はじめに
教育やマネジメントの現場で、必ずと言っていいほど議論になるテーマがあります。それは、 「どこまで教えるべきか、どこまで待つべきか」 という問題です。
「先に教えるのは、本人の学習機会を奪う悪ではないか?」 「本人が気づくまで待つべきではないか?」
こうしたもやもやを抱えたまま、現場で「教え方」に迷っているマネージャーは少なくありません。本記事では、「学習機会を奪う」という言葉を深掘りし、ビジネス現場における最適な育成設計について考えます。
本人が気づくまで待つ、は本当に機能しているのか
「魚を与えるのではなく、釣り方を教えるべきだ」 「本人が気づくまで待つのが、真の教育だ」
育成の文脈でよく聞くフレーズです。考える力や自走力を育てる上で、この考え方自体は「正解」の一つでしょう。安易に答えを教えれば、本人の自主性が損なわれるという懸念も理解できます。
しかし、現場で直面する現実はどうでしょうか。この「待つ」という手法が、実際のビジネス環境で十分に機能しているケースは、実はそれほど多くない と感じています。理想論としては美しくても、待った結果として確かな学習効果が得られていなければ、それは単なる「放置」になってしまうからです。
「失敗から学ぶべき」という主張の落とし穴
「失敗こそが最大の教師だ」という主張もよく耳にします。確かに、失敗を通じて自分の盲点やプロセスの不備に気づくことは多く、チャレンジの総量を増やすことは長期的な成長に寄与します。
だからといって、「部下の成長のために、あえて口出しをせず失敗させる」というロジックをそのまま適用するのは危険です。ここで一歩立ち止まって考えるべきは、 「失敗から学べるのは、どのような条件が揃っているときか」 という点です。
「失敗から学べる条件」を分解する
「失敗を経験に変換できる」ためには、最低限以下の3つの前提条件が必要です。
-
心理的安全性: 失敗を報告した際、人格否定ではなく事実ベースの対話ができる環境。これがないと、失敗は「隠す対象」になります。
-
振り返りの場と時間: 「なぜ起きたか」「次はどうするか」を言語化する時間。タスクに追われ、怒られて終わるだけでは、失敗は単なる「嫌な記憶」で終わります。
-
本人の認知の土台: 原因を構造化できるだけの知識。経験が浅すぎると、失敗を正しく分析できず「自分はダメだ」という自己否定に陥ります。
これらの条件が揃わないまま「とりあえず失敗させておけば学ぶだろう」と考えるのは、あまりに楽観的です。成長のためには、「無意味な失敗」よりも「良質な成功体験と振り返り」の方が、はるかに高い効果を発揮します。
「失敗させるコスト」は、適切な投資か?
「あえて失敗させる」のは、組織にとっての一種の投資行為です。そこには明確なコストが存在します。
- ビジネス的コスト: 手戻りの工数、顧客からの信頼毀損、直接的な金銭的損失
- 感情的コスト: 本人の自信喪失、チーム内の評価低下、人間関係の軋轢
- 機会損失: その失敗のリカバリに使った時間で、得られたはずの新しい経験
意図も設計もない小さな失敗を量産させることは、多くの場合、コストに見合わない「負の投資」になりがちです。
「教えること」も設計が必要である
「教える=悪」ではありません。重要なのは 「教え方のレベル」を設計すること です。
- レベル1:答えだけ教える(作業指示)
- 「これを、この通りにやって」とアウトプットのみを渡す。
- レベル2:答え+理由を教える(判断基準の共有)
- 「今回は○○の制約があるから、この手法を選んだ」という背景まで伝える。
- レベル3:思考プロセスを見せる(ライブ解説)
- 上司がどう仮説を立て、どこで悩み、どう比較検討したかをリアルタイムで言語化する。
- レベル4:仮説を出してもらい、フィードバックする(対話設計)
- 部下の「こう考えました」に対し、視点の抜け漏れを補う。
目指すべきは、単に結果を渡すことではなく、「判断基準と視点」をセットでレクチャーすることです。こうすれば、「事前に教えること」と「自走力を育てること」は両立します。
どのテーマを待ち、どんなテーマは先に教えるか
では、どこまでを「待つ」対象にし、どこからを「先に教える」対象にするのが良いのでしょうか。
ざっくりと、こういう切り分けが考えられます。
自分で考えさせたいテーマ
- キャリア・価値観・仕事観
- 自分で時間をかけて考えること自体に意味があり、他人の答えをそのまま当てはめると機能しにくい領域
- 「正解」が一つではなく、納得感が重要な意思決定
- 例えば、どの分野で専門性を深めるか、どのスタイルで仕事を進めるかなどは、自分で選んでこそ腹落ちする内容
先に教えた方がいいテーマ
- 会社としてのコンテキスト
- 過去の経緯、政治的な事情などは、「知らないと損しかしない情報」
- ミスの影響が大きい領域(コンプラ・安全・セキュリティ)
- ここは「あえて失敗させる」余地はほとんどなく、パターンとして先に教えるべき範囲
- チームとしてすでに学習済みの落とし穴
- 何度も踏まれた同じ地雷を「成長のため」と言ってまた踏ませるのは、投資の側面は少ない領域
重要なのは、「失敗させる・待つ」という選択を、テーマや影響範囲ごとに意図的に切り分けることです。
失敗の大小よりも、その失敗に対してどんな振り返りが行われたかの方が、学びの質を決める要素としては大きいと感じています。
上司側の葛藤:なぜ「放置」が起きるのか
さらにややこしいのは、上司にも上司の現実的な都合や制約があることです。
- 時間がないので、「教えた方が早い」に流れがち
- 納期や他案件のプレッシャーがある中で、じっくり考えてもらう時間を取るのは簡単ではない
- 複数メンバーを管理する立場において、個別メンバーにここまで時間をかけて育成をデザインするのは難しい
- 上司自身のスキル不足
- どう問いを投げかければいいか、どう待てばいいか、どうフィードバックすればいいかのトレーニングを受けておらず、「待つ」と「放置」の区別がつかないまま手探りしているケースも多い
つまり、「本人に考えさせるべきか、上司が道を示すべきか」は、単に育成方針だけで決まる話ではなく、組織文化や上司自身の事情とも強く結びついています。
新しい育成の軸: 「足場かけ(Scaffolding)」
「教える」か「待つ」か。
この二元論から抜け出すためのヒントとして、教育心理学における 「足場かけ(スキャフォールディング)」 という考え方をご紹介します。
建設現場で高い壁を塗る際、職人はまず「足場」を組みます。足場があるからこそ、自分の背丈以上の仕事が安全にでき、壁が完成すれば足場は解体されます。育成もこれと同じです。
成長を加速させる「ZPD(発達の最近接領域)」
ロシアの心理学者ヴィゴツキーは、学習者の能力には以下の3つの層があると提唱しました。
- 自力でできること(放置しても退屈なだけ)
- サポートがあればできること(ここが最も成長する「ZPD」)
- 今はまだ、どうやってもできないこと(放置すると挫折するだけ)
私たちが「学習機会を奪ってはいけない」と悩むとき、ついつい「自力でできるまで待つ」という極端な選択をしがちです。しかし、本当に価値のある育成とは、 「今はまだ一人ではできないけれど、上司が『足場』を組んであげれば手が届く領域(ZPD)」で仕事をさせること ではないでしょうか。
「足場」の具体的な組み方
- ヒントを出す: 答えではなく、考えるための「補助線」を引く
- 構造化を助ける: 複雑な問題を、本人が扱えるサイズに分解してあげる
- プロセスの可視化: 上司が思考のプロセスを見せ、やり方のイメージを持たせる
重要なのは、本人の習熟に合わせて、この足場を 「少しずつ外していく(フェイディング)」 ことです。ずっと足場を外さないのは過保護ですが、最初から足場を作らないのは、単なる無茶振りに過ぎません。
結論:私たちが目指すべき「軸」
「学習機会を奪ってはいけない」というスローガンに縛られ、何でも本人に考えさせるのは非効率です。私たちが目指すべきは、「教えない上司」でも「手取り足取り教える上司」でもありません。
「本人が最も高い壁を乗り越えられる、最小限の足場を設計できる上司」 です。
- 手段(待つ/失敗させる/教える)は本質ではない: その人が今の文脈で最も成長できる設計になっているかが重要
- 「教える」は「足場を組む」作業: 適切なヒントや判断基準を与えることは、自走への近道である
- 失敗のROIを考える: 設計のない失敗を量産せず、良質な成功体験のサイクルを回す
おわりに:育成を「二択」から「設計」へ変える
「学習機会を奪う」という言葉は、時に上司から「教える責任」を奪う免罪符になってしまうことがあります。
しかし、ビジネスの現場において、何も教えずに失敗を待つことは、必ずしも誠実な育成とは言えません。
本当に大切なのは、「教えるか・教えないか」という二択の議論ではなく 「目の前のメンバーが、今どの足場を必要としているか」 を観察し、設計することです。
今日から、部下への接し方を少しだけ変えてみませんか。
- 「自分で考えて」と突き放す前に、 考えるための「判断基準」 は共有できているか確認する
- 「失敗から学べ」と願う前に、 振り返りのための「安全な場」 が確保できているか自問する
育成とは、正解を一方的に配ることでも、荒野に一人で放り出すことでもありません。
メンバーが自力で高く登れるようになるまで、適切な高さの足場を組み続ける。その試行錯誤こそが、マネジメントの醍醐味であり、面白さなのだと私は信じています。