こんにちは!ひさふるです。
最近、QiitaでもAIを使って書かれた記事が増えてきましたね。
AIで記事を効率的に書くこと自体も素晴らしいのですが、私としては、特に新卒で会社に入られた方などには「ぜひ自分の手で記事を書いてもらいたい!」と想うことも多く...
今回は、そんなAIで記事を書くことに対して想うことを語ります。
※この記事は人の手で書かれています
が、壁打ち・校正などたくさんAIのサポートを受けています
大大大前提として
「記事は人の手で書くべき!」と言うと、AIで記事を書くことに対する批判に聞こえるかもしれませんが、今回言いたいのはそうではありません。
大前提として、今回語りたいのは、
「自分の手で・自分の言葉で記事を書くことは思った以上に良いことがあるよ!」
という話であり、決して
「AIに記事を書かせるべきではない!」
という話ではありません。
ノウハウを効率的に言語化することの素晴らしさ
私が勤める会社内にも、AIを使ってノウハウを文書化するのが上手い方がたくさん存在します。
このAI時代では、ノウハウ・知識を言語化するのが上手い人がどんどん伸びてゆくと思いますし、言語化したものを発信すれば、周囲の人もAIを使ってそのノウハウを再現できるようになります。
この、ノウハウの言語化・発信・再利用のサイクルを早めることが、今後のAI活用のキモになると思っています。
AIを活用して書くか、AIに書かせるか
実際、この記事もAIを多分に"活用"して書かれています。
例えば、アイデアの壁打ちや記事を書いた後の校正・チェックにはAIを活用しております。でも、記事自体は私が自分で書いています。
今回言うところの"自分で記事を書く"とは、あくまで文章を人の手で書いたものを指し、その前後のAI利用は含まないとします。
逆に、"AIに書かせる"というのは、言葉の通り文章自体の多くをAIに生成させたものを指すこととします。
記事執筆・効率的なノウハウ共有にAI活用は必要不可欠!
⇒ では、人の手で書くべき記事とは...?
人で書くべきか、AIで書くべきか
では、記事をAIに書かせるべきか人で書かせるべきか、判断基準はどこに置くべきなのでしょうか。
ナレッジ・事実の共有か、理解の深堀りか
個人的には明確な基準があり、記事の目的によってAIを使うべきかどうか変わります。
- ナレッジ・事実の共有:それ以上深堀りする必要が無く、誰が読んでもすんなり理解できる内容を発信する場合
- 例)バグ報告、業務中で発見した小さなナレッジ共有、など
- 理解の深堀り:まだ自分が理解できてなさそうな技術・知識を深堀りし発信する場合
- 例)新しいフレームワークの学習、議論が発生しそうな内容を語るとき、など
結局のところ判定基準は単純で、自分が理解している内容か、そうでないかというだけなんですよね。
ここは、わざわざ言及しなくても自然と使い分けている人も多い気がしますね。
私のようなまだ年次の浅い人に向けて
昨今では、業務から趣味の範囲にかけて、AI活用が積極的に行われるようになってきました。
AI活用は私も積極的に行っていますが、その一方で、人の手で記事を書くことは"理解の深堀り"をする場合において色々と役に立つことが多いと最近再認識しています。
特に、年次の浅い方にとっては、基礎的な部分の理解を確認しさらにそれを人に伝える場合において、自分で記事を書くことが有利に働くことが多いと思います。
次の章では、自分で記事を書くことのメリットを説明していきます。
記事の執筆は学びの機会!
自分で記事を書くことの意義
では、自分で記事を書くことはどのようなメリットがあるのでしょうか。
私は、主に以下の3点のメリットがあると思っています。
- "文章構造化力"のトレーニングになる
- 理解度を上げ知識を"自分のモノ"にできる
- 自分というブランドを確立できる
1. "文章構造化力"のトレーニング:文章は一次元
文章は、基本的に一次元的で時系列的な構造を持っています。そして、読み手は"読んでいる部分"しか認識できません(当たり前っちゃ当たり前ですが)。
何が言いたいかと言うと、文章には"過去"と"未来"があるということです。
- 既に読み終わった部分:理想的には読み手に覚えていて欲しい。けど、必ずしも読み手が覚えていてくれるとは限らない。
- これから読む部分:当たり前だけど読み手はその内容をまだ知らない。だから、必要な情報をこれから読む部分に置いてはいけない。
そのため、先の章を読まないと理解できない内容や、過去の章と複雑に関連している内容は基本的には良いとは言えません。
冒頭から順に読み進めるだけで、先の章に進んだり後戻りしなくてもすんなり理解できる、これが、私が目指すべき"読みやすく構造化された文章"だと思っています。
"相手の脳の負担を減らす"ことの難しさ
文字として書かれた文章なら多少内容が前後してもなんとかなりますが、これが口頭での会話になるとさらに難易度が上がります。
口頭での会話や発表になると、ほんの一瞬わからない部分があるだけで、話についていけなくなります。
「今のってさっき言ってたあの部分だっけ...?」みたいに、聞き手の脳の負担を強いる構成は、その話の理解度を下げる要因になります。
私の言う文章構造化力とはすなわち相手の脳の負担を下げる構成のことであり、時系列的に整理されていて前後する必要が無い構成のことだと思っています。
これは口頭の会話でも十分通用するテクニックだと思っています。
自分で書くことで、文章構造化力を身につける
この文章構造化力は、やはり自分で言葉を紡いでみないことには身につきません。
AIに対する指示も、結局のところ自然言語です。
人に対してもAIに対しても、自分の意図を正しく伝えることが価値になる世の中だからこそ、この力を身につけるために自分で記事を書く意義があるはずです。
自分で文章を作ることで、"相手の脳の負担を減らす"、構造化された文章を書けるようになろう!
2. 理解度の確認:説明深度の錯覚
人は、自分が理解していると思っている範囲より、実際に理解している範囲は小さい傾向があるようです。
これを、説明深度の錯覚と言います。
この説明深度の錯覚の有名な例として、"ファスナーの仕組み"があります。
これは、大抵の人は身近にあるファスナーの仕組みを"ある程度は"理解していると思っているが、実際に仕組みの説明を促されると自分が思っているほどできない...というものです。
自分の言葉で話すことで、自分の"モノ"にする
"説明深度の錯覚"からわかるように、我々は実際よりも自分の理解度を大きく見積もってしまうようです。
(確かに、エンジニアとしてわかったつもりになっている技術も、いざ説明しようとすると言葉につかえてしまう...なんて経験ありませんか?私はあります。)
特に、記事をAIに生成させると自分がよく分かってなかった部分まで"補完"されてしまうので、その点に気が付きにくいです。
一方、最初から自分の言葉で表現すると、そのような"理解の穴"に気がつくことができると思います。
守破離の"離"に至る
加えて、自分の言葉で話せるようになると、それは"応用が効く"状態になっているとも解釈できます。
自分の言葉で説明できるということは、その物事の本質を深く理解している状態です。
茶道や武道の言葉で"守破離"というものがあります。
"守"は教えを守っている状態、"破"は基本的な型を破り発展ができるようになった状態、"離"は元となった型から離れ、全く新しいものを生み出せるようになった状態です。
私たちのような知的労働において、"破"や"離"に至るには、"イチから人に説明できる状態"になっていることは必須だと思います。
自分で記事を書くことで、その内容を"イチから人に説明できる状態"になり、業務でも広く応用できそうな状態になると思っています。
自分で書いて、自分で理解し、応用の効く知識を身に着けよう!
3. 自分というブランドの醸成
最近、Anthropicがコピーライターを高額で募集しているとの記事を見かけました。
この事実が示すように、このAI時代においても、人に伝わる魅力的な文章を書けることは非常に価値のあるスキルだと捉えられています。
サピア=ウォーフの仮説
言語学の言葉で、"サピア=ウォーフの仮説"というものがあります。
非常にざっくりと説明すれば、「普段話している言語が、その人の思考や認知に影響するのではないか」という仮説です。
これは仮説ではあるものの、実際にある程度事象としては確認されています。
例えば"薄い青"と"濃い青"でそれぞれ固有の単語を持つ言語の話者は、青に対する識別力が高かった、などの研究結果が報告されています。
また、これは言語単位でなく、特定のグループ・個人単位でも対象の影響があると思っています。
つまり、何が言いたいかと言うと、「その人の持っている語彙・語集により、周囲に対する見え方や解像度にはバイアスがかかるのでは無いか」ということです。
(こんな適当にサピア=ウォーフの仮説を引用すると本職の方に怒られそうですが、まあニュアンスだけ伝わってくれると嬉しいです)
バイアスがブランドになる時代
ここで言うバイアスは決して悪い意味ではありません。
自分で記事を書くことで、記事の中にその人の人生経験や性格・趣向が"その人の特徴"として現れるようになると思っています。それを、バイアスと言っています。
それこそが、その人の"ブランド"となり、記事に説得力を持たせ、また人を引きつける魅力にも繋がるはずです。
「お前が消えて喜ぶ者に、お前のオールを任せるな」
単純な"文章力"でAIと競い合ってしまうと、恐らく最終的には勝てなくなってしまうでしょう。
そんな時代において、私たちが今後どのように仕事を見つけていくか、一つの答えは"自身のブランド力を上げる"ことであると思っています。
そして、その"自身のブランド力"を発信するための一つの方法が"自分の言葉で、経験や趣向を元にして情報を発信すること"であると思っています。
これからの時代、AIを使いこなすスキル自体は必須です。
しかし、AIにできることしかやらないと、恐らく貴方の仕事はそのままAIに取って代わられてしまうでしょう。
自分の価値を高め、確立し、発信するためにも、ぜひぜひ、自分の言葉で記事を執筆してみてはいかがでしょうか?
自分の言葉で記事を書く、それ自体がブランドになる!...はず
おわりに
ちょっと最後は大事みたいな言い方しちゃいましたが、結局言いたかったのは
たまには自分の手で記事を書くと勉強になるし、楽しいぜ!
ということです。
自分で書くと理解できていなかった部分がボロボロ出てくることもありますし(それはそれでどうかと思うけど)、思いもよらない"付け足し"ができることもあります。
なにより、ちょっとした"おふざけ"が入っているくらいの方が、書いている方も、読んでいる方も楽しいと思うのです。
また、再三の言及になりますが、私はAIで書かれた記事に対して反対の立場を取っているわけではないということは、ハッキリと明言しておきます。
AIを使って記事執筆を効率化し、月に何本も発信されている方は本当にすごいと思いますし、AIを使いこなしている人の記事は本当に読みやすいです。(完全にAI頼りで読みにくい記事はどうかと思うところもありますが)
発信の効率を優先するのか、内容の理解を優先するのか、記事を書く目的を自分の中でしっかりと持ち、AIを使い分けてゆくことが大切だと思います。
今回はポエム的な記事でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。