はじめに
前回(B-1)でモジュール候補を絞りました。今回はその候補を、量産採用してよいとどう確信するか――評価の進め方です。
先に結論を書くと、Wi-Fi評価は「速かった・つながった」で終えてはいけません。接続性、送信品質、受信感度、方向差、アプリ挙動を、固定した条件表に沿って順番に確認すると、結果を設計判断へ結び付けやすくなります。
Wi-Fi評価の難しさは、有線と違って環境が測定条件そのものであることに尽きます。同じ機器でも、時間帯・距離・遮蔽物・近隣APの混み具合で結果は変わります。この性質を踏まえ、①合格条件を決める、②自前環境で機能を詰める、③必要な項目だけ制御されたRF環境で測る、という順で進めます。
最初に作るもの:評価条件表
測定を始める前に、最低でも次の軸を表にします。すべての組み合わせを試す必要はありません。製品の使い方から代表条件と最悪条件を選び、選定理由を残します。
| 条件軸 | 例 | ねらい |
|---|---|---|
| 無線方式・帯域幅 | 製品が対応するモード | 変調方式やデータレートによる差を見る |
| 周波数 | 使用帯域の低・中・高チャネル | 周波数依存やアンテナ特性の偏りを見る |
| 通信方向 | 上り・下り | 送信側と受信側のボトルネックを分ける |
| DUTの向き | 正面・背面・上面・下面など | 筐体とアンテナの方向差を見る |
| 筐体状態 | EVK、試作基板、筐体あり | 実装と筐体による劣化を追う |
| 電源・動作状態 | 待機、通信中、周辺回路動作中 | 自己干渉や電源変動を見つける |
| ソフトウェア | FW版、設定、暗号方式 | 評価時と量産時の差分をなくす |
各セルには結果だけでなく、合格基準、ログの保存先、測定者、日時も記録します。これが第3回で扱う量産構成の証跡になります。
何を測るか:指標の整理
| 指標 | 何が分かるか | 測り方の例 |
|---|---|---|
| スループット(TCP/UDP) | 実効の転送能力 | iperf3 |
| PER/再送率 | 受信限界やリンクの安定度 | WLANテスタ、パケットキャプチャ、モジュール統計 |
| RSSI | 受信強度(あくまで目安) | モジュールAPI、OSの統計 |
| 接続時間 | 起動〜通信可能までの時間 | ログのタイムスタンプ |
| 再接続挙動 | AP再起動・電波断からの復帰 | 意図的な切断試験 |
| 距離・遮蔽特性 | 実使用環境での通信可否 | 距離を変えた実測 |
| 消費電流 | モード別の電力(電池機器は必須) | 電流プローブ、電源解析 |
| 共存・干渉耐性 | 混雑環境での劣化度合い | 干渉源を制御した試験 |
大事なのは、製品要件から逆算して合格ラインを先に決めておくことです。平均値だけでなく、下限値、許容停止時間、復帰時間、試行回数も決めます。「なんとなく速い方がよい」で測り始めると、環境ばらつきに翻弄されて評価が終わりません。
RF評価は4段階に分ける
過去の評価報告書をそのまま公開することはできませんが、評価の順番は一般化できます。専用のWLANテスタをAP相当としてDUT(Device Under Test、被試験装置)と接続し、実動作に近い状態で次の順に確認します。
1. 接続性
最初に、対象とする無線方式とデータレートで、接続確立と通信継続を確認します。ここで失敗する条件は、後段のRF測定へ進めません。接続所要時間、失敗回数、切断理由もログに残します。
2. 送信特性
DUTから出る信号を対象に、主に次を確認します。
- 送信電力:信号の量。ただしOTA(空間結合)測定では、測定器の受信値にアンテナ利得、ケーブル損失、空間の伝搬損失が含まれます
- EVM(Error Vector Magnitude):理想シンボルからのずれを表す、変調品質の指標。一般に小さいほど良好です
- スペクトラムマスク:不要な周波数方向への広がりが規定範囲に収まるか
- 帯域内平坦性:使用帯域内で振幅が大きく偏っていないか。適用される規格・方式に応じて確認します
測定値が低すぎてノイズフロアへ近づくと、マスクとの比較自体が不確かになります。この場合、「不適合」と「測定限界で判定不能」を分けて扱います。必要に応じて、経路損失の見直しや有線接続による切り分けを試験所と相談します。
3. 受信感度(PER)
PER(Packet Error Rate)は、送ったパケットのうち正しく受信できなかった割合です。WLANテスタからDUTへ送る信号レベルを段階的に下げ、各点でPERを測ります。評価では、採用する規格・データレートに対応した判定条件を先に決め、PERがその条件を横切る受信レベルを比較します。
以下は実測値を使わない概念表です。実際の閾値や刻み幅ではありません。
| 相対的な受信レベル | 観測されるPER | 読み方 |
|---|---|---|
| 強い | ほぼ0% | 十分なリンクマージンがある領域 |
| 低下中 | 低いまま | まだ安定して復調できる領域 |
| 閾値付近 | 急に増える | 方向・チャネル・個体の比較点 |
| 弱い | 高い | 通信維持が難しい領域 |
公開用の図はこの概念だけを再作図し、測定器画面、案件固有の軸範囲、曲線、判定線は流用しません。また、テスタの出力設定値をそのままDUT端の受信電力と呼ばず、アンテナ利得、ケーブル損失、経路損失を含む基準面を明記します。
4. 簡易指向性
DUTの向きを一定角度ずつ変え、受信電力やPERを記録します。アンテナ単体ではなく、基板、筐体、ケーブル、表示器などを含む完成形に近い状態で測るのがポイントです。全方向の絶対利得を保証する測定と、弱い方向を探す簡易比較は目的が異なるため、報告書では区別します。
iperf3によるスループット測定の基本形
# 測定PC(有線でAPに接続)側:サーバー
$ iperf3 -s
# DUT側:クライアント(例:TCP、60秒、1秒ごとに表示)
$ iperf3 -c 192.168.0.10 -t 60 -i 1
# UDPで帯域を段階的に指定して損失率を見る例
$ iperf3 -c 192.168.0.10 -u -b 10M -t 60
ポイントは、対向(サーバー)側を有線にすることです。無線同士だと、どちらの無線がボトルネックか分からなくなります。測定時間や回数は製品要件に合わせ、平均だけでなく最小値とばらつきを見ます。モジュール上でiperf3を実行できない構成では、ベンダーの試験機能や、実製品と同じ通信経路を使うテストアプリで代替します。
どこで測るか:3つの環境の使い分け
1. 実環境(オフィス・自宅)
手軽ですが、再現性がないのが弱点です。近隣APの状況は自分で制御できません。「まず動くか」「桁として要件に届きそうか」の一次評価に使い、数値の比較評価には使わない、と割り切ります。
2. 制御された自前環境
比較評価(モジュールA vs B、設定変更前後)には、条件を固定した環境が要ります。ここで前シリーズ「WLANトラブル再現環境」がそのまま活きます。
- 専用APを立て、対向を有線で固定(構成は再現環境シリーズ第1回)
- 劣悪環境の再現:netemブリッジで遅延・損失を注入し、「電波が悪いときのアプリの挙動」を机上で再現(同第2回)
- 見えないものを見る:ミラーポート+Wiresharkで再送・切断の実際を観測(同第3回)
DUTとAP、netem環境、測定PCを配置した自前環境の構成イメージです。構成を作るところから始める場合は、WLANトラブル再現環境シリーズ第1回を参照してください。観測方法は同シリーズの観測編につながります。
netem環境の良さは、電波が劣化したときにアプリから見える遅延・損失を、待たずに・何度でも・同じ条件で模擬できることです。再接続ロジックの試験のように「異常系を繰り返し踏みたい」評価と相性抜群です。ただしnetemが模擬するのはIPレイヤの遅延・損失であって、電波そのもの(PHYレートの変動、干渉)ではない点は弁えておきます。
3. 電波暗室・測定サービス(外部)
無線そのものの性能(アンテナ特性込みの送受信性能、規格適合性)の定量評価には、周囲電波の影響を抑えるだけでなく、校正された測定系と、基準面・経路損失の管理が必要です。電波暗室やシールドボックスを持つ測定サービス・試験所を利用する領域です。
自前と外部の使い分けの目安を表にします。
| 評価項目 | 自前 | 外部サービス |
|---|---|---|
| 機能・接続性・アプリ挙動 | ◎ | ― |
| モジュール間の相対比較 | ◎(条件固定必須) | ○ |
| 異常系・再接続 | ◎(netem活躍) | ― |
| アンテナ込みの絶対性能 | △(傾向まで) | ◎ |
| 法規・認証に関わる試験 | × | ◎(対応可能な試験所へ相談) |
外部は費用も日程もかかるので、自前で潰せる項目を先に潰し、外部でしか測れないものに時間を使うのが定石です。持ち込む際は、試験項目・条件・合否基準・DUTの操作手順を文書で固めます。試験所には、測定の基準面、経路損失の扱い、判定不能時の再測定条件も確認しておくと、報告書を設計へ戻しやすくなります。
筐体込み評価を忘れずに
B-1のアンテナの話の続きです。EVK裸の評価が終わったら、できるだけ早く実際の筐体(またはモック)に収めた状態で再評価します。金属筐体・基板のGND・ケーブル取り回しで、性能は大きく変わります。「基板設計の後で筐体評価」だと、悪い結果が出たときの打ち手が残っていません。評価の順番そのものがリスク管理です。
ハマりどころ
- 2.4GHz帯の混雑は時間帯で別世界:昼と夜、平日と休日で結果が変わります。比較測定は必ず同一時間帯・連続実施で
- 「RSSIが良いのに通信が悪い」:強度と品質は別物。干渉やマルチパスはRSSIに出ないことがあります。PER・再送率まで見る
- 省電力設定が測定を乱す:モジュールのパワーセーブ機能で、スループットやレイテンシが大きく変わります。設定を固定・記録して測る
- 測定PC側がボトルネック:USB-LANアダプタや古いPCで対向側が頭打ちのケース。まず有線同士で経路の地力を確認してから無線を挟む
- 1回の測定で結論を出す:無線の測定はばらつくのが正常です。回数を重ねて分布で語る癖を
- テスタ出力とDUT受信電力を混同する:OTA測定では経路損失が入ります。どの位置の電力かを必ず明記する
- 測定限界を合否に変換する:ノイズフロア付近は「判定不能」になり得ます。測定系を見直してから結論を出す
現場コラム:評価は「表を埋める作業」にすると回る
無線評価は際限がなく、放っておくと「気になったことを測り続ける」沼になります。私が効果を感じているのは、開始前に評価マトリクス(行=試験項目、列=条件、セル=合否基準)を作って埋める作業に変えることです。地味ですが、進捗が見え、抜けが見え、そして「どこまでやったら終わりか」が定義されます。
もうひとつ。評価中のログ・キャプチャ・条件メモは、そのとき役に立たなくても全部残しておきます。量産後に市場で通信トラブルが起きたとき、「評価時はどうだったか」に即答できる資料は、何物にも代えがたい保険になります(この話は次回に続きます)。
まとめと次回
- 指標は要件から逆算し、合格ラインを先に数値化する。対向は有線固定が鉄則
- RF評価は、接続性→送信特性→受信感度(PER)→指向性の順で進める
- 環境は3層で使い分け:実環境(一次確認)→自前の制御環境+netem(比較・異常系)→外部サービス(絶対性能・認証)
- 筐体込み評価をできるだけ前倒しする
明日からできる1アクションは、候補モジュールごとに「方式・チャネル・向き・筐体・FW版」を列にした評価条件表を1枚作ることです。測定器を予約する前に、この表の空欄を関係者で埋めてください。
最終回の次回は、評価を通った後の話――量産前の落とし穴。ファームウェア更新設計、認証の再取得条件、そして現地環境差の問題を扱います。



