1. はじめに
国立国会図書館で日科技連の機関紙「エンジニア・クラブ」を眺めていたところ第12號(1949年5月3日)の巻頭言で篠原登氏が「T型エンジニア」を提唱されており、「T型人材」という概念が戦後間もなくからあったことが分かりました。
2. 篠原氏の「T型エンジニア」の説明
篠原氏の「T型エンジニア」は、戦後混乱期のさなか、八重洲の日科技連の事務所に技術者同士の交流の場となるエンジニア・クラブが開設されてさっそく実績を出し始め、いよいよ日本を再建しようという時代に提唱されたエンジニアの理想像です。T型エンジニアの説明を以下に引用します。
・・・おもふに、このクラブの目的は、各方面の産業や技術の横の連けい、すなはち技術の綜合化というところに、その使命があることと信ずる
そこで私はT型エンジニアということについて述べたいのである。卑近な話が私は電氣通信専門の技術屋であるが、実際に当つてその専門知識だけでは、到底満足な結果は得られないのである。
まづ例へば自動交換機のやうな複雑な機械を取扱う場合、精密機械についての知識の不足を感ずる。また機器を構成する材料の良否が、全体の機能に及ぼす影響の大きなことを思うと、化学や材料学の知識の必要がしみじみと考へさせられる。
無線の電波を出さうと思うとアンテナを立てるため、どうしても土木学の大要が必要となつてくる、このやうなことは、もつと廣い深い意味で、誰しも経験するところであろう。そこで自分の専門とする知識をTの縦線とすると同時に浅くてもよいから廣く各方面の知識を、自分のものにして置かなければならないのであつて、これがTの横線に当る。縦線だけでは仕事はできないが、さりとてオーバーオールの横線だけでも勿論不十分である。戦前における法律万能のゆき方には、或る意味で横線だけの知識が多いということができよう。研究所等における深い研究をやつている学者は、長い縦線に相当するけれども、一方やはり廣い見識を持つていなければならないのである。これが私のいうT型エンジニアである。
このことは、日本國民全体の狀態にもあてはまるであろう。戦時中には國際狀勢は少しも知らされず、自國を世界優秀な民族というやうに教へられてきた、すなはち縦線だけがドギツク現われたのである。しかしながら敗戦と共に、日本のよいところを全く忘れ、いたづらに形だけ外國の眞似をして得意になつている横線だけの人がふえてきた。こゝでもやはり、自國に対する正しい認識を持つと同時に、廣く世界の動向を知るやうな、私のいうT型の人物がたくさん出ることが望ましいのである。・・・
T型人材は専門家としての深さを縦線で、幅広い視野を横線でなぞらえたものですが篠原氏の「T型エンジニア」を拝読して思ったのはその視座の高さです。篠原氏は「クラブの目的は、各方面の産業や技術の横の連けい、すなはち技術の綜合化というところに、その使命があることと信ずる」と述べていますが、技術の総合化は各方面の産業や技術を掛け合わせてのイノベーション創出や競争力強化を指し、その根底にあるのは日本の再建——科学技術や産業、経済の発展——です。
戦前の日本においては官僚制度の序列により法科出身の事務官僚が優遇され技術官僚や専門家の地位は軽視されていました。こうした状況に対し技術者たちは社会的地位向上を求めて技術者運動を展開し、法科万能を批判的に捉えていました。篠原氏が「戦前における法律万能のゆき方」と指摘したのはそうした社会的な背景を踏まえたものといえます。そして戦前の法科万能や国際認識不足、戦後の無批判な外国の模倣を批判することで、専門分野に加え幅広い知識や見識を持つ人材——T型の人物——の重要性を訴えています。
3. ソフトウェアの品質エンジニアに必要なスキル
自動交換機や無線の例を今どきのソフトウェアに当てはめると、メカ、エレキ、ソフトウェアで構成される組込みシステムはその自動テストツールもまた組込みシステムであり、ソフトウェアの品質エンジニアは単なるソフトウェアの専門家ではなくメカやエレキといった周辺領域の知識も持ち合わせる必要があります。昨今の製品セキュリティ規制に対応するためサプライチェーン全体の品質管理を視野に入れる必要もあります。また、品質エンジニアは経営層や現場担当者と連携し品質に関する意思決定をサポートする役割を担います。
求められるスキルとしてはソフトウェアエンジニアの「深い専門性」「周辺領域の幅広い理解」に加えさらに多様な分野の知識を掛け合わせることが重要と思います。例えば筆者は次のようなスキルや経験の組み合わせが製品セキュリティ対応の助けになっています。
- もともとが組込み系のプログラマで量産立ち合いで工場へ行ったりもしていたのがハードウェアを含むものづくりやサプライチェーンの理解に役立っている
- クラウド型の開発ツールの導入をはじめ何かと情報システム部門にお世話になっていてセキュリティの動向を教えてもらったりもしている
- ISOのマネジメントシステムのリスクベースの考え方や規格書に特有のshall(要求事項)とshould(推奨)の使い分けを知っていたことが製品セキュリティ規制の理解に役立っている
また、案件によっては品質部門や設計部門だけでなく関連部門や全社に横串を通したりもします。製品セキュリティ対応の一つにPSIRT1がありますが、PSIRT Services Framework Version 1.1 日本語版によると内部ステークホルダーとして「会社やビジネスリーダー、経営層」「広報、法務部、コーポレートコミュニケーション」「ビジネスライン」「開発/エンジニアリング」「顧客に対応するセールス、サポート」が挙げられており、品質エンジニアは「大局観」「越境能力」も不可欠と思います。
4. おわりに
最終的に品質保証とは顧客満足を自信を持って約束することであり、そのために期待されるスキルは
- 深い専門性(視点の多さ)
- 幅広い周辺領域の理解(視野の広さ)
- 多様な分野の融合
- 大局観と越境能力(視座の高さ、専門外との連携)
です。そしてこれらは黎明期の日科技連より提唱された「T型エンジニア」の概念と共通する、時代を超えて普遍的なものと分かりました。
現代の品質エンジニアは製品・サービスの品質向上はもとよりライフサイクル全体を俯瞰し組織の持続的成功を支える存在であることも求められます。先駆者の「T型エンジニア」のメッセージは変化の激しい現代において真の品質エンジニアとして活躍するための指針となるでしょう。
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エンジニア・クラブは八重洲の日科技連の事務所の一部を改装して1948年12月に開設された「各分野の科学者・技術者の交流の機会と場2」です。「エンジニア・クラブの開設は、各界代表の発起人47名、クラブ運営世話人16名をはじめ200社余の特別会員、加盟団体および日科技連の役員、参与、幹事等の協力のもとで進められた3」とあり、勉強会や技術情報の共有、業界横断での人脈づくりに寄与したものと思います。また、同名の機関紙が1948年6月に創刊され、エンジニアース、engineers、ENGINEERSと改題しながら2001年12月まで刊行されました。
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篠原氏の視座の高さは自身が逓信省や技術院の技術官僚であること、黎明期の日科技連が関わる人々がGHQや高級官僚、企業の経営層といったレイヤの高い人々だったことが関係しているように思います。
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戦前の法科万能と技術者の関係は【宮本武之輔】技術者の地位向上に努めた人々(大淀昇一)(季刊大林 No.60「技術者」)や日科技連創立五十年史 第2部:日科技連の誕生を語る、篠原氏と関わりが深く逓信省の技官でもあった松前重義氏の「わが昭和史」が参考になります。
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Product Security Incident Response Team;自社の製品・サービスに関するセキュリティインシデントに対応するための体制 ↩
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出典:日科技連70周年史 第3部 p.2 ↩
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出典:日科技連創立五十年史 第1部 p.10 ↩