今後、わかりやすくなるように更新していきます(最終更新12/14 20:26)
始めまして, 九州大学理学部化学科2年の湯元颯真です.
物理学科にはあまり馴染みのないかもしれない話題ですが,有機化学では芳香属性は大切な概念となっています.そのためそれらを物理的に考察するのが今回の記事です.
1. ヒュッケル則とは
ヒュッケル則は,環状・平面・共役(π電子が環状に連続して広がる)な分子が「芳香族(特に安定)」になる条件をπ軌道の電子数で判定する経験則です.1
- 芳香族:特に安定(反応性が低い,環電流が流れる等)
- 反芳香族:不安定(エネルギーが上がる)
- 非芳香族:そもそも条件を満たさず,芳香族性を議論しない
2. ヒュッケル則の主張
環状・平面・完全共役が満たされるとき,π電子数が
- (4n + 2) π電子(n = 0,1,2,3,...) → 芳香族
- 4n π電子(n = 1,2,3,...) → 反芳香族
となります.
例(π 電子数と代表的な環状分子):
- (4n+2):2(シクロプロペニルカチオン),6(ベンゼン),10(ナフタレン),14(アントラセン),...
- 4n:4(シクロブタジエン),8(平面化させたシクロオクタテトラエン;通常は舟形で非芳香族),...
3. 適用条件
ヒュッケル則は「π電子数の条件」だけでなく,次の前提が揃って成立する条件と考えます.
(A) 環状である
π電子系が輪っか状である.
(B) 平面(またはほぼ平面)である
p軌道が同じ方向を向き,重なれる必要がある.
※平面性が崩れると「反芳香族を回避」して非芳香族に逃げることが多い.
(この条件はとても判別が難しく,有機化学の授業などでは認められていました.2)
(C) 完全共役である
環を一周して,各原子にp軌道(または空/満たされたp軌道相当)が連続していること.
4. 環状 Hückel(最近接結合)の固有値問題
炭素数 $n$ の環状共役 $\pi$ 系を考える.各炭素の $p_z$ 軌道を基底
${\lvert j\rangle}_{j=0}^{n-1}$ とし,周期境界 $j \equiv j+n$ を課す.
Hückel 近似:
- $\langle j|H|j\rangle=\alpha $
- 最近接のみ $\langle j|H|j\pm 1\rangle=\beta$
- 重なり $S=I$
係数 $c_j$ について
$$
\sum_{k}H_{jk}c_k = Ec_j
\quad\Rightarrow\quad
\alpha c_j+\beta(c_{j-1}+c_{j+1})=Ec_j,
\qquad (c_{j+n}=c_j).
$$
これは以下の力学で扱った関係式ととても似ている.
5. n 質点輪っか状バネの運動方程式
質量 $m$ の質点が輪になり,最近接をバネ定数 $\kappa$ で結ぶと
m\ddot{x}_j=-\kappa(2x_j-x_{j-1}-x_{j+1}),\qquad (x_{j+n}=x_j).
平面波の解
$$
x_j(t)=A e^{i(j\theta-\omega t)}
$$
を仮定すると
$$
m(-\omega^2)A e^{ij\theta}=-\kappa\bigl(2- e^{-i\theta}-e^{i\theta}\bigr)A e^{ij\theta}
$$
より
$$
\omega^2(\theta)=\frac{2\kappa}{m}\bigl(1-\cos\theta\bigr).
$$
Hückel の差分方程式も同様に平面波で解ける.
6. 平面波で Hückel を解く
$$
c_j=\frac{1}{\sqrt{n}}e^{ij \theta}
$$
を代入すると
$$
\alpha c_j+\beta(c_{j-1}+c_{j+1})=
\left[\alpha+\beta(e^{-i\theta}+e^{i\theta})\right]c_j=
\left[\alpha+2\beta\cos\theta\right]c_j.
$$
よって固有値は
$$
\boxed{E(\theta)=\alpha+2\beta\cos\theta.}
$$
周期境界 $c_{j+n}=c_j$ から $e^{in\theta}=1$ なので
$$
\theta_k=\frac{2\pi k}{n},\qquad k=0,1,\dots,n-1.
$$
したがって
$$
\boxed{E_k=\alpha+2\beta\cos!\left(\frac{2\pi k}{n}\right)},
\qquad
\boxed{c_j^{(k)}=\frac{1}{\sqrt{n}}e^{i\frac{2\pi k}{n}j}}.
$$
ここまでで,輪バネと同じ「循環行列の固有モード」により Hückel が解けた
(輪バネは $\omega^2\propto 1-\cos\theta$,Hückel は $E\propto \cos\theta$ という形の違いだけ).
7. 準位の縮退構造(4m+2 の核心)
$$
E_k=\alpha+2\beta\cos!\left(\frac{2\pi k}{n}\right)
$$
で $\cos$ は偶関数なので
$$
E_k=E_{n-k}.
$$
したがって一般に $k$ と $n-k$ は 2 重縮退する.(化学科がよく見る謎の縮退のグラフはこのように計算されます.)
例外:
- $k=0$ は単独(非縮退)
- $n$ が偶数のとき $k=n/2$ も単独($\theta=\pi$)
通常 $\beta<0$(結合で安定化)なので,$\cos\theta$ が大きいほど $E$ は低い.
よって下から
- $k=0$(1 軌道)
- $k=1$ と $n-1$(縮退ペア)
- $k=2$ と $n-2$(縮退ペア)
- $\dots$
と積み上がる.
8. ここから「Hückel 則(4m+2)」の導出(軽い証明)
$\pi$ 電子は 1 軌道あたりスピンで 最大 2 個入る.
(A) 閉殻(完全充填)になる電子数
下から埋めると:
- 最下位 $k=0$(非縮退)を満たす:2 電子
- 次の縮退ペア(2 軌道)を両方満たす:4 電子
- 次の縮退ペアも満たす:さらに 4 電子
- $\dots$
縮退ペアを $m$ 個ぶん満たすと総電子数は
$$
N_\pi = 2 + 4m = \boxed{4m+2}.
$$
このとき HOMO に縮退が残らず,占有が完全に閉じる(閉殻)ため,Hückel 理論の範囲で「特に安定」と結論できる.
(B) $4m$ 電子だと何が起きるか
$N_\pi=4m$ だと,最後が 縮退ペアの途中で止まる.
すなわち縮退した HOMO が半占有になり(開殻/不安定),
わずかな歪みで縮退が割れてエネルギーが下がる状況が生じる.
これが反芳香族側の不安定性を作る.
9. 「炭素数 n」への落とし込み
中性の単環ポリエンでは各炭素が $p_z$ 電子を 1 個出すので
$$
N_\pi = n.
$$
したがって平面・単環・完全共役という前提のもとで
- $n=4m+2$ なら閉殻 $\Rightarrow$ 芳香族(例:ベンゼン $n=6$)
- $n=4m$ なら縮退半占有 $\Rightarrow$ 反芳香族(例:シクロブタジエン $n=4$)
このようにして芳香属性が証明される.
参考文献
- 原田義也『量子化学 上巻』裳華房, 2007年11月, 462p. ISBN:978-4-7853-3073-6.