こんにちは!
GMOコネクト 執行役員CTOな菅野 哲(かんの さとる)です。
昨日のニュースで暗号が関係するニュースについて解説してます。
テーマは「仮想通貨×PQC」です。
張り切って、どうぞ。
はじめに:12月21日、PQC議論は新たなフェーズへ
もし、現在の世界で最も安全とされる金庫の鍵を、いとも簡単に開けてしまう「魔法」が登場したらどうしますか?これはSFの話ではありません。暗号資産(仮想通貨)の世界で、今まさに 「量子計算機の脅威」 として真剣に議論されているテーマです。
2025年12月21日前後、暗号資産界隈のPQC(Post-Quantum Cryptography、耐量子暗号)議論に明確な転換点が訪れました。
この日、Bitcoin Core開発者でありCasa共同創業者のJameson Loppが「移行には5〜10年かかる」と明言したことで、業界の焦点が 「量子脅威はいつ来るか」から「どう移行するか」へと決定的にシフトしたのです。
そして、この転換を象徴するように、12月21日の前後5日間に以下の3つの動きが集中しました:
-
12月16日:Solana、テストネットでPQC署名を実証
Project Elevenとの協業により、post-quantum署名の実用性を証明 -
12月21日:Bitcoin開発者、現実的な移行タイムラインを提示
Jameson Loppが「5〜10年の移行期間が必要」と具体的な見解を表明 -
12月中旬〜:Lamport署名が再注目
BitMEX Researchの解説記事(7月公開)が再び議論を呼ぶ
本記事では、この12月21日前後の動向を整理し、PQC対応が「理論」から「実装・移行」のフェーズに入ったことの意味を解説します。
1. 問題の核心:なぜ量子計算機が脅威になるのか
12月21日の議論を理解するために、まず「なぜ量子計算機が脅威なのか」という基本から整理します。
デジタル署名の仕組みと脆弱性
ビットコインやイーサリアムなどの暗号資産は、「デジタル署名」 という技術によって所有権が守られています。これは、あなたの資産が入った金庫にかけられた、あなただけが持つ特別な「鍵」のようなものです。
現在使われている署名方式
| ブロックチェーン | 署名アルゴリズム | 安全性の根拠 |
|---|---|---|
| Bitcoin | ECDSA、Schnorr | 楕円曲線上の離散対数問題 |
| Ethereum | ECDSA | 楕円曲線上の離散対数問題 |
| Solana | Ed25519 | 楕円曲線上の離散対数問題 |
これらの署名方式は、非常に複雑な数学的問題に基づいているため、現在の計算機では事実上破ることが不可能です。しかし、将来登場するであろう大規模で高性能な量子計算機は、「Shorのアルゴリズム」 という計算手法を使うことで、この数学的問題を解いてしまう可能性があります。
脅威の具体的シナリオ
最もリスクが高いアドレス
すべてのウォレットに等しく降りかかるわけではありません。最もリスクが高いのは:
- 公開鍵が露出しているアドレス:一度でも送金に使われたことで「公開鍵」がブロックチェーン上に記録されたアドレス
- P2PK形式のアドレス:初期のBitcoinで使われた形式(Satoshiの推定96.8万BTCを含む)
- 再利用されているアドレス:同一アドレスで複数回送金を行っているケース
"Harvest Now, Decrypt Later"攻撃
量子計算機が実用化される前に、攻撃者が以下のような行動を取るリスクが指摘されています:
- 現在のブロックチェーンデータを収集・保存
- 公開鍵が露出しているアドレスをリスト化
- 量子計算機が実用化された時点で、秘密鍵を計算
- 資金を盗難
このリスクが現実になると、以下のような問題が発生します:
- 資金の盗難:他人があなたのデジタル署名を偽造し、ウォレットから勝手に送金
- 取引のなりすまし:ブロックチェーンの取引記録を混乱させ、その信頼性を根本から揺るがす
2. 「脅威はいつ来る?」専門家たちのタイムライン論争
12月21日のLopp発言の背景には、専門家間で続くタイムライン論争があります。
意見の対立構造
量子計算機の脅威が現実になるまでのタイムラインについては、専門家の間でも意見が大きく割れています。
「脅威はまだ遠い」派
| 専門家 | 所属・役職 | 主な見解 |
|---|---|---|
| Adam Back | Blockstream CEO | 「短期的な脅威はない」「Bitcoinが量子脅威に直面するのは今後20〜40年先」 |
| Samson Mow | JAN3 CEO | 「現実には、量子計算機は21(2100万ではなく21)さえ素因数分解できない」 |
| Jameson Lopp | Casa共同創業者、Bitcoin Core開発者 | 「量子計算機は近い将来Bitcoinを破ることはない」 |
「今から備えるべき」派
| 専門家 | 所属・役職 | 主な見解 |
|---|---|---|
| Jameson Lopp | Casa共同創業者、Bitcoin Core開発者 | 「最善を願いつつ、最悪に備えるべき」「移行には5〜10年かかる」 |
| Charles Edwards | Capriole創設者 | 「2028年までに量子対応ができていなければ、BTC価格が5万ドルを下回る可能性」 |
| Vitalik Buterin | Ethereum共同創設者 | 「2030年までに量子計算機が現在の暗号を破る可能性は20%」(2025年8月の発言) |
技術的進展の評価
Google Quantum AIによる分析(2025年)
- RSA-2048暗号を破るために必要な量子ビット数が、従来の推定2000万から100万未満に大幅削減
- アルゴリズム最適化(近似剰余演算等)により実現
- ECDSA(Bitcoinで使用)も同様の数学的原理に基づくため、同等のリスク
Google "Willow"チップ(2024年12月発表)
- エラー訂正機能を備えた量子チップ
- ただし、現時点では暗号解読に必要な規模には遠く及ばない
タイムライン論争の実務的意味
意見は分かれていますが、「まだ時間はあるが、準備は必要だ」 という緊張感が、プロジェクト毎のアプローチの違いに繋がっています。緊急性の捉え方と分散化の思想が、対策のスピードを左右しているのです。
3. 12月の動き:SolanaとBitcoinのアプローチが同時に可視化
12月21日前後の5日間で、暗号資産業界の2大プロジェクトがそれぞれ対照的なアプローチを示したことが、今回の転換点を象徴しています。
12月16日:Solana、スピード重視の実装テスト型を実証
Project Elevenとの協業成果
2025年12月16日、Project ElevenとSolana Foundationは協業プロジェクトの成果を発表しました。
主な成果
-
量子脅威評価(Threat Assessment)の実施
- 対象:Solanaコアインフラ、ユーザーウォレット、バリデータセキュリティ、長期的な暗号学的仮定
- リスク分析:"harvest now, decrypt later"攻撃シナリオを含む包括的評価
- 評価主体:Project Eleven(PQC移行専門企業)
-
post-quantumデジタル署名を用いたテストネット構築
- end-to-endの量子耐性トランザクションが「実用的かつスケーラブル」であることを実証
- Project Eleven CEO Alex Pruden氏:「現在の技術でも、Solanaにおける耐量子セキュリティは実現可能であることが示された」
技術的な注目点と未解決課題
採用アルゴリズムは未確定
現時点では具体的なアルゴリズム名が公表されていません。ただし、以下の背景情報から推測可能な範囲があります:
- NIST標準化状況:2024年8月にFIPS 203(ML-KEM)、FIPS 204(ML-DSA)、FIPS 205(SLH-DSA)が正式公開
- Solanaの現行署名:Ed25519(楕円曲線ベース)
性能評価の参考データ
参考までに署名アルゴリズムに関するCloudflareによる性能比較(2024年):
| アルゴリズム | 署名生成 | 署名検証 | 用途 |
|---|---|---|---|
| FIPS 204 (ML-DSA) | Ed25519の約5倍遅い | Ed25519の約2倍速い | デジタル署名 |
| Ed25519 (Solana現行) | ベースライン | ベースライン | デジタル署名 |
| RSA-2048 | FIPS 204より遅い | FIPS 204より若干速い | デジタル署名 |
重要な未解決課題
- 採用アルゴリズムの正式発表
- 鍵・署名サイズの増大への対応策
- 実環境でのTPS(Transactions Per Second)への影響
- ノード要求仕様(ストレージ、計算リソース)
- ハイブリッド構成(古典+PQC)の採否
- 本番環境へのロールアウト計画とタイムライン
12月21日:Bitcoin、慎重な合意形成型の現実を表明
そして12月21日、Solanaの発表から5日後に、Bitcoin開発者が業界に現実的な見通しを提示しました。
Jameson Loppによる12月21日の発言
Bitcoin Core開発者でありCasa共同創業者のJameson Loppは、12月21日のSNS投稿で以下の見解を示し、業界に大きな反響を呼びました:
「量子計算機は近い将来Bitcoinを破ることはない。我々はその進化を監視し続ける。しかし、プロトコルに対する思慮深い変更と、前例のない資金移動には、容易に5〜10年かかる可能性がある。最善を願いつつ、最悪に備えるべきだ」
移行が困難な理由
1. 分散合意モデルの制約
Bitcoinは特定の企業や組織によって管理されていない「分散型合意モデル」で成り立っています:
- アップグレードの難しさ:中央管理者がいないため、システムの重要な変更には、世界中の開発者、マイナー、ユーザーなど多くの関係者の合意が必要
- ソフトフォークの慎重さ:互換性を保ちながら段階的に変更する必要
- 合意形成プロセス:技術的議論だけでなく、経済的インセンティブ、政治的利害も絡む
2. 資金移動という巨大プロジェクト
技術的な課題以上に難しいのが、世界中の利用者が保有する資金(UTXO)を、安全に新しい仕組みへ移動させるという運用面の合意形成です。
脆弱なアドレスの現状
- P2PK(Pay-to-Public-Key):初期のBitcoinで使用、公開鍵が完全露出
- 推定160万BTC以上:失われたコイン(秘密鍵紛失)
- Satoshiの推定96.8万BTC:移動される可能性は極めて低い
移行の実務的課題
- 最低6ヶ月分のブロックスペースが必要(全ユーザーが移行する場合)
- ダストUTXO(少額出力)を除けば、BTC価値の95%は1ヶ月で移行可能(理論上)
- 実際には、ユーザー教育、ウォレット対応、取引所対応で最低4年の猶予期間が必要との提案
3. 失われたコインと休眠資産の扱い
コミュニティ内で最も論争的な論点:
| 立場 | 主張 | 支持者例 |
|---|---|---|
| バーン(焼却)派 | 移行期間後、脆弱なUTXOは無効化すべき | 一部のセキュリティ専門家 |
| 回収許可派 | 量子計算機を持つ者が自由に回収できるべき | Hunter Beast(BIP 360提案者の一部見解) |
| 永久ロック派 | 移行しないUTXOは永久に凍結すべき | 保守派 |
BIP 360提案の概要
Pay-to-Quantum-Resistant-Hash (P2QRH)
Hunter BeastらがGitHubで提案中のBIP 360の特徴:
基本仕様
-
新アドレス形式:
bc1rで始まるBech32mアドレス - 設計思想:Taprootベースだが、量子脆弱性のある鍵支払いパスを除去
- 公開鍵の扱い:HASH256(SHA-256の2重適用)で32バイトのハッシュ値として保持
候補アルゴリズム
当初4つのアルゴリズムが検討されましたが、現在は以下に絞られています:
| アルゴリズム | NIST標準 | 特徴 | 署名サイズ(概算) |
|---|---|---|---|
| ML-DSA (CRYSTALS-Dilithium) | FIPS 204 | 格子ベース、バランス型 | 中程度 |
| SLH-DSA (SPHINCS+) | FIPS 205 | ステートレスハッシュベース | 大 |
| FALCON | FIPS 206(開発中) | 格子ベース、署名サイズ小 | 小 |
段階的移行の提案
- Phase 1:脆弱なアドレスへの新規送金禁止(ソフトフォーク)
- Phase 2:ECDSA/Schnorr署名の段階的無効化
- Phase 3:レガシーUTXOの回収ルール策定(最も論争的)
実装上の制約
- ブロック容量:約半減の可能性(PQC署名サイズ増大のため)
- トランザクション手数料:増加の可能性
- ノード運用コスト:ストレージ要件の増大(QuBit64シナリオで年間最大1TB)
現在の検討状況
- GitHub PR #1670で議論継続中
- Surmount Systems Foundationが中心となって開発
- Hunter Beastらは2025年、各種Bitcoin関連カンファレンスでBIP 360の提唱を継続
4. 12月中旬に再注目:量子耐性署名候補としてのLamport署名
12月21日前後のPQC議論の高まりの中で、あるアルゴリズムが再び脚光を浴びました。Lamport署名です。
12月の再注目の経緯
BitMEX Researchが2025年7月21日に公開したLamport署名の解説記事が、12月中旬に再び議論を呼びました。Blockchain.Newsは12月の報道で、この記事の再注目が「BTC/ETH等の既存署名が量子計算で破られ得る」という議論を再燃させたと報じています。
12月16日のSolanaテストネット成功、そして21日のLopp発言という文脈の中で、「具体的にどのようなPQC署名が候補になるのか」への関心が高まり、Lamport署名が代表的な選択肢として再評価されたのです。
Lamport署名とは
基本情報
- 提案時期:1979年(Leslie Lamportによる)
- 安全性の根拠:ハッシュ関数の一方向性(量子計算機でも解読困難)
- 方式:ワンタイム署名(One-Time Signature)
技術的な仕組み
署名プロセス
1. 鍵生成
秘密鍵:512個の256ビットランダム値
├─ セットA:256個の乱数
└─ セットB:256個の乱数
公開鍵:各秘密鍵値のSHA-256ハッシュ(512個)
2. 署名生成
メッセージのハッシュ値(256ビット)の各ビットに応じて:
- ビット = 0 → セットAの対応する秘密鍵値を公開
- ビット = 1 → セットBの対応する秘密鍵値を公開
結果:256個の秘密鍵値が署名として公開される
3. 検証
受信者は公開された256個の値をハッシュ化し、
公開鍵の対応する位置と一致するか確認
利点と制約
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 利点 | ・検証が高速 ・量子耐性が明確 ・実装がシンプル ・ハッシュ関数のみに依存 |
| 制約 | ・署名サイズが大(約16KB) ・鍵の再利用不可(ワンタイム署名) ・署名のたびに新しい鍵ペア生成が必要 |
「ワンタイム」制約の実務的影響
この「ワンタイム」という制約がもたらす影響は甚大です:
- 同じアドレスから二度送金できない:一度そのアドレスから送金すると、同じアドレスを資金の受け取りに二度と使えなくなる
- ウォレットの根本的再設計:アドレスの再利用に慣れたユーザーにとっては、根本的な利用習慣の変更が必要
- 鍵管理の複雑化:毎回新しい鍵ペアを生成・管理する必要
BitMEX Researchによる再評価(2025年7月)
記事の要点
BitMEX Researchは2025年7月21日、Lamport署名の詳細解説記事を公開し、ハッシュベース署名の有効性を強調しました:
- 「ハッシュベース署名が今後の方向性である可能性」
- 「量子計算機が実現する具体的な理由は存在しない」(脅威は認識しつつも慎重な評価)
Blockchain.Newsの報道(2025年12月)
BitMEX Researchの記事が再注目され、「BTC/ETH等の既存署名が量子計算で破られ得る」という議論を再燃させました。
実装の可能性と課題
Bitcoinでの実装アプローチ
- スマートコントラクト経由:ベースレイヤー変更不要でLamport署名を実装可能(sCryptによる実証)
- 実トランザクション例:97f055bccb27539604de9ed99f1067f76fb7cae29b00fbc0a7bb744c8e0c74d8
- OP_CATとの組み合わせ:Winternitz署名(Lamportの改良版)をより効率的に実装可能
運用上の課題
- UTXOモデルとの適合性:アドレス使い捨てが前提のBitcoinには親和性あり(ベストプラクティスに沿う)
- 署名サイズ増大:ブロックスペース圧迫、手数料への影響
- ウォレットUI/UX:ユーザー教育と新しい使用パターンの確立が必要
その他の候補アルゴリズム
NIST標準化済み
- ML-DSA (FIPS 204):格子ベース、署名サイズ中程度、検証高速
- SLH-DSA (FIPS 205):ステートレスハッシュベース、署名サイズ大
- FALCON (FIPS 206開発中):格子ベース、署名サイズ最小
Bitcoin固有の研究
- Winternitz署名:Lamportの改良版、署名サイズを削減
- XMSS:Merkleツリーベース、ステートフル、SP 800-208で既に標準化
5. NIST PQC標準化の現状
正式公開された標準(2024年8月13日)
| FIPS番号 | 正式名称 | 用途 | 元提案名 | アルゴリズム分類 |
|---|---|---|---|---|
| FIPS 203 | Module-Lattice-Based Key-Encapsulation Mechanism Standard | 鍵カプセル化 | CRYSTALS-Kyber → ML-KEM | 格子ベース |
| FIPS 204 | Module-Lattice-Based Digital Signature Standard | デジタル署名 | CRYSTALS-Dilithium → ML-DSA | 格子ベース |
| FIPS 205 | Stateless Hash-Based Digital Signature Standard | デジタル署名 | SPHINCS+ → SLH-DSA | ハッシュベース |
開発中・追加選定の標準
- FIPS 206:FALCON(デジタル署名、2024年後半予定)
- HQC:鍵カプセル化(2025年3月11日選定)
- 追加デジタル署名方式:Round 2評価中(約15アルゴリズム)
移行タイムライン
NIST IR 8547による移行スケジュール
- 2024年8月:FIPS 203/204/205正式公開
- 〜2028年:高リスクシステムの移行完了目標
- 〜2035年:量子脆弱性のあるアルゴリズムの段階的廃止
- 継続的評価:バックアップアルゴリズムの標準化継続
米国政府の動き
Quantum Computing Cybersecurity Preparedness Act(2022年制定)
- 連邦政府機関に対し、PQC移行計画の策定を義務化
- NIST標準の完成を契機に、具体的な移行スケジュール策定が加速
National Security Memorandum 10(2022年5月)
- PQCへの移行における米国のリーダーシップ確保
- 暗号システムの量子脆弱性リスク軽減
6. 実務者向け観測ポイント
Solanaエコシステムで注目すべき展開
Solanaのテストネット実証は大きな前進ですが、本番環境への実装に向けて明らかにすべき点が残っています。
最も注目すべきは採用アルゴリズムの正式発表です。現時点ではML-DSA(FIPS 204)、SLH-DSA(FIPS 205)、あるいはこれらのハイブリッド構成のいずれが選択されるのか明らかになっていません。この選択は、後続のすべての技術決定に影響します。
本番環境でのパフォーマンステスト結果も重要な観測点です。特にTPS(Transactions Per Second)への影響、トランザクション手数料の変動、ブロック生成時間への影響について、定量的なデータが待たれます。テストネットでの「実用的かつスケーラブル」という評価が、実際の負荷環境でどの程度維持されるかが焦点となります。
バリデータ要求仕様の更新も見逃せません。PQC署名の検証には追加の計算リソースが必要となり、ストレージ要件やネットワーク帯域幅にも影響が出る可能性があります。これらの変更が、バリデータの分散性にどう影響するかは、ネットワークの健全性を左右する重要な要素です。
さらに、本番環境へのロールアウト計画とタイムライン、ウォレット実装仕様の公開、既存トランザクションとの互換性戦略についても、今後数ヶ月で具体化されることが期待されます。
Bitcoin開発における合意形成プロセス
Bitcoinでは、BIP 360の正式採択可否が最大の焦点です。GitHub PR #1670での議論は継続中ですが、コミュニティコンセンサスの形成には時間を要しています。技術的妥当性だけでなく、経済的インセンティブや哲学的価値観も絡む複雑な議論となっています。
BIP 360と並行して、P2TSH(Pay-to-TapScript-Hash)などの代替提案も検討されています。これらの提案は、異なるトレードオフを持つため、最終的にどの方式が採用されるか、あるいは複数の選択肢が並存するのかは、コミュニティの議論次第です。
移行ルールの詳細策定も重要な論点です。猶予期間をどの程度設けるか(4年か10年か、あるいはそれ以上か)、失われたコインや休眠資産をどう扱うか、緊急時のアクセラレーション手順をどう設計するかについて、コミュニティ内で活発な議論が続いています。
エコシステム全体の対応計画も注視が必要です。取引所やカストディサービスがどのようなスケジュールで対応するか、マイニングプールがいつ対応を表明するか、ウォレットプロバイダーがどのような実装計画を立てるかによって、実際の移行スピードが決まります。
経済的インパクトの評価も不可欠です。PQC署名の導入によるトランザクション手数料の変化、ブロックスペース市場への影響、ノード運用コストの増大が、Bitcoinの経済モデルにどのような変化をもたらすか、慎重な分析が求められています。
業界横断的な技術・標準化課題
プロジェクト固有の課題とは別に、暗号資産業界全体で共有すべき課題も存在します。
量子計算機の実際的な脅威タイムラインについては、IBM、Google、Amazonといった大手テック企業の開発進捗を継続的に監視する必要があります。特にエラー訂正技術の進展と、実用的な暗号解読能力の獲得時期については、最新の研究動向を注視すべきです。
ハイブリッド構成の標準化も重要なテーマです。古典署名とPQC署名を組み合わせる方式は、段階的移行における過渡期の設計として有力視されていますが、具体的な実装方法や相互運用性の確保については、業界全体での標準化が必要です。
クロスチェーン相互運用性への影響も看過できません。ブリッジプロトコルのPQC対応や、アトミックスワップの安全性確保は、マルチチェーン時代におけるセキュリティの要となります。各プロジェクトが独自にPQC対応を進める中で、チェーン間の互換性をどう維持するかは大きな課題です。
規制動向についても注意が必要です。金融規制当局がPQCに関してどのような要求事項を設定するか、コンプライアンス基準がどう策定されるか、監査・証明の枠組みがどう整備されるかは、特に機関投資家の参入を考える上で重要な要素となります。
まとめ:12月21日は「どう移行するか」への転換点
12月21日前後が示した明確なフェーズ転換
2025年12月21日前後の5日間は、暗号資産×PQC動向における明確な転換点として記憶されることになるでしょう。この期間、量子計算機の脅威は「if(起こるか)」の問題ではなく、「when & how(いつ、どう対処するか)」の段階に入ったことが、業界全体で共有されました。
12月16日のSolanaテストネット実証は「実装は可能だ」という技術的な証明を提供し、12月21日のJameson Loppによる「5〜10年かかる」という発言は「移行には時間と合意が必要だ」という現実的な見通しを示しました。この2つの発表が同じ週に起きたことが、業界の認識を大きく変えたのです。
専門家の間では「短期的な脅威ではない」という点で概ね一致していますが、同時に「長期的な準備は必須」という認識も共有されています。そして12月21日以降、議論の焦点は明確に「準備と移行」へとシフトしました。
12月21日時点で見えた戦略的差異
12月の動きを通じて、プロジェクトごとの戦略的差異が鮮明になりました。
Solanaは16日の発表で、スピード重視・実装優先のアプローチを明確に示しました。既にテストネットでの実証に成功しており、今後の課題はアルゴリズム選定と性能最適化です。「実装で殴る」タイプの前進と言えるでしょう。
一方、Bitcoinは21日のLopp発言で、慎重な合意形成を重視する姿勢を改めて表明しました。BIP 360の提案段階で議論を継続中であり、最大の課題はコミュニティ合意の形成と、世界中に分散した資金の移動という巨大プロジェクトの実行です。分散型合意モデルの本質的な制約が、ここに表れています。
Ethereumはまだ研究段階にあり、12月時点では具体的な提案は出ていません。ただし、Vitalik Buterinの「2030年までに20%の確率」という発言(2024年)が、依然として議論の参照点となっています。
技術選択の方向性としては、NIST標準アルゴリズム(ML-DSA、SLH-DSA、FALCON)が主流となりつつあります。同時に、12月中旬に再注目されたLamport、そしてWinternitz、XMSSといったハッシュベース方式も有力な候補として検討されています。また、古典署名とPQC署名を組み合わせるハイブリッド構成により、段階的移行を実現する可能性も議論されています。
12月21日以降の実務的タイムライン
今後の展開を時系列で整理すると、短期(2025-2027年)では、テストネットやパイロットプロジェクトでの知見蓄積が進みます。BIPなどの提案が具体化され、コミュニティ議論が深化する時期です。取引所やウォレットプロバイダーといったエコシステムプレイヤーが準備を開始し、NIST標準の追加公開(FIPS 206等)も予定されています。
中期(2028-2032年)には、ソフトフォークによる段階的導入が始まると予想されます。ウォレットや開発ツールの本格対応が進み、ユーザー教育とベストプラクティスが確立される時期です。初期移行者による資金移動も開始されるでしょう。
長期(2033-2035年)には、本格的な資金移動期間に入ります。旧アドレス形式の段階的廃止が検討され、エコシステム全体でPQC完全移行が完了する見込みです。
12月21日が意味するもの:社会工学的挑戦への移行
未来の脅威からデジタル資産を守る戦いは、その性質を大きく変えつつあります。かつては純粋な暗号技術の開発競争でしたが、12月21日を境に、複雑なシステムを安全にアップグレードするための社会工学的な挑戦へと、その主戦場が明確に移りました。
世界中に分散した利害関係者をいかに調整し、膨大な価値を安全に新しいシステムへ移行させるか。技術的な実装以上に、この社会的・経済的な合意形成こそが最大の課題となっています。そして、この認識が12月21日前後の一連の発表を通じて、業界全体で共有されたのです。
量子計算機の脅威が"if"から"when"に変わりつつある今、重要なのは脅威の到来時期を予測することではありません。移行が必要になった時に円滑に実行できる準備を整えること——これが、2025年12月21日時点で暗号資産業界が直面している本質的な課題です。
12月16日のSolanaテストネット成功と、12月21日のBitcoin開発者による現実的移行見解。この2つの出来事が同じ週に起きたことが、業界を「理論的な議論」から「実践的な準備」へと押し出した決定的な瞬間でした。
今後、私たちが目撃するのは、単なる技術アップグレードではありません。グローバルに分散した数兆ドル規模の価値を、前例のない規模で安全に移行させるという、人類史上初めての試みです。そして、その試みの本格的なスタートが切られたのが、2025年12月21日だったのです。
参考文献
一次情報源
-
PRNewswire, "Project Eleven to Advance Post-Quantum Security for the Solana Network", 2025年12月16日
-
Cointelegraph, "Migrating Bitcoin to post-quantum may 'easily' take 5-10 years: Crypto exec", 2025年12月21日
-
BitMEX Research, "Quantum Safe Lamport Signatures", 2025年7月21日
-
NIST, "NIST Releases First 3 Finalized Post-Quantum Encryption Standards", 2024年8月13日
技術仕様・標準
-
NIST FIPS 203: Module-Lattice-Based Key-Encapsulation Mechanism Standard
-
NIST FIPS 204: Module-Lattice-Based Digital Signature Standard
-
NIST FIPS 205: Stateless Hash-Based Digital Signature Standard
-
BIP 360: Pay to Quantum Resistant Hash (P2QRH)
解説・分析記事
-
Jameson Lopp, "Against Allowing Quantum Recovery of Bitcoin", 2025年6月14日
-
sCrypt, "Quantum-Resistant Bitcoin using Lamport Signatures", 2023年12月16日
関連リソース
-
NIST Post-Quantum Cryptography Project
-
Bitcoin Optech: Quantum Resistance
-
Project Eleven公式サイト
-
Surmount Systems - Bitcoin Quantum Security Initiative
-
Cloudflare, "Sizing Up Post-Quantum Signatures" (性能比較データ元)
最後に、GMOコネクトでは研究開発や国際標準化に関する支援や技術検証をはじめ、幅広い支援を行っておりますので、何かありましたらお気軽にお問合せください。