こんにちは、anyのnerumaru(ねるまる)です。Xは こちら。
この記事は、anyプロダクトチームAdventCalendar2025、24日目の記事となります。
前回は日々のコンディションを“軽くデバッグ”する話を書きましたが、今回はその延長で「問い」にそっと触れてみます。
ふだん何気なく行っている“問いを立てること”を、一度だけ見つめてみると、思考の流れが少しだけ整うことがあります。
日々のコンディションを軽くデバッグするように、前提や方向性をやわらかく扱うための小さな試みについて書いてみました。
読み進める中で、どこか気になるところがあれば、
それは「考え方を少しだけ整えるヒント」になっているかもしれません。
はじめに
日々の仕事の中でも、個人的な内省の中でも、
私はいつの間にか「問い」と向き合う時間が増えていました。
ただ、その問いは大きなものでも、特別なものでもありません。
むしろ日常のなかでふっと浮かんでくる、“自分自身に向けた問い” です。
そうした問いと向き合うきっかけになったのが、私が静かに続けている “内省プロジェクト” でした。
プロジェクトを進めるうちに、問い方が少しずつ変わっていった感覚があります。
最初は、問いは “答えを探す入り口” のように思っていたのに、気づけば、問いへの向き合い方が違っていました。
その変化の詳細は本文で触れられればと思いますが、ここではひとつだけ共有しておきたいことがあります。
私が向き合ってきた問いは、一般的な「良い問い」のような話ではなく、
“自分の思考がどんな前提に立っているのか” を確かめるためのものだったということ。
問いは大げさなものではありません。
ただ、そっと触れるだけで、自分が立っていた前提が見直せることがある。
その小さな動きが、内省にも、実務にも、不思議と効いてくる。
この記事では、そんな “わたし自身の問いとの向き合い方” を手がかりに、
問いがどんなふうに働くのかを静かに整理してみたいと思います。
1|言葉にならない「ひっかかり」は、問いの入口だった
──深い問いはもっと身近に始まる
仕事をしていると説明も筋が通っていて、進め方も妥当に思える。
それでもどこかに小さな「ひっかかり」が残る瞬間があります。
ただ、ほんの少しだけ視点の置き場所がずれている。
この“言葉になる前のひっかかり”は、私自身の内省の中でも何度も役に立ってきました。
急いで答えを出そうとするよりも、この小さな気づきにいったん立ち止まると状況が整うことがあります。
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■ ひっかかりは「問題」ではなく、小さな合図
ひっかかりは、誰かを否定しているわけではありません。
むしろ、まだ言語化されていない“何か”があることを静かに知らせてくれるサインです。
- どこかがまだ整理しきれていない
- ひとつ確認しておくべき点がある
そんな小さな合図が、思考を自然に整えるきっかけになります。
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■ 実務では、こういう形で顔を出す
日々の実務のなかでは、技術職でもそうでなくても、ひっかかりは静かに顔を出します。
- 説明は整っているのに、どこか踏み込みが浅い気がする
- 話の筋道は合っているのに、意図の“出どころ”だけが少し曖昧に残る
- 共有された前提だと思っていたものが、人によって微妙に違っている
- 同じ言葉を使っているのに、その意味が人によってほんの少しだけ異なって聞こえる
私自身も、この“わずかな違い”に気づけたことで後の議論がスムーズになったり、
本来ふれるべき前提を早く見つけられた経験があります。
ひっかかりは、決して“否定”ではありません。
ただ、まだ取りこぼしているピースの存在を教えてくれるだけです。
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■ ひとつ問いを置くきっかけになる
ひっかかりに触れると、問いが自然に深まります。
何か大きなことを聞く必要はありません。
ただ「どこだったんだろう?」と一度ふわっと確かめてみる。
- どのタイミングでひっかかった?
- どの言葉が少し重く聞こえた?
- どの場面で理解が“横滑り”した?
この軽い観察が、次に続く前提を点検する問いの入口になります。
深い問いは、決して身構えるものではありません。
その始まりはいつも、
誰もが日常で感じているような小さなひっかかりです。
その合図にそっと触れることが、問いの深まりをゆっくり開いていきます。
2|前提に触れるということ
──問いとは“前提をそっと点検する技術”だった
説明も合っているし、流れとしても問題ない。
でも、どこかに小さなひっかかりが残る。
そんなとき、
その状況を支えている“前提”に触れてみたくなることがあります。
前提とは、いつの間にか議論の土台になっていて、
普段はあまり意識されないまま、話の流れを支えているものです。
- いつの間にか話の前提がそろっている気がしていた
- 誰も決めていないはずなのに選択肢が狭まっていた
- いまさら聞き返すのも違う気がしてそのままにしていた
こうした“暗黙の前提”が共有されているとき、議論は自然に進みます。
でも、その前提が実際とは少し違っていたり、気づかないうちに更新されていたりすることもあります。
そういうときに、小さなひっかかりが顔を出すのだと思います。
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■ 前提は、静かに議論の中へ入り込む
誰が悪いわけでもありません。
ただ、背景の条件が人によってわずかに違っているだけ。
たとえば、実務ではこんなことが起こります。
- 過去の経緯を前提に判断している人と、直近の意図で整理している人が混ざる
- ある仕様を“固定”だと思っている人と、“可変”だと思っている人が同じ会議にいる
- ひとつの制約だけが共有されていないまま議論が進んでしまう
- 目的そのものの捉え方が、人によって少しずつ違う
どれも“間違い”ではありません。
ただ、まだ言葉になっていない前提が動いているだけです。
ひっかかりは、その前提が浮上しようとしている合図のようなもの。
だから、最初の小さな気づきを大事にしたい。
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■ 前提に触れるとは、“揺らしてみる”くらいの軽さでいい
前提をひっくり返そうとする必要はありません。
むしろ、そんな強い力はほとんど要らない。
前提に触れるというのは、「これって今の状況にも合っているんだっけ?」とそっと確認してみるくらいの動作です。
たとえば、こんな軽い問いでも十分です。
- いまは何を当たり前だと思って話しているのかな?
- この前提はいつからそうなっていたかな?
- もし少し状況が違ったら同じ前提で考えるかな?
- 別の考え方も実はありそうかな?
どの問いも、強く否定するものではありません。
背景の“足場”をそっと確かめるだけです。
そして、前提が見えてくると、議論全体の輪郭が自然に整っていくことがあります。
前提は、会議や判断の中だけでなく、
自分自身の感じ方や行動にも静かに影響しています。
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■ 私自身も前提に触れることで物事の捉え方が変わった瞬間がある
内省の中で、自分が無意識に前提としていたことに気づく場面が何度もありました。
その前提は判断だけでなく、自分の行動にも影響していました。
たとえば、こんな感覚です。
「今はまだその話をするタイミングじゃない」
そう考えることはよくある一例です。
“物事には決められた順序がある”という前提が無意識にありました。
その前提に気づいた瞬間、前提そのものではなく、
それを当たり前として扱っていた自分の捉え方に目が向きました。
似た変化は、実務の場面でもよく起きます。
前提をひとつ見直しただけで、状況が整い始めることがあります。
どこを変えるべきなのか。どこは変えなくていいのか。
その位置関係が自然に見えてきます。
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■ 前提を点検する問いは、思考の“位置”を静かに変える
問いとは、答えを引き出すためだけのものではありません。
いま自分が立っている位置を、少しだけ引いて見直すための装置でもあります。
位置が変わると、見えるものが変わる。扱える選択肢も変わる。
前提に触れてみるというのは、まさにその“位置の移動”を起こすための小さな動作です。
無理に深い問いをつくろうとしなくてもいい。
前提を確かめてみるだけで、問いの方向が静かに整い始めます。
3|問いには階層がある
──三つの位置を知るだけで、思考は扱いやすくなる
前提に触れるという動作を考えるとき、私はいつも「思考にはいくつかの層がある」と感じています。
複雑な話ほど、一度にすべてを扱う必要はありません。
むしろ、どの層の問いを扱っているのかが分かるだけで、議論の負荷は驚くほど軽くなります。
ここで扱う “問いの階層” は、次の三つです。
- 現象の層
- つながりの層
- 前提の層
それぞれが別の役割を持っていて、触れる位置が変わると、見える範囲も自然と変わります。
まずは、この三つの層があるという地図をそっと頭の片隅に置いてみてください。
このあと、それぞれの層がどんな働きをしているのかを静かに見ていきたいと思います。
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■ 1|現象の層 — 目の前で起きていることを扱う層
三つの層の中で、いちばん外側にあたる層です。
この層では、まず「何が起きているか」をそのまま見ます。
ここでは、次のような問いが立ち上がります。
- いま、何が起きている?
- 目に見えて変わった点はどこだろうか?
- 変わったこと / 変わっていないことは何か?
- 事実として確認できているのはどこまでだろうか?
この層は具体的で、着手しやすい。
実務でもこの層から始まることが多いと思います。
ただ、この層だけを扱っていると、
起きている事実への対応に意識が寄りやすくなります。
その下にある仕組みに目を向けてみると、考えているテーマの見え方が変わることがあります。
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■ 2|つながりの層 — 物事がどうつながっているかを見る層
三つの層の中で、現象の一段内側にあたる層です。
目に見えて起きていることの背後で、物事がどうつながっているかを扱います。
ここでは、次のような問いが立ち上がります。
- 起きていることはどんな流れの中で生まれている?
- それぞれの動きはどこで影響し合っている?
- いまの判断は何をもとに考えられている?
- 情報や意図はどんな流れで伝わってきている?
この層では、目に見えている出来事そのものではなく、
それがどんな関係や流れの中で起きているのかに目を向けます。
たとえば、
- 一つひとつの判断は納得できるのに、全体として進みづらさが出ている
- それぞれ筋は通っているのに、全体として噛み合っていない
- 同じ話をしているつもりでも、前提としているものが少しずつ違っている
こうした「つながり」や「流れ」に気づけるのが、この層の特徴です。
つながりの層に触れると、
状況を“点”ではなく“まとまり”として捉えられる感覚が生まれます。
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■ 3|前提の層 — なぜ、そう捉えているのかを見る層
三つの層の中で、いちばん内側にある層です。
起きていることやそのつながりを支えている「当たり前」や「前提」に目を向けます。
ここでは、次のような問いが立ち上がります。
- その流れは、何を前提に組み立てられている?
- その判断は、何を前提にしていたんだろう?
- この関係性は、なぜ自然だと思えているんだろう?
- いまも前提は、そのまま変えずに考えてもよさそうかな?
前提に触れると、ときには捉え方の定義そのものが変わります。
私自身、内省の中で前提を見直した瞬間に、
「そもそも悩む必要がなかったのかもしれない」
と思わされる場面もありました。
前提に触れる問いは、扱う範囲を広げるのではなく、
思考の位置を静かに移動させる問いなのだと思います。
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■ 三層は “どれが正しい” ではなく、“どこに立っているか” を理解するための地図
-
現象
- 「何が起きているか」を見る位置
-
つながり
- 「どうつながっているか」を見る位置
-
前提
- 「なぜそう見えているのか」を見る位置
これらの層は、何かがうまくいっていないときだけのものではありません。
順調に進んでいるときや、これから考え始めるときにも自然に使うことができます。
深い層に立つことが、常に正しいわけではありません。
状況によって、
必要なのは現象の層かもしれないし、つながりの層かもしれない。
大切なのは、いま自分が、どの層に立って考えているのかを自覚していることです。
それだけで、混乱は減り、判断の質も静かに整っていきます。
三層は、優劣の話ではありません。立ち位置の違いです。
立ち位置が分かると、問いは無理なく生まれ、状況の整理も自然に進み始めます。
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■ ひっかかりが生まれるのは、層が少しだけ混ざっているサイン
最初に出てきた「ひっかかり」は、
層が少しだけ混ざっているときに生まれやすい感覚です。
- 現象の話をしているつもりが、相手はつながりの層をみている
- 前提が揃わないまま、つながりの整理に入ってしまっている
- それぞれ違う層の前提で話しているのに、同じ議論をしているつもりになっている
そんなとき、わずかに“位置が合っていない感じ”が生まれます。
その小さな違いに気づけると、「どの層から整えればよさそうか」が自然に見えてきます。
問いが深まるとは、複雑さに立ち向かうことではなく、
どの位置に立って考えるかを、丁寧に選ぶことなのかもしれません。
3.5|ちょっとCM
──ここで一度、思考を休めてください
ここから先は、問いが「進むため」だけでなく「整えるため」にも使える、という話に入ります。
ここまで、問いの三つの階層を見てきました。
少しだけ頭を使った感覚があるかもしれません。
いったん、深呼吸してみてください。
ここから先の章を読みやすくするための短い“休憩”の時間です。
もしこの記事が本当のCMなら、こう言っていたかもしれません。
「前提に迷ったあなたへ──
今日から使える“そっと立ち止まる技術”、好評発売中です。」
もちろん何も発売はしていませんが、思考にはたしかに “間” が必要です。
私自身、内省を続けるなかで、問いは進むためだけでなく、
止まるためにも使えるということを知りました。
次の章では、その話を少しだけしてみようと思います。
4|問いは流れを止める装置
──立ち止まることは、後退ではなく整える動作だった
問いには、何かを前に進める役割があると思われがちです。
もちろんそれも一つの側面ですが、
状況が複雑になるほど大切になるのは、
むしろ一度、流れを止めてみることでした。
「止まる」と聞くと少しだけネガティブに聞こえるかもしれません。
でも内省を続ける中で、私は止まるという行為が思考を整えるために欠かせないことを少しずつ感じるようになりました。
問いは、その“止まるきっかけ”として働くことがあります。
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■ 止まることで、静かに輪郭が戻ってくる
話がスムーズに進んでいるときほど、
立ち止まるきっかけが見つからなくなることがあります。
- 何となくこのまま進む流れになっている
- ひっかかりはあるけれど、今は触れなくていいと感じている
- 立ち止まる理由が見当たらず、話がそのまま先に進んでいく
スピードそのものは悪くありません。
ただ、速度が上がるほど自分たちが“どこに向かっていたのか”を確かめる余白がなくなります。
問いは、その流れの中にそっと立ち止まる余白をつくります。
強く止める必要はなくて、
小さく息を吸い直すような、そんな軽さで十分です。
その一瞬で、ぼやけていた輪郭がふわっと立ち上がることがあります。
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■ 止まる問いは、広さではなく“深さ”をつくる
問いには、選択肢を広げるものもあれば、視点をいったん足元に戻すものもあります。
止まるための問いは、後者に近い。
- 「いまの前提をもう一度確かめてみてもいい?」
- 「この話は本来どこを大切にしたかったんだっけ?」
- 「状況が変わったとしたら、どこから考え直すのがよさそう?」
これらの問いは、誰かの意見を否定するためではなく、
一度、自分が立っている足元を確かめ直すための問いです。
思考の深さは、速度を落としたときにあとからついてくるものです。
問いは、そのためのきっかけになります。
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■ 私自身、“止まること”への感情が変わった時期がある
内省の中で、
私は「止まる=遅れる」ような感覚を持っていたことに気づきました。
走り続けていたほうが安全だと、どこかで思っていたのかもしれません。
でも、思い切って一度だけ歩みを止めてみたとき、むしろ視野が広がった瞬間がありました。
- いつの間にか、昔の前提に沿ったまま判断していたこと
- 分からない部分を因数分解しきれないまま、立ち止まらずに進んでいたこと
- 目的と手段の関係が、少しずつ噛み合わなくなっていたこと
不思議なことにその“止まる一歩”があってからは進むことに対するためらいも減り、
判断が前よりも柔らかくなった気がしています。
止まることは、後退ではなく、
思考を整えるための静かな時間だったのだと思います。
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■ 立ち止まる問いは、安心を取り戻す
一度止まってみると、不思議と焦りではなく安心が生まれます。
- 前提が揃う
- 自分の立ち位置が見える
- 何を優先すればいいかが自然に分かる
問いには、前に進ませるための問いと、そっと立ち止まるための問いがある。
この二つがそろったとき、思考は無理なく深まり、迷いの形もゆっくり整っていきます。
最後に問いの先に残る感覚を少しだけまとめて、締めくくりに向かいたいと思います。
終わりに
──問いは、いつでも小さく扱っていいものだと思う
ここまで、“問い”というものを少しだけ丁寧に見てきました。
ひっかかりに気づくことで、問いが始まり、
前提に触れてみると、思考の立ち位置が少しずつ整い、
三つの層を行き来できるようになると、状況が扱いやすくなっていき、
問いには、進むためのものと、立ち止まるためのものがある。
どれも特別な技術ではなく、日々の仕事の中で知らず知らずのうちに行っている、思考の切り替えに近いものです。
内省を続けるなかで私自身、
“問いは構えるものではなく、ただ扱い方があるだけ”という感覚に少しずつ変わっていきました。
問いを正しく使おうとしなくても大丈夫です。難しく考えすぎる必要もありません。
ただ、
- ひっかかりに軽く触れてみたり
- 前提をそっと確かめてみたり
- 思考の切り替えを、ほんの一瞬だけ入れてみたり
そんなささやかな思考の切り替えでも、状況はゆっくりと整っていくことがあります。
問いは、急かす道具ではなく、
安心して状況に触れるための、ささやかな装置なのかもしれません。
この記事が、問いを少しだけ身近に感じるきっかけになっていたら嬉しいです。
問いは、いつも前に進むために置かれるわけではありません。
それでも、ときどき、触れずにはいられない問いがあります。
最後に一つだけ——
あなたは最近、「問いによって立ち止まれた瞬間」はありましたか?
あとがき
ここまで読んでくださって、ほんとうにありがとうございます。
問いの話って、文章にすると少しむずかしく見えてしまうのですが、
実際にはもっと軽くて、日常の中にふつうに転がっているものなんだと思います。
今回まとめながら、「あ、問いってこのくらいの距離でよかったんだな」と自分でも少しだけ感じ直すところがありました。
今日から使える“そっと立ち止まる技術”。
発売ではありませんが、この記事をもって、そっと大公開です。


