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テクノロジードリブン社会の方法論

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コンピュータテクノロジーの発展は善か悪か?

かつては、テクノロジーは管理社会につながり民主主義に反するということが論じられたことがありました。
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ジョージ・オーウェルの小説 「1984」のビッグブラザーのような管理社会のためにコンピュータテクノロジーは使われるという考え方です。
一方で、OSS の思想の源流にはカリフォルニアン・イデオロギーとも呼ばれる、コンピューターテクノロジーで全て解決して善き未来が拓かれるという考え方があります。それは形を変えながら現在にまで到達していて、技術主導イノベーションの原動力のひとつになっています。
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Creative Commons Attribution-Share Alike 2.5Generic
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5/deed.en
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Californian_Ideology

果たしてコンピューターテクノロジーの発展は善なのか、それとも悪なのか?
・・・しかしながらコンピューターテクノロジー自体はそれそのものが直接的な善・悪ではありませんね。コンピューターテクノロジーに限らず、その他の物事も直接的な善悪というものはほとんどなく、どう人間が使うかによって善か、悪かという属性が付きます。人間の使い方によって決まるとしても、何を以て善か悪かを判断しましょうか。

ここではコンピューターテクノロジーが使われることにより、社会が善くなるか、悪くなるかということで考えてみましょう。

先に挙げた、管理社会的な批判は全体主義・権威主義・監視社会・弾圧のツールとして使われるということになっています。それに対しカリフォルニアン・イデオロギーでは社会の発展がそれによってもたらされ、コミュニュケーションの発展が民主主義に善き発展をもたらすということになっています。

社会の発展についてもたらされる善というものは、リソース不足や貧困による問題が豊かになることで解決するということでしょうか。これについて後に議論するとして、先に民主主義的に発展をもたらすか管理社会のツールになるのかいう尺度を今回考えてみます。

まず、管理社会的な国家は民主主義とは反するのでしょうか? ところが管理社会を目指す諸国家においても、多くは自らを民主主義国家であると主張しています。その言い分だと、西欧的民主主義は絶対ではなく別に成り立つ民主主義体制であるということになっています。ここでは話をわかりやすくするために、「民主主義」を「自由民主主義社会」という概念であるという考えで勧めていきます。

では、自由民主主義社会 (リベラル・デモクラシー)に与すると善、反すると悪という定義でいいのでしょうか?

自由民主主義(リベラル・デモクラシー)とは

  • 人権の尊重
  • 自由の保証
  • 直接/間接民主制
  • 権力分立
  • 文民統制
  • 公明性

などによって自由民主主義が構成されていると考えてみます。

単なるデモクラシーに留まらず、自由民主主義が文明に必須という考え方は20世紀末に国際社会でのコモンセンスとなったように見えました。
人類文明は20世紀において世界大戦や冷戦、グローバリズムを経て多大な犠牲の上で検証してきた結果としてこれを選び取った経緯があります。
しかしながら理想として選び取ったといっても今なお決して実現できているわけではなく、実情は様々な問題を抱えています。

理想と挫折

前記の自由民主主義の要素について、理念として目指した試みと挫折してしまった例を掲げてみます。

文民統制

1965年から10年間続いたベトナム戦争。これの当事者であった米国は軍を完全に統制しようとしました。超大国間の紛争に発展することを防ぐという政策立案者の意図を通信技術の進歩により末端に厳しく浸透させようとしたが、現実的ではない交戦規程によって戦術が著しく阻害され米国の敗戦に結びついたとされています。
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その後、湾岸戦争においてはそれを克服し円滑な軍事作戦が実行されました。しかしながら軍が完全にコントロール下にあったとは言い難い問題がありました。

自由の保証

言論の自由は自由主義にとって必要欠かさざるものです。検閲を受けて問題のない発言のみ許される、いわゆるホワイトリスト方式は自由主義に相いれず、必要最小限の禁止事項を守るブラックリスト方式での運用を前提となります。電子メールはこれと同じような考え方であって、検閲を受けなくとも発信は可能であり、特に初期は性善説で運用してました。しかしながら1978年に最初のSPAMが現れ、1990年代にSPAMがポピュラーになり、近年では総メールの約半数がSPAMになっています。多大な問題を引き起こしながら、それでもなおメールを送る権利は制限されません。
同じような問題を大規模に行っているフェイクニュースは、目的を持った勢力が米国の大統領選挙に影響を与えようとするなど、民主主義や市民社会への深刻な攻撃にまで発展しています。

公明性

民主主義の運用が公正になされていることの担保として、様々なチェック機構があります。三権分立やマスコミによるチェック、公文書記録などがある。しかしながら近年の日本ではチェック機構に対するごまかしや恫喝、アーカイブの改竄が平気で行われていることはご存知の通りです。

人権の尊重

性善説で運用していた社会は、9.11テロの災禍を受けて人権を侵害してテロ対策を行うという方向に大きく舵を振りました。
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米国では2015年に米国自由法で改善しましたが、この大きく舵を振ったことでテロリストには人権を侵害してもよいというコモンセンスが21世紀初頭の国際社会に浸透、現在の管理主義国家の台頭につながった経緯があります。

アンチテーゼとしての中国

こういった自由民主主義についての多くの問題に対し不満を持ち、別の方法を望む市民は多くいます。その別の方法というのは自由や人権を制限し、強権を奮って国力を増進させるという方法です。
そしてその現在の最右翼として中国(中華人民共和国)があります。

中国は米国の2000年代初頭からの宥和政策によって民主化が進むことが期待されていました。しかしながら2010年に習政権になってから逆に独裁的傾向を強め相当な強権的国家となっています。
強力な治安維持により、貧困を撲滅し経済を発展させ経済を成長させるという成果のために現在の路線は中国国民から支持されているようです。
実際に経済成長が実現していて、お金もあって、スピードの速さも驚異的です。
NHKのドキュメンタリーでは、分野の素人が思いつきでプレゼンし、その日のうちに投資を受ける様子があったりしました。

製品開発にしても、研究開発にしても資金があってなおかつスピードが早いというだけで様々な問題が解決しそうでです。

中国モデルの社会統治と日本のピボット

さて、日本社会は30年の停滞を続けています。1990年代において日本は経済成長を目指さない選択をしましたが、現在においてはやはり経済成長が必要ということで揺り戻しが起こっています。

そして経済成長を促す解法として中国のような強権的なものを模索しているように見えます。不満を抑え込んでしまっても、結果的に経済成長やパンデミックの押さえ込みができればいいという考え方です。

先に述べた中国の圧倒的なダイナミズムに圧倒されて、技術革新を社会に導入という面と、政治主導での改革の手法という2つの面で中国モデルに憧れている感があります。

中国モデルでのテクノロジー

中国でのダイナミズムについては、以下の手法のようなものが特に深センでトップスピードで走っています。

  • スマホ社会
  • スコア社会
  • PoC
  • テクノロジーの成功
  • スピード変革
  • 新陳代謝 ex.,シェア自転車
  • 信頼性<<利便性
    • ex., WeChat の障害
  • 監視カメラと顔認識

実際に社会の大きな変革が行われていて、例えば市民のマナーの向上は目覚ましいものがありました。

中国はビッグブラザーなのか

この大きな変革に伴って、強い管理社会も導入されています。例えばスマホ社会のバックグラウンドであるWeChat はキーワードでBANされたり、監視カメラでリアルタイムで交通違反を晒したりしているということがあるそうです。

中国型デモクラシー

さて、中国の主張では 2021/12/04に発表された「中国の民主」白書
http://www.scio.gov.cn/zfbps/32832/Document/1717206/1717206.htm
中国的民主是人民民主
では、「民主是全人类的共同价值」(民主は全人類共通の価値)とし、「民主是历史的、具体的、发展的,各国民主植根于本国的历史文化传统」(民主主義は歴史的、具体的、発展的であり、各国の民主主義は歴史文化の伝統に根ざしている)とあります。そして、中国は人民民主主義というものであると提唱しています。
先に以下のように述べましたが、

ここでは話をわかりやすくするために、「民主主義」を「自由民主主義社会」という概念であるという考えで勧めていきます。

「自由民主主義社会」とは別の「人民民主主義」というものは成立するのでしょうか?
実際の運用的には、人民民主ではなく党主義であり、人治、コネ至上の実態があります。現時点では民主主義という言葉には遠い現状ですが、しかしながら理想として、人民民主という言葉は成立するでしょうか?

评价一个国家政治制度是不是民主的、有效的,主要看国家领导层能否依法有序更替,全体人民能否依法管理国家事务和社会事务、管理经济和文化事业,人民群众能否畅通表达利益要求,社会各方面能否有效参与国家政治生活,国家决策能否实现科学化、民主化,各方面人才能否通过公平竞争进入国家领导和管理体系,执政党能否依照宪法法律规定实现对国家事务的领导,权力运用能否得到有效制约和监督。

ということを主張していますが、ここではこの主張を紹介するに留めておきます。

日本は中国モデルを進むべきか

日本のデモクラシーの根幹として以下のような強みがあります。

  • 法治
  • 価値観の尊重
  • 自由な批判

そしてそれにつながる概念として、自由な言論があります。

過去のIoTLTアドベントカレンダー寄稿記事

「21th OpenSourceHardware (文明のHack2) 〜 メイカーの未来/イノベーションに自由な文明は必要であるか 〜」
https://qiita.com/nanbuwks/items/a0562dc80a9219239850

において、

法哲学を学ぶ価値があるかどうかという議論は紀元前から行われてきた。この議論はマイケルサンデルの講義をぜひとも直接参照していただきたい。
法哲学を学ぶことの価値、それは危険な思想などを思い巡らすことの価値を認めるかどうかであり、それは議論の自由、精神の自由に基づいて理想というベクトルを追求できるかということだと思う。

と記しました。

それらを捨てて、中国式の強権手法を導入して、改革のスピードを導入することはメリットがあるでしょうか?

IoT/AI/スマート社会の果たすべきもの

中国では「人民民主」、「党主義」、人治、コネという社会運営を行っています。そして、深センなどの都市ではスマート社会による変革が大きく前進しています。

仮に、日本で政治主導でスマート社会を強権的に行ったとしたら? 日本の為政者が、外部からの余計な雑音をシャットアウトして意のままにスマート社会を構築することを考えてみましょう。外部からの余計な雑音をシャットアウトしても、内部から余計な雑音が入ったおかしなことになるのは容易に想像できます。例を挙げるとマイナンバーカードの設計があります。リスク回避のあまりセンスのないとんちんかんな実装/運用方法になってしまってますね。

更に、中国の実態として「人民民主」、「党主義」、人治、コネという要素は、スマート社会に必須のものではないと考えます。実際にIoTを手がけたり、深センの社会を味わったりした筆者の感触では上記のリスト

  • スマホ社会
  • スコア社会
  • PoC
  • テクノロジーの成功
  • スピード変革
  • 新陳代謝 ex.,シェア自転車
  • 信頼性<<利便性
    • ex., WeChat の障害
  • 監視カメラと顔認識

のうち、監視カメラ以外の原動力は以下の要素によって成り立っていると考えるのが妥当で、

  • 安い通信ネットワーク
  • 豊富な資本
  • 完全を求めない運用
  • PoCでの早い代謝
  • プライバシーによる制限がない
  • スマホを持っている前提で社会を設計できる
  • イニシャル費用、利用料の安い
  • スコア社会

これらはお上主導で実現したものではなく中国社会に根ざした文化によるものと感じています。
不完全なPoCを勝手に作りまくって高速な代謝をし、PDCAサイクルで限りない失敗の場数を踏んでいるというのが強みの本質ではないか。

そしてこれは自由民主主義社会において、自由民主主義の本質である人権や公開という原則を守りながら、できることです。

監視カメラ社会を実現するには

例えば監視カメラについて、これを導入することは、管理社会として自由民主主義に反する象徴のようにあります。しかしながら治安や社会不安という観点から、監視カメラの絶大な効力を導入するように世界は進みつつあります。

監視カメラは、権力と結びつくことで市民の行動監視につながるという観点です。これと似た考え方で、図書館の閲覧履歴を権力が使用することができるかということがあります。図書館の閲覧履歴を権力がアクセスすることで、思想の管理につながるということです。

わかりやすく図書館の閲覧履歴で考えてみます。図書館の閲覧履歴を収集すること自体は思想の管理にはなりません。現在はたとえば警察捜査に使う場合、裁判所の令状を以て閲覧履歴を提供することができます。そして閲覧履歴は図書館内部での活用に限って行うことができ、そこで活用を禁じることはするべきではありません。
図書館は自由民主主義の砦ともいえるものであり、かつて図書館ではこれを防ぐために過度にIT化が妨げられていたことがあります。しかしながらそれは今までの日本の停滞とおなじような背景があり、それは積極的に図書館の発展ひいては自由民主主義の発展につなげていく必要があります。

同様に、監視カメラもそれの利用精度を整えて必要以上のアクセスを禁じることで人権の自然権を侵さなないことができます。以下のような考え方をすることで、

  • 肖像権やプライバシーは人権としての自然権ではない
  • AIで機会処理をすることで過度の人間の関与を減らす

先制政治をえらばずに自由民主国家において、無数の監視カメラ、と共存できるようになります。

しかしこういった制度があっても、要点を知らない運用者によって容易に人権を犯すことができてしまいます。それについて、制度を落とし込むテクノロジーを扱う人間が歯止めとして意識していなければならない。それはセキュリティを常に意識して実装しなければならないのと同様、人権の侵害についても意識して歯止めにならなければならない。

自由の強みを活かすには

上記のようなことは専制社会でないとできない、ということではないということを述べていきました。

安い通信ネットワーク、完全を求めない運用、PoCでの早い代謝というのは政治制度の選択とは異なるものであり、それを使ったダイナミズムは自由民主主義でも実現できるものです。

そして、意思決定の速度について、今の日本の問題は合意を得られるのに時間がかかるというのがあります。先のマイナンバーカードがナンセンスという件でも、プライバシーへの過度の配慮が背景にあります。これについてはわかった人間が設計しないと意味がありません。

それらが解決したとして、しかしそれだけではなく、自由民主主義の強みとの結びつくにはどうしたらいいでしょうか。
我々が行っているIT勉強会やQiita、コミケ、同人誌などの発行、闊達に欧米の技術者とやりとり、などにおける自由な発言は自由民主主義に裏打ちされているものであり、更にそれらを行うことで自由民主主義が鍛えられるものです。

また、一例として自由民主主義社会を生かしたものができるはず。例えば分散型ファイルシステムだとか、本来核戦争に耐えるものとして設計されたインターネットの特性を生かし、CIVICテックなどは親和性が良いですね。同様に、激甚災害時に自らサービスを立ち上げての作業など。それができるために我々は軛から解き放たれなければなりません。

社会問題の解決

先にベトナム戦争の話題が出たが、これは東西冷戦時の西側陣営と東側陣営のどちらの社会体制が優れているかを示すデモンストレーションの場でもあった。
今後、スマート社会を如何に実現するかについては強権主義と自由主義との間での国威発揚的な競争も為されてゆくだろう。
我々はそういった荒波にをキャッチアップするようにしていきたい。

スピード

専制政治とは別の意味でのスピードというのは、検閲などのないスピード、人治ではないスピード、気兼ねなくたとえば腐女子ツィートできるスピード。
それを生かしてコミュニティを作り、集会の自由を生かすことができます。それから集合知を生み出し、空気のように我々が享受しているサービス、それらは我々のようなIT技術者以外だとどうでもいいことかも知れない。
しかしながらカリフォルニアンイデオロギー的な理想を実現と考えると、社会を牽引するのにそれは必要なのである。

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