、3通貨ペアの性格はほとんど見えません。分布の形、極端値、方向条件、急変条件、ボラ局面、年別安定性と条件を一つずつ加えていって、ようやく AUDJPYの急落後ロング平均回帰 が候補として浮上しました。
ただし、これは完成した売買戦略ではありません。次足始値、コスト控除、損切り設計、WFO、Holdoutを通して初めて、実運用の議論が始まります。
エッジは、単純な平均リターンには見えにくい。分布の非対称性、急変後の挙動、ボラ局面の違いを分けて見ることで、ようやく候補が見えてくる。
モーメント分析は、平均・分散・歪度・尖度を並べる作業ではありません。どの通貨ペアで、どの方向に、どの局面で、条件付きリターンを確認すべきかを決めるための入口です。クオンツトレード入門者にとって、最初に身につけるべき分析手順だと考えます。
本実験で使用したPythonコードやデータセット、詳細なグラフにつきましては、下記のGitHubリポジトリよりダウンロードしてご利用ください。
https://github.com/tikeda123/article_lab














