グローバル化が進み、最新の技術情報の大部分が英語で発信される時代にも関わらず、日本の技術者の多くは英語学習を避け続けている。これは個人の怠惰や言語的才能の問題ではない。日本の労働環境、教育システム、社会構造が複合的に作り出した構造的必然性だ。
──── 英語不要という幻想の維持
日本の技術者が英語を学ばない最大の理由は、「学ばなくても何とかなる」環境が人工的に維持されていることだ。
日本語で技術書が翻訳され、日本語での技術セミナーが開催され、日本語でのサポートが提供される。この「日本語だけで完結する技術環境」により、英語の必要性を実感する機会が奪われている。
しかし、この日本語環境は最新技術から常に1-2年遅れている。翻訳に時間がかかり、日本市場向けのローカライゼーションにさらに時間を要する。日本の技術革新の遅れの一因は、この言語的な情報遅延にある。
最前線の技術者が英語の原典にアクセスしている間、日本の技術者は翻訳を待っている。この差が徐々に蓄積し、技術力の決定的な格差を生み出している。
──── 完璧主義による学習阻害
日本人の完璧主義的思考は、英語学習において特に有害だ。外国語学習での挫折パターンは、技術者においてより顕著に現れる。
「文法的に正確でなければ恥ずかしい」「発音が完璧でないと馬鹿にされる」「ミスをしたら能力を疑われる」。この完璧主義的思考が、実践的なコミュニケーションを阻害している。
技術者は特に論理的思考を重視するため、言語学習においても「完全な理解」を求めがちだ。しかし、言語は論理的に習得するものではなく、実践的に身につけるものだ。この認識のズレが学習を困難にしている。
さらに、日本人の英語話せない構造的要因である言語系統的距離や音韻認識の制約を過度に気にし、「自分には無理だ」という自己制限を課してしまう。
──── 技術専門性への過度な集中
日本の技術者が経営に関心を持たないのと同様に、英語学習も「専門外のスキル」として軽視される傾向がある。
終身雇用制度下では、技術的専門性の深化が最も安全なキャリア戦略だ。限られた時間とエネルギーを、技術スキルの向上に集中することが合理的選択とされる。
「英語を学ぶ時間があるなら、プログラミング言語を一つ覚えた方が良い」「語学は文系の領域だ」という思考により、英語学習の優先順位が常に後回しにされる。
この専門性信仰により、技術者は自らを「技術のプロフェッショナル」として位置づけ、「英語は必要に迫られたら学べばいい」という先送り思考に陥る。
──── 国内市場依存の構造的制約
日本の技術者の多くは、国内市場のみを対象とした開発に従事している。SIer業界の中間搾取システムでは、最終顧客は日本企業であり、使用言語は日本語だ。
このクローズドな環境では、英語能力が直接的な業務成果に結びつかない。むしろ、日本語でのコミュニケーション能力や、日本の商慣行への理解の方が重要視される。
日本企業のDX失敗も、この内向き志向と関連している。グローバルなベストプラクティスを学ぶ意欲がなく、日本国内の事例や日本語の情報のみに依存している。
国際競争力の低下が問題視されても、個々の技術者レベルでは英語学習の動機が生まれない構造的矛盾がある。
──── 過労働による学習時間の不足
日本の過労働文化は、技術者の継続的学習を阻害している。長時間労働により疲弊した技術者に、英語学習のような長期的投資に取り組む余裕はない。
技術的なキャッチアップだけで精一杯の状況で、さらに英語学習まで要求されることに対する心理的抵抗も大きい。「本業で忙しいのに、なぜ英語まで」という不満が蓄積する。
さらに、企業研修という無駄なシステムにより、形式的な英語研修は実施されるが、実用的な能力向上には結びつかない。研修参加により「英語学習をやった感」は得られるが、実際の能力向上は期待できない。
──── 海外転職への恐怖と諦め
多くの日本の技術者は、英語ができても海外転職を恐れている。帰国後のキャリアパス不透明性、終身雇用神話の残滓、家族・社会からの圧力により、海外挑戦への動機が削がれている。
「英語を学んでも、結局日本で働くなら意味がない」という諦めが、学習意欲を根本的に阻害している。投資対効果が見えない学習に時間を費やすことの合理性を見出せない。
さらに、優秀な研究者の海外流出を見て、「英語ができる人は海外に行ってしまう」という警戒心も働く。英語学習を「日本脱出の準備」として捉え、組織内で敬遠される場合もある。
──── 技術英語の特殊性への誤解
「技術英語は一般英語と違う」という思い込みも、学習を阻害している。確かに技術用語は専門的だが、基本的な文法構造やコミュニケーションパターンは同じだ。
「技術英語だけを学べばいい」という発想により、総合的な英語力の向上を避ける傾向がある。しかし、技術ドキュメントの理解には、一般的な英語力が前提として必要だ。
また、「プログラミング言語ができれば英語は不要」という極端な主張もある。確かにコードは国際共通だが、設計思想、アーキテクチャの議論、チーム内コミュニケーションには英語が不可欠だ。
──── 学習環境の整備不足
日本の技術者向けの英語学習環境は、一般的な英語学習に比べて著しく整備が遅れている。技術者特有のニーズ(技術文書の読解、国際会議でのプレゼンテーション、コードレビューでの議論)に対応したカリキュラムが少ない。
既存の英語学習サービスは、一般的なビジネス英語や日常会話に偏重しており、技術者の実務に直結しない。このミスマッチが、学習継続の意欲を削いでいる。
また、技術者コミュニティ内での英語学習支援も不十分だ。「英語ができない」ことを恥じる文化により、学習中であることを公表しにくい環境がある。
──── 経営陣の英語軽視
日本の技術企業の経営陣自体が英語を軽視している場合が多い。日本企業の国際展開の苦手さは、この経営陣の語学軽視と密接に関連している。
「技術力があれば言語は関係ない」「優秀なシステムは言語の壁を超える」という幻想により、組織レベルでの英語学習支援が軽視される。
予算配分においても、技術研修には投資するが、語学研修は削減対象になりやすい。この経営判断が、現場の技術者に「英語は重要ではない」というメッセージを送っている。
──── 同調圧力による学習抑制
日本の職場では、「目立つ行動」を避ける傾向がある。英語学習に熱心に取り組むことが、同僚からの妬みや上司からの警戒を招く場合がある。
「なぜ英語を学ぶのか」「転職を考えているのか」「今の仕事に不満があるのか」といった詮索により、学習意欲が削がれる。組織への忠誠心を疑われることを恐れ、英語学習を秘密にする技術者も多い。
この同調圧力により、英語学習は「個人的な趣味」の範疇に追いやられ、業務スキルとしての認識が薄れる。
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それでも、技術の進歩とグローバル化により、英語の必要性は避けられない現実となっている。ChatGPTやGitHub Copilotといった最新ツールの活用、オープンソースプロジェクトへの参加、国際的な技術コミュニティでの情報交換、これらすべてに英語が必要だ。
個人レベルでの対処としては、完璧主義を捨てて実践的なコミュニケーションに集中すること。技術文書の読解から始めて、徐々にスピーキングやライティングに拡張すること。そして最も重要なのは、英語学習を「追加負担」ではなく「技術力向上の手段」として認識することだ。
日本の技術者が英語を避け続ける限り、国際競争力の低下は避けられない。個人の技術的成長と、日本の技術業界の未来のために、この構造的な学習阻害要因を乗り越える必要がある。
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※本記事は日本の技術者の英語学習における構造的問題についての個人的見解です。特定の個人や組織を批判するものではありません。