去年のIoTLT Advent Calendar 2018 の「文明のHack」
https://qiita.com/nanbuwks/items/9f3f3d67b7222ad6d397
の続編です
今年もIoTLT Advent Calendar で書かせていただきますが遅くなりました。すみません。
変な発明 ヴィクトリア朝時代
ヘンテコリンな発明。
これらは19世紀の発明ブームに湧くアメリカのもの。わけのわからないものがいっぱい。
この時代、依然として文明の中心はヨーロッパだった。一方でアメリカにおけるこれらの発明はおもしろおかしいとして揶揄されることが多い。けれども、この時代はこういった発明ばかりではなく、以下のようにビッグな発明も多数なされていた。
- 1876年 グラハム・ベルが電話機を発明
- 1877年 エジソンが 蓄音機を実用化
- 1896年 ヘンリー・フォードが 自作4輪自動車を作成
この時代のアメリカはへんてこな発明だけがなされていたわけではなく、かといってビッグな発明だけがあったわけでもない。無数の発明家が競っていた時代であり、ブームというべきものだったのだ。
産業基盤
なにがこのブームを引き起こしていたのか? それは南北戦争後の大量生産で、発達した材料や規格化した部品が手に入るようになりアイデアの実現の幅が広がったこと、また知識の共有化によって、それまでは情報共有なくこつこつやる状態から開発の速度が加速したのである。
文明の基盤
その後、20世紀においてアメリカは超大国として、軍事、経済や文化の中心として世界の中心となっていく。
この当時、アメリカは19世紀当時はまだまだ二流であった。
しかしながら、一流になる文化の厚みがそこで熟成されたのである。
メイカーの価値
現在、メイカーはブームだ。電子工作やファブリケーションが一般の人々にも受け入れられつつある。そしてメイカーを取り巻くアイデアの土壌とそのアイデアを具現化するしくみが、イノベーションにつなげると注目されている。
メイカーの特性はそれぞれの国により違い、特に日本ではアイデアを無駄に実現した、おもしろい作品が多いのが日本の特徴である。それはビクトリア朝時代の発明品と通じるように見える。
さて、現在のメイカーは、かつての19世紀のアメリカの発明ブームのようにこれからの未来を支える土壌となるであろうか?
なぜイノベーションに繋がると考えられているのか。メイカーを支えるしくみとしてオープンコミュニティ、整備されたライセンス、発達した流通、小ロット生産システム、高速プロトタイピングなどが出現しており、それらを活かしたエコシステムが新しいものを生み出す活力になっているとされているためだ。
しかし、イノベーションイノベーションと言われているがイノベーションはそもそも必要なのか。
メイカーも一過性のブームで終わるのではないのか。
そうではなく、文明になくてはならないものになっていくのだろうか?
今回は、メイカーをとりまく要素のうち、制度化された自由が人類に本質的に必要かどうかということについて考えてみます。
オープンソースハードウェアの基盤
現在のメイカーブームの隆盛は、それは個人が自由に具現化できるというところが大きい。それはオープンソースで誰でも使えるソフトウェアや、ハードウェアができていて、誰でも利用できるからである。特に、Arduino や Linux , RaspberryPiなど。
ハードウェアのオープンソースについては、まだまだその概念は発展途上だ。ソフトウェアのオープンソースでは、ライセンスを明示することが必須であり、更にメジャーライセンスに合致するかどうかということが吟味されている。しかしハードウェアにおいては、例えば上記のRaspberryPiは多数の情報が公開され、オープンにノウハウが共有されていて使われて利用の自由が担保されているが、ハードウェアの重要な情報をメジャーライセンスを明記して公開していない。
そういった例外も多々あるが、しかしながら本論ではメジャーライセンスのありかたを前提として進めていく。
自由主義とオープンソース
オープンソース、OSSとして今での主流は Apache や BSD ライセンスであるが、ここに至るまでに重要な役割を果たしたものはGPLだ。それはユートピア社会主義の香りを帯び、技術の進歩が障害を克服し自由なバラ色の未来を拓くというカリフォルニアンイデオロギーであり、それは1960年台のヒッピーの流れを組んだものである。
更に遡るとそれらは自由主義の思想に基づいている。
さてオープンソースに対するものとして特許制度がある。しかしながらこれは相反するものではない。本来は特許制度は独占のためだけのものではなく、その本質は自由な出版によって特許を公開し、再利用の枠組みをつくったものである。これは特許はつかっていけないというものではなく、再利用のためには明示された特許保持者と交渉して利用券を得るか、自由利用までの期限を待つかというルールを明示したものだ。
OSS、特許制度などを含め、知的財産の管理概念は、いずれにしても自由経済を前提としたものであり、自由経済は人間の自由精神の概念に行き着く。
制度化されていない自由
さて、21世紀になり超大国として中国が浮上してくる。中国は市場が自由経済のように振る舞っている。少なくとも官公庁の指導や業界の中での慣習、閉鎖的な消費者などに縛られている日本よりはるかに自由度が高く、アクティビティが高い。
ITやIoTの世界では深センの速度が注目され、イノベーションエンジンとして注目を浴びている。しかしながら実質自由経済が実現していながら、人間の自由精神の概念は担保されていない。人間の自由精神の概念抜きで、
- 自由経済
- 知的財産の管理概念
- オープンソースライセンス
- オープンソースハードウェア
- メイカーズの活動
- 新製品を生み出す活力
- 次世代への土壌づくり
これらは実現できるのだろうか? それとも、ライセンスなどはハナから無視した全く別の体系でメイカーズやイノベーションを実現できるのだろうか?
イノベーションに必要なもの
秘密主義な環境でも、それに属する知財を活用できる人間がいれば革新的なものはできる。小数の天才さえいればイノベーションを起こすことはできる。
しかしながら社会そのものを変えていくためには、あらゆる場所であらゆる発明が起こっていることが必要であり、層を厚くするというのが社会全体を変えるためには必要である。曹を熱くするためには、素人が思いったった時にアクセスできるパスが必要だ。
それに必要なものは自由闊達さであり、スピードであり、既存のもの破壊を許容する環境である。そういったことが実現できるのなら、制度化しなくても良い自由があればいいのだろうか。
ここで、制度化しなくても良い自由があればというのは今までの中国で起こっているイノベーションを指している。とは言っても、現在深センなどでは知的財産の遵守・尊重を重視する流れに向かっている。その趨勢はいずれライセンスを遵守した西洋資本主義の知的財産保護に近づいていくだろう。
しかしながらもし、かつての中国のように知的財産が不明なものとして勝手におこなう自由さを許容するものがあればそれは新しいものを生み出す力になるのだろうか。
そのとき、鍵になるのは流動性である。つまり、ライセンスを気にせず空気のように使えるかるならそれに越したことはない。
我々自身も、今後開発のスピードが加速していくことを考えると、オープンソースソフトウェア/ハードウェアの利用には機械的に再利用可能なライセンスかどうかを判断するしくみを導入することは必須になるに違いない。それを考えるとメジャーライセンスが必要である。ライセンスの判断に時間を取られることがなく、空気のように使えるようになることが重要である。
ライセンスが空気のように使える用になるかという観点から、メジャーライセンスの基となったGPLに焦点をあてて考えてみる。
自由は理念として必要か?
先に述べたGPLは過激な原始共産主義のようなものから成り立っているがそれは西洋自由主義理念であり、人間の個としてのアイデンティティと精神の自由に立脚したものである。
メジャーライセンスは、立脚点であるそれらの自由を全面的に肯定しないと成り立たないものであろうか? それを否定しながらメジャーライセンスを作っていくことは果たしてできるだろうか?
理想の価値
ここで、オープンソースライセンスとは別の流れとして法哲学についての議論を参照してみる。
マイケルサンデルの講義で、このような言葉がある
法哲学を学ぶ価値があるかどうかという議論は紀元前から行われてきた。この議論はマイケルサンデルの講義をぜひとも直接参照していただきたい。
法哲学を学ぶことの価値、それは危険な思想などを思い巡らすことの価値を認めるかどうかであり、それは議論の自由、精神の自由に基づいて理想というベクトルを追求できるかということだと思う。
絶対に行き着くことのできないことがわかっていても、それは理想をあくまで保持して行かなければならない。
かつてビクトリア朝時代のアメリカでは、政治的には汚職などが蔓延、経済も悪徳的なものがまかり通っていた。
現在のアメリカでは、決して解決しているということはないが、その当時から右王曲折しながらも当時と比べると劇的に改善しているのは違いない。それはあきらめずに理想を力強くないかも知れないが持ち続けた先人達の成果であろう。
理想は各人によって違うが、理想に向かうという支柱無しで未来を良くすることはできない。それのために、一時的な優先順には変わるとしてもそれは第一においてゆかねばならぬ、理想を求めるための人間の自由精神の概念は、あきらめずに保持していかねばならぬと考えるのである。
その考えを基にメジャーライセンスを守っていく方向に、とりあえずは向かって行こうではないか。