サマリー
K210は、嘉楠科技(Canaan)のAIチップブランド「勘智(Kendryte)」の最初の製品として、2018年に発売されました。5ドルのボードでAI画像認識が動く手軽さで開発者の間に広まりました。本稿では、その誕生から、Canaanが2025年にAIチップ事業から撤退するまでを振り返ります。
- 誕生: 2018年9月発売。RISC-Vのデュアルコアと AI演算ユニット(KPU)を組み合わせ、外部メモリなしで画像認識ができた
- 普及: Sipeedの開発ボードとMicroPython環境(MaixPy)で、個人開発者に広がった
- 継承: 構成はK510(2021年)、K230(2022年)、K230D(2024年)に引き継がれた
- 現在: 嘉楠(Canaan)は2025年6月に撤退。設備は売却された模様。K210向け公式SDKの更新は2021年で止まっている
年表
K210の歩み(5つの時期)
- 2013年〜 採掘機ASIC:「Avalon」を出荷。設計と量産の基盤
- 2018年9月 K210発売:RISC-V+KPU、SRAM 8MiBで完結
- 2018〜2020年 普及:Sipeed Maix、MaixPy・MaixHub
- 2021〜2024年 後継チップ:K510(2021)、K230・K230D
- 2025年〜 撤退と移管:嘉楠(Canaan)が撤退発表、サイト登録者が変更
各時期の出来事は、次の表に新しい順で並べています。
| 時期 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 2026年10月 | K230向けCanMVで、嘉楠(Canaan)とSilicaRiseのメールアドレスによるコミットが続く | GitHub |
| 2026年4月 | 2025年度の20-Fで、エッジコンピューティング向け設備を「買い手」へ売却したと開示 | 20-F |
| 2025年6月23日 | AI半導体事業からの撤退を発表 | SEC 6-K |
| 2025年5月 | kendryte.comのサイト登録者が、嘉楠(Canaan)の子会社から北京硅升科技に変わる | icplishi |
| 2024年8月 | SiP版のK230Dを発表 | 新浪科技 |
| 2024年4月 | SipeedがK210向けMaixPy(v1)の保守を一時停止 | Sipeed Wiki |
| 2022年11月 | 第3世代のK230を発表 | 腾讯新闻 |
| 2021年9月 | K210の公式ベアメタルSDKが最後の更新 | GitHub |
| 2021年7月 | 第2世代のK510を世界人工知能大会で発表 | CNX Software |
| 2019年11月 | 嘉楠(Canaan)がナスダックに上場(基本公募額9,000万ドル) | Simpson Thacher |
| 2019年2月 | MaixPyの最初のファームウェア(v0.1.1 beta)とMaix Bit / Maix Goを公開 | Sipeed Wiki |
| 2018年11月 | SipeedがK210搭載のMaixボードをIndiegogoで販売開始(5ドルから) | CNX Software |
| 2018年9月 | K210を発売。テープアウトを受けてSipeedがMaixPyの開発を始める | JPR、Sipeed Wiki |
| 2013年1月 | 張楠赓氏のチームが、ASIC搭載のビットコイン採掘機「Avalon」を世界で初めて出荷 | 20-F |
K210の誕生(2018年)
嘉楠(Canaan)は、採掘機向けASICで培ったチップ設計と量産の力を、エッジAIに応用しようとしました。その第1弾がK210です。
- 会社の出自: 2013年1月、張楠赓氏のチームがASIC搭載の採掘機「Avalon」を出荷したのが始まりです。その後北京で会社を設立し、2015年に杭州の社名に変えています(20-F)。
- 発売: K210は2018年9月に発売され、嘉楠(Canaan)の第1世代AIチップと位置づけられました(Yicai Global、JPR)。
- 名前の由来: 公式データシートは、Kendryteを中国語で「勘智(知能を探る)」の意味だと説明しています(データシート)。
- 狙った市場: IoT向けの画像認識と音声認識です。「ゼロからすぐに製品にAIを載せられる」ことを掲げ、高性能なマイコンとしても使えるとしていました(同上)。
- 「世界初」の主張: 嘉楠(Canaan)は「世界初の商用RISC-VエッジAIチップ」と宣伝し、JPRも同じ表現を使っています。ただし、独立した裏付けは見つかっていません。
- 上場: 嘉楠(Canaan)は2019年11月にナスダックへ上場しました(基本公募額9,000万ドル、Simpson Thacher)。
- 第2世代の遅れ: 2020年1月の報道では「同年中に第2世代AIチップを投入する」とされましたが、実際のK510の発表は2021年7月でした(Yicai Global)。
Kendryte K210の技術
Kendryte K210の特徴は、外部DRAMを使わず8MiBのチップ内SRAMだけでCNNを動かせる点です。これにより、数ドルのボードで画像認識ができるようになりました。
| 項目 | 公式データシートの記載 |
|---|---|
| CPU | 64ビットRISC-V(RV64GC)×2、各コアに独立したFPU、400MHz(PLLで変更可) |
| AI演算(KPU) | 畳み込み・バッチ正規化・活性化・プーリングを処理。カーネルは1×1と3×3 |
| モデル上限 | 30fps以上なら量子化後5.9MiB(量子化前11.8MiB)まで |
| SRAM | 8MiB(汎用6MiB+KPU用2MiB) |
| その他の専用回路 | 音声前処理(APU、最大8ch)、FFT、AES、SHA256 |
| 周辺機能 | DVP(カメラ)、FPIOA(ピン割り当て自由)、UART、SPI、I2C、I2S、GPIO、PWM、RTC、OTP |
| 製造と外形 | TSMC 28nm、BGA144(8×8mm) |
| 動作温度 | -40〜125℃ |
| 消費電力 | チップ300mW未満、用途全体1W未満(公式製品ページ) |
出典:データシート(概要)、データシート(KPU・SRAM)、データシート(電気的特性)、データシート(パッケージ)、公式製品ページ
普及:開発ボードとソフトウェア
K210の普及には、ボードメーカーのSipeedが大きな役割を果たしました。数ドルのボードとMicroPythonでの開発環境が、個人開発者や教育分野に広がりました。
Sipeed MaixとMaixPy
- 2018年9月: K210のテープアウトを受け、SipeedがMicroPythonの移植(MaixPy)を始めました。
- 2018年11月: K210を載せたM1モジュールとMaixボードをIndiegogoで販売しました。最小のMaix Bitは早期価格5ドル、カメラと液晶付きのMaix Goセットは22ドルでした。
- 2019年2〜4月: 最初のファームウェアv0.1.1 betaを公開し、v0.2.4でKPU、JPEG、LVGLなどに対応しました。OpenMV IDEをもとにMaixPy IDEも作られました。
- 2019〜2020年: M5StackのM5StickVへの対応、クラウドでモデルを学習できるMaixHubの公開(2019年12月)、Maix CubeとMaix Amigoの発売と、周辺が広がりました。
- 2024年4月: SipeedはMaixPy v4でCPythonに移り、K210向けの元のプロジェクト(MaixPy-v1)の保守を一時停止しました。
出典:Sipeed Wiki「MaixPy Development History」、CNX Software(2018年11月15日)
嘉楠(Canaan)の公式ソフトウェア
| リポジトリ | 内容 | 最終コミット(既定ブランチ) |
|---|---|---|
| nncase | モデルをKPU向けに変換するコンパイラ。K210はrelease/1.0の資料を使い、TFLite・Caffe・ONNXに対応 |
2026-03-02 |
| kendryte-standalone-sdk | ベアメタルSDK | 2021-09-24 |
| kendryte-freertos-sdk | FreeRTOS版SDK | 2021-02-01 |
最終コミット日は、2026年10月14日に既定ブランチを取得して確認したものです。K210向けの公式SDKは2021年を最後に更新が止まっています。nncaseは現在、K230向けのv2系が中心です(nncase README)。
K210が語り継がれる理由
K210が語り継がれる理由は、性能の高さよりも、安さと手軽さでAIを個人の手に届けたことにあります。
- 5ドルで手に入ったAI: 最小のボードMaix Bitは、Indiegogoの早期価格で5ドルでした(CNX Software)。
- チップ1つで完結: 8MiBのチップ内SRAMだけでCNNが動き、外部メモリが不要でした(データシート)。
- RISC-Vの先駆け: 嘉楠(Canaan)は「世界初の商用RISC-VエッジAIチップ」と宣伝しました。独立した裏付けはありませんが、回顧記事も同じ評価をしています(JPR)。
- コミュニティが育てた: MaixPy、MaixPy IDE、クラウド学習のMaixHub、M5StickVなど、メーカー以外が開発環境を広げました(Sipeed Wiki)。
- 今も語られる: 2026年6月、Jon Peddie Researchは回顧記事を出し、「The chip matters. The business didn't.(チップには意味があったが、事業はそうではなかった)」と結んでいます(JPR)。
後継への継承
K210の「RISC-V+自社製KPU」という構成は、K510とK230に引き継がれました。世代ごとに、Linux対応と映像処理が強化されています。
| チップ | 発表 | 主な変化 | 出典 |
|---|---|---|---|
| K230D | 2024年8月 | K230に128MBのLPDDR4を同じパッケージで内蔵したSiP版 | 新浪科技 |
| K230 | 2022年11月 | 玄鉄C908×2(1.6GHzでRVV 1.0に対応+800MHz)、第3世代KPU(INT8/INT16)、ISP 8MP@30fps、H.264/H.265。LinuxとRTOSを同時に動かす | 腾讯新闻、K230 Product Brief |
| K510 | 2021年7月 | RISC-V×2+DSP拡張コア×1(800MHz)、KPU 2.0(3 TOPSと発表)、外部DRAM対応でLinuxが動く。ISPとH.264 1080p60 | CNX Software |
| K210 | 2018年9月 | RISC-V×2(400MHz)、KPU、SRAM 8MiB。外部DRAMなし | データシート |
K230のKPUは、INT8でMobileNet v2を670fps以上、ResNet-50を85fps以上、YOLOv5sを38fps以上で処理できるとされています(K230 Product Brief)。公式製品一覧には、K230/K230D搭載のボードが16種類、K210搭載のモジュールが1種類載っています(Kendryte 製品一覧)。
事業撤退と現在
嘉楠(Canaan)は2025年6月23日にAI半導体事業からの撤退を発表しました。ただし事業は完全に閉鎖されたのではなく、設備は買い手に売却され、サイトとソフトウェア開発も続いています。ただし、誰が運営しているかは確定できていません。
撤退の理由(嘉楠(Canaan)の発表)
- 2024年度のエッジコンピューティング製品の売上は約90万ドルでした。それに対して、営業費用全体の約15%を使っていました。
- 嘉楠(Canaan)は2022年3月から、外部アドバイザーと第三者評価を使って、資産売却や段階的な縮小を検討していました。
- 撤退後は、採掘機の販売と自社での採掘に経営資源を集中するとしています。
出典:嘉楠(Canaan)の撤退発表(SEC 6-K、2025年6月23日)
撤退後の嘉楠(Canaan)は主力の採掘機事業も不振で、2026年第2四半期は売上3,190万ドル、純損失9,760万ドルでした(Q2 2026 決算リリース)。
撤退後に分かったこと
| 根拠 | 内容 | 出典 |
|---|---|---|
| 設備の売却 | 2025年度の20-Fに「エッジコンピューティング向けの設備を処分し、年末時点で買い手へ未引き渡しの46.4万ドル分を売却予定資産とした」と記載。買い手の名前はなく、関連当事者取引は「なし」 | 20-F |
| サイトの登録者 | kendryte.comの登録者が、2025年5月8日に杭州嘉楠耘智(嘉楠(Canaan)の子会社)から北京硅升科技有限公司に変わる。フッターは今も「© 2025 嘉楠」。 | icplishi、chinaz |
| 開発の継続 | CanMV K230のコミットは2026年10月14日にもある。嘉楠(Canaan)の社員アドレスによるコミットは2025年12月〜2026年2月に月数件まで減った後、3月以降は毎月4〜18件に戻った | GitHub |
| 新しい担い手 | 同じ開発者が嘉楠(Canaan)とsilicarise.aiのメールアドレスを併用。SilicaRise(SilicaRiseTech Sdn. Bhd.、マレーシア・ペナン)は、LLM向けAIアクセラレーターの技術者を採用している。 | SilicaRise、プライバシーポリシー、LinkedIn |
これらから、元の勘智(Kendryte)チームの一部がSilicaRise系の会社に移り、K230の保守を続けているという見方が最も自然です。
ただし資本関係や、設備の買い手がSilicaRiseかどうかは未確認です。K210そのものの公式SDKは2021年で更新が止まっており、現在の活動はK230向けが中心です。
おわりに
K210は、技術としては成功し、事業としては実らなかったチップです。
- 誕生: 採掘機ASICで培った設計力を生かし、2018年にRISC-Vで動く安価なエッジAIを実現しました。
- 広まった理由: Sipeedの5ドルのボードとMaixPyが、個人開発者にAIを届けました。
- 撤退: それでもエッジAI製品の売上は2024年度で約90万ドルにとどまり、嘉楠(Canaan)は2025年6月に撤退を発表しました。
K210そのものは一線を退きましたが、その考え方は後継チップと開発者コミュニティの中に残っています。
引用元一覧
調査日:2026年10月14日。各事実には出典リンクを付けています。
K210の公式資料
- K210 データシート(概要)
- K210 データシート(KPU・SRAM)
- K210 データシート(電気的特性)
- K210 データシート(パッケージ)
- K210 公式製品ページ
- kendryte-standalone-sdk
- kendryte-freertos-sdk
- nncase
普及とエコシステム
- Sipeed Wiki「MaixPy Development History」
- CNX Software「Maix development boards / Sipeed M1」(2018年11月15日)
- Kendryte 製品一覧
後継チップ
- CNX Software(K510発表、2021年7月9日)
- 腾讯新闻(K230発表、2022年11月30日)
- K230 Product Brief V1.0
- 新浪科技(K230D発表、2024年8月21日)
嘉楠(Canaan)の会社情報・開示
- Canaan 20-F(2025年度、2026年4月15日提出)
- AI半導体事業からの撤退発表(SEC 6-K、2025年6月23日)
- Q2 2026 決算リリース(SEC 6-K、2026年9月8日)
- Simpson Thacher「Canaan Completes Nasdaq IPO」(2019年11月26日)
- Yicai Global「China's Canaan to Release Its Second AI Chip This Year」(2020年1月16日)
撤退後の運営体制
- icplishi(kendryte.comの登録履歴)
- chinaz(kendryte.comのサイト情報)
- GitHub kendryte/canmv_k230
- SilicaRise 公式サイト
- LinkedIn: SilicaRise
第三者の回顧記事