背景
生成AIの実行基盤はハイパースケーラ(ベンダーロックイン、検閲やプライバシーへの懸念)に集中している。対抗策としてユーザローカルで学習・推論をすることが考えられるが、高性能なモデルを使うにはハードルが高い。
第三の選択肢として台頭しているのが、DePINである。DePINはオープンなインフラ・オープンなモデルに支えられた分散型AIネットワークである。
この記事ではChutesというアプリケーションプラットフォームからDePINの実際を見ていく。
Chutesとは?
ChutesとはBittensorネットワーク上(後述)の分散型サーバーレスAI推論プラットフォームである。このプラットフォームは、ユーザー向けのシンプルなAPIおよびWeb UIと、モデルを大規模に実行するGPU「マイナー(採掘者)」の分散型バックエンドを組み合わせることで、従来のクラウドサービスに対するWeb3的な代替案を提供している 。
Chutesの成長速度は、分散型ネットワークの潜在能力を如実に示している。1日あたり約1,000億トークン、月間換算で約3兆トークンを処理しており、これは前年のGoogleのNLP(自然言語処理)スループットの約3分の1に匹敵する驚異的な規模である。このスループットを支えているのは、世界中に分散した2,100以上のノードであり、これらはNVIDIA H100やA100といった最新のGPUリソースを提供している。
マイナーとバリデーターが最高のサービスを提供するために競い合うBittensor独自のインセンティブ構造により、ネットワーク全体の品質は継続的に向上し、中央集権的なクラウドに匹敵、あるいはそれを凌駕する弾力性と回復力を実現している。
↓Web UIで推論する様子
Bittensorとは?
Chutesが機能するための基盤となるのがBittensorである。Bittensorは、ブロックチェーン技術を用いて、機械学習モデルのトレーニング、推論、評価を分散化・インセンティブ化するプロトコルである 。その目的は、特定の巨大企業によって独占されているAI開発を、グローバルな市場へと変革することにある。
Bittensorの全体図
Subtensor
Subtensorは、Bittensorネットワークの根幹をなすブロックチェーンであり、PolkadotエコシステムのSubstrateフレームワークを用いて構築されている 。Subtensorは、ネットワーク全体のタスクの要約を記録し、参加者の貢献に対する透明性を確保する役割を担う。各参加者の貢献の質に基づき、ネイティブトークンであるTAO(τ)を自動的に計算・配布する 。Bittensorは、Proof-of-Stake(PoS)とProof-of-Intelligence(PoI)を組み合わせたハイブリッドモデルを採用しており、有用なオフチェーンの知性を提供した者が報酬を得る仕組みとなっている。
Subnet
Bittensorネットワーク内には、特定のAIタスクに焦点を当てた独立した市場である「サブネット」が多数存在する。各サブネットは、マイナー(情報の生産者)とバリデーター(情報の評価者)から構成される自己完結型のインセンティブ・システムである。
↓例
例えばZeusは、AIを環境および気象予測に適用するサブネットである。従来の気象予測が少数の巨大なスーパーコンピューターに依存していたのに対し、Zeusは世界中に分散したセンサーデータとAIモデルを活用して、より高速で正確、かつコスト効率の高い予測フレームワークを構築している。
Chutesを運営するRayon Labsは、単一のサブネットに留まらず、Bittensorエコシステム内で垂直統合的なアプローチをとっている。Gradients (SN56): モデルのトレーニングとファインチューニングに特化。分散型GPUリソースを用いて、RLHF(人間によるフィードバックからの強化学習)などの重い計算を実行する。Nineteen (SN19): 画像生成などの高頻度・低遅延の推論タスクに最適化されたネットワーク。「Gradientsでモデルを鍛え、Chutesで汎用的な推論を提供し、Nineteenで特定のメディア生成を加速させる」という、AI開発の全ライフサイクルをカバーする強力なエコシステムが構築されている。
サブネットの一覧(実際にBittensor Python SDKからチェーンに接続して取得したもの)
Chutesの収益モデル
Chutes(Subnet 64)の最大の特徴は、多くのBittensorサブネットがネットワークからの排出(Emissions)のみに依存しているのに対し、実際のサービス利用料に基づく「外部収益」を確立している点にある。このモデルの背景には、投機的な報酬ではなく、実需に基づいた持続可能な経済圏を構築するというRayon Labsの強い意志がある。マイナーは計算リソースを提供し、ユーザーから直接支払われるTAO(またはその相当額)を収益として受け取る。
Why Chutes(DePIN)?
データ主権
分散型ネットワークの最大の懸念は、「自分のデータがどこの誰ともわからないマイナーのサーバーで処理される」という点にある。Chutesはこの問題に対し、Trusted Execution Environments (TEE) を導入することで回答している 。TEEを使用すると、計算プロセスがハードウェアレベルで隔離・暗号化されるため、サーバーの所有者であっても実行中のデータやモデルの内部を覗き見ることができない。Chutesでは、Qwen3、DeepSeek V3、MiniMaxなどの主要モデルにおいて、TEE対応版が提供されており、企業は機密性の高いデータを扱うワークロードを分散型ネットワーク上で安全に実行することが可能になっている。
コスト効率
分散型ネットワークの最大の武器は、そのコスト効率である。AWSなどの従来型クラウドと比較して、Chutesは約85%低いコストで同等の推論能力を提供している 。これは、世界中に散らばる余剰計算リソース(Idle compute)を市場原理に基づいて動員しているためであり、巨大なデータセンターを自社保有・維持する中央集権的モデルに対する構造的な優位性である。
Qwen3 32Bの1Mトークンあたりの料金(in / out[USD/1M])
Chutes: 0.08 / 0.24
Bedrock: 0.15 / 0.60
検閲耐性
中央集権的なプラットフォームでは、提供企業の政治的判断や法規制により、特定のモデルの使用が制限されたり、出力が過度にフィルタリングされたりするリスクがある。Bittensorは許可不要のプロトコルであり、Chutesはその上でオープンソースモデルをありのままに提供する。これは、各個人や国、コミュニティが、外部の意思決定に左右されることなく、自らの価値観に合致したAIを保有・運用できる「主権的AI(Sovereign AI)」の実現に直結する。
Templar の Covenant-72B は、Bittensor の Subnet 3 のみで事前学習された 727 億パラメータの大規模言語モデル(LLM)であり、暗号資産の歴史の中で最大の共同トレーニングによる AI モデルとなった。




