トトロを夢中になって探したことはあるか
今から20年ほど昔の話だ。テーブルとテレビしかない質素な部屋に少年が一人、釘付けになってテレビを見ていた。映っているのは、スタジオジブリ作品「となりのトトロ」。少年は心を弾ませ、眠っていた何かが沸き起こる、そんな気持ちの高ぶりを感じていた。こんな生き物がいるのか、あのおなかの感触が気になる、しがみつけば空だって飛べそう。そうだ、会いに行こう。メイちゃんのように、おばけが存在していたというビックニュースを学校で上げたい。こうなった少年を止めることはできない。好奇心絶賛、爆発中なのだ。家を飛び出し、トトロを探してくるという世迷言をいう少年に、母親は虫よけスプレーを渡した。
小さい脳をめぐらした少年は、家の近くにある森へと向かった。そこは少年にとって木々が生い茂り、虫が飛び交う秘境の地だった。トトロはここにいるに違いない。背筋が伸び、歩みの早い少年はそんな無根拠な自信でいっぱいだ。森に入る陽光はまぶしく、木々たちは輝いて見える。夏の暑さに汗を流しても、少年がへこたれることはない。広大な森を探しつくすのには、時間がかかるのだ、えっへん。肩に止まり、一休みしているトンボに目もくれず、少年は進み続ける。やれやれもう諦めればいいのにと、トンボの声は少年の耳には届かない。とうとう日が暮れるまで大きな背中を求め、歩み続けたのであった。夕焼けがあたり一面を暗くし、風は強さを増してきた。自然の狂気を感じる。おっと言い忘れていた、少年は逢魔が時が苦手なのだ。暗いからだって?いいや違う。門限を守れなかった時の母親の怖さときたら、あれを本当の逢魔と呼ぶのだろう。今日は諦めて、明日は別の小道に行ってみよう。帰路に着く少年の足取りは軽い。
時は過ぎ、青年は立派(ホント?)な社会人になっていた。どうやらITの会社に就職したようだ。坊主頭の面影が残る青年のスーツ姿ときたら、似合わないにもほどがある。今はお世話になっている上司とお話し中だ。青年は言う。「研修で社内AIを多用していると、本当に利便性が高く、多大な恩恵を受けました。具体的には、Webと連携させた表計算ソフトに、ワンクリックで意味のある表を作るというGASを書きました。勿論、AIなしには作り上げることはできません。わからないことはとりあえず生成AIに投げます。情報量がすごいから。答えを地道に探すことなんてもうできませんよ。」
ここ数年のAIの発展は目覚ましい。迅速に正しい情報を享受できるだなんて、少年はおろか周りの大人たちだって想像していなかっただろう。だってソースコードまで書けてしまうのだ、その価値を否定できまい。更に発展していくAIの技術を使うべく、青年はこれからもリテラシーを上げていくつもりのようだ。簡単に答えを知ることができるなんて便利な世の中になったものだ。
本当にそうだろうか
地平線の彼方を探しても、宝島がないことを青年は知ってしまった。好奇心と想像力の解放は少年たちの特権であったはずだ。非現実的な夢を追いかけることは間違っているのだろうか。利便性に憑りつかれ、トトロが見えなくなった大人たちに問いたい。
トトロはどこにいるのかと青年はAIに聞いてみた。
“架空の存在です”
AIは何でも知っている。
けれども、青年は何か大切なものをなくしたように見える。
それが何かをAIは知らない。