マネジメントの階段を登り始めると、真っ先にぶつかる壁がある。「忙殺」だ。
自分が忙しいのは百も承知だが、ふと上を見上げれば、自分の上司(マネージャーのマネージャー)はさらに輪をかけて忙しそうにしている。
この「忙しさの連鎖」が、組織にある種の「目詰まり」を引き起こす。
「わざわざ言うほどでもない」という毒
仕事をしていると、テキストで送るほどではないけれど、かといって15分のMTG枠をカレンダーにねじ込むほどでもない「ちょっとしたこと」が必ず発生する。
- ニュアンスの共有
- 嫌な予感がする程度の懸念
- 「お疲れ様」のついでに言いたい現場の空気感
これらが「相手の忙しさ」を慮って飲み込まれたとき、組織の解像度は少しずつ下がっていく。
この時、ふと思うのだ。「ここに、ちょっとした話を預けられる『サブ』や『秘書』のような存在がいればいいのに」と。
実は、この「ちょっとした隙間」こそが、次世代マネージャーの最高の育成枠になる。
マネージャーを育てるには、マネージャーをやらせるのが一番早い。しかし、いきなり「今日から君がこのチームの全責任者だ」と丸投げするのは、あまりにリスクが高い。
そこで、まずは自分の「お手伝い」から入ってもらう。
自分がやっているタスクの一部を、自分が隣にいる状態で肩代わりしてもらうのだ。
- 上(自分)から見れば、実務を切り出しつつ、その振る舞いを見て適性を判断する「育成」になる。
- 下(メンバー)から見れば、忙しすぎる上司に代わって、まずは彼/彼女に「ちょっとしたこと」を相談できる窓口ができる。
この「緩衝材」的な役割を経験させることで、本人は「マネジメントの肌触り」を安全に学ぶことができる。
マネジメントという「必要悪」への葛藤
とはいえ、理想を言えば、マネジメントなんてものは少ないに越したことはない。
本来なら、全員が100%アウトプットに向き合えるのが一番いい。
マネジメントが必要だということは、どこかにオーバーヘッドが発生している証拠でもある。
しかも、これには残酷なほど向き不向きがある。
技術的な課題解決には滅法強いが、人の感情や組織の歪みを整えることには苦痛を感じる人もいる。課題の性質によっても、マネジメントが特効薬になることもあれば、ただの毒になることもある。
結び:難しさを抱えて進む
マネジメントは難しい。
効率を求めれば仕組み化に行き着くが、人の心や「ちょっとしたニュアンス」は仕組みの網からこぼれ落ちてしまう。
だからこそ、あえて「サブ」という曖昧な役割を使い、自分の時間を空けつつ、同時に誰かの背中を育てる。
そんな不純物(マネジメント)を、いかに綺麗に循環させるかという泥臭い試行錯誤こそが、今日もどこかのチームを動かしている。
結局のところ、完璧な正解はない。
「まあ、なんでもかんでも上手くいくわけではないけれど」と呟きながら、今日もカレンダーの隙間と向き合うのだ。