はじめに
QAOA(Quantum Approximate Optimization Algorithm)とVQE(Variational Quantum Eigensolver)は、NISQ時代を代表する2大変分アルゴリズムです。しかし近年は、
- ハイパーパラメータ(QAOAの$\beta,\gamma$、VQEの回路パラメータ)を探索する古典最適化ループが、バレンプラトーや局所解の多さのせいでうまく機能しない
- 有限回のショット測定による統計誤差(shot noise)が最適化をさらに不安定にする
という2つの弱点がしばしば指摘され、「もはや実用上は使えないのでは」という声も聞かれます。実際、VQEについては、これらの弱点を緩和できるQSCI(Quantum-Selected Configuration Interaction)が近年急速に支持を広げています。
そこで本記事では、「QAOA/VQEは終わったのか」という問いに対して、2025〜2026年に出ている肯定派・否定派それぞれの論文や成果を調べ、整理しました。あわせて、QAOA/VQEそれぞれの課題を表にまとめ、代表的な解決策の論文を紹介します。最後に、肯定派の切り札としてよく引用される「QAOAの理論的量子優位性」の実証について、その主張の射程(理論的優位性と実用的優位性の違い)も掘り下げます。
本記事は執筆者の調査に基づく、個人の見解です。
否定派の論点
-
標準的な問題での量子優位性が未達: QAOA(深さ$p=1$)は3-正則グラフのMax-Cutに対して近似比$\geq 0.6924$を保証します(Farhi, Goldstone, Gutmann, "A Quantum Approximate Optimization Algorithm" (2014), arXiv:1411.4028)。
一方、古典のGoemans-Williamson法は一般のグラフに対して近似比$\geq 0.878$を保証しており(Goemans & Williamson, J. ACM 42(6), 1115–1145 (1995))、両者は対象グラフのクラスが異なるため単純比較はできないものの、実装可能な深さの範囲でQAOAが最良の古典アルゴリズムを上回った例は今のところありません。 - 訓練自体がNP困難: Bittel & Kliesch, "Training Variational Quantum Algorithms Is NP-Hard" (2021) は、VQE/QAOAの背後にある古典最適化問題そのものがNP困難であることを示しています。しかも、古典的に厳密に扱える(対数量子ビット数や自由フェルミオン系のような)小規模な問題ですら困難性が残ることが示されており、これは量子系固有の難しさというより、古典最適化に本質的に組み込まれた困難さだと論じられています(arXiv:2101.07267)。
- バレンプラトー・局所解の多さ: Anschuetz & Kiani, "Quantum variational algorithms are swamped with traps" (Nat. Commun. 2022, arXiv:2205.05786) は、バレンプラトーが生じない浅い回路であっても、全体最適解の近くにある局所解の割合が超多項式的に小さく、良い初期値なしには学習不可能になり得ることを示しています。この系譜の研究は続いており、低深度QAOAでもパラメータ数が量子ビット数に対して対数的にしかスケールしなくても劣悪な局所解が超多項式的に増加することを示した論文もあります(arXiv:2402.10188)。
- VQE(化学計算)は既存の古典計算法に速度・精度とも劣る: 現行のノイズレベルでは分子ハミルトニアンの意味のある評価が難しく、量子優位性を示すのに十分な規模・精度の計算は実現できていません。
- エラー緩和はショット数を増やすだけで根本解決にならない: エラー緩和手法は観測量の分散を増大させ、同じ統計精度を得るのに必要なショット数がかえって増えます。「誤り訂正符号の代替にはならないが、共存する技術」という評価が一般的です(AWS Quantum Blog)。
肯定派の論点
- QAOAの理論的量子優位性の実証(2024): JPMorgan Chase・Argonne National Laboratory・QuantinuumがLABS(Low Autocorrelation Binary Sequences)問題にQAOAを適用し、問題サイズが大きくなるにつれてQAOAの計算量の増加率が古典解法より緩やかであることをシミュレーションで示しました。Quantinuum H1/H2実機でも小規模な実装を行い、独自のエラー検出手法でノイズの影響を最大65%低減しています(Quantinuum press release)。ただしこの主張の射程については後述します。
- バレンプラトーを原理的に回避する変種の理論的進展: GM-QAOA(Grover-Mixer QAOA)は、標準的なXミキサーの代わりにGroverタイプのミキサーを用いることで回路の表現力を目的関数の値の種類数程度にまで制限し、十分な層数があれば多くの最適化問題でバレンプラトーを回避できることを証明しています(arXiv:2509.10424)。
- 非変分・低コストな最適化への転換: 反断熱(counterdiabatic)量子最適化の一種であるBias-field Digitized Counterdiabatic Quantum Optimization (BF-DCQO) は、「ハイブリッド量子古典スキームで必要な古典最適化への依存を排除する純粋量子アプローチ」と位置づけられ、トラップイオン実機での36量子ビット最大重み独立集合問題、超伝導実機での100量子ビットスピングラス問題(ヘビーヘックス格子)への適用が示されています(arXiv:2405.13898)。
- ADAPT-VQE系の継続的な改善: バレンプラトーの影響を受けにくいことを理論的に示した研究が続いています(次章で詳述)。
- 産業パイロットでの手応え: 量子最適化の業界動向レポートでは、大規模な配送ルート最適化で10〜20%の経路効率改善、複雑なマルチアセットポートフォリオ最適化で最適化時間の15〜30%削減といった初期パイロットの成果が報告されています(bqpsim.com)。ただし個別企業名を挙げた検証済みケーススタディではなく業界集計値であり、規模や再現性については注意が必要です。
QAOA/VQEの課題と解決案
冒頭の問題意識(ハイパーパラメータ探索の困難さ・ショットノイズ)を軸に、それぞれの課題と解決案の論文を表にまとめます。
QAOAの課題
| 課題 | 内容 | 解決案(論文) |
|---|---|---|
| バレンプラトー | 層数$p$や量子ビット数の増加とともに勾配が指数的に消失する | GM-QAOA: Groverタイプのミキサーで表現力を制限しバレンプラトー回避を証明 arXiv:2509.10424 |
| 劣悪な局所解の急増 | パラメータ数が対数的にしか増えなくても局所解が超多項式的に増加する | Trainability Barriers in Low-Depth QAOA Landscapes arXiv:2402.10188 |
| 良い初期値がないと収束しにくい | $p$が増えるほど探索空間が広がり、ランダム初期化では最適化が不安定になりやすい(ハイパーパラメータ探索の困難さは、この初期値依存性とバレンプラトー・局所解の多さが組み合わさって生じる) | Warm-starting quantum optimization(古典緩和解を初期状態に利用)Egger et al., Quantum 5, 479 (2021) Quantum誌、Fixed Angle Conjecture(正則グラフでは固定角がグラフサイズによらず良好な近似比を保証)Wurtz & Love (2021) arXiv:2107.00677 |
| 標準問題での量子優位性の欠如 | 3-正則グラフのMax-CutでQAOA(p=1)の近似比0.6924(Farhi et al. arXiv:1411.4028) に対し、一般グラフでGoemans-Williamson法は0.878(Goemans & Williamson, J. ACM 42(6) (1995)) | LABS問題での理論的スケーリング優位性の実証 JPMorgan/Argonne/Quantinuum (2024) Quantinuum press release |
| ショットノイズ | 有限測定回数による観測量の揺らぎが最適化を不安定にする | Challenges of variational quantum optimization with measurement shot noise, Scriva et al. (2024) arXiv:2308.00044 |
| 変分最適化ループそのものへの依存 | 古典最適化を要する限りNP困難性・バレンプラトーから逃れられない | BF-DCQO(反断熱項とバイアス場で変分最適化を排除) arXiv:2405.13898 |
VQEの課題
| 課題 | 内容 | 解決案(論文) |
|---|---|---|
| バレンプラトー(大域的コスト関数) | 大域的観測量をコストにすると浅い回路でも勾配が指数消失する | Cost function dependent barren plateaus(局所コスト関数への変更で多項式的減衰に抑制)Cerezo et al., Nat. Commun. 12, 1791 (2021) arXiv:2001.00550 |
| アンザッツの表現力と訓練性のトレードオフ | 固定Ansatzは粗いランドスケープ・過剰パラメータ化に陥りやすい | ADAPT-VQE(演算子を勾配に基づき逐次追加)Grimsley et al. (2023) arXiv:2204.07179 |
| 測定オーバーヘッド | 多数の観測量(ハミルトニアン項)を測定する必要がありノイズが蓄積する | Shot-Efficient ADAPT-VQE via Reused Pauli Measurements (2025) arXiv:2507.16879 |
| ノイズによる変分性の破れ | 実機ノイズ下では推定エネルギーが真の基底エネルギーを下回り、変分原理が崩れることがある | QSCI(量子はサンプリングのみに使い対角化は古典で厳密に行うことで変分性を回復)Kanno et al. (2023) arXiv:2302.11320 |
| 化学精度に必要な量子ビット数・回路深さの不足 | 現行ノイズレベルでは実用分子系の計算が困難 | SQD(Sample-based Quantum Diagonalization)による大規模分子系への適用 IBM Quantum Case Study |
| VQE自体からのパラダイム転換の必要性 | 変分最適化に依存する限り上記の問題群を根本解決できない | From VQE to SQD (2025) arXiv:2509.21555 |
なお上記のSQDは、QSCIを原点とする派生アルゴリズムです。
QSCI関連の論文は、QunaSysが管理する"Awesome-QSCI"というキュレーションリストに70本以上収録されており、2023年の原論文以降、方法論的拡張(ADAPT-QSCI等)・応用例・ベンチマークまで幅広く継続的に更新されています。この一覧の充実ぶり自体が、VQEからQSCI/SQDへの関心のシフトを裏付けていると言えそうです。
「非変分・低最適化コスト」とは具体的に何をしているのか
上の表で「変分最適化ループへの依存」を課題として挙げましたが、これを解決する2つの方向性(ADAPT系・反断熱系)について、もう少し踏み込んで説明します。
ADAPT系(ADAPT-QAOA / ADAPT-VQE): 最適化を「小さく・賢く」する
標準のQAOA/VQEは、固定形のAnsatzに対して全パラメータを最初から古典オプティマイザで一斉に探索します。パラメータ数が多いほどバレンプラトーや局所解の問題が悪化します。
ADAPT系はこれに対し、あらかじめ用意した演算子プールから、その時点で最もエネルギー勾配(効果)が大きい演算子を1つずつ選んで回路に追加し、その都度だけ最適化する、という逐次的な構築を行います。回路は「必要な分だけ」育っていくイメージです。
- ADAPT-QAOA (Zhu et al., Phys. Rev. Research 4, 033029 (2022), arXiv:2005.10258) では、標準QAOAに比べて必要なCNOTゲート数・最適化パラメータ数が少なく済み、収束も高速化することが報告されています。
- ADAPT-VQE (Grimsley et al., npj Quantum Information (2023), arXiv:2204.07179) では、勾配に基づく1演算子ずつの構築がランダム初期化より顕著に小さい誤差を与えること、化学直感が使えない状況でも機能すること、そして「ADAPT-VQE avoids such regions by design」(設計上バレンプラトー領域を回避する)と述べられています。途中のステップで局所的な「トラップ」に入っても、演算子を追加し続けることでそのトラップをさらに深く掘り進める形("burrow")で厳密解に近づけることが示されています。
ただし、ADAPT系は古典オプティマイザ自体は使い続けている点に注意が必要です。「最適化をやめる」のではなく、「毎回の最適化問題を小さく・扱いやすくすることでコストを下げる」アプローチだと理解するのが正確です。
反断熱系(DCQO / BF-DCQO): 最適化を「そもそもしない」
反断熱系の発想の出発点は量子アニーリングです。通常のアニーリングは断熱定理に従うために遅い過程が必要ですが、途中で生じる非断熱遷移(励起)を打ち消す補正項(反断熱項、adiabatic gauge potential)をハミルトニアンに追加すれば、短時間のプロセスでも基底状態に留まりやすくなります。
この反断熱項(近似的な断熱ゲージポテンシャル)は、ネストコミュテータの級数として系統的に構成できることが示されています(Claeys et al., Phys. Rev. Lett. 123, 090602 (2019), arXiv:1904.03209)。つまりQAOAの$\beta,\gamma$のように「量子回路を何百回も実行して古典オプティマイザで探索する」代わりに、この展開から回路パラメータを構成的に決定できます。
BF-DCQOでは、これに加えて測定されたビット列の統計から軽量な「バイアス場」補正を1〜数回だけ更新する反復がありますが、これは勾配降下法のような険しいランドスケープ探索ではなく、単純な統計フィードバックです。この結果、文献では「古典オプティマイザへの依存を排除した、純粋に量子的なアルゴリズム」と位置付けられています。
| 手法 | 古典最適化ループ | パラメータの決め方 |
|---|---|---|
| 標準QAOA/VQE | あり(勾配消失・NP困難の影響を直接受ける) | ランダム初期化+反復探索 |
| ADAPT-QAOA/VQE | あり(ただし各段階は小規模) | 勾配の大きい演算子を逐次選択・局所最適化 |
| DCQO/BF-DCQO | 実質なし(軽量な統計補正のみ) | 摂動論(反断熱項の解析式)から直接計算 |
「理論的優位性」と「実用的優位性」の違い
肯定派の論拠としてよく引用されるJPMorgan/Argonne/Quantinuumの成果について、その主張の中身を確認しておきます。
- 示されたのは、「問題サイズ$N$を大きくしていったとき、QAOAで解くのに必要な計算資源の増加率(スケーリングの傾き)が、既知の最良の古典解法の増加率より緩やかである」という点です。これはノイズなしのシミュレーションをArgonneのPolarisスーパーコンピュータ上で行い、そのトレンドを外挿して導いた結論です。
- 一方、Quantinuum H1/H2実機で行われたのは小規模な実装であり、その目的は古典解法に勝つこと自体ではなく、独自のエラー検出手法によってノイズの影響を最大65%低減できることを示すことでした。つまり実機デモは「アルゴリズム特有の誤り抑制が機能する」ことの実証であって、量子コンピュータが古典コンピュータに実際に勝ったレースの結果ではありません。
- Quantinuum自身のプレスリリースの表現も、「量子優位性達成への重要な一歩(a significant step towards reaching quantum advantage)」にとどまっており、「達成した」とは述べていません。
- 漸近的優位性が実際に古典を上回るクロスオーバー点(損益分岐点となる問題サイズ)は、シミュレーションで検証できた範囲よりずっと大きい可能性が高く、その規模のQAOA回路を現行ハードウェアのノイズレベルで実行することはできません。また、LABS問題は古典的にも研究し尽くされた特殊な構造の問題であり、この結果を一般的な組合せ最適化問題にそのまま一般化できるわけでもありません。
つまり、「将来、十分大きな問題サイズかつ十分低ノイズなハードウェアが手に入れば理論上は古典を上回るはずだ」という漸近的・外挿的な主張であり、「今の量子コンピュータが今の古典コンピュータに実際に勝った」という主張ではない、という点を区別しておく必要があります。
まとめ
- QAOA/VQEという素朴な変分アルゴリズムそのものへの期待は明確にしぼんでおり、「標準的な問題で量子優位性を示した例は依然としてゼロ」という否定的評価はほぼ研究コミュニティの共通認識になっています。
- ただし「終わった」というより「分化・進化した」というのが実情に近く、VQEはQSCI/SQD(量子はサンプリングのみ・対角化は古典)へ、QAOAはADAPT系(最適化を小さく賢くする)・反断熱系(最適化自体をなくす)へと軸足が移っています。特にQSCIには、「古典越え」への期待が集まっています。
- 肯定派の切り札であるJPMorgan/Argonne/Quantinuumの成果も、「理論的な漸近スケーリングの優位性」であって「今の実機が今の古典コンピュータに実際に勝った」わけではない、という射程の違いを区別して評価する必要があります。
参考文献
- A Quantum Approximate Optimization Algorithm | arXiv:1411.4028
- Improved Approximation Algorithms for Maximum Cut and Satisfiability Problems Using Semidefinite Programming | Goemans & Williamson, J. ACM 42(6), 1115–1145 (1995)
- Training Variational Quantum Algorithms Is NP-Hard | arXiv:2101.07267
- Beyond Barren Plateaus: Quantum Variational Algorithms Are Swamped With Traps | arXiv:2205.05786
- Trainability Barriers in Low-Depth QAOA Landscapes | arXiv:2402.10188
- The fixed angle conjecture for QAOA on regular MaxCut graphs | arXiv:2107.00677
- Warm-starting quantum optimization | Quantum 5, 479 (2021)
- JPMorgan Chase, Argonne National Laboratory and Quantinuum Show Theoretical Quantum Speedup
- Provable avoidance of barren plateaus for the QAOA with Grover mixers | arXiv:2509.10424
- An adaptive quantum approximate optimization algorithm for solving combinatorial problems on a quantum computer | arXiv:2005.10258
- Challenges of variational quantum optimization with measurement shot noise | arXiv:2308.00044
- Cost Function Dependent Barren Plateaus in Shallow Parametrized Quantum Circuits | arXiv:2001.00550
- Bias-field digitized counterdiabatic quantum optimization | arXiv:2405.13898
- Floquet-engineering counterdiabatic protocols in quantum many-body systems | arXiv:1904.03209
- ADAPT-VQE is insensitive to rough parameter landscapes and barren plateaus | arXiv:2204.07179
- Shot-Efficient ADAPT-VQE via Reused Pauli Measurements | arXiv:2507.16879
- Quantum-Selected Configuration Interaction: classical diagonalization of Hamiltonians in subspaces selected by quantum computers | arXiv:2302.11320
- From VQE To SQD: Modern Quantum Algorithms For The Electronic Structure Problem | arXiv:2509.21555
- Awesome-QSCI (QunaSys)
- IBM Quantum Case Study: Modeling realistic chemistry with quantum computing
- QAOA and VQE: The Variational Algorithms That Define the NISQ Era
- Quantum Optimization Explained: Use Cases | bqpsim.com
- Assessing performance of a variational algorithm in presence of noise and quantum error mitigation | AWS Quantum Blog