はじめに(前置き)
筆者は数学者でも研究者でもなく、専門教育を受けたわけでもない一個人です。この記事は、ある素朴な思い付き(雨漏りを壁を剥がさずに外から視られないか)を出発点に、AIと壁打ち(対話)を重ねて整理した思考の記録です。
そのため、最初に次の点をお断りします。
- 本記事に出てくる数式はすべて既存の確立された理論であり、筆者が新たに発明したものは一つもありません。新しいのは数式ではなく、既知の部品を「木造住宅の雨漏り診断」という応用に統合して考えた筋道です。
- 専門家から見れば不正確・不十分な点があるはずです。誤りのご指摘や、先行研究のご紹介を歓迎します。
- 結論は「確実にこうだ」という断定ではなく、現時点での到達点と限界をできるだけ正直に書いたものです。
要するに、これは“専門家でない一個人が、AIと一緒にどこまで考えられたか”の記録です。同じ問いを持つ人の出発点になれば、という意図で公開します。
TL;DR(先に結論)
- 「外壁をスキャンして雨漏りを解析する」という思い付きは、学術的には 層状媒質の非破壊評価(NDE)+逆問題+物理シミュレーション(デジタルツイン)+機械学習 という、各部品がすでに論文化された問題に対応していた。
- だが シミュレーションだけでは壁の中の構造は分からない。シミュレータは「中の状態を入力として仮定」しているのであって、中を「検知」しているわけではない。これは 逆問題(ill-posed inverse problem) であり、本質的に不良設定・非一意。
- 壁断面を実測で可視化する技術は 存在する(超音波トモグラフィ MIRA、GPR)。ただし コンクリート向けで、木造+通気層には超音波は効かない。木造では RF/マイクロ波+赤外が正解だが高品質な断面化は研究フロンティア。
- 全部を統合した「計測連動デジタルツイン」は 確率的なリスク判定としては作れる。しかし純粋にシミュレーションで学習したAIは sim-to-realギャップ(分布シフト)で実世界に外れる。
- では実測値(計測+答え合わせ済みの結果・原因)をラベルとしてAIに学習させたら? → YES、使えるようになる方向に進む。 ドメイン適応理論(Ben-David限界)と多数の実証が、「シミュ事前学習 → 実測で微調整」のハイブリッドが最良であることを示している。難所は学習そのものではなく 質の良い実測ラベルを集めること(=検証) に移る。
この記事は、思い付き → 数式 → シミュレーション → 「中が視えない」気づき → 文献探索 → 統合 → sim-to-real → 実測学習、という思考の全行程を、数式と一次文献つきで再構成したものです。
1. 思い付き ― 「外壁を剥がさずに雨漏りの原因を視たい」
ある木造戸建てで原因不明の雨漏りが起きた、という状況を出発点にする。一般的な対応は「足場を組み、外壁を剥がし、水を流して確認する」散水調査で、確実だが非効率に見える。そこで素朴な問いが立つ。
住宅の外壁をスキャンして、雨漏りのメカニズムを解析するシステムは作れないか?
この素朴な問いを技術用語に翻訳すると、こうなる。
壁の外側からの計測 $d$ だけを使って、壁内部の物性分布 $m(x)$(含水・空洞・欠陥)を推定し、そこから水の挙動を予測したい。
これがこの記事全体の出発点であり、最終的に「逆問題」と「データ同化」という名前を持つことになる。
2. 計算式の思い付き ― 「中身を $m$、計測を $d$ と置く」
最初に思いつく素朴な定式化はこうだ。壁断面の各点 $x$ の物性(含水で変わる誘電率 $\varepsilon$、熱拡散率 $\alpha$、導電率 $\sigma$ など)を $m(x)$ とする。外に置いたセンサが測る量を $d$ とすると、物理法則は「中身が決まれば計測値が決まる」という写像 $\mathcal{F}$(順問題 / forward operator)で書ける。
$$
d = \mathcal{F}(m) + n
$$
ここで $n$ はノイズ。欲しいのは右辺から $m$ を逆算すること。素朴には「$\mathcal{F}$ の逆写像を当てればいい」と思うが、ここに最初の落とし穴がある。
3. 実際に考えられる数式 ― 逆問題・正則化・各モダリティの支配方程式
3.1 逆問題と正則化(なぜ素朴な逆算が破綻するか)
$m$ を求める問題は 逆問題 であり、Hadamard の意味で 不良設定(ill-posed) になる:解が一意でない・ノイズに対して不安定。だから単純な $\mathcal{F}^{-1}$ ではなく、事前知識を正則化項 $R(m)$ として加えた最小化で安定化する。
$$
\hat{m} = \arg\min_{m}; \underbrace{\lVert d - \mathcal{F}(m)\rVert^2}{\text{データ整合}} ; + ; \lambda, \underbrace{R(m)}{\text{正則化}}
$$
第1項は「シミュレーション $\mathcal{F}(m)$ が実測 $d$ に合う $m$ を探す」、第2項は滑らかさやスパース性などの事前知識、$\lambda$ はその重み。これが本システムの数学的背骨であり、Tikhonov 正則化やベイズ推定の枠組みに対応する1。
「いびつさ=異常」は、この $m$ の中の 物性コントラスト にほかならない。健全部に対し、水を含む領域は誘電率・熱容量・導電率が明確に変わる。つまり異常検知は「背景物性からの差 $\Delta m$ を推定する」ことに帰着する。
3.2 RF/マイクロ波(電磁波)
マクスウェル方程式から導かれるヘルムホルツ方程式が支配する。
$$
(\nabla^2 + k^2),E = 0,\qquad k^2 = \omega^2 \mu \varepsilon
$$
含水で誘電率 $\varepsilon$ が上がると波数 $k$ が変わり、反射・散乱にコントラストが出る。分解能はおおむね波長 $\lambda = 2\pi/\mathrm{Re}(k)$ 程度に縛られ、「水は見えるが奥は届きにくい」というトレードオフが式から読める。壁を層状に再構成する through-the-wall imaging2 や GPR のフルウェーブ反転3 がこの系統。
3.3 アクティブ赤外(熱)
熱伝導方程式が支配する。
$$
\frac{\partial T}{\partial t} = \alpha, \nabla^2 T
$$
周期加熱(ロックインサーモ)では、見える深さが 熱拡散長 で決まる。
$$
\mu_{\mathrm{th}} = \sqrt{\frac{\alpha}{\pi f}}
$$
励起周波数 $f$ を下げるほど深く見えるが、遅く・低分解能になる。位相解析で欠陥深さを定量化できる4。
3.4 電気インピーダンス・トモグラフィ(EIT/ERT)
ラプラス型の方程式が支配し、境界電圧から内部導電率 $\sigma$ を復元する。
$$
\nabla\cdot(\sigma \nabla \phi) = 0
$$
含水で $\sigma$ が上がるため、含水分布の面的イメージングに直結する。壁含水の EIT 逆問題をニューラルネットで解く研究も出ている5。
3.5 水分輸送(HAM)― 「メカニズム」の数式本体
「雨漏りのメカニズム」を語るには、水が壁内でどう動くかの物理が要る。これが HAM(Heat–Air–Moisture)連成輸送 で、含水量 $w$ の時間発展はおおむね次の形をとる。
$$
\frac{\partial w}{\partial t} = \nabla\cdot!\left(D_w(w),\nabla w ;+; \delta_p,\nabla(\varphi, p_{\mathrm{sat}})\right)
$$
第1項が毛管液水拡散、第2項が水蒸気拡散。境界条件に外気・日射・雨がかり・通気層の流れが入る。WUFI 等で商用実装されている6。
3.6 雨漏り発生の論理条件(建築科学)
建築科学では、雨水浸入は3条件の同時成立で起こる7:
$$
\text{浸入} \iff (\text{水あり}) ;\wedge; (\text{隙間あり}) ;\wedge; (\text{動かす力あり})
$$
力は 重力・運動エネルギー・毛細管・表面張力・気圧差・静水圧 の6種。さらに通気構法では、室内に達するには 二次防水(防水シート)の欠陥 という第2条件が要る。つまり「侵入」と「室内到達」は別ゲートで、入口・貫通点・室内のシミは互いにずれる(3段ズレ)。
4. シミュレーション化 ― そして致命的な気づき
上記をコードに落とし、ブラウザ上で動くシミュレータを作った(トモグラフィ逆問題、空洞検知、層内の水流+自然電位、雨漏り発生条件、深さ+室内浸透)。数値核は検証し、定性挙動は建築科学どおりに動いた(隙間なし→漏れない、無風→力なく漏れない、シートより深い→健全でも漏れる、入口≠出口≠室内シミ)。
しかしここで決定的なことに気づく。
シミュレータは「壁の中の状態(入口・深さ・破れ位置)」を 入力として手で与えて いる。だが現実では、その入口・深さ・破れ位置こそが 知りたい未知数 である。
つまり、よくできたシミュレーションは「地図」であって「現地」ではない。シミュレーションは壁の中を検知していない。 検知するには $\mathcal{F}(m)$ を順に解くのではなく、$d$ から $m$ を逆に解く(=式 (3.1) の逆問題)必要があり、それは不良設定で非一意。さらに、
非破壊で壁の中を「完全に知る」ことは原理的にできない。どの計測も、部分的・間接的・ノイズ込みの手がかりを1つ返すだけ。
これが、後に何度も立ちはだかる 観測可能性(observability)の壁 の最初の出現である。
5. 「壁の中身を可視化する方法はないか?」― 論文探しと、実際にあった結論
そこで問いを正した。メカニズムのシミュレーションではなく、実測で壁断面を可視化する技術は存在するか。 文献を当たった結果はこうだ。
5.1 存在する(が、コンクリート向け)
- 超音波パルスエコー・トモグラフィ(ACS MIRA A1040):12素子の横波アレイで多数の送受信を行い、SAFT(合成開口集束)再構成で内部の断面(B-scan)・3D像(鉄筋・空洞・ひび・厚み・剥離)を描く。深さ最大約3m8。まさに「超音波で断面を実測可視化」する確立技術。
- GPR(Proceq GP8000 等):ステップ周波数電波の反射から断面プロファイルを出す。乾燥コンクリートで深さ約80cm9。
つまり「実測で断面可視化」という発想そのものは、すでに実在し成熟していた。
5.2 ただし木造+通気層では超音波が効かない
超音波が綺麗な断面を出せるのは、コンクリのような連続固体だから。木造の外壁は「サイディング|通気層(空気)|防水紙|合板|断熱|石膏」という層構造で、超音波の天敵が3つそろう10:
- カップリングの断絶:超音波は固体接触でしか伝わらず、空気層でほぼ全反射して奥へ進めない。
- 木の強い減衰:特に繊維直交方向で激しく減衰。
- 両面アクセス要求:透過評価は対向2面が前提になりがちだが、外壁は片面しか触れない。
逆に RF/マイクロ波・GPR は空気層・木・石膏を誘電体として通過できる。木造で内部へ届くのは電磁波系。ただし市販機はコンクリ最適化で、木造キャビティ壁を高品質に断面化する製品は無く、研究レビューも「実務適用にギャップが残る」と明言する10。民生では Walabot DIY 2(RF、深さ約10cm)が壁内の物体像を出すが、粗い物体位置にとどまる11。
結論: あなたが直感した「超音波で断面可視化」は正しい既存技術だったが、材料ドメインがコンクリだった。木造では 超音波ではなく RF/マイクロ波+赤外に読み替える のが筋であり、高品質版は研究フロンティア。
6. では全部を統合したら? ― 計測連動デジタルツイン(データ同化)
「構造を実測で読む(RF+赤外)」+「雨漏りシミュレーションをぶつけて確率判定・原因特定」を一体化する。この本質は、計測とシミュレーションを確率的に融合する データ同化(Bayesian model updating) である。
$$
p(x \mid d) ;\propto; \underbrace{p(d \mid x)}{\text{尤度(計測)}}; \underbrace{p(x)}{\text{事前(図面+物理)}}
$$
ここで $x$ は壁の状態(構造・含水・欠陥)。図面/BIM と HAM 物理による事前 $p(x)$ に、RF/赤外の観測 $d$ を掛けて事後 $p(x\mid d)$ を得る(アンサンブルカルマンフィルタや MCMC で実装)。その不確かさ込みの状態で HAM を多数回まわし、漏水確率を 分布 として出す。
$$
P(\text{leak}) = \int \mathrm{HAM}(x, \text{weather}); p(x \mid d); dx
$$
原因特定は、漏水確率を最も押し上げる欠陥パラメータの感度として表現できる。時間とともに逐次更新すれば、それが デジタルツイン になる。
要素技術の成熟度(文献ベース):赤外サーモ(TRL9)、RF/マイクロ波イメージング(6–8)、多モーダル融合+DL(6–7、漏水検出 mIoU≈79%12)、HAM/WUFI(9)、ベイズ・データ同化(7–8、外皮水分にも2024適用13)、建築外皮デジタルツイン(5–714)。部品はTRL6–9で揃い、木造漏水用の統合だけがTRL2–3。
重要なのは、これが「正確な断面を作る装置」ではなく「確からしさを更新する装置」だということ。逆問題の不良設定性は消えないので、決定論ではなく確率で扱うのが数学的に正しい唯一の道である。
7. しかし ― シミュレーションだけでは当たらない(sim-to-real ギャップ)
ここで、純粋にシミュレーションで学習したAIには本質的な問題があることが、文献自身によって警告されている。
物理シミュレータで合成データを生成してAIを訓練する手法(synthetic/physics-based training、domain randomization)は確立しており、GPR では FDTD 合成データで欠陥検出器を学習15、サーモグラフィでは有限要素の仮想データセットでDLを学習16、電磁逆散乱ではシミュレート散乱データでDLを学習17、という流れが標準化している。前段で構想した「シミュでAIを学習させる」は、思いつきではなく分野として走っている。
だが落とし穴がここにある。 学習で本当に最小化したいのは実世界での期待損失(真のリスク):
$$
R_{\text{real}}(\theta) = \mathbb{E}{(d,y)\sim P{\text{real}}}\big[\mathcal{L}(f_\theta(d), y)\big]
$$
ところがシミュ学習が最小化しているのは $P_{\text{sim}}$ 上のリスク $R_{\text{sim}}(\theta)$ にすぎない。$P_{\text{sim}} \neq P_{\text{real}}$ という 分布シフトがあるため、「シミュだけで学習したモデルは実世界でうまく汎化しないのが普通」と複数の論文が明記している1518。2025年の最新研究は、まさにこの差を埋める 物理ガイド付きドメイン適応 そのものをテーマにしている18。
これは、この記事で繰り返し現れた 「検証が9割」「観測可能性の壁」と同じ場所 に立っている。
8. 本題 ― 実測値(結果と原因)をラベルとしてAIに学習させたら、使えるのか?
8.1 結論:YES(条件つき、そして最良はハイブリッド)
実測データ、すなわち「実際の計測 $d_i$」と「答え合わせ済みの結果・原因 $y_i$(漏水の有無・浸入口・経路を破壊検証や再現で確定したラベル)」を集めて教師あり学習すれば、最小化対象が真のリスクそのものになる。
$$
\hat\theta = \arg\min_{\theta}; \frac{1}{N}\sum_{i=1}^{N} \mathcal{L}\big(f_\theta(d_i),, y_i\big),\qquad (d_i, y_i)\sim P_{\text{real}}
$$
これは sim-to-real ギャップを 原理的に正面から潰す 方法である。なぜ実測データが効くのかは、ドメイン適応の理論限界(Ben-David ら 2010)が明快に説明する19:
$$
\varepsilon_T(h) ;\le; \varepsilon_S(h) ;+; \tfrac{1}{2}, d_{\mathcal{H}\Delta\mathcal{H}}(\mathcal{D}_S, \mathcal{D}_T) ;+; \lambda^\ast
$$
- $\varepsilon_T(h)$:ターゲット(実世界)での誤差 ← 本当に下げたいもの
- $\varepsilon_S(h)$:ソース(シミュ)での誤差
- $d_{\mathcal{H}\Delta\mathcal{H}}$:ソースとターゲットの 分布の乖離(ドメイン距離)
- $\lambda^\ast$:両ドメイン同時に達成できる最良誤差(タスクの適合性)
この不等式が示すのは、実世界での誤差は「シミュでの誤差+分布の乖離+理論限界」で上から抑えられるということ。シミュをいくら磨いても第2項(乖離)が残れば実世界誤差は下がらない。実測データを集めることは、この乖離項を直接縮め、かつターゲットのリスクを直接最小化する ので、限界そのものを引き下げる唯一の確実な手段になる。
8.2 最良は「シミュ事前学習 → 実測で微調整」のハイブリッド
実務的に最も効くのは、シミュ単独でも実測単独でもなく、両者のハイブリッドである。複数の実証研究が、「合成データで事前学習 → 少量の実測データで微調整(fine-tuning / transfer learning)」が 合成のみ・実測のみの両方を上回る と一貫して報告している2021。
- 合成データは安価に大量・広いパラメータ空間を覆える(物理の被覆)。
- 実測データは分布の乖離を縮め、真のリスクを直接下げる(現実への接地)。
- 両者を組み合わせると、被覆と接地を同時に得られる。
形式的には、事前学習で得た $\theta_{\text{sim}}$ を初期値とし、実測で微調整する:
$$
\theta_{\text{sim}} = \arg\min_\theta R_{\text{sim}}(\theta)
\quad\longrightarrow\quad
\hat\theta = \arg\min_\theta; R_{\text{real}}(\theta;, \theta_{\text{sim}})
$$
さらに物理を損失に組み込む物理インフォームド学習(PINN/ニューラル作用素)を併用すれば、少データでも物理的に妥当な解に縛れる1:
$$
\mathcal{L} = \mathcal{L}{\text{data}} + \beta, \mathcal{L}{\text{physics}},\qquad \mathcal{L}_{\text{physics}} = \big\lVert \mathcal{N}[u] \big\rVert^2
$$
ここで $\mathcal{N}[u]$ は支配方程式(マクスウェル・熱伝導・HAM 等)の残差。
8.3 ただし、難所は「学習」から「ラベル収集(検証)」へ移るだけ
YESには重い但し書きがつく。実測ラベル $y_i$ を得るには、実際の壁で結果・原因を確定する必要がある。それは破壊検証・再現散水・長期モニタリングを意味し、
- 木造・気候・納まりの多様性をカバーするだけの データ量 が要る(高コスト・長期間)。
- ラベルの 正解(グランドトゥルース)取得 が、結局は穴を開ける/水をかける/待つ、という観測可能性の床に戻る。
- 因果(どの欠陥がどの漏水を起こすか)の確定には、依然として イベント(実雨か再現) が要る。
つまり「AIにシミュを学習させる」の難所が学習アルゴリズムだったのに対し、「実測で学習させる」の難所は 質の良いラベル付き実測データを集めること=検証 に移る。これは技術というより運用・体制・時間の問題であり、まさに本研究テーマの未踏領域(TRL2–3)の中身である。
9. 全体の結論
- 「外壁をスキャンして雨漏りを解く」は、逆問題+NDE+デジタルツイン+機械学習という、各部品が論文化済みの正当な問題だった。
- シミュレーションは中の状態を 仮定 するだけで 検知 しない。検知は不良設定の逆問題であり、非破壊で完全には知り得ない(観測可能性の床)。
- 実測での断面可視化技術は実在するが(超音波トモグラフィ・GPR)、コンクリ向け。木造は RF/マイクロ波+赤外に読み替える必要があり、高品質版は研究フロンティア。
- 統合した計測連動デジタルツインは 確率的リスク判定 としては作れる。決定論的な「原因一発特定」は不可。
- 純シミュ学習は sim-to-real ギャップで外れる。実測(計測+確定した結果・原因)をラベルにAIを学習させれば、ギャップを正面から潰せる ―― YES。理論(Ben-David 限界)と実証(ハイブリッド学習)が支持する。
- ただし価値の出る順序は 新築の品質チェック > 定期劣化チェック > 漏水後診断(需要と逆順)。構造が既知/ベースラインありの新築・定期では逆問題が軽くなるため、実測データも集めやすく、AI化の入口として最良。
- 最終的なボトルネックは学習アルゴリズムではなく、質の良い実測ラベルの収集=検証 に移る。ここを木造外皮で詰めれば、新規性のある研究になりうる。
一言でいえば:「シミュでAIを賢くする」は本物。だが現実に当てるには「実測で答え合わせしたデータ」が要る。そしてその実測データを集めること自体が、この問題で最後に残る本当の難所である。
付録A:日本で誰がこれをやっているか(関連研究・取り組み)
「RF/マイクロ波+赤外で構造を読み → 雨漏りシミュレーションをぶつけ → AIで確率判定・原因特定する統合システム」そのものを研究・製品化している人・団体は、日本にも(そして世界的にも)見当たらない。これは本文の結論「統合だけがTRL2–3=研究フロンティア」と整合する。一方で、構成要素ごとには日本でも活発である。
| 要素 | 国内の主な担い手(例) | 立ち位置 |
|---|---|---|
| 熱・水分(HAM)シミュレーション | WUFI Japan、日本建築学会 環境工学(熱・湿気)分野 | 順問題(物理)は国内でも実務・研究が成立 |
| 雨漏り診断の体系化・実務 | NPO法人 雨漏り診断士協会、赤外線・散水・発光調査の専門会社 | 現場診断のノウハウ・資格制度はあるが、統合AIではない |
| 非破壊検査(超音波・GPR・赤外) | 一般社団法人 日本非破壊検査協会、大学(例:大阪大の橋梁・NDT研究) | コンクリ・土木中心。木造外皮の断面化は手薄 |
| AI×赤外×ドローンの外皮点検 | 楽天ドローン AI外壁調査、アラヤ InspectAI、ドローンメイト、日本建築ドローン協会 | 表面画像の欠陥検出が中心。内部構造+シミュ+因果ではない |
| ハウスメーカーR&D | ミサワホーム総合研究所(モニタリング+非破壊検査+ドローン画像AIを将来研究) | 隣接領域で最も近い企業の取り組み |
要するに、「部品」は国内で活発に動いているが、「統合」は空白。この事実は隠す必要がなく、共有することで自分の構想を地図上に正しく位置づけられる。注意点は一つだけ——もし統合の具体レシピ(モダリティ選定・データ設計・学習構成)を権利化/論文化したいなら、その新規部分だけは公開タイミングを選ぶとよい。ランドスケープ情報自体は無害である。
付録B:この理論を研究者に問いかけるのは「もったいない」か
結論:もったいなくない。ただし問い方を変えるべき。 出すこと自体(この記事を含む)は、低コストで査読的フィードバックと協力者を得る正攻法である。
ただし注意。本記事の基盤となる数学(逆問題・正則化・データ同化/ベイズ更新・ドメイン適応/Ben-David限界・物理インフォームド学習)は、すでに教科書的に確立済みである。だから「この理論は正しいか?」と尋ねると、答えは「はい、標準的です」で終わり、価値が低い(かつ未確認に見える)。新規性は数学ではなく、既知の部品を木造外皮の雨漏り診断という新応用へ統合した点と、実測データ戦略にある。
そこで、研究者・数学者に投げるなら鋭い具体問にする:
- 木造+通気層の外皮で、内部状態の**同定可能性(identifiability)**はどこまで成立するか。どの観測を足せば非一意性が実用域まで縮むか。
- sim-to-real+実測ラベルのコスト現実性:最小限の有効データセット規模と、ラベル(結果・原因のグランドトゥルース)取得プロトコルは。
- RF/マイクロ波・赤外・EIT・自然電位のうち、木造で最も識別力の高いモダリティ組合せは。
- 「新築コミッショニング起点 → 定期監視 → 漏水後は候補絞り」という事業仮説は妥当か。
- この統合は新規か既出か(先行研究の指摘歓迎)。
期待値調整も大事:返ってくる反応はおそらく「各部品は既知、新規性は統合とデータ、難所は検証」——それは本記事の結論そのもので、正しく刺さった証拠である。「新しい数学を発見した」という評価は来ない前提で臨むとよい。
参考文献
免責:本記事は技術的な実現性と学術的背景の整理であり、特定製品の性能・施工適合・雨漏り解消を保証するものではない。数式は対応する物理・統計モデルの標準形を示したもので、実装には材料物性の較正と既知データでの検証が前提となる。調査日 2026-06-28。
-
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Bridging simulation and reality in subsurface radar-based sensing: physics-guided hierarchical domain adaptation with deep adversarial learning, arXiv:2512.17831 (2025). https://arxiv.org/abs/2512.17831 ↩ ↩2
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S. Ben-David, J. Blitzer, K. Crammer, A. Kulesza, F. Pereira, J. W. Vaughan, A theory of learning from different domains, Machine Learning 79(1–2):151–175 (2010). https://link.springer.com/article/10.1007/s10994-009-5152-4 ↩
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TransMatch: A Transfer-Learning Framework for Defect Detection in Laser Powder Bed Fusion Additive Manufacturing, arXiv:2509.01754 (2025). https://arxiv.org/abs/2509.01754 (合成事前学習+実測微調整が両者を上回る旨を報告) ↩
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Improving generalization with synthetic training data for deep learning based quality inspection, arXiv:2202.12818. https://arxiv.org/abs/2202.12818 ↩