はじめに
この記事は、JAWS-UG(AWS User Group - Japan)Advent Calender 2025 2日目の記事です。11月27日時点でカレンダーが空いていたのでエントリしました。
8年前はどうだったか
JAWS-UGの起源は諸説ありますが、2010年2月のミートアップが JAWS-UG としてのはじめての勉強会と認識されています。現在でも Pubickey にその記事が残っています。本当に残念なことですが、AWS Japanの初期のブログのサービスは2017年か2018年にそのサービス契約の引継ぎができずに、主に当時のエバンジェリストだった玉川さんや堀内さんのブログコンテンツのほとんどを失ってしまいました。
私がAWSにジョインした2017年は、2015~2016にそれまでAWS社員としてJAWS-UGを強力にサポートしていた社員が次々と退社し新しい道に進んだり、JAWS-UG側でも大規模勉強会をけん引していたJAWS-UG東京支部のリーダーたちが抜けて休眠状態になり、比較的小さな規模の勉強会をする専門支部へのスケールアウトが進行していたころでした。ユーザーコミュニティを担当するAWS社員がいなかったこの時期は見事に勉強会の回数や参加者数はフラットもしくは減る傾向を示していました。

停滞しはじめたJAWS-UGを再活性化させる
私が入社した2017年当時でJAWS-UGのリスト上は72の支部が存在していました。2010年に第1回の勉強会を開催し、2011年3月の東京リージョン開設と東日本大震災の苦難を乗り越え、その大きな熱量をもって2011年から2014年にかけて全国各地でJAWS-UGの52の支部が発足し、まさに日本全国各地で活動を開始したようにみえていました。

しかし、中にはいわゆる第0回とよばれる準備会を開催しただけでその後活動なしの支部もそこそこあり、かつそれまで大規模イベント・勉強会をリードしていた東京支部は休眠状態であり、各専門支部のAWSオフィスでの勉強会支援のお手伝いもいったい誰がどこでどれだけやっているのかがわからない状況でした。良い意味で自走できるところは自走していましたが、AWS社員を個人的に知っていなければAWSの施設は使えない、たとえ知っていたとしてもカテゴリが違うSAさんに頼みづらい、などの声も聞こえ、外からみているのとは「かなり」違った内情でした。
よって、わたしのミッションは「JAWS-UGを再活性させること」だったんです。3か年プランは勉強回数や参加者数を2倍にすること。つまり、毎年30%増するように各支部の運営メンバーさんたちのモチベーションを上げることでした。ここにプラスして私の上のマネジメントから言われたことは「内輪受けで新しい人が参加できないようなコミュニティにしないこと」とかなり強く言われていました。成熟したコミュニティにはよくあることですが、メンバーの強い結びつきに裏返しでもあり、コミュニティマネージャーによる理解が必要なところです。
今思うと、この時の上層部のJAWS-UGを支援する専任者をつくってユーザーコミュニティの熱量を絶やさずに、さらに活性化させる、という判断は、タイミング的には奇跡に近いものではないかと思います。グローバル組織ではない、当時の日本のAWSの上層部は、ここに掲載した勉強会と参加者のデータを見ているわけではありませんでしたが、肌感でそれを察し、事実、2016年から2018年にかけては勉強会開催数は減り、参加者数は2016年から2017年はフラット、自分が入社した翌年で申込者数はプラスに転じることができましたが、専任者が何もしなければこれも減少していたことでしょう。一度熱量の下がったコミュニティを「再燃」させるのは、ゼロからコミュニティを作るより難しいことは容易に想像がつきます。
東京を活性化せよ
AWS Japanが凄いのはユーザーコミュニティ専任社員がいなくても、ソリューションアーキテクトや営業が自身の判断でできるかぎりのJAWS-UGのサポートをしていたことでした。スケールアウトして新しい支部がどんどん増える中で、AWSのユーザーグループ担当者がいないのは、ユーザーにとってコミュニケーションに苦労をかけることになります。また、JAWS-UG側も各支部が独立して動くマイクロサービスな疎結合組織のため、全体として何か共通のプロセスを作ることが苦手でした。それぞれの支部の運営メンバーに個別にご連絡をする必要がありました。JAWS-UGからもAWSに連絡しづらく、AWSからもJAWS-UGに連絡しづらい状況でした。
当時、一番気にしたのは、それまでJAWS-UGを支援してくださっているAWS社員を大事にすることでした。継続して彼ら・彼女らの支援が必要で、専任のコミュニティマネージャーが来たからと言ってJAWS-UGから離れるようなことがないことでした。それは完全に杞憂に終わるのですが、点のようにばらばらにサポートしてくれていたAWS社員を「JAWS Ambassadors」という枠組みでつなげて、その活動を社内レポートなどで紹介するなどをしていていました。自分も含めて各社員の目黒アルコタワーにおける支援状況を社内ツールに入れてもらい誰がいつどこに支援しているかを把握するようにしました。社内WikiでJAWS-UGのページを作り、その中では会議室予約などの支援のための社内プロセスなどの情報を共有するように整備しました。
JAWS-UGの各支部の運営リーダーには、これまでのコネクションを大事にしてほしいと伝え、何も変わるところはない、もし、何か困ったことがあれば、コミュニティプログラムマネージャーである私に言ってほしい、と伝えました。
また、運も味方してくれました。目黒のアルコタワーは外部のお客様を呼びづらい仕組みとルールがいたるところにありました。しかし入社翌年の2018年に現在の目黒セントラルスクエアにAWSのほとんどは引っ越しして、21階にある150人収容可能のセミナールームを利用できるようになり、入館システムも前のビルに比べるとシンプルになりました。東京にあるJAWS-UGの専門支部は、これら新しいセミナールームと、専任担当の私と、コミュニティをサポートしてくれるAWS社員によって勉強会をより広い会場で、頻度高く開催できるようになりました。この効果は2018年にすぐにでて、2017年に9,487人だった勉強会参加者は、2018年には12,409人の2,922人増で対前年30.8%増となり、目標の年30%増をクリアしました。
現在、AWS社員のJAWS-UG支援ネットワーキングは社内のSlackのチャンネルとなって、数百人のJAWS-JG支援をしていただく社員に参加してもらっています。
東京にある専門支部は目黒セントラルスクエアを最大限に活用して勉強会を開催するようになり、セミナールームのキャパシティを用意にオーバーフローするお申込みをいただくようになります。年30%増の成長を目指そうにもセミナールームの物理的上限で頭打ちになるのはみえていました。そこで早くから着手したのが「ハイブリッド勉強会」の開催で、勉強会の模様をオンラインで配信して会場に入れなかった人たちに参加の機会を与えることでした。仕組みを確立した直後に、まさかコロナパンデミックくるとも知らずに、です。このおかげでJAWS-UGの勉強会はオンライン勉強会の移行を時間をかけずにスムーズに行うことができました。
5年前の2020年のAdvend Calenderで配信方法についてご紹介した記事が以下です。
地域支部の課題
地方におけるユーザーグループ・ユーザーコミュニティの活動は人に依存します。事実、地域におけるコミュニティリーダーの発掘は非常に泥臭いもので、JAWS-UGの活動が開始された初期には、クラウドロードショーといった地方開催のAWSのイベントに合わせて懇親会を開き、そこで熱量の高い方や場をまとめている方に当時のエバンジェリストがお声がけをさせていただき、合わせて他の支部運営リーダーが初回開催のサポートや登壇をすることを約束して、勧誘していった、または勧誘された、という話を聞いています。当時の様子がうかがわれるASCII.JPの記事が以下です。
どの地域にも共通するコミュニティ運営の課題は「運営をやってくれる人が少ない」といえるでしょう。地場のITソリューションプロバイダーさんのクラウドコンピューティングに対する方針や、お客様のIT化でのクラウド利用への理解など、クラウド人材と呼ばれるようなエンジニアが多くいる状況ではありません。一人で運営をやり続けるのは厳しいことは容易に想像がつきます。ふと自分のまわりを見たときに仲間がいない状況でのモチベーションの維持は簡単ではありません。さらに、人材以外の課題も多く、それらの課題は地域によって異なることが多いです。地域産業復興課やDX推進課のような自治体の担当者に理解があって、地元コミュニティ支援に積極的なところもあれば、悲しくなるくらい全く理解がないところもあります。これらの支援のあるなしで、20人~30人の人が入る会議室・セミナールームの確保は地域支部にとっては最大の課題になります。
この地域による課題の違いなどは、実際に地域支部に足を運び、勉強会に参加し、懇親会で運営メンバーや参加者と直接話をしないと見えてきませんでした。2018年で東京の勉強会開催が軌道にのってきたので、私および当時のエバンジェリストも土日の週末の多くを地域支部の勉強会に参加するようにしたことで、AWS社員も参加するということで地域開催をしてくれる支部が増えてきたこと、地域開催の支部に参加するJAWS-UGの他の支部のリーダーが増えてきた、人が参加するようになったので頻度を上げた、頻度が上がったから地元の参加が増えて運営メンバーになりたい人がやってきた、といった良いサイクルができあがった支部もありました。
しかし、2020年に新型コロナウィルスによるロックダウンで「対面の勉強会」のほとんどは中止となり、もともと地域の人材ネットワーキングを大事にする地域支部の勉強会は、東京の専門支部のようなテーマ中心でオンラインでも拡大できるモデルではないため、気軽に開催できるオンラインのもくもく会というスタイルが確立されたものの、勉強会そのものをオンラインで実施するのは、何度かのトライはあったものの、あまり普及することはありませんでした。
地域連携による地域支部の復活
コロナパンデミックが徐々に沈静化の兆しが見え始めた2023年あたりから、それまで対面勉強会をやっていなかった地域支部が活動を再開しはじめます。この時、壊滅的になにもできなかった時期を通して単独の支部での復活より、その周辺の地域の活動、いままで我慢した分、より足を延ばして、多くの人とかかわって、地域の活性化なども考えよう、といった機運が生まれたように思えます。青森、秋田、いわて、山形、宮城、福島(会津)はJAWS-UG TOHOKUという連携をとって、毎月どこかの支部が勉強会を開催するような調整をとり、他の支部の運営メンバーも参加、支援する体制を作り活動をするようになりました。九州もJAWS FESTA 2023 KYUSHUではずみをつけて福岡支部、大分支部、佐賀支部を中心に熊本支部そして先日鹿児島支部がリブートするといった盛り上がりを見せています。
北陸では金沢~敦賀の新幹線開業でJAWS-UG北陸新幹線というプロジェクトが立ち上がり、北陸新幹線沿いの支部の勉強会リレーが続いており、ついに休眠していた福井支部が立ち上がることになりました。金沢支部、富山支部、新潟支部、長野支部、群馬支部の運営メンバーによるJAWS-UG北陸新幹線への熱い参加が福井支部のリブートにつながったといえるでしょう。もちろん、JAWS FESTA 2025 Kanazawa が大きな役割をもったことは言うまでもありません。
それぞれの地域で人材不足が根本的に解消されたわけではありませんが、このように熱量の高いその地域のメンバーがつながることで、新しいアイディアや企画を作り、さらにモチベーションを維持し、活発な活動になり、そこに新しいメンバーが加わる、という素晴らしいサイクルができあがりつつあると思います。また、コロナパンデミックで地元に戻りリモートワークしているエンジニアが地域支部へ参加するケースも複数みられるようになりました。日本にとってリモートワークのような働き方は地域活性に一役かっていると思います。
一方、名古屋支部のように単独支部で10名以上の運営メンバーが参加して、毎月対面の勉強会を開催する支部もあります。毎月勉強会の担当メンバーが変わることで個人の負担を分散させて、多くの勉強会を開催して、より多くの人に参加の機会を創出しています。名古屋支部の場合は私以外のAWS社員サポートも手厚いことも重要な要因でしょう。
まとめ
外から見ると巨大で統率のとれたユーザーコミュニティに見えるJAWS-UGですが、実際は疎結合型のマイクロサービスな組織であり、専門支部と地域支部、地域支部でもその地域によって課題が違う、JAWS-UG全体でみれば素晴らしい運営リーダーが潤沢にいるように見えるが、各支部でみると決して全てがそうではなく、地域連携などを通して活動している、ということに驚かれた方も多いかもしれません。
今回はとりあげませんでしたが、この8年の中で「全国代表制度」にも手を入れました。JAWS-UGの多くの課題の「解決方法」はJAWS-UGの中に存在しており、それをリーダーの皆さんと一緒になって探すことができますが、全国代表制度については、コミュニティマネージャーとして意志をもち、時間をかけて、チーム制に移行してもらいました。マイクロサービスな組織でありながら急成長してしまい、たった一人がJAWS-UGの代表としてふるまうのは荷が重すぎると判断したためです。現在はJAWS-UG事務局として各支部から有志を集い、任期をきめて対応しています。事務局はあくまで各支部の活動をしやすくするサポートをするもので、最高決定機関のようなものではありません。本当に皆さん献身的に活動をしてくださっています。
最後にAWSは、JAWS-UGというコミュニティがユーザーによるユーザーのためのユーザーコミュニティであること忘れずに、AWSは適切な距離感を保って運営メンバーの方のモチベーションを維持・向上してもらい、AWSの最高のファンとなり続けていただけるかを考えていきたいです。今後ともよろしくお願いします。