プロローグ
先日、CIのエラーで詰まっている後輩がいて、助けを求められました。
ただ私もパッと見ただけでは分からず「ログを全部AIに渡して解決してもらおう」と提案しました。
無事に解決できたので、私から「今回の内容でQiitaにアウトプットできるね」と言ったら後輩は「自分は何もしていないので、アウトプットするに値しないと思います(意訳)」と言うのでした。
概要
エラーの直し方や、機能の具体的な使い方などは、AIに聞けばすぐに分かる時代になってきました。
昔から「初心者のアウトプットは品質が低い」「間違った情報を広めるべきではない」という意見がありましたが、AI時代の今、そういった声はより大きくなっている気もします。
しかし本当にそうなのでしょうか。
私は「特定の、とても詳しい人だけがアウトプットすべき」とは思いません。
AIが適切な答えを出してくれる今でも、人間が記事を書く価値はあると思います。
AIには書けない、人間ならではの記事の価値について記事にしてみました。
最初にまとめ
以下のようなものはAIからは出てこないので、人間が書く意味があると思います。
- その人自身の思考や行動の変遷
- ミスをした記録、苦労した記録
- 特定の意図を持った測定や比較
- 主観的な感想や温度感の共有
すべてに共通しているのは、正しさ以外の価値は人間が書くからこそ生み出せるはず、という価値観です。
対象読者
- 自分自身が知っていることに、AIが出す回答以上の価値がない、と思い込んでいる人
- アウトプットすること自体が怖い・ハードルが高いと感じている人
AIにできないこと、人間だから書けること
AIは正しい答えを教えてくれます。
しかしそれだけが記事の価値ではありません。
AIには書けない、人間ならではの記事の価値について具体的に見ていきます。
その人自身の思考や行動の変遷
AIは一般論を教えてくれますが、個人の成長の記録は書けません。
例えば次のような変化は、その人にしか書けない貴重な記録です。
- 初心者の頃はこうだったけど、○年目にもなるとこう
- 自分がメンバーのときはこうだったけど、部下を持ったらこう
- 得意な作業ばかりしていたときはこうだったけど、苦手な作業が増えたらこう
例えばデザイナーである私の観点としてなら、昔はデザインレビューを「世に出すモノのクオリティを上げるためのステップ」のように捉えていましたが、部下を持つ今では「制作した人が新しい観点を得たり、次回に活かせる学びを得るステップ」という観点も増えました。
単にAIに「デザインレビューとは何ですか?」と聞いても、このような立場ごとの観点の違いには言及されないと思います。
そして、それがその人特有の変化であっても、条件が近い人はほぼ必ずいます。
だからこそ、意外と他者に響き、助けになることも多いのです。
ミスをした記録、苦労した記録
AIはベストプラクティスを教えてくれますが、逆に「これは避けた方が良い」といった情報は得づらいと思います。
記録として残せる失敗には、例えばこんなものがあります。
- シンプルに技術力の足りなさによるミス
- 世の中の動向などを読み間違えたことによるミス
- 人間関係や上司の意向など、外部的な要因による苦労
上手くいったことや格好いいエピソードが書かれている記事は多いです。
しかし、どの組織でも大抵、その裏には多くの失敗があります。
以前、パッチバージョンしか違わないのにずっとエラーが消えなくて困ったことがありました。
そして、ほぼ同じ状況の人の記事を見つけ、ひとまず対処できたという経験があります。
公式ドキュメントには載っておらず、Issueも1, 2件くらいしかなかった(それも、全然反応されていなかった)と思います。
そんな状況だったので、AIから望むような回答は出てきませんでした。
話せる範囲だけでも、そういう苦労を共有することで、後の多くの人のガードレールになる可能性があります。
むしろ「こう考えて間違えた」という過程こそが、同じように悩んでいる人にとって価値があるのです。
特定の意図を持った測定や比較
AIは一般的な比較は得意ですが、特定の意図を持って、狭く深く測定するのは苦手です。
人間だからこそできる測定には、こんなものがあります。
- 狭い分野だけに特化した測定
- 一見すると似ていない技術同士の比較
- パッチバージョン同士など、細かすぎる比較
例えば「Next.jsとRemixの比較」という記事はたくさんありますが、「AIに同じ指示を与えたら、SymfonyとSvelte、どちらでどれだけトークンを消費するか」という記事は見たことがありますか。
私が関わっている場所で、まさに上記の比較が必要になったタイミングがありました。
「うちの会社の制約条件下でどちらを選ぶべきか」を検証した記事は、同じような状況の人にとって唯一無二の情報です。
正直、ニッチ過ぎて誰も参考にできないこともあるかもしれません。
しかしときには「まさに自分と同じ状況!」という記事に出会い助けられることもあります。
だからこそ、あなたの特定の状況での測定結果は、誰かにとって価値があるのです。
主観的な感想や温度感の共有
AIは客観的な情報を教えてくれますが、「使ってみてどう感じたか」という主観は人間にしか書けません。
- このライブラリは簡単だった
- このフレームワークは学習コストが高かった
- このツールは思ったより局所的にしか使えないかも
公式のデモを見て多くの人が盛り上がっている中、実際に試してみて「結構制約が多いから、デモ通りの価値発揮ができる場面は少ないかもしれない」といった記事に出会い、俯瞰的に向き合えた経験があります。
主観的な感想は、同じような選択を迫られている人にとって、ときには客観的な情報よりも価値があることもあります。
「でもAIの方が正確だし...」という不安について
ここまで読んで「それでも自分の知識が間違っているかもしれないし...」と思った方もいるかもしれません。
確かに、AIはドキュメントが充実しているときなどは、正確な情報を提供してくれることが多いです。
しかし記事の価値は正確性だけではありません。
AIが「一目で分かる正解」を教えてくれるので、人間は「過程」や「試行錯誤」に注力して書くことができます。
先ほどまでも記載していましたが、人間にしか書けない記事というのもまだまだ存在し、それは正確性だけで価値を測れるものではないと思います。
記事を書くことで得られるもう一つの価値
実は、記事を書くことには、読者に価値を提供する以外にもう一つの大きな価値があります。
それは、書くことで自分自身の理解が深まることです。
以前、分かったつもりになっていたトピックについて、いざ記事にしようとしたら全然書けませんでした。
記事を書く過程で改めて調べ直し、実験用のリポジトリを作って動かし、実装内容を読んで記事にしているうちに、さすがに理解が深まりました。
完璧に理解してから書くのではなく、書くことで理解を深める、という順番でも良いのです。
そして、その過程で得た気づきこそが、他の人にとっても価値のある情報になることが多いのです。
まとめ
AIが完璧な答えを出してくれる時代になっても、人間が記事を書く意味はあります。
- あなた自身の成長の記録
- あなたが経験した失敗や苦労
- あなたの状況に特化した測定や比較
- あなたが感じた主観的な感想
これらはすべて、あなたにしか書けない、唯一無二の情報です。
あなたの経験や視点を記事にすることで、同じような状況で悩んでいる誰かを助けることができるはずです。
そして、書くことであなた自身の理解も深まります。