はじめに
近年、金融市場におけるアルゴリズム取引、特に機械学習(ML)を活用したシステムトレーディングは、多くのエンジニアや投資家にとって魅力的な領域となっています。市場の膨大なデータをリアルタイムで分析し、人間では捉えきれない複雑なパターンを抽出することで、新たな収益機会を創出する可能性を秘めているからです。
しかし、アイデアを形にし、予測モデルを構築するだけでは、実用的なトレーディングシステムとして成功させることはできません。開発したモデルをいかにして24時間365日、安定的に、かつ効率的に本番環境で運用し続けるかという、より実践的なエンジニアリングの課題が立ちはだかります。
本シリーズでは、MLシステムトレーディング基盤を構築する上で直面するであろう、様々な技術的課題に焦点を当てます。MLモデルの継続的な学習とデプロイを自動化するMLOps、クラウド費用を最適化するアーキテクチャ、市場の急変動やシステム障害に耐えうる可用性とレジリエンス、そして迅速なアイデア検証を可能にするプロトタイピングまで、多角的な視点からその設計思想と実践的なノウハウを解説します。
本稿では、その中でも特に「コスト最適化システム構成」に焦点を当て、その具体的な構成と実装のポイントを深掘りしていきます。
この記事は個人の勉強・練習のために書いたもので、所属企業や業務とは一切関係ありません。
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ストーリー
当社では深層強化学習を活用した株式市場におけるシステムトレーディングを行っており、これまでパフォーマンスを最優先にした構成でインフラを運用してきた。しかし、運用コストの増加が課題となっており、モデルの学習・推論・モニタリングなど全体を見直す必要がある。今後もトレーディングシステムの精度向上とビジネス拡張を見据えつつ、スケーラビリティとコストバランスを両立したインフラ構成を再設計することとなった。
背景・目的
- GPUインスタンスやストレージ、データ転送コストの増加により、従来の構成では利益率が圧迫されている
- スポット利用やサーバレスアーキテクチャなどの新技術の活用により、学習〜推論パイプラインのリソース最適化を図る
- コストの透明化・予測可能性を高め、経営層への説明責任を果たすためのコスト最適化設計を行う
利用者・規模
- 利用者層: 社内の機械学習エンジニア、クオンツチーム、データエンジニア、運用チーム
- アクセス規模:
- 学習ジョブ: 平日毎日100〜200件の実行
- 推論ジョブ: 市場営業日に1秒以下のレイテンシでのリクエストを毎分数千件想定
- モニタリング・ダッシュボード: 常時10〜20ユーザーによる監視・分析
要件定義
-
機能要件:
- 機械学習モデル(主に強化学習)の学習・評価・推論を行いたい
- モデル・データのバージョン管理や再現性の担保をしたい
- モデルの定期的な再学習・パフォーマンス監視を自動化したい
-
非機能要件:
- パフォーマンス: 推論レイテンシは最大で500ms以下。学習時間を従来比で30%短縮。
- 可用性: 推論系は市場営業時間帯(平日9:00〜15:00)に99.9%以上の可用性
- コスト: インフラコストを従来比で30%以上削減。リソース利用状況の可視化と予測を実施
- セキュリティ: IAMポリシーによる最小権限の原則、データ暗号化、社内IP制限、コンプライアンス対応(金融機関基準)
制約
- 使用技術の制限: TerraformによるIaCを必須とする
- チーム体制・スキルなど: TerraformによるIaCを必須とする
予算規模
- 現行システムの月間インフラコスト: 約3,000万円/月(GPU利用料、ストレージ、データ転送費用など)
- コスト最適化後の目標月間インフラコスト: 約2,100万円/月(30%削減目標)
- 初期構築・移行コスト: 約5,000万円(設計、開発、テスト、移行作業含む)
- 年間運用保守コスト: 約2,500万円(監視、チューニング、セキュリティ対応など)
- 総保有コスト(3年間): 約8億6,100万円
- 月間運用コスト: 2,100万円 × 36ヶ月 = 7億5,600万円
- 初期構築コスト: 5,000万円
- 運用保守コスト: 2,500万円 × 3年 = 7,500万円
期待収益
- コスト削減効果: 年間約1億800万円(月900万円 × 12ヶ月)
- 運用効率化による工数削減効果: 年間約3,000万円(担当者5名の工数20%削減)
- トレーディング精度向上による収益増: 年間約2億円(取引パフォーマンス3%向上想定)
- 開発リードタイム短縮による新機能展開: 年間約5,000万円(新規アルゴリズム実装の加速)
- 3年間の累計ROI: 約6.1倍
- 3年間の総収益効果: 約5億2,400万円
- 投資回収期間: 約1.5年
成功基準
- この構成で達成すべきゴール:
- 運用コストを月額ベースで30%以上削減できること
- 学習・推論パイプラインの安定稼働率が向上し、運用工数が20%以上削減されること
- モデル開発と本番展開までのリードタイムが50%以上短縮されること
- 関係者(エンジニア・運用チーム・経営層)による評価レポートにて「高い運用性・透明性」と認められること
awsのシステム構成
| レイヤー | 使用サービス |
|---|---|
| 操作画面(フロントエンド) | Amazon ECS Fargate(SPAまたはUIアプリのホスティング) |
| ロードバランサ | Application Load Balancer(ALB、フロントエンドやAPIへのトラフィック分散) |
| API / バックエンド | Amazon API Gateway(HTTP API) + AWS Lambda(軽量でスケーラブルなAPI処理) |
| トレーディング実行環境 | AWS Lambda(イベント駆動・従量課金でコスト効率よくトレード実行) |
| 学習環境 | ローカル環境(学習) + Amazon S3(h5モデルファイルのアップロード先) |
| 学習用データ保存 | Amazon S3(構造化または非構造化のデータ保存) |
| 学習済みモデル保存 | Amazon S3(h5ファイルなどのモデルアーティファクト保存) |
| 認証・認可(UIやAPIアクセス制御) | Amazon Cognito(ユーザー管理) |
| 監視・ロギング | Amazon CloudWatch(ログ収集、アラーム) |
| ネットワーク・セキュリティ | AWS VPC(Fargate用) + Security Groups + IAM Roles(最小権限の付与) |
まとめ
このコスト最適化された機械学習システムトレーディング基盤の構築により、運用コストの削減と同時にパフォーマンスや安定性の向上を図ります。継続的な改善と最適化を通じて、持続可能なトレーディングプラットフォームを実現し、ビジネスの成長に貢献していきます。
