2011年の9月末に会社を辞め、同年10月19日に法人を立ち上げました。
最初は、同じ大学の合気道部の先輩たちと3人でやろうということになっていましたが、縁があってNGO法人をやっていた人たちと一緒にやることになり、合計6人でスタートしました。
話は現代に戻ります。
唐突に書き始めましたが、昨日会社メールアカウントの整理をやっていたところ、たまたま残っていたアカウントがあったので創業当時のことを思い出していました。また、プログラマが独立・起業する時によくするミスと対策 まとめ を読んだことがこのエントリを書くきっかけになりました。
連絡が取れなくなったのは大体2012年の夏くらい。携帯も出ない。メール返信はもちろん無し。その後2週間くらいしたあとで何となく業務に復帰したあと、またしばらくして連絡が取れなくなり、今度は本当に音信不通になってしまいました。ちょうどその時自分は有明のデータセンタでサーバ構築をやっていて、国際展示場駅構内のドトールで返信待ちメールを投げていた記憶があります。
暫くしてメールが着て、『今後は自分の方向性を見据えてやりたいことをやっていく。自分のやりたいことをやる』という趣旨のことが書いてありました。
それっきり、連絡は取れずじまいです。今何をやっているのか、どこにいるのか、生きているのかすら不明です。
別にこのエントリを書くことでその人をこきおろしたいわけではありませんが、当時の自分には 意志薄弱なダメ人間程度にしか思えなかった ので罵詈雑言を浴びせて終わってました。改めてメールの履歴を見ると、相当怒ってたのが見て取れます。
翻って自分がきちんと独立できているかというとそんなことはなく、もう2年経ちましたが未だに出向形態です。
・毎日現場に行って、
・データベースの設計書を書いて、
・サーバ構築をして。。
会社員だったころと変わらない毎日を送っています。
今はスターバックスという素晴らしい作業場を見つけたので、スタバ巡りをしながらノートPCを開いてサービス開発のためプログラミングをする毎日です。これがメッチャ楽しい。。いずれ、スタバ以外のカフェ・喫茶店を含めて 喫茶店プログラミング友の会 と称して、団体プログラマがずらっとテーブルに肩を並べて黙々とキーボードを叩いている姿があったら面白いんじゃないかと思います(笑)。
改めて、取り留めもなく書きましたが結局思ったことは、 途中で辞めたらもったいない ということです。
逃げちゃった人も、院卒でいきなり起業というプロセスを踏んだので社会人としてのバックグラウンドがなく、苦労したでしょう。
でも、一般的な人生を送っていないという点ではアドバンテージでもあるわけです。形に残るものがないうちに、不安に押しつぶされて自分で諦めてしまうのは正直もったいないと思います。
4大卒で新卒でリーマンショック直前の売り手市場のときに就職活動をしました。そこで、
1. プログラマとして採用されて軟禁状態で新卒課題をやって、
2. 現場で失敗して、
3. 契約終わって仕事が無いからインフラ研修に出て、
4. サーバ構築の面白さに目覚めてそっち系の仕事をして、
5. 会社作るから一緒に来ないかと誘われて、
6. 当時の話と違ってなぜか社長になり、
7. 色々。。。 ←いまここ
順調に道を踏み外しているように見えますが。。。
★2019/07 追記
久し振りに自身について書くと、DBサーバ設計・構築をやっていたら炎上案件を経験し、病んで休職。
そこから復活してRailsでアプリ開発の真似事をするようになり、以降はサーバサイドのソフトウェア開発を主戦場にしています。障害分析対応が得意です。現在はスクラム開発支援ツールの開発に携わっています。
ブログは書いてなかったので、職務経歴書という形で纏めています(現在も更新中)。
いまは勉強会のご縁で知り合った方に影響され、RDBが楽しいです。SQLアンチパターンがとても面白い。
自分が休職したころと比べて、ITの勉強会プラットフォームはとても発展して使いやすくなりました。主にConnpassを使っていますが、色んな種類の勉強会が開催されていてとても楽しいです。
特に印象に残ってる勉強会は、Perlカンファレンス、英語プレゼン、UX、UIデザイン、VUI、DDD、RDB、1on1、自然言語処理、DevRelです。
今後はRDBを継続しつつ、業務効率化を通してITの知見で人間関係をスムーズにしてゆく方向で学習を継続したいと思っています。