はじめに
AIに文章を書かせて、そのあと手直しすることはよくあると思います。
箇条書きを地の文に直す。絵文字や太字を消す。見出しの装飾を減らす。
内容は合っているのに、なんとなくAIっぽいから直す。この作業、心当たりのある人は多いはずです。
実際、この記事もAIにある程度肉をつけてもらってから手直ししています^^
「でも、そもそもこの作業って必要なのでしょうか?」
AIが書いた内容そのものが間違っているなら、直すのは当然です。
しかし、ここで考えたいのはそういう話ではなく、意図は合っているのに「AIっぽさ」だけを理由に手を加えるケースについてです。
できることなら無駄な作業はしたくありません。
というわけで、なぜこの作業をするのか、この作業が必要なのかを自分なりに考えてみました。
1. この作業は「分かりやすくするため」ではない
考え始めてすぐ、ひとつはっきりしたことがありました。
それは、「AIのチャット回答はすでに十分わかりやすい」ということです。
構造は整理されているし、抜け漏れも少ない。
絵文字や太字で装飾され、普通の文章より親しみやすくすらあります。
文章の目的が「意図を正確に、わかりやすく伝えること」だけなら、そのまま出しても何の問題もないはずです。
しかし、実際にはそのまま使わず、手直しをしています。
つまり、私が払っているコストは、分かりやすさのためだけのものではなく、それとは別の何かに向けられていそうです。
では、その「別の何か」とは何なのでしょうか。
2. 手がかり:読者としての自分は、AI臭い文章を読む気をなくす
書き手側から考えても答えが出なかったので、読者側から見てみることにしました。
自分が読者だったときのことを思い出すと、「これAIが書いたな」と感じた記事は、明確に読む気をなくします。
なぜか。
理由1: ハルシネーションへの疑念
まず、書いてある内容の信憑性が低く感じられることです。 AIが間違うことは読者も知っています。AI臭い文章を見ると、「これもちゃんと検証されていないのではないか」という疑念が湧いてきて、読む気をなくします。
理由2: 量産コンテンツへの警戒
次に、書き手が時間をかけていなさそうだからという理由が挙げられます。
時間をかけたら良い内容になる、時間をかけていないから悪い内容になる、というわけではありません。それでも「AIを使って5分で書いた記事です」と言われると、内容が薄そうに感じて読む気をなくしてしまう気がします。
以上が、私がAI臭い文章を読むと気持ちが冷めてしまう理由です。
Qiitaの記事を見ていても、AIが書いたんだろうなという記事は流し読みしてしまうことが多々あります。
つまり、AIの書く文章の性質に不快感がありそうです。
3. あれ、でもAIの回答は普通に読んでるぞ
ただ、ここでひとつひっかかりました。
ある記事に「AIが書いたな」と感じると読む気をなくすのに、まったく同じ内容でも、AIとの会話で受け取ったぶんには気にならないのです。
文章は同じ。品質も同じ。
ハルシネーションの可能性はあるし、書き手(AI)は時間をかけていない。
なのに、AI臭のある文章を読んだときの不快感はない。
むしろ役に立ったと思って、感謝すらします。
では、何が違うのか。
送り手が誰だと思って読み始めたかなんじゃないかなと思います。
- 自分でAIに聞いているとき:期待は「AIの回答」。実際もAIの回答。一致しているので、何も裏切られていない。
- 他人の記事として読むとき:期待は「その人が調べて、試して、考えて書いたもの」。ところがAIの出力をほぼそのまま載せていたら、ここに食い違いが生まれる。
4. 文章には「期待されている役割」がある
考えてみると、読み手は文章そのものだけを受け取っているわけではないのかもしれません。
「この人が調べた」
「この人が実際に試した」
「この人が自分の経験や判断をもとに整理した」
そういう部分まで、なんとなく織り込みながら記事を読んでいる気がします。
だとすれば、AIの出力をほぼそのまま載せた記事だと分かった瞬間に、その織り込んでいた期待とズレが生まれるのも納得できます。
一方で、AIチャットの回答には、そんな役割は最初から期待されていません。
AIが情報を整理して答えてくれる。それが期待されている役割です。
だから、同じ文章でも問題にならない。
そう考えると、さきほどの2つの理由もつながってきます。
時間をかけていないことが引っかかるのは、「この人もこの情報を届けるために時間を使ったはず」とどこかで期待しているから。
検証されていないのではと疑うのも、「この人が実際に試した」という前提があるから。
量産品を掴まされたような気がするのも、「この人だから読める情報」を期待していたから。
AIチャットが相手だと同じ条件でも気にならないのは、最初からその期待を持っていないからなんだと思います。
5. 結論
私がAI臭さを消していた理由は、以下でした。
その文脈で期待されている送り手の役割と、実際の文章が担っている役割とのズレを、読者に感じさせないため。
AIが生成した文章をそのまま出すと、場合によっては、その期待されていた役割が果たされていないように見えてしまいます。
手直しは、そのズレを小さくするための作業だったわけです。
「バレないための偽装」と言うと後ろ暗く聞こえますが、私の感覚としてはむしろ逆です。
AIに文章を作らせること自体が問題なのではなく、最終的にその文章を自分のものとして引き受けられる状態にするための作業だったのだと思います。
6. で、これは無駄なのか
最初の問いに戻ります。
「これは無駄なのか?」
結論から言えば、その文章に何が期待されているかによります。
単に情報や意図を伝えることだけが目的なら、AIの回答をそのまま使えばいいでしょう。わざわざ表現を直したり、AIっぽさを消したりする必要はありません。
一方で、文章からは「誰が、どういう立場で、どれだけ向き合って書いたか」も同時に伝わっています。その書き手の存在を含めたいなら、AI臭さ消しは無駄な装飾ではなく、期待されている役割を守るための必要コストということになります。
誰かに向けて書く一本には、このコストが必要です。
そしてそれは、「AIを使っていないように見せるため」ではなく、その文章を最終的に自分のものとして引き受けるためなのだと思います。
国語の勉強みたいですね。
