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アラサー未経験からのIT転職 ブラック企業編

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はじめに

私はアラサー未経験でIT業界に転職した。
そんな私のスペックはこちら。

  • 大学2留
  • 卒業後、ニート
  • 職歴なし

異常なまでに低スペックであるが、就職はできた。
できた…。

その詳細な経緯についてはこちらの記事をご参照していただきたい。
https://qiita.com/neet_se/items/1740f5fde60cb9c06e5f

転職は終わりではない、始まりである。
今回はアラサー未経験で転職した後の話。

現在、未経験で転職活動をされている方には何らかの参考になればと私は嬉しい。
実際に働かれている方の一部にはご共感いただければなとも思う。

そして、これは私の懺悔でもある。

一週間の研修

内定を受諾した後、半年以上に及び悪あがきをしていた私はのんびりと年末を過ごしていた。
そんな折、唐突に会社から連絡を受けた。

「年末の予定は?」

「特にないですけど…」

年明けから入社という話であったが、一週間予定を繰り上げて入社できないかと提案された。
急にプロジェクトで人が必要になったとのことで、当初は1月丸々研修の予定だったが予定を繰り上げられないか。
代わりに年末一週間で研修をするということだった。

別に断ってもよさそうな雰囲気はあったが、当時の私は無駄にやる気があったので、

「はい!大丈夫です」

と二つ返事でOKした。

前兆

研修とはいえ一週間で大したことができるわけでもなく、ひたすら基本情報技術者の午前試験を解くというものだった。
「余裕があればC言語も勉強しろ」とのことだったのでC言語で簡単なソートのプログラムを書いたりしていた。
正直、退屈でしようがなく、早く働きたかったので一週間が明け年末を迎えたときはとても嬉しかった。

そして、研修最終日ーー

「こういう認識で頼む」と言われ、手渡されたのは自分のスキルシートだった。
そこには「半年間データセンタに勤務」という文言が記載されていた。

私はゲームの説明書とかスルーされるタイプなので、そのときは「ふーん」としか思わずにスルーしていた。
自分がブラック人材であることも自覚していたし、「しようがないのかな…」とも思っていたと記憶している。

これが全ての誤りの始まりであった。

初めてのプロジェクトは大炎上

私はインフラのスクールに通いサーバーエンジニアとして入社したので、インフラ系のプロジェクトにアサインされることとなった。
仕事内容は某銀行の次期システムのインフラの設計・構築といった内容。
インフラに未経験者が入った場合、通常、オペレータや障害対応などの運用保守業務からスタートすることが多いため、かなり「業務内容には」恵まれていたと思う。

あくまで「業務内容には」と強調したい。

プロジェクトが炎上していることに気づくのに一週間もかからなかった。
夜中まで飛び交っているメール、徹夜続きのプロジェクトリーダー。
私も入って二ヶ月目には残業80時間を超えた。

だけども、割と楽しかったとも思う。
手順書を作ったり、サーバを構築したりする作業は今まで勉強していたことと直結するし、少しずつできていく過程を間近で感じるというのはとてもやり甲斐を感じた。

しかし、徐々に黒い面に触れることとなっていく…。

作業報告書を改ざん

月末になると、稼働調整のため休みに入る人が多かった。

SESの契約とは「月あたりの稼働時間」をベースとした契約である。
稼働時間の下限上限が140-200時間といったように定められており、下限を割れば会社に入る金額が減額、上限は追加のチャージとなる。

私の所属していた会社は請負でやっていたため、そのあたり関係なかったが問題は下についている協力会社のパートナーさん達である。
パートナーさんたちはSESの契約でやっていたため、上限を超えると追加のチャージが必要となる。
逆にこちらは請負であり会社に入る金額は一定なので、追加のチャージが必要となると利益が目減りする。

なので、私の所属していた会社は追加のチャージを払わないよう、上限が超えそうになるとパートナーさんを休ませるようにしていた。
しかし、それでも仕事のピークとなると休ませることはできなかった。
では、どうしていたのかというと…

「追加のチャージを請求する根拠となる作業報告書を改ざん」

つまり、上限200時間のところ210時間働いたら10時間消すということである。
その交渉・実行役に私が任ぜらることとなった。

薄々気づいていたが、このとき改めて「この会社やべーな」と理解した。

そして、私はしばらくパートナーさんの稼働時間を消す業務をしていた。
それどころか、プロジェクトリーダーの稼働時間を消す業務もしていたw
プロジェクトリーダーの残業時間がサブロク協定の年間上限を超えそうだったからだ。

私は間違いを重ねた。

炎上プロジェクトを脱出するも

就職から約半年後…プロジェクトのピークは抜け、ピーク時を乗り切る要員としてアサインされた私はお役御免となった。
次の行き先は同じ銀行の中で別のプロジェクトにアサインされるだろうという話だった。

炎上プロジェクトを抜けられると安心していた私に会社の営業が手渡したスキルシートはこうなっていた。

サーバ設計・構築:経験2年
ネットワーク設計・構築:経験1年
Java開発業務:2年

私は半年あまりで5年分の経験をしていたらしい。
流石にこのときは目を疑ったが、その時は炎上プロジェクトから離れたい一心で何も考えないことにした。

私は更に間違いを重ねた。

行き先はまともだった…?

2つ目の案件の内容は業務用WEB画面の改修であった。サーバー側の処理はJava、DBはOracleという組み合わせ。
私は改修する追加要員として呼ばれたのだった。

この時点でEclipseなんて触ったこともなかったのだけれどw

稼働時間という意味では、残業はほぼ発生せず、あっても〜10時間ぐらいとまともなプロジェクトだった。
かなりスケジュールが余裕を持って見積もられていたプロジェクトだった。

しかし、私はここで逆に定時内に仕事をきっちり終わらすことの難しさを知った。
Javaを勉強しながら手探りだったのもあるが、毎日15分単位でスケジュールを組まされ、それが遅れると逐一報告しなければならなかった。
かなり時間にシビアなプロジェクトだった。

残業が多く時間感覚が皆おかしくなっていて非常に時間にルーズだった前のプロジェクトとは対極で「作業時間を見積もりコントロールしつつ、作業をする」ということの難しさを知った。

それも全くやったことのない技術でw

遅延気味となるが、ひたすら叱責されまくる日々だった。
教育自体はかなりしっかりしており、教育の一環として私のためにやってくれているつもりだったと思う。

しかし、私には逆効果だったw

肉体的には休めたが、精神的に疲れてしまった。
そして、私はこのプロジェクトは半年未満で退場することとなった。

私のスキル不足・適正不足の面も大きい。
今思い返すともっとやりようはあったと思うが、後の祭りである。
本当に今だからこそ思うことだった。

時間やタスク管理、交渉などの色々な段取りについて教わり、当時は全く理解できなかったが今にして思えば「間違いなく正論だった」と思うことも多い。

半年でJavaのスペシャリストに!

次にアサインされたプロジェクトは通信系のプロジェクトとなった。
このときはスキルシートの提出もなかったらしく、先方にはふんわりと「Javaのスペシャリスト」と伝えられたらしい。
本当にいい加減なものである。

内容は同じく業務用WEB画面の改修であった。
気づけば、私はインフラから引退しJavaエンジニアとなっていた。

振り返れば、WEBはサーバとの関係が非常に高い分野なのでインフラで培った技術を転用でき、割とコンバートしやすい方だと思う。(あくまで他のアプリと比べればだが…)
これがJavaでAndroidアプリだったりしたら、また話が別だったのかなとも思う。

この時の私の心境は諦観に支配されつつあったと思う。
「もう好きにしろよw」といった感じだった。

ちなみにお客さんには歓迎会の席で「僕は一年目です」とすぐ自白した。
なんとなく察されてたようで、「あ、やっぱり!」といった感じで諦めと悲さの混じった顔が印象に残っている。

ここでは本格的にHTML/CSS、JavaScriptなどのクライアントサイドの技術にも触ることとなった。
担当機能は業務上必要な情報を地図上に映すというもの。
OSSにも触れ、かなり面白い案件だったと思う。

しかし、仕事が段々楽しくなってきたのだが、私は半年ほどであっさりと捨てられてしまった。
次にやる案件が延期になったということもあり、お払い箱となった。
クビを宣告されたときはそれはもうこの世の終わりのような顔をしていたと思う。
このプロジェクトのことを凄い気に入っていたからだ。
最終日の帰り道の先輩との会話が印象に残っている。

先輩 「まぁまぁ!気を取り直して!」

私  「今まで色々我慢してきたのに、どう気を取り直せと?」

先輩 「………」

私  「私はそのうち辞めます、会社の人達は好きだけど、上はDQNだしそれを許容している人達が許せない」

この時、私は転職活動を決意していた。
とはいえ、この時点で1年と少ししか経過しておらず、もう少し時間を空けて転職するつもりでいた。
所謂、思考停止の「石の上にも三年」というやつである。

私は更に間違いを重ねた。

捨てる神あれば何とやら

次に向かったのは同じ通信系のプロジェクトであった。
このときはもうスキルシートの改ざんや経歴詐称は行われなかった。
会社的にはもう別に盛らなくていいと思ったか、あるいは匙を投げられたか。w

業務内容は引き続き業務用WEB画面と業務用アプリケーションの作成。
オフショアも挟みつつ、日本で部分的に作るといったプロジェクトだった。

仕事に慣れたのもあるが、心身の負担が減ったためか、ようやくこのあたりで調子が戻ってきたと思う。

このプロジェクトはトータルで一年いた。
「経歴詐称からの捨てられ」を繰り返していた私だが、このときは捨てられなかった。
何故なら、今度は捨てられる前に私が捨てたからだ。

エスケープ!

仕事を初めて1年半ほど過ぎた秋、かつてないぐらい仕事が暇だった。
「今だな」と思い、私は転職活動を始めた。
結果、3週間で内定を手にした。
行き先はまたSES事業をしている企業だったが、とにかくもうこの会社から離れたかったw
年収などの待遇向上も勝ち取ったため、迷わず辞めることにした。

思えば、私はここでまた更に間違いを重ねたのかもしれない。
とにかく、私は抜けたかった。
ただただ、あの会社から抜けたかったのだった。

同業種に転職となると何されるかわからなかったし、退職理由は同業種に転職ではなく家族都合とした。
退職を告げたら、家族のことまで罵倒されるなど結構ヤバかったが、割とあっさり抜けれた。

まとめ

転職するときはもう少し考えて転職するべきだったと後悔しかない。
自分がブラック人材であるということを自覚しているのもあり、「就職できればよいやw」ぐらいの気持ちだった。

もし、未経験から転職しようとしている人は「ブラックであるリスク」も考えて行動したほうが良いと思う。
私の体験はまだ全然可愛い方だと思っていて、私の体験より酷い話を聞くことも多い。
人によってブラックの定義は違うと思うが、私は特に下記3点のうち、どれか1つに該当すればブラックだと思う。
私の場合は1、2番目に該当していた。

  • スキルの身につかない作業の残業が多い

  • 詐欺行為を行っている

  • 金銭面が相場より著しく安い

別に業態は関係ない。
IT系の転職で勝ち組と言われている「WEB系自社サービス」も「受託開発」でもいくらでも黒い話は聞く。

未経験の人はこうした経験をしてしまう可能性を考慮しても「それでもIT!」と言うならば私は応援する。
私ははっきり言ってクソッタレな経験をしたが、私はそれでもITだと胸を張って言える。
基本的にお気楽なので少しずつでいいから上昇していけばいいやとさえ考えている。

あなたは「それでもIT」ですか?

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