はじめに
こんな経験はありませんか。
「このエラー、どう直せばいいですか?」
「それ、どういう操作をしたときに出たの?環境は?そのときのログある?」
(……エラーの直し方を聞きたかっただけなのに、どうしてこんなにやりとりが発生するんだろう。AIなら一発で答えてくれるのに)
私自身、新人の頃はこのモヤモヤをよく感じていましたし、逆に質問を受ける側になった今は、同じ質問返しを自分がやっています。
「質問の仕方」のテンプレやコツをまとめた記事はたくさんあります。この記事ではそこから一段抽象して、そもそも「質問とは何か」という捉え方の話をしてみたいと思います。捉え方が変わると、冒頭のモヤモヤの原因が見えてきます。
「どこかに正解がある」という質問観
まず、質問がうまくいかないときに無意識に前提にしていそうな考え方に、名前を付けてみます。
古代ギリシャの哲学者プラトンは、「イデア論」という考え方を唱えました。ざっくり言うと、私たちが現実に見ている個々の物事とは別に、完全な「イデア」がどこかに存在していて、現実はその写しにすぎない、という世界観です。
たとえば、柴犬とゴールデンレトリバーとポメラニアンは、大きさも毛並みも顔つきもまるで違います。それでも私たちは、初めて見る犬種ですら一目で「犬だ」と分かります。プラトン流に言えば、それは個々の犬たちの背後にある「犬のイデア」を私たちが知っているからであり、目の前の柴犬もポメラニアンも、その完全な「犬」の不完全な写しにすぎない——という理屈です。
(本記事の哲学の説明は、質問観に名前を付けるための比喩として大幅に単純化しています。厳密な哲学的解釈を意図したものではありません)
冒頭のやりとりでモヤモヤした人は、「質問」という行為に対しても、無意識に似たモデルを当てはめてしまっているかもしれません。つまり、
- どこかに絶対的な「正解」が存在している
- 詳しい人(先輩・有識者)はその正解を知っている
- 質問とは、その正解を取り出してもらう行為である
という捉え方です。この記事では、これを大げさに「形而上学的質問観」と呼ぶことにします。
この質問観に立った人は、冒頭の先輩の回答を不可解に思うわけです。先輩は正解を知っているはずなのに、なぜすぐ答えず質問を返してくるのか。出し惜しみ?意地悪?——そんなふうにモヤモヤしてしまうんですね。

実際の回答者がやっていること
では、質問を受けた側は実際には何をしているのでしょうか。
それは、手元にある材料から、その場で最善と思われる判断を組み立てることです。
たとえば「このテーブル、正規化したほうがいいですか?」と聞かれたとします。この質問に即答できる人はいません。データ量はどれくらいか、更新と参照のどちらが多いのか、どんな画面から使われるのか、将来の拡張予定はあるのか……といった材料が揃って、はじめて「この条件なら崩してもいい」「ここは分けておくべき」という判断ができます。
設計判断やトラブルシュートは、ほとんどがこの構造をしています。答えはどこかに保管されているのではなく、材料からその場で作られるものなのです。
イデアは、ないのです。
真理はどこかに完成品として存在するのではなく、実践の中で作られ、うまく機能するかどうかで検証され、いつでも改訂されうる——そう考えた「プラグマティズム」という哲学になぞらえて、この捉え方を「プラグマティズム的質問観」と名付けましょう。
ただし「イデアがある」質問もある
こう書くと、「いや、調べれば確実に答えが出る質問もあるでしょ」と思われるかもしれません。おっしゃる通りです。
- この画面の仕様はどうなっているか
- このAPIの引数は何か
- この機能は過去にどういう経緯でこの実装になったのか
こういった質問は、仕様書やドキュメント、過去の議事録を調べれば一意に確定します。言ってみれば「イデアがある」質問です。
つまり質問は、大きく2種類に分けられます。
- 事実確認系:調べれば確定する。正解が存在する
- 判断系:材料からその場で判断を組み立てる。正解は保管されていない
形而上学的質問観が破綻するのは、後者の判断系の質問に対してです。事実確認系のつもりで判断系の質問を投げると、冒頭のようなすれ違いが起きます。
質問者と回答者、それぞれの責務
質問を「正解の取り出し」ではなく「判断の組み立て」と捉え直すと、質問者と回答者の役割分担が明確になります。
形而上学的質問観では、質問者は「正解を与えてもらうだけの人」だったかもしれません。
しかし、プラグマティズム的質問観では、実は質問者であるあなたにも、重大な責務があるのです。
- 質問者の責務:判断材料を提供すること
- 回答者の責務:材料から最適な判断を下すこと。そして、足りない材料を問い返しで引き出すこと
どんなに先輩が優秀なエンジニアであっても、材料が足りなければ、最適な判断はできません。
あなたが渡す材料は、先輩の判断に大きく影響します。「言われたとおりにやったけどうまくいかなかった」の原因は、実は先輩ではなくあなたにあるかもしれないのです。

ここまで来ると、冒頭の先輩の「どういう操作で出たの?環境は?」の種明かしができます。あれは出し惜しみでも意地悪でもなく、判断に必要な材料を集めるという、回答者の責務をきちんと果たしている姿だったわけです。
そして、世の中にたくさんある「質問テンプレ」(やったこと・期待した結果・実際の結果・環境を書きましょう、というアレです)の正体も見えてきます。新人は「どの材料が判断に効くのか」をまだ知りません。テンプレは、その非対称を埋めるための道具だったのです。
テンプレを丸暗記するだけではなく、「自分は判断材料を渡す係なんだ」「判断材料に一般的に必要なものとしてテンプレを覚えておくといいんだ」と捉えてみてはいかがでしょうか。
そうすると、テンプレの一歩先に、「この質問に対して判断をしてもらうには、この材料も必要かも?」という応用が見えてきます。
AIは材料の不足に気づかない?
さて、冒頭のカッコ書きに戻ります。「AIなら一発で答えてくれるのに」というやつです。
AIは、たしかに即答してくれることが多いです。ですが、この記事の捉え方で見直すと、評価は反転します。
AIには、あなたのプロジェクトの暗黙知がありません。データ量も、チームの事情も、過去の経緯も知りません。つまり判断材料が圧倒的に不足しているのですが、AIはそれでも自信満々に答えを返してきます。人間の先輩なら「材料が足りない」と問い返してくれる場面で、AIは足りないまま判断してしまうのです。
あの「即答」は、実は材料不足のまま下された疑わしい判断だった、というわけです。
だからAI相手では、質問者の材料提供の責務は軽くなるどころか、むしろ重くなります。足りない材料を引き出してくれる相手がいない以上、最初から自分で揃えて渡すしかないからです。
これは、初学者がAIの回答を鵜呑みにすると危険な理由でもあります。
「いい質問」の訓練は、そのままAIを使いこなすリテラシーになるのです。
おわりに
質問とは、どこかにある正解を取り出してもらう行為ではなく、材料を渡して判断を一緒に作る行為である——というのがこの記事の主張でした。
「そもそも質問とは何か」「質問者と回答者の責務とは何か」を考え、形而上学的質問観からプラグマティズム的質問観にシフトすること――それが「いい質問」にたどり着く近道になるかもしれません。