今年 7 月、一枚のチップがヨーロッパで販売承認を取得した。眼球の奥、網膜の下に置かれるチップだ。
取得したのは Science Corporation。創業者の Max Hodak が昨日、No Priors でこの件を話した。彼は以前 Neuralink の共同創業者だった。
私が引っかかったのは、臨床試験の話に出てきた光景のほうだ。数独を解いている患者がいた。本を読んでいる患者がいた。
加齢黄斑変性で視力を失った人たちである。
チップはどう動くのか
先に仕組みを書いておく。多くの人が想像するブレイン・コンピュータ・インターフェースとは違うからだ。
チップは網膜の下に埋め込まれる。患者はメガネをかける。そのメガネにレーザープロジェクタが付いていて、映像をチップに投影する。チップは網膜を直接刺激する。死んでしまった桿体細胞と錐体細胞を迂回して、視覚信号を脳に戻す。
Hodak 自身の例えはこうだ。目の人工内耳だと思ってもらえばいい。
人工内耳は医学史の中でも最も影響の大きなものの一つだ、と彼は言う。新生児が人工内耳を初めてオンにされる動画を見たことがあれば、あの反応の強さは分かるはずだ。
この道は買ってきたものだ。2022 年末、Pixium というフランスの小さな会社が、網膜の電気刺激という領域で当時最先端の仕事をしていた。技術はもともとスタンフォードの発明家が作り、その会社にライセンスされていた。Science は二年かけて彼らと知り合い、そして買収した。
Hodak の言葉。「あのとき我々は、他の誰も見ていなかったと思うものを見た。」
買収から承認申請にたどり着くまで、さらに約二年。7 月にヨーロッパで販売承認を取得し、最初の販売は数週間のうちに始まる。
「数年以内に期待できる」という話ではない。もう売れる状態にある。
飛ばしてはいけない制約のほう
この節は成果そのものより書く価値があると思う。彼の語り方が非常に抑制的だからだ。
彼はこの網膜補綴を「方向性が正しいことを示す良い概念実証」と呼び、そのすぐ後に足りないところを並べた。
視野が狭い。ストローを通して見るようなものだ。白黒しかない。
補うべきはグレースケールの深さで、赤と緑には道筋が見えるが、青はもう少し厄介だと彼は言う。
司会の Sarah Guo が患者間のばらつきと天井について聞いたとき、彼はきれいな数字を出さなかった。代わりにこう答えた。試験の主な意義はあの存在証明にある。成功はそれまで不可能な結果だったからだ。
そして最も重い一言が続く。
「これまで誰も、盲目の患者の心の眼に、このやり方で形のある視覚像を復元できたことはなかった。」
人間味のある一言もあった。「これは、良すぎて本当とは思えない類のことだ。」 だから彼は自分でそれらの動画を見て、患者の一人に会い、執刀した医師と話した。
なぜ薬より器械のほうが易しいと考えるのか
ここが私が一番取り出したい部分だ。工学をやる人間に関係がある。
彼は対比を置いた。
低分子医薬品の場合。十年かけて創薬をやり、臨床試験を一度回し、カードを一枚めくる。答えは「ノー」かもしれない。そして全員が家に帰る。
電極の場合。「M1(一次運動野)に電極を入れたら、その人はおそらく一時間後にはコンピュータを使っている。」
違いはどちらが賢いかではない。フィードバックの形にある。
生物学の道は十年賭けて、一度きりのイエスかノーを受け取る。しかも失敗した後、どこを直せばいいのか分からないことが多い。器械の道ではどうすればこれをもっと良くできるかが分かっている。彼の原文は「我々には、それをより良くする方法についての明確な感覚がある」だ。
工学化できるものは逐次的に近づける。工学化できないものは運に賭けるしかない。
この一文は医療機器をはるかに超えて当てはまると思う。
彼は脳を、文字通りコンピュータとして扱っている
番組の冒頭から彼はかなり直截だ。
「非常に文字通り、非常に明確に、率直に、脳をコンピュータとして扱う。物質をある仕方で配置することで計算問題を解くことができる。そして手を離して、実行を押す。」
そのあと、私が初めて聞く言い方が出てきた。よく「水槽の中の脳」という思考実験を持ち出すが。
彼は言う。頭蓋骨がその水槽だ。
「脳はごく少数の線を通じて環境につながっている。脳神経と脊髄神経、あなたと世界との相互作用のすべてを運ぶ、この小さなケーブルたちだ。」
番号まで挙げていた。視神経は第二脳神経。聴覚と平衡を運ぶ内耳神経は第八脳神経。
だから彼の結論はこうなる。視覚信号、聴覚信号、平衡、体性感覚と運動の信号を脳に出し入れできるなら、それ自体が目的であり、それが中心的な対象だ。
半分冗談めいた一言もあった。「視覚、聴覚、平衡、それに毎秒 1 キロビットの運動制御が手に入れば、もうマトリックスの半分まで来ている。」
「ブレイン・キーボード」をやらない理由が意外だった
司会が自然な質問をした。いま BCI で最も商業価値がある方向は、非侵襲で高帯域に AI と対話することではないのか。なぜそれが重点ではないのか。
彼の答えは二層あり、一層目はまったく予想外だった。
「話すこと、あるいは書くことが、思考そのものである。」
「頭の中にすでに完成した何かがあって、BCI でそれを読み出せばもっと速くなる」という考えは、たいてい成り立たない、と彼は言う。
「それは完全に形になっているように感じられる。だが実際に座って書き出すまでは、そうではない。そしてその感覚は誤解を招く。」
二層目で、彼はあの有名な認知帯域の推定を持ち出した。脳の情報処理はおよそ毎秒 10 ビット。
この数字には独立した証拠がいくつもある。彼が挙げた測り方の一つ。記憶力の非常に良い人をヘリコプターに乗せてマンハッタン上空を飛ばし、見たものを描かせる。細部を数えていくと、一、二時間の量がおよそ毎秒 10 ビットになる。
だから彼から見れば、あのボトルネックは深く進化してできたもので、最終的には言語に収斂する。
ブレイン・キーボードに価値がないとは言っていない。それは別種のプロダクトかもしれない、という言い方だ。そして特に的確だと思う例えを置いた。
「最終的には AR グラスのようになるかもしれない。我々の注意はすでに 100% 埋まっていて、それを顔に載せても実際には何も変わらなかった。我々はすでに使える時間をすべて消費していたのだ。」
AI と神経科学をつなぐ観察
終盤、司会が BCI 領域への投資と人材の流入は AI モデルの進展と関係があるのかと聞いた。
彼は**「プラトン的表現仮説」という考えに触れ、学界では議論があると明言した上で、自分の位置から見ると明らかに何か本物のことが起きている**と言った。
「これらの大規模 AI モデルの内部を覗くと、そこに見える数学的対象が、神経科学で見るものとよく似ている。AI モデルが概念をどう表現しているかを見て、次に脳の中で概念を表現している部分を見ると、非常に似た幾何構造が見える。」
「私にとって、それが最初の手がかりの一つだった。」
この部分を残したのは、AI をやる人間にとって実際的な含意があるからだ。両側の表現が本当に整合可能なら、神経科学の進展とモデル解釈可能性の進展は、同じ問題への二つの入口かもしれない。
私自身の考え
一つ目は「フィードバックの形」について。 電極と低分子の対比で彼が語っているのは、もっと一般的なことだ。あることが継続的に改善できるかどうかは、失敗した後にどこを直せばいいか分かるかどうかで決まる。 プロダクトでも同じだ。二つの方向の成功率が同じに見えても、片方は失敗の原因を特定でき、もう片方はもう一度賭け直すしかないなら、期待値はまったく違う。いま企画を評価するとき、私はまずこれを聞くようにしている。
二つ目は「話すことが思考である」という一文。 彼はこれをブレイン・キーボードをやらない理由として使ったが、実際にはもっと大きな錯覚を突いている。我々はよく、頭の中にすでに考え抜かれた何かがあって、「表現」の段階だけが遅いのだと思っている。 彼の判断は、その感覚が偽物で、ものは書く過程で初めて形になる、というものだ。これは私自身の実感と完全に一致する。分かったつもりだった考えが、書き始めた途端に穴だらけだと分かることは多い。
三つ目、これが最も噛みごたえがあると思う点。彼は「良すぎて本当とは思えない」と言ったあと、最初にしたことが、動画を見て、患者に会って、医師と話すことだった。
これは私がここ数日やっていることと同じ動作だ。最近、記事を書くたびに X のトレンドの自動要約を検証しているが、ほぼ毎回、出典の見つからない記述が一つ二つ混ざっている。良すぎる話はたいてい本当で、ただ誰かが境界線をどこに引いたかをまだ教えていないだけだ。
Hodak は境界線をはっきり言った。ストローを通して見るような視野、白黒だけ、青はまだ解決していない。境界を明示したからこそ、「数独を解いている患者がいた」という一言が信じられる。
出典:No Priors ポッドキャスト 2026-08-20 回《From Restoring Sight to Reimagining the Brain, with Max Hodak》、司会 Sarah Guo、ゲスト Max Hodak(Science Corporation 共同創業者兼 CEO、Neuralink 元共同創業者)。本文中の Prima 網膜補綴の動作機構、加齢黄斑変性という適応、2022 年末のフランス企業 Pixium 買収(技術はスタンフォード由来)、2026 年 7 月のヨーロッパ販売承認と初回販売時期、臨床試験での数独と読書、現時点の制約(ストロー越しのような狭い視野、白黒のみ、赤緑には道筋があり青はより難しい)、電極と低分子医薬品のフィードバック対比、「頭蓋骨がその水槽だ」と脳神経の番号、毎秒 10 ビットの認知ボトルネックとマンハッタン上空のヘリコプターによる測り方、「話すことや書くことが思考そのものである」、AR グラスの例え、プラトン的表現仮説とその論争性は、いずれも番組の発言の翻訳であり、見解は本人に帰属する。筆者は Prima の臨床データを独立に検証していない。