働き方の静かな変化
これまでもAIはちょこちょこ使っていた。
ただ、初めてのPython案件になってKiroを使えるようになってから、明らかにAIとの距離が近くなった。
「便利だから触る」から「仕事の中に普通にあるもの」くらいの立ち位置に変わってきた。
そこから感じた変化を、少し書いてみる。
AIを使っていて一番思うのは、
読む力が主役になって、書く力が一歩下がったこと。
AIが書いたコードを読む時間の方が長くなった
初めてのPython案件ということもあり、知らない書き方も多い。
自分が書くより、一回AIにドラフトを作らせた方が早い場面が増えた。
その影響もあり、
読めば意味はなんとなくわかるけど、同じものを自分で書けるかと言われると微妙
という不安が多くなった。
AIがさらっと出してくるから、たまに悲しくなる。
もちろんAIが常に正しいわけじゃない。
読む・判断する・戻す・修正する…というところは私がする必要がある。
だから今は、
「AIに任せる」ではなく「ドラフトを作らせて、自分の判断で仕上げる」
という働き方に落ち着いてきた。
読む量が増えて、書く量は減った
英語学習に近い。
“読めるけど話せない”みたいな状態。
AIのコードは読めるけれど、自分で書く量は確実に減っている。
書かなくて不安だけど、読む量が増えると理解の密度は高くなる。
書いていないのに、
頭を使う時間は前より増えている
という不思議な感覚になっている。
また、AIとのやり取りはうまく行かないことも多い。
修正して戻って、また別の修正をして、気づいたら最初の話題に戻る。
思っているところとは違うところが修正されてしまう。
書く量は減っても、思考が薄くなるわけじゃなくて、むしろ濃く、深くなる感じ がした。
AIに意図を読ませるのは難しい
タスクをいくつも進めていく中で、
「あれ、前にも似たようなところを指摘したな」
と思う瞬間が増えてきた。
説明が悪いというより、
毎回つまずくポイントが自分の中でほぼ決まっている。
条件が曖昧になりやすい部分、前提を補わないとズレる部分、構造を理解させないと誤解される部分…。
そういう“よく噛み合わなくなる場所”が見えてきた。
そこで最近は、それらをまとめて
「次回のプロンプト用に整理して」とAIに頼んでいる。
自分の説明のクセや抜けやすい前提が可視化されて、
やり取りの精度が上がってきた。
自分がどこでつまずくのかをAI経由で把握できてきた気がする。
デザイン領域はまだズレが大きい
フロントになると、AIの「見えている画面」とこちらの「実際の画面」が噛み合わない。
指示しても微妙にずれたり、雰囲気だけ近かったりする。
ファイルを読ませたり構造を理解させると、ある程度のところまでは作ってくれる。
でも、CSSの意図を完全には理解できないため、細かいところはズレているところが多い気がする。
AIの得意なところや苦手なところが少しずつ分かってきた。
手で書く理解から、思考で深める理解へ
AIとやり取りしながらコードを直していくと、
ゼロから手で書くより深く理解できる瞬間がある。
最初の案を出してもらって、
自分の頭で「なぜそうなるのか」を追いかけて、
気になるところを直していく——
このプロセスの中で理解が自然と立体的になっていく。
手を動かす量は減っているのに、
考える時間はむしろ増えている。
“手で書く理解”から、“思考で深める理解”へ。
そんな変化をここ最近よく感じる。
AIと働くのは派手じゃない
AIを使うとスピードは上がる。
でも「魔法のように一発で終わる」世界とは少し違う。
読む。
直す。
また読む。
また直す。
この静かなループの中で仕事が進む。
その中で、自分の判断基準や考え方が少しずつ浮かび上がってくる。
AIに全部任せているわけでも、
自分一人で全部やっているわけでもない。
そのあいだのバランスを取りながら、今のところは進んでいる。
今後もより良い使い方を探していこうと思う