はじめに
テックリードになって半年ほど経った頃、設計レビューの場が急に苦手になった。レビュー自体はこなせる。ただ「なぜこの構成を選んだのか」を言葉にしようとすると、途中で詰まる。手が覚えている判断を、説明できない。
その頃の自分は、足りないのは知識だと思っていた。だから分散システムの本を買い、新しいフレームワークのドキュメントを読み、カンファレンスの動画を流し続けた。インプットの量は確実に増えた。それでも、詰まる場所は変わらなかった。
変化が起きたのは、技術書を読む手を少し休めた時期だ。思考の型や学習のやり方、人との関わり方を扱う本を何冊か読んだ。すると、前に読んだはずの技術書の内容が、まったく違う深さで戻ってきた。どの技術を選ぶかという問いは、結局どう考えどう振る舞うかという問いに接続していた。
ここで挙げる5冊は、エンジニアとしての判断力を支える土台側の本だ。「考える道具」から入り、「学び方」で深掘りし、「振る舞い」で実践に落とす流れで並べている。どれも一度読んで終わる本ではなく、数年おきに読み直すと別の顔を見せてくる。
① 知の巨人たちの「考え方」を一冊で、一度に、一気に学びきる グレートメンタルモデル — シェーン・パリッシュ, リアノン・ボービアン
著者のシェーン・パリッシュは、カナダの情報機関でセキュリティ業務に携わりながら、意思決定を扱うブログ Farnam Street を立ち上げた人物。リアノン・ボービアンはその共同執筆者だ。
この本が扱うのは、分野をまたいで使える思考のフレーム群。地図は現地そのものではないという話、能力の輪、第一原理思考、逆算、セカンドオーダー思考といった型が並ぶ。
エンジニアにとって効くのは、第一原理思考とセカンドオーダー思考の章だと感じた。ライブラリを選ぶとき、自分は「人気があるから」で済ませがちだった。要件を分解してから必要な性質を並べ直すと、候補の数が変わる。
セカンドオーダー思考は障害対応と相性がいい。目の前の症状を潰す対処が、半年後にどんな負債を生むか。その一段先を見る癖がつくと、設計レビューで出す指摘の質が変わる。
抽象度は高めで、具体的なコードは出てこない。実務の課題を一つ手元に置いて、型を当てながら読むと刺さり方が増す。
こんな人に: 技術選定の根拠を自分の言葉で説明したい人
② 習得への情熱―チェスから武術へ― — ジョッシュ・ウェイツキン
著者はチェスの全米ジュニア王者から転じ、太極拳推手で世界選手権を制した異色の人物。二つの分野で頂点に立った過程を、学習論として書き起こしている。
軸になるのは、基礎を極端に絞り込んで深く掘る方法だ。少数の型を体に入れ、そこから応用を展開する。手数を増やす学習とは逆向きの発想になる。
新しい言語を学ぶときの進め方を、この本で入れ替えた。文法を広く浅くなめるのをやめ、小さなプログラムを型が身につくまで書き直す。遠回りに見えて、結果的に速い。
ミスからの立ち直り方を扱う章も実務的だ。障害対応の最中に動揺を引きずると、次の判断まで崩れる。崩れた状態をどう戻すかを、著者は技術として書いている。
こんな人に: 学習量は十分なのに伸びが鈍った人
③ マスタリー: 仕事と人生を成功に導く不思議な力 — ロバート・グリーン
ロバート・グリーンは権力や人間心理をテーマにした著作で知られる。この本では歴史上の達人と現代の実践者を取材し、熟達の過程を段階に分けて描いている。
見習い期間、師からの学習、実験と創造、そして熟達。この並びが効くのは、自分の現在地を測れるからだ。
自分が救われたのは、見習い期間の長さについての記述だった。シニアに追いつけない焦りを、能力の差だと解釈していた。実際には時間の積み上げが足りていないだけ、という場面も多い。
分量は多く、歴史上の人物の話が延々と続く。流し読みで構わない。自分のキャリア段階に対応する章だけ精読する使い方で十分に機能する。
こんな人に: 中長期のキャリア設計の見通しを持ちたい人
④ コーチングの神様が教える「できる人」の法則 — マーシャル・ゴールドスミス, マーク・ライター
マーシャル・ゴールドスミスは、大企業の経営層を対象にしたエグゼクティブコーチの第一人者。マーク・ライターが執筆を担っている。
扱うのは、ある段階まで成果を出した人が次の段階で詰まる理由。勝ちすぎる癖、価値を付け加えたがる癖、情報を抱える癖。20の悪癖として整理されている。
「価値を付け加えたがる」は自分に直撃した。メンバーのPRに、必要のない改善案を足してしまう。コードは少し良くなり、相手の当事者意識は確実に削れる。
後半のフィードバックの集め方とフォローアップの手順が実用的だ。読んだだけでは変わらないと著者自身が繰り返す。実行を前提にした本として読むのがいい。
こんな人に: 技術力は足りているのにチームが動かない人
⑤ 嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え — 岸見一郎, 古賀史健
哲学者とライターの対話形式で、アドラー心理学を解きほぐした一冊。発売から年数が経ってなお読まれ続けている。
中心にあるのは課題の分離という考え方。自分の課題と他者の課題を切り分け、他人の評価を自分の課題から外す。
レビューで反対意見を出せない時期に、この視点が効いた。技術的に妥当だと判断したのに、空気を読んで黙る。判断能力の問題というより、承認への依存だったと気づいた。
対話形式なので読みやすい反面、主張は強い。全部を受け取る必要はない。課題の分離だけを持ち帰るつもりで読んでも元は取れる。
こんな人に: 技術的な主張を飲み込みがちな人
まとめ
| ステップ | 読む本 | 得られるもの |
|---|---|---|
| 全体像 | グレートメンタルモデル | 判断を言語化する思考の型 |
| 深掘り | 習得への情熱 | 基礎を絞って掘る学習法 |
| 深掘り | マスタリー | キャリア段階の地図 |
| 実践 | できる人の法則 | 影響力を削る癖の修正 |
| 実践 | 嫌われる勇気 | 評価から独立した判断 |
今の課題別に1冊選ぶなら、こう考えている。
- 設計の根拠を説明できない: グレートメンタルモデル
- 勉強しても伸びない感覚がある: 習得への情熱
- 焦りと比較で消耗している: マスタリー
- メンバーが自走しない: できる人の法則
- 言いたいことを飲み込んでいる: 嫌われる勇気
5冊を一気に読む必要はない。今いちばん引っかかっている一つから手を付けて、半年後にもう一度開く。その二周目で効いてくる本ばかりだ。