これを書いた背景
社会人6年目になるが、社会人3年目のある時期から仕事への価値観がバチっと変わった。それは今でも変わらない。
その「バチっと変わった」の中身は一体なんなのかを自分なりに振り返って、言語化してみた。
端的に言うと、「仕事の自分事化」です。
そのプロジェクトの最中、当時に書いた記事がこちら
信念について語っているが、今見ると当時はまだ自分の中の腹落ちをうまく言語化出来ていない。
狭い視野の中で無理くり言語化したからだ。ともあれ出てくるキーワードはポイントを付いている。少し惜しいが。
ストーリー的なまとめ
社会人3年目に丸投げの状態でとあるプロジェクトにアサインされた。
入ったは良いものの、PMは他の仕事で忙しく放置ぎみ
どう進めたら良いのか分からずもやもやしながら進めてはいた。
「何故こんな丸投げなのだろう」「プロジェクトがぽしゃってもよいのか」「責任者なのに」
と当時は思っており、とてもモヤモヤしていた。
正体不明のモヤモヤの正体
辛かったのは忙しさではなく
- 「失敗したら誰の責任なのか」が自分の中で曖昧(誰かのせいにしたいわけではない)
- 成功しても自分の成功と言い切れない
- 失敗しても自分の失敗と言い切れない
- 責任がないのに裁量がある
- 裁量があるのに名乗れない(自分の物だと)
という状態。
モヤモヤからの脱却
謎のもやもやに悩んだ末に辿りついた1つの縛りを自分に課した
「好き勝手やる代わりに必ず黒字にしよう」
である。
この瞬間から失敗したらPMのせいだのなんだの他責にする気持ちが一切無くなり
自分の中で裁量と責任が平行になり、精神的に自由になったのだ。
指示を仰ぐのではなく、自分で考え自分で実行するメンタルの土台が整った。
「PMはいないものとする」という決断
責任の所在を、自分の中で確定させました。
- 誰が決めるのか?→自分!
- 何を目指すのか?→自分で定義!!
- 失敗したら誰の責任?→自分!!!
曖昧だった構造を、自分の中で再定義した事で、謎の俺がやるスイッチがONになりました。
1. 価値観が変わった正体は「評価軸の移動」
以前の価値観は、多分無意識にこう
- 与えられた仕事を正しくやる事
- 期待に応える事
- 役割を逸脱しないこと
評価の主体が自分の外側にあったのです。
この縛りを自分に課した以降は
- 正しさ(社内での自分の在り方)よりもどうやって成功させるか(顧客を幸せにする)
- 自分の仕事であり、失敗も成功も自分の責任だと言えるかどうか
- 役割の範囲外だろうと成功させる為に自分が動く
2.「責任を引き受けた」ことで、仕事が所有物になった
理由としてはこれ。
仕事を「やらされるもの」から
「自分が引き受けたもの」に変えた
ここで言う責任というのは、実態ではなく自分の中での腹落ち。
勿論、実態としては組織の中の責任者が責任を負う。
大事なのは実態ではなく、自分の中で
「失敗した時に自分の失敗ですと胸を張って言えるかどうか」
あくまで自分の世界の中で、責任を引き受けたのです。
3.「納得できる制約」を持った事で判断基準が安定した
好き勝手やる代わりに、必ず黒字にする
この制約を自分に課した事で以下のようなノイズが消え去った
- 自分は微妙だと思うけど上からはこう言われてるし...
- 最終的な責任者は自分じゃないし...
- 上の人が道標を引いてくれてないから...
「自分が決めていいんだ」と自分で自分を納得する事が出来、縛りを課したのに返って自由になったのだ。
物差しが一本化されたので、迷いが減って判断が早くなった。
よくなかった事
仕事の価値観が変わってから3年が経つ
今までを振り返って良くないなと思った事がいくつかある。
-
- トラブルが起きた際に、自分で勝手に謝罪や対応策のMTGを顧客に対し開催し、実態のPMには事後報告で済ました。
完全な個人的なエゴであるが、自分にとって全ての責任は自分にあるので、都合の良い時だけPMの顔を使いたくなかったのだ。この振る舞いは組織の一員としてよろしくない。
-
- 社内で自分がどう思われようとどうでも良くなった。
評価軸が会社という「外」から自分が納得するかどうかの「内」へシフトしてしまった為、「外」がどうでもよくなってしまった。その結果組織として協調性に欠けるような振る舞いをしてしまっていたと思う。
-
- 全て自分で抱え込むようになった
自分がなんとかする。何故なら自分のプロジェクトだから。と。
精神的に自由になった判明、自分で精神的な負荷を増やしていたのだ。
その結果気付いたら社内の人間が味方と思えなくなっていた。
-
- 相談しなくなった
大事な事に限って、行った後の事後報告。全て自分のジャッジ。
まとめ
「組織構造が〜」とか、「権限が〜」とか、「上の人のマネジメントが〜」とか
そんな内側の自分じゃ解決できない事情に惑わされず
目の前の現実、顧客に向き合うように自分なりに腹落ちをさせたという話でした。
何かのせいにするのは良いと思う、だってそうなんだろうから。
それはそれで置いておいて、じゃあ現実問題どうして行こうは別の話である。
少なくとも当時の自分にとっては、 何かのせいにしたまま動かない働き方は、かなり苦しかった。
諸々自分の中で葛藤があり、
仕事の評価軸が「外部(役割・評価)」から
「内部(自分が引き受けられるか)」に移動したのだと思う。
裁量と責任を自分に引き取ることで、確かに自由にはなった。
ただ同時に、境界を引かなければ簡単に暴走もする。
この二つは、実は常にセットなのだと思う。
ともあれ、暴走による弊害より出た成果の方がとても大きい。
暴走のコントロールは今後の自分の大きな課題ではある。
補足:後から知ったが、当時の自分の状態はこう説明できそう
chatGPTを使って当時の出来事を振り返り、言語化の壁打ちをしていく中で、
いくつかの心理学・行動科学の概念にかなり近い状態だったと気づいた。
以下は、自分の感じたことや行動を、
実際に存在する用語に紐づけて整理した内容である。
内的統制感 / 外的統制感(Locus of Control)
自分の行動や結果が
- 自分の意思や行動によって決まると感じている状態を 内的統制感
- 環境・他人・運など外部要因で決まると感じている状態を 外的統制感
という。
当時のモヤモヤしていた状態は、
「裁量はあるのに、結果の責任は自分のものだと感じられない」という
外的統制感に寄った状態だったのだと思う。
「PMはいないものとする」「失敗したら自分の失敗と引き取る」と決めたことで、
結果のコントロール感を自分の内側に引き戻したし、内的統制感が一気に高まった。
心理的所有感(Psychological Ownership)
人は、
- 自分で決めて
- 自分で引き受け
- 成果と失敗を自分事として語れる
ときに、対象を「自分のもの」だと感じる。
当時の自分は
- 成功しても自分の成功と言い切れず
- 失敗しても自分の失敗と言い切れない
という状態で、
プロジェクトに対する 心理的所有感が著しく欠けていた。
責任を実態ではなく「自分の中で」引き取ったことで、
仕事が「やらされているもの」から「自分のもの」に変わったのだと思う。
事前コミットメント(Precommitment)
「好き勝手やる代わりに、必ず黒字にする」という縛りは、
行動経済学でいう 事前コミットメント(Precommitment) に近い。
これは、
将来の自分が判断を誤ったり、言い訳に逃げたりしないよう、
あらかじめ判断基準や制約を自分に課しておく行為。
この制約を先に置いたことで、
- 判断基準が一本化され
- 迷いや他責思考が消え
- 結果として精神的に自由になった
という状態が生まれた。
縛ったことで不自由になったのではなく、
迷いの発生源を事前に潰したことで自由になった、という感覚に近い。
補足的に:自己決定理論(Self-Determination Theory)
結果として起きた変化は、
自己決定理論でいう 自律性(Autonomy) が一気に高まった状態とも解釈できる。
- 誰かにやらされているのではなく
- 自分で選び、自分で引き受けている
という感覚が、
仕事への向き合い方そのものを変えたのだと思う。