はじめに
2024年まで「AIエンジニア」と言えば、モデルを学習させる人のことだった。今は違う。LLMのAPIを叩いてRAGを構築し、エージェントをオーケストレーションし、プロンプトを最適化して本番に乗せる。求められるスキルセットがまるごと入れ替わっている。
問題は、この新しいスキルセットを体系的に学べる日本語の本がまだ少ないことだ。断片的なブログ記事やLangChainのチュートリアルだけで進めていると、動くものは作れるが、設計判断の根拠がない状態になる。
今回紹介する5冊は、英語圏で2025年以降に出版された(あるいは改訂された)AIエンジニアリングの定番書だ。LLMの仕組みを理解し、RAGを設計し、エージェントを構築し、プロンプトを本番品質に仕上げ、すべてをプロダクションで運用する——その全体像を1人で描けるようになるための5冊を選んだ。
① AIエンジニアリング ―基盤モデルを用いたAIアプリケーション開発の基礎と実践
原著:AI Engineering: Building Applications with Foundation Models
著者:Chip Huyen
2026年に1冊だけAIエンジニアリングの本を読むなら、迷わずこれを推す。
著者のChip HuyenはNVIDIA、Netflixでツールを構築し、StanfordでMLシステムデザインの講義を持ち、Claypot AIを共同創業した人物。彼女の前著『Designing Machine Learning Systems』は前回の記事で紹介したが、本書はその続編ではなくファウンデーションモデル時代の新しい教科書だ。
この本が扱うのは、基盤モデルを使ったアプリケーション構築の全工程。プロンプトエンジニアリング、RAGのアーキテクチャ、ファインチューニングの判断基準、評価パイプライン(AI-as-a-judgeを含む)、推論の最適化、データキュレーション——AIエンジニアリングのスタック全体を俯瞰できる。
注意点として、コードは少ない。チュートリアル本ではなく思考のフレームワークを与える本だ。「RAGとファインチューニング、どちらを選ぶべきか」「評価はどう設計するか」といった設計判断を下すための判断軸が欲しい人に向いている。
O'Reillyで2025年1月の発売以来ずっと最も読まれている本であり、6言語に翻訳されている。
こんな人に: ソフトウェアエンジニアからAIエンジニアへ転向する人。AIシステム全体の設計判断をリードする立場の人。
② つくりながら学ぶ!LLM 自作入門
原著:Build a Large Language Model (From Scratch)
著者:Sebastian Raschka
ほとんどのエンジニアはLLMを使っているが、その中身を理解している人は驚くほど少ない。
著者のSebastian Raschkaは10年以上AIの研究と教育に携わってきた人物で、Lightning AIでの実務経験とウィスコンシン大学での教育経験を持つ。彼のMLに関する著書は何冊もベストセラーになっている。
この本では、GPTスタイルのLLMをPyTorchでゼロから構築する。トークン化から始まり、注意機構、完全なTransformerアーキテクチャ、事前学習、分類タスクと指示応答のためのファインチューニングまで、すべてをステップバイステップでコードにする。
なぜこれが重要かというと、LLMの内部構造を理解しているかどうかで、トラブルシューティングの質がまったく変わるからだ。プロンプトを変えても精度が上がらないとき、モデルの内部で何が起きているかを想像できるかどうかは大きな差になる。
前提としてPythonの中級スキルと線形代数の基礎が必要だが、コードを写経しながら進めれば、読み終える頃にはLLMが魔法の箱ではなくなっている。
こんな人に: LLMの中身を本当に理解したい人。「APIを叩くだけ」の状態から一歩踏み込みたいエンジニア。
③ 直感 LLM ―ハンズオンで動かして学ぶ大規模言語モデル入門
原著:Hands-On Large Language Models: Language Understanding and Generation
著者:Jay Alammar & Maarten Grootendorst
Jay AlammarはCohere(LLM APIプロバイダー大手)のDirector兼Engineering Fellowで、彼のTransformer解説ブログは世界中のエンジニアに読まれている。Maarten GrootendorstはBERTopicやKeyBERTの開発者で、臨床データサイエンティストとしての実務経験も持つ。
この本の最大の特徴は、ビジュアルの豊富さだ。Transformerのアーキテクチャ、セマンティック検索のパイプライン、ファインチューニングのプロセス——すべてが図解で説明される。テキストだけでは「なんとなく」だった概念が、図を見た瞬間にカチッとハマる感覚がある。
内容は言語理解と生成の両面をカバーしている。セマンティック検索エンジン、テキスト分類、トピックモデリング、チャットボットの構築まで、実用的なプロジェクトを通じて学べる。RAGパイプラインの構築手順も段階的に解説されている。
②のRaschka本が「底から積み上げる」アプローチなら、こちらは「使う側から理解を深める」アプローチ。視覚的に学ぶほうが頭に入りやすい人には、こちらのほうが合う。
こんな人に: 図で理解したい派の人。セマンティック検索やRAGを実装したい人。テキスト中心の本で挫折した経験がある人。
④ LLM Engineer's Handbook
原著:LLM Engineer's Handbook: Master the art of engineering large language models from concept to production
著者:Paul Iusztin & Maxime Labonne
プロトタイプは作れる。でも本番環境に載せるとなると、途端に何もわからなくなる——この本はその壁を壊すために書かれた。
著者のPaul IusztinはMetaphysic、CoreAIなどで生成AIとコンピュータビジョンのプロダクトを構築してきたシニアAIエンジニア。彼のオープンソースプロジェクト「LLM Twin」(自分自身のAIバージョンを作るプロジェクト)をベースに、エンドツーエンドのLLMアプリケーションをデータ収集からAWSへのデプロイまで構築する。
この本がカバーする範囲は広い。データエンジニアリングパイプライン、特徴量ストア、preference alignmentによるファインチューニング、RAG実装、評価フレームワーク、LLMOpsのデプロイパターン。コード、アーキテクチャ図、実際のデプロイパターンが揃っている。
①のChip Huyen本が「設計の考え方」を教えてくれるのに対し、こちらは「具体的な実装と運用の手順」を教えてくれる。両方読むと、設計判断とその実装が繋がって理解が一気に深まる。
PythonとAWSの基礎知識が前提。
こんな人に: LLMアプリケーションを本番環境で運用する責任を持つ人。「ノートブックで動く」から「ユーザーに使われる」に進みたい人。
⑤ LLMのプロンプトエンジニアリング ―GitHub Copilotを生んだ開発者が教える生成AIアプリケーション開発
原著:Prompt Engineering for LLMs: The Art and Science of Building Large Language Model–Based Applications
著者:John Berryman & Albert Ziegler
プロンプトエンジニアリングは、表面的には簡単に見える。しかし本番環境でスケールさせようとすると、アマチュアとプロの差が歴然と出る。
この本は「本番で動くプロンプト」を書くエンジニア向けに書かれている。few-shotプロンプティング、chain-of-thought推論、コストとパフォーマンスのためのプロンプト最適化、エラーハンドリング戦略まで、体系的にカバーしている。
特に価値があるのは、モデル非依存のアプローチを取っている点だ。OpenAI、Claude、オープンソースLLM——どのモデルを使う場合でも適用できるテクニックとして解説されている。特定のAPIに依存しないので、プロバイダーを切り替えても知識が無駄にならない。
自分が最も参考になったのは「プロンプトのロバスト性」に関する章だ。テストでは完璧に動くプロンプトが本番で壊れる理由と、それを防ぐためのパターンが体系的にまとまっている。
こんな人に: LLMを使った機能を本番で運用しているエンジニア。「テストでは動くのに本番で精度が出ない」問題に悩んでいる人。
まとめ:どの順番で読むか
| ステップ | 読む本 | 得られるもの |
|---|---|---|
| 1. 全体像を掴む | AIエンジニアリング (Chip Huyen) | AIエンジニアリングの地図と設計判断の軸 |
| 2. 内部を理解する | つくりながら学ぶ!LLM 自作入門 (Raschka) | LLMが「魔法の箱」でなくなる |
| 3. 実装力をつける | 直感 LLM (Alammar) | RAG、検索、分類の実践力 |
| 4. 本番に載せる | LLM Engineer's Handbook (Iusztin) | 本番運用の設計と実装 |
| 5. プロンプトを磨く | LLMのプロンプトエンジニアリング (Berryman) | 本番品質のプロンプト設計力 |
全部読む必要はない。今の自分のボトルネックがどこにあるかで選べばいい。
- 「何から始めればいいかわからない」→ ①から
- 「LLMの中身がブラックボックスのまま」→ ②から
- 「RAGを作りたいが設計がわからない」→ ③から
- 「プロトタイプは作れるが本番化できない」→ ④から
- 「プロンプトの精度が安定しない」→ ⑤から