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AIが答えを教えてくれる時代に、それでも記事を書く理由

Last updated at Posted at 2025-12-24

プロローグ

先日、CIのエラーで詰まっている後輩がいて、助けを求められました。

ただ私もパッと見ただけでは分からず「ログを全部AIに渡して解決してもらおう」と提案しました。

無事に解決できたので、私から「今回の内容でQiitaにアウトプットできるね」と言ったら後輩は「自分は何もしていないので、アウトプットするに値しないと思います(意訳)」と言うのでした。

概要

エラーの直し方や、機能の具体的な使い方などは、AIに聞けばすぐに分かる時代になってきました。

昔から「初心者のアウトプットは品質が低い」「間違った情報を広めるべきではない」という意見がありましたが、AI時代の今、そういった声はより大きくなっている気もします。

しかし本当にそうなのでしょうか。

私は「特定の、とても詳しい人だけがアウトプットすべき」とは思いません。
AIが適切な答えを出してくれる今でも、人間が記事を書く価値はあると思います。

AIには書けない、人間ならではの記事の価値について記事にしてみました。

最初にまとめ

以下のようなものはAIからは出てこないので、人間が書く意味があると思います。

  • その人自身の思考や行動の変遷
  • ミスをした記録、苦労した記録
  • 特定の意図を持った測定や比較
  • 主観的な感想や温度感の共有

すべてに共通しているのは、正しさ以外の価値は人間が書くからこそ生み出せるはず、という価値観です。

対象読者

  • 自分自身が知っていることに、AIが出す回答以上の価値がない、と思い込んでいる人
  • アウトプットすること自体が怖い・ハードルが高いと感じている人

AIにできないこと、人間だから書けること

AIは正しい答えを教えてくれます。
しかしそれだけが記事の価値ではありません。

AIには書けない、人間ならではの記事の価値について具体的に見ていきます。

その人自身の思考や行動の変遷

AIは一般論を教えてくれますが、個人の成長の記録は書けません。

例えば次のような変化は、その人にしか書けない貴重な記録です。

  • 初心者の頃はこうだったけど、○年目にもなるとこう
  • 自分がメンバーのときはこうだったけど、部下を持ったらこう
  • 得意な作業ばかりしていたときはこうだったけど、苦手な作業が増えたらこう

例えばデザイナーである私の観点としてなら、昔はデザインレビューを「世に出すモノのクオリティを上げるためのステップ」のように捉えていましたが、部下を持つ今では「制作した人が新しい観点を得たり、次回に活かせる学びを得るステップ」という観点も増えました。

単にAIに「デザインレビューとは何ですか?」と聞いても、このような立場ごとの観点の違いには言及されないと思います。

そして、それがその人特有の変化であっても、条件が近い人はほぼ必ずいます。

だからこそ、意外と他者に響き、助けになることも多いのです。

ミスをした記録、苦労した記録

AIはベストプラクティスを教えてくれますが、逆に「これは避けた方が良い」といった情報は得づらいと思います。

記録として残せる失敗には、例えばこんなものがあります。

  • シンプルに技術力の足りなさによるミス
  • 世の中の動向などを読み間違えたことによるミス
  • 人間関係や上司の意向など、外部的な要因による苦労

上手くいったことや格好いいエピソードが書かれている記事は多いです。
しかし、どの組織でも大抵、その裏には多くの失敗があります。

以前、パッチバージョンしか違わないのにずっとエラーが消えなくて困ったことがありました。
そして、ほぼ同じ状況の人の記事を見つけ、ひとまず対処できたという経験があります。
公式ドキュメントには載っておらず、Issueも1, 2件くらいしかなかった(それも、全然反応されていなかった)と思います。
そんな状況だったので、AIから望むような回答は出てきませんでした。

話せる範囲だけでも、そういう苦労を共有することで、後の多くの人のガードレールになる可能性があります。
むしろ「こう考えて間違えた」という過程こそが、同じように悩んでいる人にとって価値があるのです。

特定の意図を持った測定や比較

AIは一般的な比較は得意ですが、特定の意図を持って、狭く深く測定するのは苦手です。

人間だからこそできる測定には、こんなものがあります。

  • 狭い分野だけに特化した測定
  • 一見すると似ていない技術同士の比較
  • パッチバージョン同士など、細かすぎる比較

例えば「Next.jsとRemixの比較」という記事はたくさんありますが、「AIに同じ指示を与えたら、SymfonyとSvelte、どちらでどれだけトークンを消費するか」という記事は見たことがありますか。
私が関わっている場所で、まさに上記の比較が必要になったタイミングがありました。
「うちの会社の制約条件下でどちらを選ぶべきか」を検証した記事は、同じような状況の人にとって唯一無二の情報です。

正直、ニッチ過ぎて誰も参考にできないこともあるかもしれません。
しかしときには「まさに自分と同じ状況!」という記事に出会い助けられることもあります。

だからこそ、あなたの特定の状況での測定結果は、誰かにとって価値があるのです。

主観的な感想や温度感の共有

AIは客観的な情報を教えてくれますが、「使ってみてどう感じたか」という主観は人間にしか書けません。

  • このライブラリは簡単だった
  • このフレームワークは学習コストが高かった
  • このツールは思ったより局所的にしか使えないかも

公式のデモを見て多くの人が盛り上がっている中、実際に試してみて「結構制約が多いから、デモ通りの価値発揮ができる場面は少ないかもしれない」といった記事に出会い、俯瞰的に向き合えた経験があります。

主観的な感想は、同じような選択を迫られている人にとって、ときには客観的な情報よりも価値があることもあります。

「でもAIの方が正確だし...」という不安について

ここまで読んで「それでも自分の知識が間違っているかもしれないし...」と思った方もいるかもしれません。

確かに、AIはドキュメントが充実しているときなどは、正確な情報を提供してくれることが多いです。

しかし記事の価値は正確性だけではありません。

AIが「一目で分かる正解」を教えてくれるので、人間は「過程」や「試行錯誤」に注力して書くことができます。

先ほどまでも記載していましたが、人間にしか書けない記事というのもまだまだ存在し、それは正確性だけで価値を測れるものではないと思います。

記事を書くことで得られるもう一つの価値

実は、記事を書くことには、読者に価値を提供する以外にもう一つの大きな価値があります。

それは、書くことで自分自身の理解が深まることです。

以前、分かったつもりになっていたトピックについて、いざ記事にしようとしたら全然書けませんでした。
記事を書く過程で改めて調べ直し、実験用のリポジトリを作って動かし、実装内容を読んで記事にしているうちに、さすがに理解が深まりました。

完璧に理解してから書くのではなく、書くことで理解を深める、という順番でも良いのです。

そして、その過程で得た気づきこそが、他の人にとっても価値のある情報になることが多いのです。

まとめ

AIが完璧な答えを出してくれる時代になっても、人間が記事を書く意味はあります。

  • あなた自身の成長の記録
  • あなたが経験した失敗や苦労
  • あなたの状況に特化した測定や比較
  • あなたが感じた主観的な感想

これらはすべて、あなたにしか書けない、唯一無二の情報です。

あなたの経験や視点を記事にすることで、同じような状況で悩んでいる誰かを助けることができるはずです。
そして、書くことであなた自身の理解も深まります。

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