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請負は『工数』を売っていない ― AI時代の『歪んだ物差し』論

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Last updated at Posted at 2026-06-03

「工数を売っている」って、ほんとうにそうか

「請負は何を売っているのか」。この議論は、定期的にどこかで始まる。そして、たいてい何も生まないまま終わる。

たいていの人は「工数を売っている」と答える。人と時間。何人月でいくら。見積書にもそう書いてあるし、客先との会話も人月単価で進む。自分も長いことそう思っていた。コードを書く時間を切り売りしている、それが受託だと。

その前提の上で、毎回いろんな立場がぶつかる。「人月商売はもう限界だ、AIが来た以上『人売りベンダー』は終わる」という話(日経xTECH「AIで人月商売はもう終わり」)。かと思えば「いや、人月は作業内容に対価をつけるサービス業のやり方で、別に悪じゃない」と返す人もいる(GoTheDistance)。発注側からは「AIがあるんだから、もっと安く早く作れるでしょ?」という声も飛んでくる(反論記事)。

その「工数」って、そもそも何者なんだ?

これがこの記事のテーマだ。先に言ってしまうと、工数は思っていたよりずっと厄介な代物で、その正体を見ないまま議論するから、毎回噛み合わない。

「売り物」の顔を辿ると、工数じゃなくなる

まず、売り物としての顔。「時間を売っている」という感覚を、まっすぐ辿ってみる。

請負が顧客に渡しているものを並べると、時間だけじゃないことにすぐ気づく。

  • 成果物:コードやドキュメント、動くシステム。いちばん分かりやすい。
  • 完成責任:「ちゃんと動くものを期日までに仕上げます」という約束。請負契約の法的な核心はここ。
  • 信用:「あの会社なら任せられる」「この人なら大丈夫」。同じものを作るのに誰が作るかで値段が変わるのは、信用に値段がついているからだ。
  • 安心:自分で作ったらうまくいくか分からない、という不安の肩代わり。システム開発の保険屋、みたいな側面。

並べてみると、「売り物」としての工数は、すぐに工数じゃないものに溶けていく。時間を売っているつもりが、実際には責任や信用や安心を売っている。売り物の顔を辿った先に、純粋な「時間」は残らない。

「物差し」の顔を辿ると、その数字すら純粋じゃない

次に、物差しとしての顔。工数のもう一つの役割は、値段そのものじゃなく、値段を測って説明するための「物差し」になることだ。「何人月だから何円」と、価格の根拠を出すための基準。こっちのほうが、もっと厄介だ。

工数の積み上げで値段が決まる、と思いがちだけど、現実はそんなに素直じゃない。値段のほうが先に決まっていることが、けっこうある。

予算が先にある案件がある。「うちは800万までしか出せない」と言われて、その枠に収まるように作るものを調整する。値段が先で、中身が後だ。入札もそう。まず受注すること自体が目標で、勝った金額が先に決まる。そこから「さて、この金額でどう作ろうか」と考える。順番が逆になっている。そこに今後の取引や力関係も乗る。純粋なコスト計算とは別の力が働いている。

なんでこうなるかというと、これが無形商材だからだ。コードも安心も目に見えない。原価で値段が決まらない。だから値決めは「いくらかかるか」じゃなくて、「この課題を、御社はいくらで買ってくれますか」という駆け引きになる。

もちろん、これは発注側からすれば面白くない理屈だろう。原価が見えないのをいいことに吹っかけられている、と感じても無理はない。だから発注側は相見積もりを取るし、予算の根拠を問う。値決めは、売り手と買い手の綱引きの中で決まる。

で、ここでようやく工数の出番だ。値段を説明するとき、いちばんもっともらしい根拠として持ち出されるのが、工数なのだ。「何人月だから、この値段です」。でもその数字には、実際にこれだけかかるという見込みに、いま言ったような事情がしれっと混ざっている。

分かりやすい例がある。金額って、大きめに出がちだ。なんでかというと、「やってみたら足りなかったので追加でください」が、実はものすごく通りにくいから。先方にも予算の枠がある。後から増やすのは難しい。だからこっちは、最初の見積もりに「たぶん起きる不確実性」を織り込んでおくしかない。さっき「安心・リスクの肩代わりを売っている」と言ったけど、それがそのまま工数の数字に化けて乗っているわけだ。

つまり、物差しとしての工数も、まっすぐな物差しじゃない。同じ仕事でも、相手や予算が変われば、出てくる目盛りが変わる。実コストに政治とリスクが乗って、案件ごとに伸び縮みする物差しなんだ。

SES——いちばん純粋な「時間売り」ですら

ここまで来ると、こう思うかもしれない。「いや、SESみたいに時間そのものを売る形なら、さすがに工数は純粋だろう」と。

SESは個人の時間に値段をつける。1人日いくら、何人月でいくら。「時間を売っている」と一番言い切れる形だ。(法的にはSESは準委任で、完成責任を負う請負とは別物。ここでは"純粋な時間売り"の極端なサンプルとして見てほしい。)

でも、ここですら工数は純粋じゃない。

その単価には、市場の絶対値なんてない。需給やスキルの希少性、商流の深さ、契約期間や稼働の安定性――いろんな要因で動くし、買い手のプロジェクト予算にも引っ張られる。厚い案件なら上がり、薄い案件なら下がる。同じ人でも、案件によって値段が変わる。おまけに社内単価と請求単価の差――マージン――には、信用や調達力やマネジメントへの対価が乗っている。

どの要因をとっても、「この時間にはこの値段」という固有の値札は出てこない。一番純粋なはずのSESでさえ、純粋な「時間」の値段なんてどこにもない。工数は、捕まえようとするたびに、手の中で別のものに変わる。

じゃあ、なぜ工数なのか

そんなに歪んだ物差しなら、さっさと捨てればいいじゃないか。そう思うのが自然だ。

でも、そう簡単じゃない。「人月からの脱却」は、何十年も前から言われ続けてきた。それでも、工数は残っている。なぜか。

代わりがないからだ。成果報酬も、価値ベースの値付けも、理屈としては何度も提案されてきた。でも、無形のものの「価値」を先に測って双方で合意するのは、毎案件やるには重すぎる。結局どの名目をつけても、無形である以上、最後は言い値に行き着く。

面白いのは、これがずっと昔から分かっていたことだ。二十年以上前、人月という商習慣そのものを批判していたある記事ですら、こう認めている。

この人月以外に良い方法があればいいのだが、現実として提案するシステム開発費は、人月以外の何をベースとして金額に換算し、それをユーザーに提示すればよいのかが分からない。

人月をやめろと言う側でさえ、代わりは見つからなかった。

そして、これは昔話じゃない。最近でも人月を批判する書き手が、工数が使われ続ける理由を「説明のしやすさ」だと認めている。導入効果なんて、入れてみるまで測れない。先に測れないものは、値付けの根拠にできないからだ。二十年経っても、理由は同じだ。

しかも、得をするのは売り手だけじゃない。発注側の担当者にとっても、工数は都合がいい。価値ベースの値付けだと、「なぜこのシステムが1000万円なのか」を、担当者が経営陣に説明しきらないといけない。費用対効果のロジックを、一から組み立てて。でも「5人月、単価100万だから1000万です」と言えば、稟議を通す側も「まあ相場どおりだな」と納得する。

実際、人月を採らないあるSIerの社長も、大手企業との案件でこう頼まれたという。

社内稟議を通すために、人月計算で見積もりを出してほしい

価値で値付けする会社にすら、発注側は「稟議のために人月で」と求めてくる。工数は、売り手と買い手、その両方の「説明する手間」を一気に下げるからだ。発注側の社内まで含めて、みんなが同じ目盛りで会話できる。共通言語なんだ。だから、簡単には捨てられない。

ここが核心だ。工数は、優れているから選ばれたわけじゃない。誰でも数えられて、内訳を相手に見せられて、後から「ここがずれた」と指摘もできる。言い値を乗せる土台として、一番ごまかしの効きにくい単位だっただけだ。工数は、消去法で「一番まし」な物差しとして残ったんだ。

念のため言っておくと、自分は工数という物差しそのものを否定したいわけじゃない。歪みは避けられない。なら、せめて説明できる物差しを使うほうがいい。問題は物差しじゃなくて、その物差しを「純粋な時間そのもの」だと思い込むことのほうだ。

AIで浮いた時間を、どう返すか

ここまでの見方を、いま一番ホットな話に当ててみる。「AIで効率化できるなら、発注額も下げるべきだ」というやつだ。

気持ちは分かる。早く安く作れるようになったんだから、その分を顧客に返せ、という理屈は筋が通っている。発注側からすれば、当然そう言いたくなる。

でも、値下げが唯一の正解ってわけでもない、と思う。本当に問うべきは、効率化して浮いた時間で、顧客に何を返すか、あるいは自社に何を残すか、のほうだ。浮いた時間の使い道は、いくつもある。

  • 新しい付加価値を乗せる
  • 品質をもっと上げる
  • 納期を早めて、スピードで返す
  • 上流の提案や、納品後の保守を手厚くする
  • 値下げという形で返す
  • あるいは、自社の利益として残す

どれを選ぶかは請負する側の方針次第で、最後にどこへ落ち着くかは市場が決める。同じことができる会社が他にもいれば値下げ競争になるし、代わりがいなければ強気でいける。「効率化したんだから下げろ」と一律に言える話じゃない。

そしてこれも、結局は工数の正体の話だ。工数を「売り物(時間そのもの)」だと思っているなら、効率化は時間の短縮イコール値下げに直結する。でも工数の正体が、責任や信用や課題解決の"物差し"でしかないなら、浮いた時間の使い道はもっと広い。だから自分は、AI時代の問いをこう立て直したい。「効率化で浮いた時間を、どう価値に変えるか?」 と。

結局、工数は売り物じゃない。歪んだ物差しだ

整理する。

この記事は「工数を売っている」という前提から始まった。でも、二つの顔を辿った先に残ったのは、その前提が崩れる景色だった。

売り物の顔を辿ると、工数は責任や信用や安心に溶けていって、純粋な「時間」は残らなかった。これはつまり、工数はそもそも売り物じゃなかった、ということだ。本当に売っているのは無形の価値のほうで、工数はそこに値段をつけるために持ち出される道具にすぎない。

そして、その道具もまっすぐじゃなかった。物差しの顔を辿れば、数字には政治とリスクと交渉の事情が混ざっていて、案件ごとに伸び縮みする。一番純粋なはずのSESですら、単価は需給や商流や買い手の予算で動く、交渉の産物だった。

だから、工数の正体はこうだ。売り物そのものではなく、無形の価値に値段をつけるための、歪んだ物差し。

誤解しないでほしいのは、この「歪み」は、ごまかしやサボりのことじゃない。

無形のものに値段をつける以上、リスクも信用も力関係も全部その一本に乗せるしかない。歪みは、無形を売り買いするための知恵であり、必然なんだ。

冒頭の議論がいつも噛み合わないのは、この物差しを売り物そのものだと思い込んだまま、語り合っているからだ。

ここまで来ると、AIの話もまっすぐ落ちる。工数が売り物そのものなら、「AIで工数が減った」はそのまま「値下げしろ」に直結する。

でも実際は、減ったのは物差しの目盛りであって、売っている価値そのものが減ったわけじゃない。だから問いは「いくら下げるか」じゃない。

「浮いた時間を、どんな価値に変えるか」だ。

請負は、無形の価値を、伸び縮みする物差しで測って、その時々の折り合いで売っている。思っていたよりずっと複雑で、ずっと面白い商売だった。

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