野中郁次郎氏らの名著『知識創造企業』を読み返していて、ふと現代の大規模言語モデル(LLM)との関わり方について大きなパラダイムシフトを感じた。
同書で提唱されている有名な「SECI(セキ)モデル」は、知識というものを西洋的な「形式知(データやマニュアル)」か、日本的な「暗黙知(職人の勘や経験)」かという二項対立で捉えることを否定する。重要なのは、その両者が絶えず相互作用を起こし、循環することで新しい知識が創造されるというダイナミズムだ。
この構造は、そのまま「人間とLLMのインタラクション」に当てはまるのではないだろうか。
シニフィアンの限界と「言語化できない空間」
ソシュールの言語学を借りれば、形式知とは「シニフィアン(記号表現=言葉そのもの)」によって明確に定義され、切り取られた世界だ。物事を深く理解し、共有するために、言語というツールは欠かせない。
しかし一方で、私たちが生きている現実世界には、言語化できない(シニフィアンに回収しきれない)広大な「暗黙知」の空間が広がっている。言葉の裏にある「シニフィエ(概念)」すら超えた、身体的で感覚的な領域だ。
LLMは「暗黙知を言語空間に射影する関数」である
現在のLLMが抱える一つの限界は、彼らが学習しているのが徹頭徹尾「言語化された空間(形式知の海)」に過ぎないということだ。LLM自身は言語体系を極めて高度にマッピングしているが、その外側にある広大な暗黙知の空間を「経験」として持っていない。
では、LLMは単なる形式知のデータベースなのか?そうではない。ここで鍵になるのが、私たち人間側からの「入力」だ。
私たちがLLMにプロンプトを投げる時、無意識のうちに「比喩(メタファー)」や「レトリック」を使っていることはないだろうか。まだ明確に言語化できていないモヤモヤしたアイデアや感覚(暗黙知)を、なんとか言葉の形に押し込んでLLMにぶつける。
するとLLMは、その不完全な入力を自らの巨大なエンベディング空間(潜在空間)の中で処理し、見事に構造化された「形式知」として出力してくる。つまり、現在のLLMは「人間の言語外の表現空間(暗黙知)を、言語空間(形式知)へと射影(Projection)してくれる関数」として機能しているのだ。
現代版・知識創造のループ
『知識創造企業』では、組織の中でメタファーを駆使しながら暗黙知を形式知へと引き上げるプロセス(表出化)が語られている。かつては組織の人と人の間で行われていたこの高度なやり取りが、今や「人間とLLM」というパーソナルな関係性の中で、超高速に回せるようになっているのだ。
- 人間の暗黙知(まだまとまっていない感覚)
- 比喩やレトリックによる入力(不完全な言語化)
- LLMによる射影と形式知化(明確な文章としての出力)
- 人間による解釈と直感の拡張(新たな暗黙知の獲得)
この相互作用を絶えず繰り返すことで、私たちは単に綺麗な文章を書かせているのではなく、自分自身の「エンベディング空間(思考の空間)」を押し広げているのだ。
これからの時代の「新しい知識創造」は、LLMが持っている言語空間と、私たちが持っている言語外の身体的空間を、いかに擦り合わせ、やり取りしていくか(インタラクション)にかかっている。LLMとの対話とは、形式知と暗黙知を往復する終わりなきダンスのようなものだ。