エンジニアリング組織論への招待
- Chapter1 思考のリファクタリング
Chapter1を大雑把にまとめると「エンジニアリング」とはなんぞ?という話。
まだChapter1しか読み終わっていないが面白かったので自分用にピックアップ/整理してみた。
※もっといろいろと書いているけど書き出すとキリがないので結構適当だし、感想もところどころに混じってます。
工学とは、エンジニアリングとは
工学とは何かを「実現」していく学問。
ここでいう「実現」というのは、曖昧な状態からスタートし、具体的・明確さを増やす行為。
この曖昧さが「不確実さ」
この過程が「実現」
この曖昧さ/不確実さを減らしていくということが「エンジニアリング」の本質とも言える。
曖昧さ/不確実さというのは「わからないこと」のこと。
人間にとって、「わからないこと」というのは本質的には「未来」と「他人」ぐらいしかない。
つまりエンジニアリングというのはこの「未来」や「他人」という不確実性と向き合って、それらを減らしていく必要がある。
ただ、この「わからないもの」に向き合うということには「不安」が伴われる。
情報を生み出すことが不確実性を下げることにつながるが、
ソフトウェアを書く以外にも不確実性の削減はできるし、それもまた「エンジニアリング」の一部と言える。
論理的思考の盲点
論理的思考というのはつまり演繹的思考のこと。
論理的思考には2つの重大な前提がある
- ルールと事象を正しく認知できること
- 正しく演繹できること
この二つができないと論理的に考えることはできないが、そもそも正しく認知することはかなりむつかしい。
また、「論理的に考える」には、「非論理的に考えてしまう」瞬間を知ることが大事。
これはわかる。
たまに思考してるときに、「あ、今感情で判断したなー」って時があるし。
観測できないものは制御できない
観測できるのはあくまで結果であって能力などではない。でも「行動」は観測できる。
他人の「スキル」や「心境」は観測できるものではないけども、そこから生まれる行動は観測できる。
コントロールできるものを使って間接的に制御するしかない。
視野、視座、視点
「良い」プログラマには問題解決のための眼がある。
人間はそもそも完全な全体像を捉えることはできないので、それらを受け入れ視野視座視点を広く鋭く高く考えるように鍛えていくことが大事。
人間の不完全さを受け入れる
重要なのは自分の知性に対する絶え間ない疑いと、自分自身への洞察力。内省する力と言い換えることもできる。
自分自身がどのようなタイミングで間違った認知をし、間違った意思決定をしてしまうのかを知ることが重要。
よく言われる「失敗学」と同じような発想?
「自分は他人ではない」という当たり前の事実から立脚して、いかにコミュニケーションの不確実性を減らしていけるか?
これがエンジニアリングにとって重要な態度になる。
真に組織に求められるコミュニケーション能力というのは、コミュニケーションの不確実性を減少させる能力のことといえる。
勝手なまとめ
乱暴に簡単にざっくりとまとめてしまうと
何かをしようとした時のスタートはどうしたって曖昧さが多いし、それに対してやりたいことを実現していこうとするために情報を生み出していく必要がある。
ただ、その段階において思考や情報の非対称性、限定的な合理性によってカオスが生じてしまう。
って感じかな。
演繹法と仮説法は似てるけど全然違うというのは言われないと気がつかないかも。
仮説を立てるのはスキルではなくその仮説となる発想が出せるかどうかというのも面白い。
PDCAサイクルを回しているけど、その仮説/検証ってちゃんとわかってる?というのは意識しないといけないんだろうなとも思う。
書き散らしてから気が付いたけど、Qiitaに広木さんご当人が記事を書かれているのね。