「自分で考える力が落ちそう」
あるゲスト講義に向けて、約80名の学生に生成AIに関する事前アンケートを取りました。生成AIを使うことへの不安として最も多かった回答は何だったと思いますか。
「将来仕事が奪われるのが不安」ではありません。それを選んだ学生は25%でした。
最も多かったのは「自分で考える力が落ちそう」で、73%。3人に2人以上が、生成AIを使うことで自分の思考力が衰えることを恐れています。
これは学生に限った話ではないと思います。生成AIに触れたことのある人なら、ふと「便利すぎて怖い」と感じた瞬間があるはずです。私自身も、業務でAIエージェントを多用するようになってから、この感覚は折に触れて訪れます。
しかし、結論から書くと、AIへの向き合い方を変えれば、考える力は落ちません。むしろ、考える場所が移るだけです。今日はその話を、少し変わった切り口から書いてみたいと思います。
「使っている」けれど「届いていない」
同じアンケートで、興味深い数字がもう一つありました。回答者の約9割が生成AIを週に数回以上使っているのに、その仕組みや背景にある基本的な用語のほとんどを、7割以上が「聞いたことがない」または「説明できない」と答えていたのです。
毎日のように使っているのに、その仕組みや背景はほとんど見えていない。これは学生が怠けているのではなく、生成AIという道具がそういう設計になっているからです。チャット欄に文字を打てば答えが返る。仕組みを知らなくても使える。だから9割が日常的に使えて、しかし大半が「使えている感覚」と「実際の理解」の間に大きなずれを抱えています。
そしてもう一つ重要なのは、彼らの利用のほとんどが調べ物・文章作成の補助・要約に集中していたことです。これらに共通するのは、ユーザーが指示を出してAIが応答を返し、それで完結するという、一往復で終わる関わり方です。彼らは生成AIを、賢い検索ボックスとして使っています。
しかし、いま技術の最前線で起きているのは、まったく違う種類の使い方です。
ドッグアジリティという競技
少し話が変わるようですが、ドッグアジリティという犬の競技をご存じでしょうか。
ピンとこない方はぜひこの動画を1分でいいので見てみてください。記事の続きが、ぐっと立体的になるはずです。
ハードルを飛び越え、トンネルをくぐり、スラロームを縫う。コースを正確に、最速で走り切ることを競う、犬と人間のドッグスポーツです。
この競技でハンドラー(人間側のことをこう呼びます)が何をしているか、ここが面白いところです。犬は単独で走るのではありません。ハンドラーが声、身体の向き、ジェスチャー、走る位置を使って、コース全体を通して犬を誘導します。
ハンドラーは、コース図を頭に完全に入れています。どの順番でどの障害物に行くか、どのラインを通れば最短か、どこで犬を加速させ、どこでターンを指示するか。すべて頭に入れたうえで、犬と並走しています。一方で、目の前のハードルをどう飛ぶか、トンネルの中をどう抜けるかという、その瞬間の身体的な処理は、犬自身が判断する。
ハンドラーは犬を操縦しているのではありません。犬の能力を信頼したうえで、コース全体の戦略を渡している。これは丸投げでも、手取り足取りでもない、第三の関わり方です。
ハンドラーとしてのAI活用
私はこの関係が、AIエージェントとの理想的な付き合い方を非常によく言い表していると思っています。
エージェントは、目の前のサブタスクを自律的に処理する能力を持っています。データを読み、関数を呼び、文書を整える。これは犬がハードルを飛ぶことに似ています。エージェントは、その瞬間の処理を自分の判断で進められる。
しかし、何のために、どの順で、どこをゴールとするか。これはエージェントには決められません。人間がコース図を渡す必要があります。
たとえば私の実際の業務では、こんな使い方をしています。あるシステムのパフォーマンス問題を扱うとき、ログとコードをエージェントに渡し、「ボトルネックを特定して、改善提案を含む報告書を作って、関係者向けの連絡文面まで用意して」と指示を一つ与えます。
エージェントは、ログを読み込み、コードの該当箇所を特定し、ボトルネックの仮説を立て、検証し、図表を含む報告書を作成し、メール文面を整え、必要なら社内チャットへの投稿まで作ります。一度の指示で、十数ステップが自律的に展開される。
これが、単発のチャット利用とはまったく違う関わり方です。エージェントに渡しているのは、完成した小さな目的ではなく、達成すべきゴールです。1往復ではなく、1つのゴールに対して数多くのステップが展開される、1対多の関係。
そしてここで重要なのは、私はソファに座って結果を待っているわけではないということです。エージェントが動いている間、私は出力を確認し、途中で軌道修正し、最終成果物をレビューします。アジリティでハンドラーが犬と並走するように、私もエージェントと並走しています。
並走するための3つの条件
このハンドラー的な関わり方は、誰もが今日からできるわけではありません。アジリティでハンドラーが犬を走らせられるのと同じで、いくつかの条件が必要です。
1つ目は、コース図を頭に入れていること。つまり、目的を具体的に持っていることです。
「パフォーマンスを改善したい」というゴールが明確だから、エージェントに渡せます。「なんとなく良い感じにしたい」では、エージェントもどこに走ればいいか分かりません。アジリティのハンドラーが、その日のコース図を頭に入れずに走り出すことはあり得ません。目的の解像度が、エージェント活用のスタート地点です。
2つ目は、犬と設備が揃っていること。つまり、AIが道具やデータと接続された環境にあることです。
私が業務で複雑なエージェントを動かせるのは、それが社内のデータやツールにアクセスできる環境にあるからです。スマートフォンのチャットAIは、世界から切り離された箱の中にいます。同じAIでも、外の道具に手を伸ばせるかどうかで、できることは根本的に変わります。アジリティの犬がいくら優秀でも、コース設備のない場所では走れないのと同じです。
3つ目は、犬の動きを読める目を持っていること。つまり、エージェントの出力をレビューできる専門性です。
エージェントに大きな仕事を任せれば任せるほど、間違いの混入する余地は増えます。それでも任せられるのは、出てきたものを判断できる目が手元にあるからです。アジリティのハンドラーは、犬のフォームや表情からコンディションを読み、減点や違反を判断できます。読めない人は、そもそもハンドラーになれません。エージェント活用も同じで、レビューできない領域には大きな仕事は委ねるべきではない、というのが私の実感です。
3つを並べると、目的・環境・検証眼。どれか1つでも欠けると、ハンドラーとしては機能しません。逆に言えば、この3つを意識的に整えていくことが、AIとの関わり方をアップグレードするための、もっとも具体的な道筋です。
考える場所が、移っているだけ
ここで冒頭の学生の不安「考える力が落ちそう」に戻ります。
私はこの不安をよく理解できます。チャット欄に打ち込めば答えが返る。考える前に答えが手に入る。確かに、こんな使い方ばかりしていれば、思考力は痩せていくでしょう。
しかし、ハンドラーとしての関わり方は、まったくの逆を要求します。
エージェントに大きなタスクを任せようとした瞬間、頭はフル回転します。何が本当のゴールか。何が必要な情報か。エージェントの提案は妥当か。出力にどんな見落としがあるか。次にどう軌道修正するか。
考えなくなるどころか、考える量はむしろ増えます。違うのは、考える場所です。「答えを出すこと」から「目的を設計し、判断すること」へ、思考の重心が移動しているのです。
アジリティのハンドラーは、犬に走ってもらっているから自分が楽をしているわけではありません。コース全体を瞬時に判断し、犬の状態を読み、次の指示を出し続けています。むしろ、自分一人で走るより多くのことを同時に処理している。
AIエージェントを使う人は、考えなくなった人ではなく、考える場所が移った人です。
整った環境に、立っていることに気づく
最後に、若い世代について書いておきたいと思います。
冒頭のアンケートに答えた学生たちは、生成AIと共に大学生活を送る最初の世代です。私が業界に入った頃には影も形もなかった環境が、彼らにとっては入学した時点で当たり前に存在しています。
彼らに不足しているのは才能でも能力でもありません。むしろ逆で、彼らはすでに、私の若い頃よりはるかに整った環境に立っています。問題は、整った環境に立っていることに本人たちが気づいていないことです。
波の上にいるのに、波に乗っているという自覚がない。これは決して彼らの責任ではなく、波が静かに足元まで来てしまうほど、生成AIが自然に生活に溶け込んでしまったからです。
ハンドラーになるか、ならないか。それは技術的なスキルの有無ではなく、関わり方の選択です。目的を自分の言葉で持つこと。出てきたものを自分の目で判断すること。並走することを選ぶこと。これは学生でも、社会人でも、エンジニアでも、そうでない人でも、今日から始められます。
そして、これは決して若い人だけの話ではありません。私自身、ハンドラーとして十分に振る舞えているかと問われれば、毎日のように自分を試されています。整った環境がそこにあるのに、つい一往復のチャット利用で済ませてしまう瞬間は、私にもあります。
並走するか、ただ待つか
生成AIの登場で、私たちはAIに対して2つの関わり方を選べるようになりました。
1つは、チャット欄に問いを投げて答えを受け取る、一往復の利用者でいること。これは便利ですし、おそらく多くの場面で十分です。
もう1つは、コース図を頭に入れ、犬と道具を揃え、出力を判断する目を持って、エージェントと並走すること。
どちらが正解ということではありません。場面によって使い分ければいいだけです。ただ、ハンドラーとしての関わり方ができるかどうかは、これからの数年で、確実に大きな差になります。組織においても、個人においても。
「自分はAIに使われる側にいるのか、それともハンドラーとして並走する側にいるのか」
時々立ち止まって、自問してみる価値のある問いだと思います。
余談 — 私は犬を飼ったことがありません
ここまで偉そうにアジリティの比喩を引いてきましたが、白状すると、私が飼ったことがあるのは鳥と猫だけで、犬を走らせた経験はありません。実際のハンドラーの方からすれば、突っ込みどころはたくさんあるはずです。
ただ、比喩というのはそういうものだと思っています。完全な一致ではなく、ある角度から見たときに光るものがあれば、それで役目を果たす。犬と並走するハンドラーの姿が、AIとの新しい関わり方を考えるうえで、誰かの「ピン」とくる一枚絵になれば、書いた甲斐があります。
(と言いつつ、家の猫を見ていると、こちらが何を指示しても無視されるので、こちらは別の比喩が必要そうです)
