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ゼロ知識証明とは何か:秘密を見せずに正しさを証明する考え方

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概要

たとえば、あるサービスで「20歳以上であること」を確認したい場面を考えてみます。

このとき、本当に相手に伝える必要があるのは、住所でも、氏名でも、生年月日そのものでもありません。
必要なのは、あくまで 「20歳以上である」 という条件を満たしているかどうかです。

しかし現実には、年齢確認のために身分証を見せると、生年月日だけでなく、氏名や住所など、確認したい内容以上の情報まで相手に見えてしまうことがあります。

「条件を満たしていることだけを示したい」
「でも、その根拠になる秘密情報はできるだけ見せたくない」

このような場面で登場する考え方の一つが、ゼロ知識証明です。

ゼロ知識証明は、ざっくり言うと、秘密そのものを見せずに、ある主張が正しいことだけを相手に納得してもらうための技術です。

NIST CSRCの用語集では、ゼロ知識証明は「証明者が検証者に対して、ある statement が真であることを、その真偽以上の情報を与えずに納得させる暗号方式」と説明されています。
参考: NIST CSRC Glossary - Zero-Knowledge Proof

また、NISTのPrivacy-Enhancing Cryptographyプロジェクトでも、ゼロ知識証明は数学的な主張の正しさを、追加情報を明かさずに証明する技術として位置づけられています。
参考: NIST Privacy-Enhancing Cryptography - Zero-Knowledge Proof

ただし、この説明だけを読むと少し固く感じるかもしれません。

そこで本記事では、いきなり数式や難しい証明から入るのではなく、年齢確認、会員資格、ログイン、ブロックチェーンなどの身近な例から、ゼロ知識証明の考え方を少しずつ整理します。

本記事では、次の流れで整理します。

  1. 年齢確認や会員確認のような身近な場面から、秘密を見せすぎる課題を考える
  2. ゼロ知識証明の基本的な考え方と、証明者・検証者・witness・proofなどの用語を整理する
  3. 完全性・健全性・ゼロ知識性という3つの性質を見る
  4. 対話型・非対話型、zk-SNARK・zk-STARKの位置づけを整理する
  5. ブロックチェーンやデジタルIDでの使われ方を見る
  6. ゼロ知識証明だけでは安全にならない理由を確認する
  7. 暗号技術全体の中での位置づけを振り返る

この記事では、特定のライブラリを使った本格的なZKPアプリ開発までは扱いません。
まずは、「秘密を見せずに証明する」とはどういう考え方なのかを理解することを目的にします。

この記事で分かること

この記事では、次のような疑問に答えることを目指します。

  • 「秘密を見せずに証明する」とは、どういう意味なのか
  • 証明者、検証者、witness、proof とは何か
  • 完全性、健全性、ゼロ知識性は何を表しているのか
  • 対話型と非対話型の違いは何か
  • zk-SNARKやzk-STARKは、ゼロ知識証明とどう関係するのか
  • ブロックチェーンやデジタルIDでは、どのように使われるのか
  • ゼロ知識証明を使うときに注意すべきことは何か

暗号技術と聞くと、「情報を読めない形に変換するもの」というイメージが強いかもしれません。
しかし、ゼロ知識証明はそれとは少し違います。

ゼロ知識証明は、秘密を単に隠すだけでなく、秘密を隠したまま、必要なことだけを相手に確認してもらう ための考え方です。

本記事では、この技術を「難しい暗号理論」としてではなく、プライバシーを守りながら信頼できる確認を行うための道具として見ていきます。

対象読者

この記事は、次のような人を想定しています。

  • 情報セキュリティや暗号技術を学び始めた人
  • 「ゼロ知識証明」という言葉は聞いたことがあるが、何がすごいのかまだ曖昧な人
  • ブロックチェーンやWeb3の文脈で zk-SNARK / zk-STARK という言葉を見かけた人
  • デジタルIDやプライバシー保護に関心がある人
  • 数式に入る前に、まず全体像と使いどころをつかみたい人

本記事で扱わないこと

本記事は、ゼロ知識証明の入口として全体像をつかむことを目的にしています。
そのため、以下の内容は深く扱いません。

  • ゼロ知識証明の厳密な数学的定義
  • 個別プロトコルの詳細な証明
  • zk-SNARKやzk-STARKの内部構造
  • Circom、Noir、Halo2などを使った回路実装
  • ブロックチェーン上での具体的なコントラクト実装
  • 実サービスに導入するための詳細な運用設計

これらは重要な内容ですが、最初からすべてを扱うと全体像が見えにくくなります。
本記事ではまず、「なぜ必要なのか」「何を証明しているのか」「どこで使われているのか」を中心に整理します。

また、本記事に出てくるコードは、考え方を理解するための学習用サンプルです。
実際のサービスでは、利用しているZKPライブラリやプロトコルの公式ドキュメントを確認し、独自実装ではなく、検証された機能を使うことを前提にしてください。

コードを試す場合の前提

本記事では、考え方を確認するためにPythonの短いコードをいくつか使います。
コードを手元で試す場合は、次の前提で読んでください。

項目 内容
目的 ゼロ知識証明の考え方を理解するための学習用
想定環境 Python 3.x系
標準ライブラリ hashlibsecretsrandom など
外部ライブラリ なし
注意点 実サービスのZKP実装へそのまま流用しない

本記事のコードでは、小さな素数や単純化した処理を使います。
これは、仕組みの雰囲気を追いやすくするためです。

実際の暗号システムでは、十分に検証されたライブラリ、安全なパラメータ、暗号用途に適した乱数生成、実装レビュー、運用設計が必要になります。
そのため、本記事のコードは「考え方を理解するための模型」として扱ってください。

全体の流れ

この記事では、次の順番で話を進めます。

最初は身近な例から入り、少しずつ用語と仕組みに進みます。
そのあと、実際の使われ方と「ZKPだけでは安全にならない理由」を見ることで、「ZKPは便利そう」で終わらず、どのような場面で慎重に使う必要があるのかまで整理します。


1. なぜ「秘密を見せずに証明する」必要があるのか

この章では、ゼロ知識証明の細かい仕組みに入る前に、そもそも なぜ秘密を見せずに証明したい場面があるのか を整理します。
最初に見るべきポイントは、「相手が本当に知りたいこと」と「実際に渡してしまいがちな情報」は、必ずしも同じではないという点です。

1.1 本当に必要なのは「条件を満たしているか」だけかもしれない

日常の中には、「何かを証明するために、必要以上の情報を見せている」場面がたくさんあります。

たとえば、年齢確認を考えてみます。

お店やサービス側が知りたいのは、多くの場合、その人が一定の年齢条件を満たしているか です。
しかし、身分証をそのまま見せると、生年月日だけでなく、氏名、住所、顔写真、身分証番号なども一緒に見えてしまうことがあります。

もちろん、現実の本人確認では、法律やサービス運用の都合上、本人性や記録のために追加情報が必要な場合もあります。
そのため、「年齢確認では常に年齢条件だけを見ればよい」と単純に言い切ることはできません。

ただ、考え方としては次の問いが重要です。

本当に確認したいことに対して、必要以上の情報まで相手に渡していないだろうか。

ゼロ知識証明は、この問いに対する暗号技術側からのアプローチの一つです。

1.2 「確認したいこと」と「見えてしまう情報」を分けて考える

ゼロ知識証明の必要性を理解するには、まず「確認したいこと」と「相手に見えてしまう情報」を分けて考えると分かりやすいです。

場面 本当に確認したいこと 見えてしまいがちな情報 課題
年齢確認 20歳以上かどうか 生年月日、氏名、住所、顔写真 年齢条件以外の個人情報まで伝わる可能性がある
会員資格の確認 有効な会員かどうか 会員番号、氏名、利用履歴に関係する情報 「会員であること」以上の情報が見える可能性がある
ログイン・認証 正しい権限を持つ人かどうか パスワードや秘密情報そのもの 秘密を直接渡す設計は漏えい時のリスクが大きい
ブロックチェーン取引 取引や計算結果が正しいかどうか 送信者、受信者、金額、計算内容 公開検証とプライバシー保護を両立しにくい
デジタル資格情報 条件を満たす資格を持つかどうか 資格情報全体、識別子、発行情報 必要な属性だけを見せたい場面がある

この表のポイントは、どの場面でも 確認したいことは意外と小さい という点です。

年齢確認なら「20歳以上か」。
会員確認なら「有効な会員か」。
ブロックチェーンなら「この取引や計算結果は正しいか」。

一方で、実際にはその根拠となる情報を丸ごと見せてしまうことがあります。
ここに、プライバシー上の課題が生まれます。

W3CのVerifiable Credentials Data Model v2.0でも、ゼロ知識証明を使うと、たとえば誕生日を明かさずに「25歳以上であること」を証明できるような仕組みが可能だと説明されています。
参考: W3C Verifiable Credentials Data Model v2.0 - Zero-Knowledge Proofs

また、同仕様では、選択的開示によって、検証者が必要とする情報だけを提示し、それ以上を出さない形が説明されています。
参考: W3C Verifiable Credentials Data Model v2.0 - Selective Disclosure

1.3 「見せる」以外の証明方法を考える

何かを証明するとき、私たちはよく「証拠をそのまま見せる」方法を使います。

たとえば、学生であることを示すなら学生証を見せる。
年齢を示すなら身分証を見せる。
会員であることを示すなら会員証を見せる。

これは分かりやすい方法ですが、証拠そのものを見せるため、必要以上の情報が伝わる場合があります。

そこで、別の考え方が出てきます。

ゼロ知識証明は、後者の 「条件を満たすことだけを示す」 方向の技術です。

ここで大切なのは、ゼロ知識証明が「相手を信用しなくてよい魔法」ではないということです。
むしろ、相手に渡す情報を最小限にしつつ、それでも検証できる形を作るための仕組みと考えると分かりやすいです。

1.4 身近な例:合言葉を言わずに、合言葉を知っていることを示す

ゼロ知識証明の直感的な例として、よく使われるのが「秘密の合言葉を知っていることを、合言葉そのものを言わずに示す」という考え方です。

普通に考えると、合言葉を知っていることを証明するには、相手に合言葉を言えばよさそうです。
しかし、一度言ってしまうと、相手もその合言葉を知ってしまいます。

それでは、合言葉を守れません。

そこで理想的には、次のような確認ができるとうれしいです。

  • 私は合言葉を知っている
  • でも、合言葉そのものはあなたに教えない
  • あなたは、私が本当に合言葉を知っていると納得できる

これが、ゼロ知識証明の直感に近い考え方です。

💡 豆知識
ゼロ知識証明の説明では、「アリババの洞窟」という有名なたとえ話がよく使われます。
洞窟の奥に魔法の扉があり、秘密の合言葉を知っている人だけが反対側から出てこられる、という話です。
合言葉を直接言わなくても、何度も試すことで「この人は本当に合言葉を知っていそうだ」と確認できる、という直感を説明するために使われます。

ただし、この洞窟の例はあくまで直感をつかむためのたとえです。
実際のゼロ知識証明では、数学的な問題や暗号プロトコルを使って、主張の正しさを検証できる形にします。

Ethereum公式ドキュメントでも、ゼロ知識証明は「statementの正しさを、そのstatement自体を明かさずに証明する方法」と説明されており、証明する側を prover、検証する側を verifier と呼んでいます。
参考: Ethereum.org - Zero-knowledge proofs

1.5 ブロックチェーンでは「公開検証」と「プライバシー」の両立が課題になる

ゼロ知識証明は、ブロックチェーンの文脈でもよく登場します。

ブロックチェーンでは、多くの参加者が同じ台帳を確認し、取引や状態の正しさを検証します。
これは透明性の面では大きな利点です。

一方で、すべてが公開されると、プライバシーの面では課題が出ます。

たとえば、取引が正しいことはみんなで確認したい。
でも、送金者、受信者、金額、細かな計算内容まですべて見せたいとは限らない。

このようなときに、ゼロ知識証明は次のような方向で使われます。

この図で大切なのは、検証者が見るのは秘密情報そのものではなく、秘密情報に基づいて作られた証明 だという点です。

Ethereum公式ドキュメントでは、ゼロ知識証明のユースケースとして、匿名決済、ID保護、検証可能な計算などが紹介されています。
ただし、同時に、証明生成や検証の計算コスト、信頼仮定などの課題も説明されています。
参考: Ethereum.org - Use-cases for zero-knowledge proofs

そのため、本記事でも「ゼロ知識証明を使えば何でも安全になる」とは書きません。
あくまで、プライバシーを守りながら検証可能性を高めるための有力な道具として整理します。

1.6 この章のまとめ

ここまでの話をまとめると、ゼロ知識証明が向き合っている問いは次のように表せます。

秘密情報を見せずに、相手が納得できるだけの正しさをどう示すか。

もう少し具体的にすると、次のような問いです。

問い
秘密を見せずに条件を満たすことを示せるか 生年月日を見せずに20歳以上であることを示す
入力を隠したまま計算結果の正しさを示せるか 計算過程を見せずに、結果が正しく計算されたことを示す
取引内容を隠しながら、取引の有効性を検証できるか 送金額などを隠しつつ、不正な取引ではないことを示す
資格情報全体を見せずに、必要な属性だけを示せるか 住所やID番号を見せずに、特定の資格を持つことを示す

NISTのPrivacy-Enhancing Cryptographyプロジェクトでは、ゼロ知識証明を、数学的な主張の正しさを追加情報なしで証明する技術として説明しています。
また、秘密情報である witness と、公開された instance が整合することを通じて主張を証明する、という考え方も紹介されています。
参考: NIST Privacy-Enhancing Cryptography - Zero-Knowledge Proof

この説明は少し専門的ですが、この記事ではまず次のように理解しておけば十分です。

ゼロ知識証明は、秘密を見せずに「ちゃんと条件を満たしている」と示すための技術である。

次の章では、この考え方をもう少し整理し、ゼロ知識証明を構成する基本用語を見ていきます。


2. ゼロ知識証明の考え方

この章では、ゼロ知識証明を一言で説明したうえで、どのような流れで「秘密を見せずに正しさを示す」のかを整理します。
まだ厳密な数学には入りませんが、最後に小さなサンプルコードを使って、ゼロ知識証明でよく出てくる考え方を雰囲気として確認します。

2.1 一言でいうと

ゼロ知識証明は、一言でいうと次のような技術です。

秘密そのものを見せずに、ある主張が正しいことだけを相手に納得してもらう仕組み

ここでいう「主張」とは、たとえば次のようなものです。

主張の例 見せたくない秘密情報の例
私は20歳以上である 生年月日、身分証番号、住所
私は有効な会員である 会員番号、氏名、利用履歴
私はこの公開鍵に対応する秘密鍵を知っている 秘密鍵そのもの
この計算結果は正しく作られている 入力値、途中計算、内部データ
この取引はルールを満たしている 送金額や送金元などの詳細

このように見ると、ゼロ知識証明が扱いたいのは「秘密をどう相手に渡すか」ではありません。
むしろ、秘密を渡さずに、秘密に関する条件だけを検証できるようにする ことが中心です。

NISTのPrivacy-Enhancing Cryptographyプロジェクトでも、ゼロ知識証明は、数学的な主張の正しさを、その正しさを見つけるために役立つ追加情報を明かさずに証明する技術として説明されています。
参考: NIST Privacy-Enhancing Cryptography - Zero-Knowledge Proof

2.2 「知識ゼロ」は、何も分からないという意味ではない

「ゼロ知識」という名前だけ見ると、検証者が本当に何も分からないように聞こえるかもしれません。

しかし、ここでいう「知識ゼロ」は、検証者が何も学ばない という意味ではありません。
検証者は、少なくとも「その主張が正しいらしい」ということは学びます。

大切なのは、それ以上の余計な情報を学ばないことです。

たとえば、年齢確認で考えると次のようになります。

検証者が知ってよいこと できれば知られたくないこと
20歳以上である 正確な生年月日
条件を満たしている 住所、氏名、身分証番号
証明が正しく検証できた 証明のもとになった秘密情報

Ethereum公式ドキュメントでも、ゼロ知識証明は、ある statement の正しさを、その statement に関する追加情報を明かさずに証明する方法として説明されています。
参考: Ethereum.org - Zero-knowledge proofs

💡 豆知識
「ゼロ知識」という名前は少し強い表現ですが、初学者向けには
“主張が正しいこと以外の余計な情報を渡さない”
と理解すると分かりやすいです。
つまり、検証者は「OKかどうか」は分かるけれど、「なぜOKなのかの秘密」は分からない、というイメージです。

2.3 ゼロ知識証明の基本形

ゼロ知識証明では、ざっくり次の3つを分けて考えます。

要素 意味
statement 証明したい公開の主張 「私は20歳以上である」
witness 主張を成り立たせる秘密情報 生年月日、秘密鍵、入力データ
proof witnessを直接見せずに作る証明データ 検証者に渡す確認用データ

この3つを図にすると、次のようになります。

この図で一番大切なのは、witnessが検証者へ直接渡らない ことです。

検証者は、statementとproofを使って確認します。
一方で、proofを作るために使われた秘密情報そのものは、検証者に見せません。

もちろん、現実のゼロ知識証明では、この「見せない」を数学的に成り立たせるために、ハッシュ関数、群、楕円曲線、コミットメント、回路、制約システムなど、さまざまな仕組みが使われます。
ただ、最初の理解としては、次の関係を押さえておけば十分です。

秘密情報 witness
    ↓ 直接は見せない
証明者が proof を作る
    ↓
検証者は statement と proof だけで確認する

2.4 直感的な流れ:証明者と検証者のやり取り

ゼロ知識証明の基本的な雰囲気は、証明者と検証者のやり取りとして見ると分かりやすいです。

初期のゼロ知識証明では、証明者と検証者が何度かやり取りする 対話型 の形がよく使われます。
一方で、ブロックチェーンのように、あとから多くの人が検証したい場面では、1つのproofを作って公開し、それを誰でも検証できる 非対話型 の形が重要になります。

この違いは後の章で詳しく扱います。
ここではまず、「証明者は秘密を知っている」「検証者は秘密そのものではなく、証明を検証する」と押さえておけば大丈夫です。

2.5 小さなアルゴリズム例:秘密の数を見せずに、知っていることを示す

ここからは、かなり小さな例で「秘密を見せずに、秘密を知っていることを示す」流れを見てみます。

例として、Schnorr識別プロトコルの考え方を非常に小さな数で簡略化します。
Schnorr系の証明は、離散対数と呼ばれる問題に関係する証明で、RFC 8235ではSchnorrの非対話型ゼロ知識証明が、離散対数を知っていることを、その値を漏らさずに証明できる仕組みとして説明されています。
参考: RFC 8235 - Schnorr Non-interactive Zero-Knowledge Proof

ただし、ここで示すコードは 教育用のかなり小さな例 です。
実際の暗号システムで使える安全な実装ではありません。

考え方

証明者は、秘密の数 x を知っています。
公開されている値 y は、次のように作られているとします。

y = g^x mod p

ここで、pg は公開されている値です。
証明者は x を見せずに、「私は y = g^x mod p を満たす x を知っている」と示したいわけです。

流れは次のようになります。

証明者が本当に秘密 x を知っていれば、検証式が成り立ちます。
一方で、証明者は x そのものを送っていません。

Pythonで雰囲気を確認する

以下は、流れを理解するための最小限のサンプルです。

# 教育用の小さな例です。
# 実際の暗号用途では、このような小さい素数や自作実装は使わないでください。

# 公開パラメータ
p = 23   # 小さな素数。本番では十分大きく安全なパラメータを使う
q = 11   # p - 1 を割り切る素数
g = 2    # 位数 q の生成元として使う値

# 証明者だけが知っている秘密情報
x = 7    # witnessに相当する秘密の数

# 公開値。検証者も見ることができる
# y = g^x mod p
y = pow(g, x, p)

# --- 証明者の処理 1: ランダムな値からコミットメントを作る ---

r = 4  # 本番では安全な乱数で毎回新しく選ぶ
t = pow(g, r, p)  # t = g^r mod p

# --- 検証者の処理: チャレンジを送る ---

c = 3  # 本番では検証者がランダムに選ぶチャレンジ

# --- 証明者の処理 2: 秘密 x を使って応答を作る ---

# s = r + c*x mod q
# xそのものは送らず、応答sだけを送る
s = (r + c * x) % q

# --- 検証者の処理: 検証式を確認する ---

# 左辺: g^s mod p
left = pow(g, s, p)

# 右辺: t * y^c mod p
right = (t * pow(y, c, p)) % p

print("公開値 y:", y)
print("証明データ t:", t)
print("チャレンジ c:", c)
print("応答 s:", s)
print("検証結果:", left == right)

実行すると、最後の 検証結果True になります。

これは、検証者が次の式を確認できたという意味です。

g^s ≡ t * y^c (mod p)

なぜこの式で確認できるのでしょうか。
証明者が正しく s = r + c*x を作っていれば、次のように変形できます。

g^s = g^(r + c*x)
    = g^r * (g^x)^c
    = t * y^c

ここで、検証者は x を直接見ていません。
しかし、x を知っていないと作るのが難しい応答 s によって、「この人は秘密 x を知っていそうだ」と確認できます。

💡 豆知識
このように、検証者がランダムな問いを出し、証明者が秘密を使って答える形は、クイズに少し似ています。
ただし、普通のクイズと違うのは、答えそのものを公開するのではなく、秘密を知っている人だけが作れる応答を返す点です。

このサンプルで注意したいこと

この例は、ゼロ知識証明の雰囲気をつかむためのものです。
そのまま実システムに使ってはいけません。

特に、次の点には注意が必要です。

注意点 理由
pq が小さすぎる 実際には簡単に総当たりできてしまう
乱数 r を固定している 本番では毎回安全な乱数が必要
パラメータ検証をしていない 不正な値を受け入れると安全性が崩れる
対話型の簡略例である 実用では非対話型やSNARK/STARKなど別の構成も使われる
実装の安全性を検証していない 暗号実装ではライブラリ選定・監査・サイドチャネル対策が重要

この記事では、あくまで「秘密を渡さずに、秘密を知っていることを検証する」雰囲気をつかむために載せています。
本格的な実装では、標準化された方式や十分に検証されたライブラリを使う必要があります。

2.6 暗号化との違い

ゼロ知識証明は、暗号化と混同されることがあります。
しかし、役割はかなり違います。

比較 暗号化 ゼロ知識証明
目的 中身を読めない形にする 秘密を見せずに主張の正しさを示す
受け取る側 鍵があれば復号して中身を読む proofを検証して正しいか判断する
秘密情報 暗号文として送ることがある 原則として秘密そのものは送らない
メッセージを暗号化して送る 生年月日を見せずに年齢条件を示す

暗号化は、「秘密を安全に運ぶ」ための技術として見ると分かりやすいです。
一方で、ゼロ知識証明は、「秘密を運ばずに、秘密に関する主張だけを確認してもらう」ための技術です。

もちろん、実際のシステムでは暗号化とゼロ知識証明を組み合わせることもあります。
ただし、両者は同じものではありません。

2.7 この章のまとめ

この章では、ゼロ知識証明の基本的な考え方を整理しました。

ゼロ知識証明は、秘密そのものを相手に見せずに、ある主張が正しいことだけを確認してもらう仕組みです。
検証者は、秘密情報ではなく、証明者が作ったproofを検証します。

そのため、ゼロ知識証明では次の関係が重要になります。

要素 役割
statement 証明したい公開の主張
witness 主張を成り立たせる秘密情報
proof witnessを明かさずに主張を確認するための証明データ
prover proofを作る側
verifier proofを検証する側

また、小さなSchnorr風の例を通じて、秘密 x を直接見せなくても、「その秘密を知っているらしい」と検証できる雰囲気を確認しました。

次の章では、ここで出てきた 証明者、検証者、statement、witness、proof という用語を、もう少し丁寧に整理していきます。

3. 登場人物と基本用語

前の章では、ゼロ知識証明を「秘密そのものを見せずに、ある主張が正しいことだけを相手に納得してもらう仕組み」と整理しました。
この章では、その説明で出てきた 証明者、検証者、statement、witness、proof という用語を、具体例と一緒に整理します。

ゼロ知識証明は、いきなり数式から入ると難しく見えます。
しかし、最初に見るべき構造はそこまで複雑ではありません。

大まかには、次のような関係です。

この図のポイントは、検証者は witness そのものを見るのではなく、statement と proof を見て判断する という点です。

NISTのPrivacy-Enhancing Cryptographyプロジェクトでも、ゼロ知識証明では、公開されたinstanceと整合する秘密情報であるwitnessを知っていることを通じて、statementの正しさを証明する、という考え方が紹介されています。
参考: NIST Privacy-Enhancing Cryptography - Zero-Knowledge Proof

ここからは、それぞれの用語を順番に見ていきます。

3.1 Prover:証明する人

Prover は、日本語では 証明者 と呼ばれます。

ゼロ知識証明では、証明者は「ある主張が正しいことを示したい側」です。
ただし、証明者は、その根拠になる秘密情報をそのまま見せるのではなく、秘密情報から作ったproofを使って主張を示します。

身近な例で考えると、次のようになります。

場面 証明者が示したいこと 証明者が見せたくないもの
年齢確認 20歳以上である 正確な生年月日、住所、身分証番号
会員確認 有効な会員である 会員番号、氏名、利用履歴
秘密鍵の確認 対応する秘密鍵を知っている 秘密鍵そのもの
計算結果の確認 計算が正しく行われた 入力値、途中計算、内部データ

ここで大切なのは、証明者は「何かを隠そうとしている悪い人」という意味ではないことです。
ゼロ知識証明における証明者は、必要なことは示したいけれど、必要以上の情報は出したくない人やシステム と考えると分かりやすいです。

たとえば、年齢確認であれば、利用者は「年齢条件を満たしていること」は示したいです。
しかし、住所や身分証番号まで毎回見せたいわけではありません。

このように、証明者は「正しさを示す側」でありながら、「秘密情報の出しすぎを避けたい側」でもあります。

3.2 Verifier:確認する人

Verifier は、日本語では 検証者 と呼ばれます。

検証者は、証明者から受け取ったproofを確認し、statementが正しいかどうかを判断する側です。
ここで重要なのは、検証者は秘密情報そのものを見なくても、proofが正しいかを確認できるように設計されている点です。

たとえば、年齢確認の例では、検証者はサービス側です。
サービス側が本当に知りたいのは、利用者の生年月日そのものではなく、「年齢条件を満たしているかどうか」です。

この流れでは、検証者は「条件を満たしているか」は確認できます。
一方で、証明が正しく設計されていれば、検証者はその根拠となる秘密情報までは知りません。

NIST CSRCの用語集でも、ゼロ知識証明は、証明者が検証者に対してstatementが真であることを、その真偽以上の情報を与えずに納得させる暗号方式として説明されています。
参考: NIST CSRC Glossary - Zero-Knowledge Proof

💡 豆知識
「検証者」という言葉は少し固いですが、日常の例では「確認する人」「チェックするサービス」と考えると分かりやすいです。
年齢確認ならサービス側、会員確認なら受付側、ブロックチェーンならノードやスマートコントラクトが検証者に近い役割を持ちます。

3.3 Statement:証明したい公開の主張

Statement は、証明したい 公開の主張 です。

ここでいう「公開」とは、検証者に見せてもよい内容という意味です。
statement自体は秘密ではありません。

たとえば、次のようなものがstatementになります。

場面 statementの例
年齢確認 私は20歳以上である
会員確認 私は有効な会員である
秘密鍵の確認 私はこの公開鍵に対応する秘密鍵を知っている
計算結果の確認 この出力は、決められた計算を正しく実行した結果である
ブロックチェーン取引 この取引はルールを満たしている

statementは、ゼロ知識証明で「検証してほしいこと」です。

ここで混同しやすいのは、statementと秘密情報は同じではないという点です。
年齢確認の例なら、statementは「20歳以上である」です。
一方で、その根拠になる生年月日は秘密情報側に入ります。

このように、ゼロ知識証明では「何を公開してよいか」と「何を隠したいか」を分けて考えることが重要です。

3.4 Witness:主張を成り立たせる秘密情報

Witness は、statementを成り立たせるための 秘密情報 です。

直訳すると「証人」や「証拠」という意味ですが、ゼロ知識証明では、主張が正しいことを裏づける秘密の値として使われることが多いです。

たとえば、次のように対応します。

statement witnessの例
私は20歳以上である 生年月日
私は有効な会員である 会員資格を示す秘密情報や署名付き資格情報
私はこの公開鍵に対応する秘密鍵を知っている 秘密鍵
この計算結果は正しい 入力値や計算過程
この取引はルールを満たしている 送金元、送金額、残高などの非公開情報

NISTの説明では、ZKP of Knowledgeの文脈で、公開されたinstanceと整合する秘密情報をwitnessと呼ぶ例が示されています。
たとえば、公開値 N がRSA署名鍵として有効であることを示す場合、秘密の素数 PQ がwitnessとして例示されています。
参考: NIST Privacy-Enhancing Cryptography - Zero-Knowledge Proof

ここで、N = P × Q という関係だけを見ると、少し数学っぽく感じるかもしれません。
しかし考え方は、年齢確認と同じです。

公開してよいもの 隠したいもの
年齢確認 20歳以上であること 生年月日
RSA鍵の例 公開値N Nを作る秘密のPとQ

つまりwitnessは、statementを本当に成り立たせる根拠だが、そのまま見せたくない情報 です。

💡 豆知識
witnessという言葉は、ゼロ知識証明を学び始めたときに少し戸惑いやすい用語です。
「証拠なら見せるものでは?」と思うかもしれません。
しかしZKPでは、witnessはむしろ「見せずに使う証拠」と考えるとイメージしやすいです。

3.5 Instance:公開された入力や対象

NISTの説明では、statementやwitnessとあわせて instance という言葉も出てきます。

Instanceは、ざっくり言うと 検証の対象になる公開情報 です。
statementが「何を主張したいか」だとすると、instanceは「その主張が関係している具体的な公開データ」と見ると分かりやすいです。

たとえば、NISTが挙げているRSA鍵の例では、次のように整理できます。

要素 内容
statement N は有効なRSA署名鍵である
instance 公開値 N
witness 秘密の素数 PQ

年齢確認の例に置き換えるなら、instanceは「検証したい条件」や「サービス側が受け取る公開情報」に近いものとして考えられます。
ただし、実際のZKPシステムでは、statement、instance、public input、private inputなどの用語の使い方が文脈によって少し変わることがあります。

そのため、初学者の段階では次の理解で十分です。

用語 まず押さえる意味
statement 証明したい主張
instance 検証対象となる公開データ
witness 主張を成り立たせる秘密情報

3.6 Proof:秘密の代わりに渡す証明データ

Proof は、証明者がwitnessを使って作る 証明データ です。

検証者は、witnessそのものではなく、proofを受け取って検証します。
このproofが正しく検証できれば、検証者は「statementは正しいらしい」と判断できます。

ここで大切なのは、proofは「秘密情報のコピー」ではないという点です。
proofは、秘密情報をそのまま入れた箱ではありません。
検証者がproofを見ても、原則としてwitnessそのものは分からないように作られます。

Ethereum公式ドキュメントでも、ZKPでは、statementの正しさを強く保証するproofを作り、そのproofは作成に使われた情報を公開しないと説明されています。
参考: Ethereum.org - Zero-knowledge proofs

ただし、ここで注意したいのは、proofがあるからといって自動的にすべてが安全になるわけではないことです。
どのstatementを証明しているのか、witnessとstatementの関係を正しく設計できているか、検証者が正しい検証手順を使っているかが重要です。

3.7 Public input と Private input

実装寄りの記事やzk-SNARK / zk-STARKの解説では、public inputprivate input という言葉もよく出てきます。

これは、ここまでの用語と対応させると分かりやすいです。

実装寄りの用語 この記事での対応 意味
public input statement / instance に近い 検証者にも見せる入力
private input witness に近い 証明者だけが知る入力
proof proof private inputを直接見せずに作る証明データ

たとえば、「秘密の数 x を知っていて、公開値 y = g^x mod p に対応していることを示す」例なら、次のように整理できます。

要素
public input p, g, y
private input x
proof xを見せずに、対応する値を知っていることを示すデータ

この区別は、後でzk-SNARKやzk-STARKを学ぶときに重要になります。
なぜなら、何をpublic inputにして、何をprivate inputにするかによって、検証者に見える情報が変わるからです。

たとえば、年齢確認で「生年月日」をpublic inputにしてしまうと、ゼロ知識証明を使っている意味がかなり薄れてしまいます。
本当に公開したいのは「20歳以上である」という結果であり、生年月日そのものではないからです。

3.8 小さなコード例:用語の対応を整理する

ここでは、暗号として安全な実装ではなく、用語の対応を確認するための小さなPython例を見てみます。

この例では、ユーザーが20歳以上であることを証明したいとします。
ただし、実際のゼロ知識証明ではありません。
あくまで、statementwitnessproof の役割をコード上でイメージするための簡略例です。

from dataclasses import dataclass
from datetime import date


@dataclass
class Statement:
    """検証者に見せてもよい公開の主張。"""
    message: str


@dataclass
class Witness:
    """証明者だけが知る秘密情報。実際には検証者へ渡さない。"""
    birth_date: date


@dataclass
class Proof:
    """検証者に渡す証明データのイメージ。ここでは説明用に単純化している。"""
    is_over_20: bool


def create_proof(witness: Witness, today: date) -> Proof:
    """秘密情報である生年月日から、20歳以上かどうかの証明データを作る。"""
    age = today.year - witness.birth_date.year

    # 今年の誕生日をまだ迎えていない場合は、年齢を1つ減らす
    if (today.month, today.day) < (witness.birth_date.month, witness.birth_date.day):
        age -= 1

    # 本来のZKPでは、ここで生年月日を漏らさない暗号学的なproofを作る
    return Proof(is_over_20=(age >= 20))


def verify(statement: Statement, proof: Proof) -> bool:
    """検証者はstatementとproofだけを使って確認する。"""
    if statement.message != "私は20歳以上である":
        return False

    # 検証者はbirth_dateを受け取らず、proofだけを見る
    return proof.is_over_20


# --- 証明者側 ---
statement = Statement(message="私は20歳以上である")
witness = Witness(birth_date=date(2001, 4, 1))
proof = create_proof(witness, today=date(2026, 7, 1))

# --- 検証者側 ---
result = verify(statement, proof)

print("statement:", statement.message)
print("proof:", proof)
print("検証結果:", result)

このコードで確認したいのは、次の対応です。

コード上の要素 ZKPでの意味
Statement 検証したい公開の主張
Witness 証明者だけが知る秘密情報
Proof 検証者に渡す証明データ
create_proof() witnessからproofを作る処理
verify() statementとproofを検証する処理

もちろん、このコードは本物のゼロ知識証明ではありません。
Proof(is_over_20=True) を自分で作れてしまうため、健全性もありません。
また、暗号学的なゼロ知識性もありません。

それでも、用語の対応を理解するには役立ちます。
本物のゼロ知識証明では、この単純な Proof の部分を、勝手に偽造できず、かつwitnessを漏らさない暗号学的な証明データに置き換えると考えると分かりやすいです。

💡 豆知識
ZKPの実装では、「何を証明するか」を回路や制約として表すことがあります。
たとえば「年齢が20歳以上である」なら、生年月日や現在日付から年齢条件を満たすことを、検証可能な形に落とし込む必要があります。
この「何を証明したいのか」を正しく設計する部分が、実装ではとても重要です。

3.9 この章のまとめ

ここまでの用語を、最後にまとめます。

用語 日本語でのイメージ 見える相手
Prover 証明する人・システム 自分自身 利用者、ウォレット、計算を行ったサーバー
Verifier 検証する人・システム proofを受け取る側 Webサービス、スマートコントラクト、検証ノード
Statement 証明したい主張 公開してよい 20歳以上である、計算結果が正しい
Instance 検証対象の公開データ 公開してよい 公開鍵、公開値、検証条件
Witness 主張を成り立たせる秘密情報 証明者だけが知る 生年月日、秘密鍵、秘密の入力
Proof witnessを見せずに作る証明データ 検証者に渡す ZKPの証明データ

ゼロ知識証明を理解するときは、まずこの6つを分けて考えると整理しやすくなります。

特に大切なのは、次の2点です。

  1. statementは見せてよい主張
  2. witnessは見せたくない秘密情報

この区別が曖昧になると、「何を隠して、何を証明しているのか」が分かりにくくなります。

次の章では、ゼロ知識証明が本当にゼロ知識証明と呼ばれるために満たすべき、完全性・健全性・ゼロ知識性 という3つの性質を整理します。

4. ゼロ知識証明が満たす3つの性質

前の章では、証明者、検証者、statement、witness、proof という基本用語を整理しました。
この章では、ある仕組みが「ゼロ知識証明」と呼ばれるために満たすべき、完全性・健全性・ゼロ知識性 という3つの性質を見ていきます。

ゼロ知識証明は、単に「秘密を見せない証明っぽいもの」ではありません。
きちんとゼロ知識証明と呼ぶためには、少なくとも次の3つの性質を満たす必要があります。

性質 英語 ざっくり言うと
完全性 Completeness 本当に正しい主張なら、正直に証明すれば検証に通る
健全性 Soundness 嘘の主張なら、不正な証明者が検証に通る確率はとても小さい
ゼロ知識性 Zero-knowledge 検証者は、主張が正しいこと以外の余計な情報を得ない

Ethereum公式ドキュメントでも、ゼロ知識証明が満たすべき性質として completenesssoundnesszero-knowledge が整理されています。
参考: Ethereum.org - Zero-knowledge proofs

また、ZKProof Community Referenceでも、ゼロ知識証明システムの主要なセキュリティ要件として、completeness、soundness、zero-knowledge が挙げられています。
参考: ZKProof Community Reference

図にすると、3つの性質は次のような関係になります。

この3つは、それぞれ別の方向を守っています。

完全性は、正しい人が正しく証明できること
健全性は、嘘をつく人が通りにくいこと
ゼロ知識性は、確認する人が余計な秘密を知れないこと

どれか1つだけでは足りません。
この章では、それぞれを身近な例と簡単なコードで見ていきます。

4.1 完全性:本当に正しいなら検証に通る

完全性 は、正しい主張を持つ証明者が、正しい手順で証明したときに、検証者がそれを受け入れる性質です。

たとえば、年齢確認の例で考えてみます。

利用者が本当に20歳以上で、証明の作り方も正しく、検証者も正しい検証手順を使っている。
このとき、検証が失敗してしまうと困ります。

本当に条件を満たしているのに、システムが「条件を満たしていません」と判断してしまうからです。

観点 完全性がある場合 完全性が弱い場合
正しい証明者 正しく証明すれば通る 正しいのに落ちることがある
利用者体験 条件を満たしていれば利用できる 条件を満たしていても拒否される可能性がある
システム上の意味 正当な利用者を不必要に拒否しない 正当な利用者を誤って拒否する

身近な言い方をすると、完全性は 「ちゃんと正しい人は通してあげる」 ための性質です。

ここで注意したいのは、完全性は「誰でも通る」という意味ではないことです。
あくまで、正しいwitnessを持ち、正しい手順でproofを作った証明者は通る という意味です。

前章のSchnorr風の例で言えば、本当に秘密 x を知っている証明者が、正しい s を作れば、検証式が成り立つということです。

4.2 健全性:嘘なら基本的に通らない

健全性 は、誤った主張をしている証明者が、検証者をだませる確率を十分小さくする性質です。

たとえば、20歳未満の利用者が「私は20歳以上です」と主張したとします。
このとき、不正なproofを作って検証に通れてしまうなら、その仕組みは安全とは言えません。

健全性は、身近な言葉でいうと 「嘘をついても簡単には通れない」 という性質です。

観点 健全性がある場合 健全性が弱い場合
不正な証明者 嘘の主張を通しにくい 偽のproofで通れてしまう可能性がある
検証者 間違った主張を受け入れにくい 不正な主張を信じてしまう可能性がある
システム上の意味 ルール違反を防ぎやすい 不正利用につながる

ただし、暗号の世界では「絶対に不可能」と言い切るよりも、成功確率が現実的に無視できるほど小さい という形で考えることが多いです。

小さなコード例:嘘が偶然通る確率を減らす

ここでは、健全性の雰囲気をつかむために、かなり単純な例を考えます。

検証者がランダムに 01 のチャレンジを出すとします。
本当に秘密を知っている証明者なら、どちらのチャレンジにも答えられます。
一方で、秘密を知らない不正な証明者は、事前にどちらが来るかを予想するしかないとします。

この場合、1回だけなら不正な証明者が偶然当たる確率は 1/2 です。
しかし、同じ確認を何回も繰り返すと、全部当てる確率は小さくなります。

# 健全性の直感を確認するための教育用コードです。
# 実際のゼロ知識証明プロトコルを実装したものではありません。

from fractions import Fraction


def cheating_success_probability(rounds: int) -> Fraction:
    """秘密を知らない証明者が、全ラウンドで偶然通る確率を計算する。"""
    # 各ラウンドでチャレンジは 0 または 1 の2択だとする
    # 不正な証明者は正しい答えを知らないため、1回あたり成功確率を 1/2 と考える
    return Fraction(1, 2 ** rounds)


for rounds in [1, 2, 5, 10, 20]:
    probability = cheating_success_probability(rounds)

    # float(probability) は小数表示用。厳密な値は Fraction のまま保持している
    print(f"{rounds:2d}回確認した場合: 成功確率 = {probability}{float(probability):.8f}")

出力例は次のようになります。

 1回確認した場合: 成功確率 = 1/2 ≒ 0.50000000
 2回確認した場合: 成功確率 = 1/4 ≒ 0.25000000
 5回確認した場合: 成功確率 = 1/32 ≒ 0.03125000
10回確認した場合: 成功確率 = 1/1024 ≒ 0.00097656
20回確認した場合: 成功確率 = 1/1048576 ≒ 0.00000095

この例から分かるのは、不正な証明者が偶然だませる確率を、繰り返しや十分な安全パラメータによって小さくできる という直感です。

もちろん、実際のゼロ知識証明では、このような単純な2択クイズだけで安全性を作るわけではありません。
しかし、健全性の入口としては、次のように理解すると分かりやすいです。

健全性とは、嘘の主張をしている証明者が検証を突破できる確率を、十分小さくする性質である。

4.3 ゼロ知識性:正しさ以外の余計な情報を漏らさない

ゼロ知識性 は、検証者がproofを見ても、statementが正しいこと以外の余計な情報を得られない性質です。

ここが、ゼロ知識証明らしさの中心です。

たとえば、年齢確認では、検証者が知りたいのは「20歳以上かどうか」です。
ゼロ知識性があるなら、検証者は「条件を満たしている」ことは分かっても、生年月日そのものや住所などの余計な情報は分かりません。

検証者が知ってよいこと 検証者に知られたくないこと
条件を満たしている 生年月日そのもの
proofが検証に通った 秘密鍵や秘密の入力
statementが正しいらしい 計算の途中経過や非公開データ

Goldwasser、Micali、Rackoffの原典論文では、ゼロ知識証明は、問題となる命題の正しさ以外の追加知識を伝えない証明として説明されています。
参考: The Knowledge Complexity of Interactive Proof Systems

また、NIST CSRCの用語集でも、ゼロ知識証明はstatementの真偽以上の情報を検証者に与えずに納得させる暗号方式として説明されています。
参考: NIST CSRC Glossary - Zero-Knowledge Proof

「ゼロ知識性」はどう考えるのか

ゼロ知識性を厳密に説明しようとすると、シミュレータ識別不能性 という専門的な考え方が出てきます。

かなりざっくり言うと、次のような考え方です。

検証者が実際の証明者とやり取りして得た情報と、秘密を知らないシミュレータが作った見た目だけのやり取りが区別できないなら、検証者は秘密を学んでいないと考えられる。

いきなり少し難しく感じるかもしれません。
身近な例にすると、「本物のやり取りを見た場合」と「秘密を知らない人がそれっぽく作ったやり取りを見た場合」を、検証者が見分けられないようなイメージです。

この説明はあくまで直感です。
本格的な暗号理論では、計算量的に識別できないことや、確率分布の近さとして定義します。

ただ、初学者向けには次の理解で十分です。

ゼロ知識性とは、proofを見ても、witnessそのものや余計な情報が分からないようにする性質である。

💡 豆知識
ゼロ知識性の説明で出てくる「シミュレータ」は、少し不思議な考え方です。
秘密を知らないのに、検証者から見ると本物と区別できない会話を作れるなら、もともとの会話にも秘密は含まれていなかったはずだ、という発想です。
これはゼロ知識証明の理論的な面白さの一つです。

4.4 3つの性質はバランスで考える

完全性、健全性、ゼロ知識性は、それぞれ別々の目的を持っています。

性質 守っているもの これが弱いとどうなるか
完全性 正しい証明者が通ること 正しい人まで拒否される
健全性 嘘の証明者が通りにくいこと 不正な主張が受け入れられる
ゼロ知識性 秘密が漏れないこと proofから余計な情報が分かる

この3つは、どれか1つだけ強ければよいわけではありません。

たとえば、完全性だけがあっても、嘘の証明者まで通るなら意味がありません。
健全性があっても、proofから秘密が漏れるなら「ゼロ知識」とは呼べません。
ゼロ知識性があっても、正しい証明者が検証に通らないなら実用上使いにくいです。

つまり、ゼロ知識証明では次の3つを同時に満たす必要があります。

この3つを意識しておくと、後でzk-SNARKやzk-STARKのような方式を学ぶときにも、何を比較しているのかが分かりやすくなります。

4.5 3つの性質を身近な例で整理する

最後に、年齢確認の例に戻して、3つの性質を整理してみます。

性質 年齢確認でのイメージ
完全性 本当に20歳以上の人は、正しく証明すれば検証に通る
健全性 20歳未満の人が、20歳以上だと偽って通ることは難しい
ゼロ知識性 検証者は、20歳以上であること以外の生年月日などを知らない

これを見ると、ゼロ知識証明が目指しているものが少し整理しやすくなります。

単に「秘密を隠す」だけではありません。
正しい人は通し、嘘は通しにくくし、そのうえで余計な情報を漏らさない。
この3つを同時に目指すところに、ゼロ知識証明の難しさと面白さがあります。

4.6 この章のまとめ

この章では、ゼロ知識証明が満たすべき3つの性質を整理しました。

完全性は、正しい主張を持つ証明者が正しい手順で証明したとき、検証者に受け入れられる性質です。
健全性は、誤った主張をしている証明者が、検証者をだませる確率を十分小さくする性質です。
ゼロ知識性は、検証者がstatementの正しさ以外の余計な情報を得られない性質です。

この3つは、ゼロ知識証明を理解するための土台になります。

次の章では、ゼロ知識証明の形としてよく出てくる 対話型非対話型 の違いを整理します。
特に、なぜブロックチェーンのような場面では非対話型の証明が重要になるのかを見ていきます。

5. 対話型と非対話型の違い

この章では、ゼロ知識証明の形としてよく出てくる 対話型非対話型 の違いを整理します。
前の章で見た「完全性・健全性・ゼロ知識性」は、どちらの形でも大切です。ここでは、それを どのようなやり取りで実現するのか に注目します。

5.1 まずは違いをざっくり見る

ゼロ知識証明には、大きく分けて 対話型非対話型 があります。

名前だけ見ると少し難しく感じますが、イメージはそこまで複雑ではありません。

  • 対話型: 証明者と検証者が、その場で何度かやり取りする
  • 非対話型: 証明者が proof を作り、検証者はそれを受け取って確認する

たとえるなら、対話型は 面接でその場で質問される形式 に近いです。
一方、非対話型は 必要書類を提出して、あとから確認してもらう形式 に近いです。

比較 対話型ゼロ知識証明 非対話型ゼロ知識証明
やり取り 証明者と検証者が複数回やり取りする 証明者がproofを作り、検証者が確認する
検証者の役割 ランダムな質問、つまりchallengeを出す proofと公開情報から検証する
proofの扱い その場のやり取りに依存しやすい 保存・共有・再検証しやすい
直感的な理解 分かりやすい 実用システムで使いやすい場面が多い
使われやすい場面 説明用、認証プロトコルの理解 ブロックチェーン、公開検証、検証可能な計算

ここで大切なのは、対話型が古くて不要、非対話型が常に上位互換、という話ではないことです。

対話型は、ゼロ知識証明の直感を理解するうえでとても分かりやすい形です。
一方、ブロックチェーンのように「多くの人があとから検証したい」場面では、非対話型の方が扱いやすくなります。

5.2 対話型:検証者がその場で質問する

まず、対話型から見ていきます。

対話型ゼロ知識証明では、証明者と検証者がその場でやり取りします。
検証者はランダムな質問を出し、証明者は秘密情報を知っている人だけが答えられるような応答を返します。

前に出てきた「アリババの洞窟」の例も、対話型のイメージに近いです。

この流れでは、検証者が出すchallengeが重要です。

もし証明者が秘密を知らない場合でも、事前にどんな質問が来るか分かっていれば、たまたま通るような応答を準備できるかもしれません。
そこで、検証者はその場でランダムなchallengeを出します。

これにより、秘密を知らない証明者がうまくごまかすことを難しくします。

RFC 8235では、Schnorr識別方式の対話型プロトコルとして、証明者がcommitmentを送り、検証者がランダムなchallengeを返し、証明者がresponseを返す3段階の流れが説明されています。
参考: RFC 8235 - Schnorr Non-interactive Zero-Knowledge Proof

5.3 小さなコード例:対話型の流れを見る

ここでは、対話型の雰囲気をつかむために、Schnorr識別方式に近い小さな例をPythonで見てみます。

ただし、これは 学習用の非常に小さな例 です。
実際の暗号用途では、このような小さな素数や自作実装は使ってはいけません。

import secrets

# ===== 学習用の小さなパラメータ =====
# 実運用では、このような小さな値は絶対に使いません。
p = 23          # 素数
q = 11          # p - 1 を割り切る素数
g = 2           # 位数 q の部分群の生成元

# ===== 証明者が持つ秘密情報 =====
# 証明者は secret_a を知っていることを示したい。
# ただし、secret_a そのものは検証者に見せません。
secret_a = 7

# 公開情報 A = g^secret_a mod p
# 検証者は A を知っていても、secret_a は知らないという設定です。
public_A = pow(g, secret_a, p)

# ===== 1. 証明者がcommitmentを作る =====
# v は毎回新しく選ぶランダムな値です。
# これを使い回すと秘密が漏れる危険があります。
v = secrets.randbelow(q)
V = pow(g, v, p)

# ===== 2. 検証者がchallengeを出す =====
# 本来は十分大きなランダム値を使います。
# ここでは学習用に q 未満の値にしています。
c = secrets.randbelow(q)

# ===== 3. 証明者がresponseを返す =====
# secret_a を知っている証明者だけが、正しく検証に通る r を作れます。
r = (v - secret_a * c) % q

# ===== 4. 検証者が確認する =====
# RFC 8235のSchnorr識別方式と同じ形で、
# V == g^r * A^c mod p が成り立つかを確認します。
left = V
right = (pow(g, r, p) * pow(public_A, c, p)) % p

print("public_A =", public_A)
print("commitment V =", V)
print("challenge c =", c)
print("response r =", r)
print("検証結果 =", left == right)

このコードで見てほしいポイントは、secret_a を直接検証者に渡していないことです。

検証者が受け取るのは、主に次の情報です。

  • 公開値 public_A
  • commitment である V
  • challenge である c
  • response である r

検証者は、これらを使って V == g^r * A^c mod p が成り立つかを確認します。
つまり、秘密そのものを見るのではなく、秘密を知っていれば作れる応答になっているか を確認しているわけです。

💡 豆知識
ここで出てくる commitment → challenge → response のような3段階の形は、暗号プロトコルの説明でよく出てきます。
「まず手を出す」「相手がランダムに質問する」「それに答える」という流れで見ると、少し身近に感じやすくなります。

5.4 非対話型:challengeをハッシュで作る

次に、非対話型を見ていきます。

対話型では、検証者がその場でランダムなchallengeを出していました。
しかし、ブロックチェーンのような場面では、証明者と検証者が毎回その場でやり取りするのは大変です。

たとえば、あるproofをブロックチェーンに投稿し、世界中のノードがあとから検証する場面を考えます。
このとき、証明者がすべての検証者と個別にやり取りするのは現実的ではありません。

そこで、非対話型では、検証者が出していたchallengeを、ハッシュ関数などを使って作る考え方があります。

このように、検証者がランダムに出していたchallengeを、公開情報から誰でも再計算できる値に置き換えると、証明者と検証者がその場でやり取りしなくても検証できるようになります。

このような変換の代表的な考え方が、Fiat-Shamir変換 です。

RFC 8235では、Fiat-Shamir変換は、検証者がランダムなchallengeを選ぶ3段階の対話型ゼロ知識証明を、セキュアな暗号学的ハッシュ関数があるという仮定のもとで非対話型に変換する標準的な技法として説明されています。
参考: RFC 8235 - Section 2.3 Non-interactive Zero-Knowledge Proof

5.5 小さなコード例:非対話型にしてみる

先ほどの対話型の例を、非対話型に近い形へ変えてみます。

ポイントは、検証者が送っていた challenge c を、ハッシュ関数で作ることです。
これにより、証明者と検証者がその場で通信しなくても、同じ公開情報から同じchallengeを再計算できます。

繰り返しになりますが、これは 教育用の小さな例 です。
実運用では、十分大きな安全なパラメータ、検証済みライブラリ、プロトコル仕様に沿った実装が必要です。

import hashlib
import secrets

# ===== 学習用の小さなパラメータ =====
# 実運用では、このような小さな値は使いません。
p = 23
q = 11
g = 2

# 証明者だけが知っている秘密
secret_a = 7

# 公開情報
public_A = pow(g, secret_a, p)


def hash_challenge(g, V, A, user_id, context):
    """
    公開情報からchallengeを作る関数です。

    実際のプロトコルでは、何をハッシュに含めるかを
    仕様として明確に決める必要があります。
    user_id や context を含めることで、proofの使い回しや
    別の文脈への流用を防ぎやすくします。
    """
    message = f"g={g}|V={V}|A={A}|user={user_id}|context={context}".encode()
    digest = hashlib.sha256(message).digest()

    # ハッシュ値を整数に変換し、qで割った余りをchallengeとして使います。
    return int.from_bytes(digest, "big") % q


# ===== 証明者側:proofを作る =====
user_id = "alice@example.com"
context = "example-login-proof-v1"

# 毎回新しいランダム値を選びます。
# この値を使い回すと秘密が漏れる危険があります。
v = secrets.randbelow(q)
V = pow(g, v, p)

# 検証者からchallengeを受け取る代わりに、
# 公開情報からchallengeを自分で計算します。
c = hash_challenge(g, V, public_A, user_id, context)

# 秘密を使ってresponseを作ります。
r = (v - secret_a * c) % q

# 非対話型では、proofとして必要な値をまとめて提出します。
proof = {
    "user_id": user_id,
    "context": context,
    "V": V,
    "r": r,
}


# ===== 検証者側:proofを確認する =====
# 検証者はproofと公開情報から、同じchallengeを再計算します。
received_c = hash_challenge(
    g,
    proof["V"],
    public_A,
    proof["user_id"],
    proof["context"],
)

# 対話型と同じ形の式を確認します。
left = proof["V"]
right = (pow(g, proof["r"], p) * pow(public_A, received_c, p)) % p

print("proof =", proof)
print("challenge =", received_c)
print("検証結果 =", left == right)

このコードでは、証明者と検証者が直接やり取りしていません。
証明者は proof を作り、検証者はその proof と公開情報からchallengeを再計算して検証します。

ここで重要なのは、user_idcontext のような情報もハッシュに含めている点です。

たとえば、あるログイン用に作られたproofが、別の手続きで使い回されると困ります。
そのため、実際のプロトコルでは「何のためのproofなのか」「誰のproofなのか」「どの手続きに紐づくproofなのか」を明確に含める必要があります。

RFC 8235でも、Schnorr NIZK proofでは UserIDOtherInfo をchallenge計算に含める形が説明されており、OtherInfo にはプロトコル名やタイムスタンプなどの文脈情報を含められるとされています。
参考: RFC 8235 - Non-interactive Zero-Knowledge Proof

5.6 ブロックチェーンで非対話型が重要になる理由

非対話型ゼロ知識証明が特に重要になる場面の一つが、ブロックチェーンです。

ブロックチェーンでは、取引や計算結果を、多くの参加者があとから検証します。
このとき、証明者が検証者一人ひとりと個別にやり取りする必要があると、仕組みとしてかなり扱いにくくなります。

非対話型であれば、証明者はproofを一度作り、それをネットワーク上に提出できます。
検証者は、同じ検証アルゴリズムを使って、そのproofをあとから確認できます。

Ethereum公式ドキュメントでも、初期のゼロ知識プロトコルは証明者と検証者がやり取りする対話型だった一方、非対話型では1回の通信でproofを渡し、proof生成後は検証アルゴリズムにアクセスできる人が検証できると説明されています。
参考: Ethereum.org - Non-interactive zero-knowledge proofs

この性質は、ZK rollupのような仕組みを考えるときにも重要です。
オフチェーンで多数の取引を処理し、その結果が正しいことをproofで示せれば、ベースとなるブロックチェーン側はすべての取引を再実行しなくても、結果の正しさを確認しやすくなります。

もちろん、実際のZK rollupやzkEVMは、ここで示した小さなコード例とは比べものにならないほど複雑です。
ただ、根本にある発想としては、計算や秘密情報を全部見せるのではなく、正しく処理されたことを検証できるproofとして渡す という点が共通しています。

5.7 対話型と非対話型をどう使い分けるか

最後に、対話型と非対話型の使い分けを整理します。

観点 対話型が向く場面 非対話型が向く場面
説明のしやすさ 直感を説明しやすい 少し抽象的になりやすい
通信の前提 証明者と検証者が同時にやり取りできる あとから検証したい、複数人が検証したい
proofの保存 やり取り全体に意味がある proof単体で扱いやすい
代表的な用途 認証プロトコルの理解、教育用の説明 ブロックチェーン、公開検証、検証可能な計算

初学者の段階では、まず対話型で「秘密を知らないとランダムな質問に答えにくい」という直感をつかむと分かりやすいです。

そのうえで、非対話型を「検証者からの質問を、ハッシュ関数などで再現できるようにした形」と見ると、ブロックチェーンやzk-SNARKの話につながりやすくなります。

5.8 非対話型にするときの注意点

非対話型は便利ですが、注意点もあります。

特に、Fiat-Shamir変換を使う場合、「ハッシュ関数を使えば何でも安全に非対話型へ変換できる」と雑に考えてはいけません。

RFC 8235でも、Fiat-Shamir変換はセキュアな暗号学的ハッシュ関数の存在を仮定していると説明されています。
また、Schnorr識別方式とその非対話型版では、安全な乱数生成器が必要であり、乱数の使い回しや悪い乱数は秘密情報を漏らす危険があるとされています。
参考: RFC 8235 - Security Considerations

実装・設計では、少なくとも次の点を意識する必要があります。

注意点 なぜ重要か
十分安全なハッシュ関数を使う challengeを安全に作る前提になる
乱数を使い回さない 秘密情報が漏れる原因になり得る
文脈情報をproofに含める 別の用途への使い回しやリプレイを防ぎやすくする
何をハッシュするかを仕様で固定する 実装ごとの差異や検証ミスを避ける
自作実装を避ける 小さなミスが安全性に直結しやすい

ここは、暗号技術らしい少し怖いポイントです。

ゼロ知識証明は「秘密を見せずに証明できる」便利な技術ですが、実装やパラメータの選び方を誤ると、秘密が漏れたり、不正なproofを受け入れたりする危険があります。

そのため、実務で使う場合は、標準仕様、査読済みの方式、十分に検証されたライブラリ、監査済みの実装を使うことが重要です。

5.9 この章のまとめ

この章では、ゼロ知識証明の 対話型非対話型 の違いを整理しました。

対話型では、証明者と検証者がその場でやり取りし、検証者がランダムなchallengeを出します。
この形は、ゼロ知識証明の直感を理解するうえで分かりやすいです。

一方、非対話型では、証明者がproofを作り、検証者はそのproofと公開情報を使って確認します。
これにより、proofを保存したり、複数の検証者があとから確認したりしやすくなります。

非対話型を実現する代表的な考え方として、Fiat-Shamir変換があります。
これは、対話型で検証者が出していたchallengeを、ハッシュ関数などを使って作る発想です。

ただし、非対話型にしたからといって自動的に安全になるわけではありません。
安全なハッシュ関数、乱数、文脈情報、リプレイ対策、実装の正しさが重要です。

次の章では、実用的なゼロ知識証明の文脈でよく出てくる zk-SNARKzk-STARK を、細かい数式に入りすぎずに整理します。

6. zk-SNARKとzk-STARKをざっくり整理する

この章では、実用的なゼロ知識証明の文脈でよく出てくる zk-SNARKzk-STARK を整理します。
細かい数式や実装ライブラリの使い方には入りすぎず、「どんな位置づけの技術なのか」「何がうれしいのか」「どこに注意が必要なのか」を見ます。

前の章では、ゼロ知識証明には 対話型非対話型 があることを見ました。

対話型では、証明者と検証者がその場でやり取りします。
一方、非対話型では、証明者が作ったproofを、検証者があとから確認できます。

この「あとから確認できる」という性質は、ブロックチェーンや検証可能な計算のような場面でとても重要です。
なぜなら、世界中のノードや第三者が、同じproofを見て「この計算結果は正しそうだ」と確認できるからです。

ここでよく登場するのが、zk-SNARKzk-STARK という言葉です。

名前だけ見るとかなり難しそうですが、最初は次のように考えると分かりやすいです。

ゼロ知識証明という大きな考え方があり、
その実用的なproof systemの代表的な系統として、zk-SNARKやzk-STARKがある。

料理でたとえるなら、「ゼロ知識証明」は料理ジャンル全体で、「zk-SNARK」や「zk-STARK」はその中の具体的な調理法・レシピの系統のようなものです。

6.1 まずは全体像を見る

zk-SNARKとzk-STARKは、どちらもゼロ知識証明の応用でよく使われるproof systemです。

ただし、すべてのゼロ知識証明がzk-SNARKやzk-STARKというわけではありません。
また、SNARKやSTARKという言葉が出てきたときも、方式ごとに前提や性能、信頼仮定が異なるため、「名前だけで安全性や性能が全部決まる」とは考えない方がよいです。

ざっくり整理すると、次のようになります。

用語 ざっくりした位置づけ 最初に押さえるポイント
ZKP 秘密を見せずに主張の正しさを示す考え方全体 完全性・健全性・ゼロ知識性
NIZK 非対話型ゼロ知識証明 proofを作って、あとから検証できる
zk-SNARK 短いproofと高速な検証を重視した系統 succinct、non-interactive、argument of knowledge
zk-STARK scalable・transparentを重視した系統 trusted setupを避けやすい、透明性を重視する

図にすると、次のような位置づけです。

Ethereum公式ドキュメントでも、非対話型proofは証明者と検証者の通信を減らし、生成されたproofを他の人も検証できるため、現在使われるproof systemの発展につながったと説明されています。
参考: Ethereum.org - Zero-knowledge proofs

また、ZKProof Community Referenceは、ZKPシステムの適切な開発・展開に向けた用語、例、説明、推奨事項を整理するコミュニティ参照文書として公開されています。
参考: ZKProof Community Reference

6.2 zk-SNARKとは何か

zk-SNARK は、次の言葉の略です。

Zero-Knowledge Succinct Non-Interactive Argument of Knowledge

日本語にすると少し長くなりますが、分解すると理解しやすくなります。

部分 意味 やさしく言うと
zk / Zero-Knowledge ゼロ知識 秘密を見せずに証明する
S / Succinct 簡潔・短い proofが小さく、検証が速いことを目指す
N / Non-Interactive 非対話型 何度もやり取りせず、proofを渡して検証する
AR / Argument 計算量的な仮定に基づく証明 無制限の攻撃者ではなく、現実的な計算能力の攻撃者を想定する
K / Knowledge 知識 witnessを知らないと有効なproofを作れない、という性質に関係する

Ethereum公式ドキュメントでは、zk-SNARKについて、zero-knowledge、succinct、non-interactive、argument、knowledge という各性質を持つものとして説明されています。
参考: Ethereum.org - zk-SNARKs

また、Anca Nitulescu氏の “zk-SNARKs: A Gentle Introduction” では、zk-SNARKは非対話型で短いproofを持ち、古典的なNP検証よりも低い計算量でNP計算を検証できる仕組みとして紹介されています。
参考: zk-SNARKs: A Gentle Introduction

ここで大切なのは、zk-SNARKの「S」は short / small というより、暗号理論では succinct という性質を指していることです。

つまり、「証明したい計算が大きくても、検証者が全部をやり直さなくてよいようにする」という方向の考え方です。

6.3 「短いproof」がなぜうれしいのか

たとえば、誰かが次のように言ったとします。

大量のデータを処理して、この計算結果になりました。
ただし、元データや途中計算は秘密なので見せられません。

このとき、検証者がすべての元データと途中計算を確認しないといけないなら、とても大変です。
場合によっては、元データを見せる時点でプライバシー上の問題が出ます。

そこで、ゼロ知識証明では次のような発想を取ります。

zk-SNARKでは、このproofを小さくし、検証を軽くすることが重要な特徴として扱われます。

たとえばブロックチェーンでは、オンチェーンに載せるデータや検証処理のコストが重要になります。
そのため、「大量の計算をすべてオンチェーンで実行する」のではなく、「オフチェーンで計算し、その正しさを短いproofでオンチェーン検証する」という考え方が使われます。

Ethereum公式ドキュメントでも、ZKPのユースケースとして、off-chain executionの正しさを証明する検証可能な計算が挙げられています。
参考: Ethereum.org - Use cases for zero-knowledge proofs

💡 豆知識
zk-SNARKの「短い」は、文章の短さというより、検証者に渡すproofのサイズや検証の軽さに関係する言葉です。
つまり、「長い計算のレポート全部を提出する」のではなく、「この計算は正しく行われたと確認できる小さな証明書を渡す」ようなイメージです。

6.4 小さなコード例:計算を「制約」として見る

zk-SNARKやzk-STARKでは、実際の計算をそのまま日本語の文章として扱うのではなく、検証しやすい形に変換していきます。

この変換は、よく arithmetization と呼ばれます。
ざっくり言うと、プログラムや計算を「足し算・掛け算などの制約の集まり」として表す考え方です。

ここでは、非常に小さな例として、次の主張を考えます。

ある秘密の値 x があり、公開値 yx^3 + x + 5 の結果である。

本当のゼロ知識証明では、x を見せずにこの主張を証明したいです。
ただし、下のコードは ゼロ知識証明そのものではありません
「計算を制約として見る」とはどういうことかを理解するための学習用コードです。

# 学習用の小さな例です。
# 本番用のゼロ知識証明ライブラリや暗号実装ではありません。


def build_witness(secret_x: int) -> dict:
    """
    秘密の値 secret_x から、計算途中の値を作る関数です。

    実際のZKPでは、secret_x や途中計算は private input / witness として扱われ、
    検証者には直接見せないことを目指します。
    """
    x = secret_x
    x2 = x * x          # 制約1: x2 = x * x
    x3 = x2 * x         # 制約2: x3 = x2 * x
    y = x3 + x + 5      # 制約3: y = x3 + x + 5

    return {
        "x": x,
        "x2": x2,
        "x3": x3,
        "y": y,
    }


def check_constraints(public_y: int, witness: dict) -> bool:
    """
    witness が制約を満たしているかを確認する関数です。

    この関数は説明用なので witness を直接受け取っています。
    実際のゼロ知識証明では、検証者は witness を直接受け取らず、
    proof を検証することで「制約を満たす witness が存在するらしい」と確認します。
    """
    x = witness["x"]
    x2 = witness["x2"]
    x3 = witness["x3"]

    # 各制約が正しく成り立っているか確認します。
    constraint_1 = (x * x == x2)
    constraint_2 = (x2 * x == x3)
    constraint_3 = (x3 + x + 5 == public_y)

    return constraint_1 and constraint_2 and constraint_3


# 証明者だけが知っている秘密の値だと考えます。
secret_x = 3

# 証明者は秘密値からwitnessを作ります。
witness = build_witness(secret_x)

# yは公開してよい値だとします。
public_y = witness["y"]

# 説明用として、制約を直接チェックします。
# 実際のZKPでは、検証者はwitnessではなくproofを検証します。
print("public_y:", public_y)
print("constraints ok:", check_constraints(public_y, witness))

このコードでは、x = 3 のとき y = 3^3 + 3 + 5 = 35 になります。
検証者が x や途中計算を直接見られるなら、制約をチェックするのは簡単です。

しかし、ゼロ知識証明でやりたいのは、その一歩先です。

x を見せずに、
「たしかに y = x^3 + x + 5 を満たす x を知っている」
ということだけを証明する。

このように、実際のZKPでは「計算を制約として表す」「その制約を満たす秘密のwitnessを知っていることをproofで示す」という考え方が重要になります。

Anca Nitulescu氏の資料でも、SNARKの設計では、計算や回路を算術的な関係に変換する arithmetization、その上で情報理論的なproof systemを作り、暗号技術を使って効率的なものに変換する流れが説明されています。
参考: zk-SNARKs: A Gentle Introduction

6.5 Trusted setup と CRS

zk-SNARKを調べると、trusted setupCRS という言葉が出てくることがあります。

CRSは Common Reference String の略で、証明者と検証者が共通して使う公開パラメータのようなものです。

方式によっては、このCRSを作る段階で秘密の乱数が使われます。
この秘密が不適切に残ったり、悪意ある人に知られたりすると、不正なproofを作れる危険がある場合があります。

Ethereum公式ドキュメントでも、CRS生成はプロトコルの安全性に関わる重要な操作であり、生成時のランダム性が不正な証明者に渡ると偽のproofを作れる可能性があると説明されています。
参考: Ethereum.org - zk-SNARKs and trusted setup

この問題を軽減する方法として、複数人でパラメータ生成に参加する trusted setup ceremony が使われることがあります。
参加者のうち少なくとも1人が正しく秘密部分を破棄していれば安全性が保たれる、という設計が取られる場合があります。

ただし、ここで注意したいのは、すべてのzk-SNARKが必ず同じ形のtrusted setupを必要とするわけではない という点です。

たとえば、ZcashはNetwork Upgrade 5でOrchard shielded payment protocolを導入し、Halo 2というzero-knowledge proving systemを利用しています。Zcash公式資料では、Haloがtrusted setupの除去やスケーラブルなprivate digital paymentsの構成に関係すると説明されています。
参考: Zcash - What are zk-SNARKs?

そのため、Qiita記事としては次のように押さえておくのが安全です。

表現 注意
「zk-SNARKはtrusted setupが必要」 方式によって異なるため断定しすぎない
「一部のzk-SNARK方式ではtrusted setupが重要になる」 より安全な表現
「trusted setupがある方式では、パラメータ生成の信頼性が重要」 実務上の注意として重要

💡 豆知識
trusted setupで生成時に使われる秘密情報は、俗に toxic waste と呼ばれることがあります。
名前の通り、残っていると危険なので、正しく破棄されることが重要です。
ただし、この表現は方式や文脈によって使われ方が異なるため、記事では「秘密の初期値が残ると危険な場合がある」と理解しておくのがよいです。

6.6 zk-STARKとは何か

zk-STARK は、次の言葉の略です。

Zero-Knowledge Scalable Transparent Argument of Knowledge

zk-SNARKと似ていますが、特に ScalableTransparent が強調されます。

部分 意味 やさしく言うと
zk / Zero-Knowledge ゼロ知識 秘密を見せずに証明する
S / Scalable スケールしやすい 大きな計算でも扱いやすい方向を目指す
T / Transparent 透明性がある trusted setupに依存しない方向を目指す
ARK / Argument of Knowledge 知識のargument witnessを知らないと有効なproofを作れない性質に関係する

StarkWareは、STARKをproof systemとして説明し、polylogarithmicな検証リソースとproof size、minimal and post-quantum-secure assumptionsを提供すると説明しています。
参考: StarkWare - STARK Technology

Ethereum公式ドキュメントでも、zk-STARKはtrusted setupの代わりに公開検証可能なランダム性を使うため、zk-SNARKより透明性が高いと説明されています。
参考: Ethereum.org - zk-STARKs

ここでの「transparent」は、証明内容が丸見えになるという意味ではありません。

むしろ、初期設定のために特定の参加者を信頼する必要を減らす という意味での透明性です。
初学者にとっては、ここが少し紛らわしいポイントです。

💡 豆知識
zk-STARKの「T」は、データが透明になるという意味ではなく、trusted setupに頼らない方向の Transparent を指します。
つまり、「秘密が見えるようになる」のではなく、「初期設定の信頼を減らす」という意味合いです。

6.7 zk-SNARKとzk-STARKの違い

zk-SNARKとzk-STARKは、どちらが常に優れているというものではありません。
用途、実装、制約、検証環境によって向き不向きがあります。

ざっくり比較すると、次のようになります。

観点 zk-SNARK zk-STARK
名前で強調される性質 Succinct Scalable / Transparent
proofサイズ 小さいことが多い zk-SNARKより大きくなることが多い
検証 軽い検証を目指す 大きな計算でのスケールを重視する
trusted setup 方式によって必要になる場合がある 一般にtrusted setupを避けやすい
量子計算機への耐性 方式の前提に依存する ハッシュ関数ベースなど、post-quantum-secure assumptionsと説明されることがある
向いている場面の例 proofを小さくしたい場面、オンチェーン検証コストを抑えたい場面 大きな計算、透明性を重視したい場面

Ethereum公式ドキュメントでは、zk-STARKはwitnessが大きい場合に証明生成・検証のスケーリング面で有利な場合がある一方、proofサイズはzk-SNARKより大きくなり、検証オーバーヘッドが高くなることがあると説明されています。
参考: Ethereum.org - zk-STARKs

ここで大事なのは、表をそのまま絶対的な性能比較として覚えないことです。

ZKPの性能は、方式、実装、ハードウェア、証明したい計算、オンチェーンで検証するのかオフチェーンで検証するのか、といった条件で大きく変わります。
したがって、実際に使う場合は、利用するライブラリや方式のドキュメント、ベンチマーク、監査状況を確認する必要があります。

6.8 「zk」が付いていても、何でも自動的に秘密になるわけではない

ここまで見ると、zk-SNARKやzk-STARKはとても便利に見えます。

しかし、「zk」と名前が付いているからといって、システム全体が自動的にプライバシー保護されるわけではありません。

たとえば、proof自体は秘密を漏らさないように作られていても、次のような情報から利用者が推測される可能性があります。

漏れ得る情報
メタデータ いつproofを作ったか、どこに送ったか
アドレスやアカウントの紐づき ブロックチェーン上の送信元・送信先
入出金パターン 同じ金額・同じタイミングの取引
アプリ側のログ IPアドレス、ブラウザ情報、操作履歴
回路設計のミス 本来隠すべき情報をpublic inputにしてしまう

つまり、ゼロ知識証明は強力な道具ですが、それだけでプライバシー設計が完成するわけではありません。

「何をprivate inputにするのか」
「何をpublic inputとして公開するのか」
「proof以外のメタデータをどう扱うのか」
「アプリケーション全体として何が漏れるのか」

こうした設計まで含めて考える必要があります。

この点は、次章以降で扱うブロックチェーンやデジタルIDの利用例でも重要になります。

6.9 この章のまとめ

この章では、ゼロ知識証明の実用的なproof systemとしてよく登場する zk-SNARKzk-STARK を整理しました。

zk-SNARKは、Zero-Knowledge Succinct Non-Interactive Argument of Knowledgeの略で、短いproofと効率的な検証を重視する文脈でよく使われます。
一方、zk-STARKは、Zero-Knowledge Scalable Transparent Argument of Knowledgeの略で、scalableでtransparentなproof systemとして説明されます。

ただし、どちらが常に優れているという話ではありません。
proofサイズ、検証コスト、trusted setupの有無、証明したい計算の大きさ、利用するブロックチェーンやアプリケーションの制約によって、適した方式は変わります。

また、zk-SNARKやzk-STARKを使うときは、proof systemだけでなく、回路設計、public input / private inputの分け方、メタデータ、実装ライブラリ、監査状況まで含めて確認する必要があります。

次の章では、ここまで整理した考え方をもとに、ゼロ知識証明が実際にどのような場面で使われているのかを見ていきます。

7. ゼロ知識証明はどこで使われているのか

この章では、ここまで整理したゼロ知識証明が、実際にどのような場面で使われているのかを見ていきます。
ポイントは、ゼロ知識証明が 「秘密を守るため」だけでなく、「計算結果や状態遷移の正しさを効率よく検証するため」 にも使われることです。

ここまでの章では、ゼロ知識証明の基本的な考え方、登場人物、3つの性質、対話型・非対話型、zk-SNARKやzk-STARKの位置づけを整理してきました。

では、ゼロ知識証明は実際にどこで使われているのでしょうか。

最初に思い浮かびやすいのは、ブロックチェーンや暗号資産のプライバシー保護かもしれません。
たしかに、Zcashのように、取引の詳細を隠しながら正しさを検証するためにzk-SNARKを使う例があります。

ただし、ゼロ知識証明の使い道はそれだけではありません。

ブロックチェーンのスケーリング、デジタルID、選択的開示、匿名認証、検証可能な計算、監査や証明書のような分野でも、ゼロ知識証明の考え方は重要になっています。

7.1 まず利用場面の全体像を見る

ゼロ知識証明の利用場面をざっくり整理すると、次のようになります。

利用場面 何をしたいのか ゼロ知識証明との関係
ブロックチェーンのプライバシー保護 取引の正しさは検証したいが、金額や相手などは隠したい 秘密情報を明かさずに、取引がルールを満たすことを示す
ZK rollup / スケーリング 多くの処理をオフチェーンで行い、結果だけを効率よく検証したい 状態遷移や計算結果が正しいことをvalidity proofで示す
デジタルID・資格情報 年齢や資格など、必要な属性だけを示したい 生年月日や資格情報全体を見せずに、条件を満たすことを示す
匿名認証・会員証明 権限を持つことは示したいが、誰なのかは明かしたくない 「有効なメンバーである」ことだけを証明する
検証可能な計算 計算をすべてやり直さず、結果の正しさを確認したい 計算過程を全部見せずに、結果が正しいことを証明する
監査・準備金証明 資産や条件を満たしていることを示したいが、内訳をすべて公開したくない 残高やリストを直接公開せず、条件を満たすことを示す設計に使われることがある

図にすると、ゼロ知識証明の使われ方は次のように広がっています。

ここで注意したいのは、すべての用途で「完全な匿名性」が得られるわけではないという点です。
ゼロ知識証明が隠すのは、あくまでproofの設計上隠すようにした情報です。

アドレス、時刻、ネットワーク情報、アプリ側のログなど、proofの外側にある情報から推測されることもあります。
そのため、ゼロ知識証明を使っているからといって、システム全体が自動的に匿名になるわけではありません。

7.2 ブロックチェーンのプライバシー保護

ゼロ知識証明の有名な利用例の一つが、ブロックチェーンにおけるプライバシー保護です。

BitcoinやEthereumのような多くのパブリックブロックチェーンでは、取引履歴が公開されます。
これは、誰でも取引の正しさを検証できるという強みにつながります。

一方で、公開される情報が多いほど、取引の相手、金額、利用パターンなどから、利用者の行動が推測される可能性もあります。

ここで出てくる課題は、次のようなものです。

みんなで正しさを検証したい。
でも、取引の詳細まですべて公開したいわけではない。

ゼロ知識証明は、このような場面で役立ちます。

たとえばZcashでは、zk-SNARKを使うことで、取引に必要な条件を満たしていることを示しながら、送信者、受信者、金額などの情報を隠す設計が使われています。Zcash公式の説明でも、zk-SNARKは秘密鍵などの情報を明かさずに、その情報を持っていることを証明できるproof constructionとして説明されています。
参考: Zcash - What are zk-SNARKs?

かなり単純化すると、イメージは次のようになります。

この図で大切なのは、検証者が「秘密情報そのもの」を見るのではなく、秘密情報から作られたproof を検証している点です。

ただし、ここでも注意が必要です。
ブロックチェーン上のプライバシーは、proofだけで決まるわけではありません。

注意点 説明
取引パターン 入出金の時刻や金額が似ていると、関連を推測される場合がある
アドレスの使い方 同じアドレスの使い回しや、公開アドレスとの接続が手がかりになる場合がある
ネットワーク情報 IPアドレスや通信経路など、チェーン外の情報もリスクになり得る
実装・運用 ウォレットやアプリの設計によって、意図せず情報が漏れることがある

つまり、ゼロ知識証明はプライバシー保護の強力な道具ですが、プライバシー設計全体の一部 として見る必要があります。

💡 豆知識
「ブロックチェーン = 匿名」と思われることがありますが、多くのパブリックチェーンはむしろ取引履歴が公開されます。
ゼロ知識証明は、この「公開検証」と「プライバシー保護」の間にあるギャップを埋めるための技術として使われることがあります。

7.3 ZK rollup:プライバシーよりも「正しさの効率的な検証」が主役になる場面

ゼロ知識証明は、プライバシー保護だけでなく、ブロックチェーンのスケーリングにも使われます。

代表例が、ZK rollup です。

ZK rollupでは、多くの取引処理をEthereumの外側、つまりオフチェーンでまとめて実行し、その結果が正しいことを示すproofをEthereum上に提出します。Ethereum公式ドキュメントでは、ZK rollupsはオフチェーンの状態遷移の正しさをvalidity proofsで確認し、Ethereum上で取引を再実行しなくても正しさを検証できると説明されています。
参考: Ethereum.org - Zero-knowledge rollups

ここでのポイントは、名前に「ZK」と付いていても、主役が必ずしも「秘密を隠すこと」ではない場合がある、という点です。

ZK rollupで特に重要なのは、次の性質です。

たくさんの処理をすべてやり直さなくても、結果が正しいことを検証できる。

流れを図にすると、次のようになります。

ZK rollupを初学者向けに説明するなら、次のようなたとえが分かりやすいかもしれません。

先生が100人分の計算過程を全部見直すのではなく、
「この採点結果は正しく計算されています」と検証できる証明だけを確認するイメージです。

もちろん、実際のZK rollupはこのたとえよりずっと複雑です。
しかし、考え方としては「計算を全部やり直す代わりに、proofで正しさを確認する」と見ると理解しやすくなります。

Ethereum公式ドキュメントでも、zero-knowledge rollupsやvalidiumsは、オフチェーンで多数の取引を実行し、その証明をEthereumに提出することで、ベースレイヤーの計算を増やさずに処理数を増やす方向の技術として説明されています。
参考: Ethereum.org - Zero-knowledge proofs

7.4 デジタルID・資格情報:必要な属性だけを見せる

第1章で扱った年齢確認の例は、デジタルIDや資格情報の分野と相性がよいです。

たとえば、あるサービスが確認したいのは、次のような条件かもしれません。

  • 18歳以上である
  • 学生である
  • 有効な会員である
  • 特定の資格を持っている
  • ある組織に所属している

このとき、毎回すべての個人情報を見せる必要があるとは限りません。

W3CのVerifiable Credentials Data Model v2.0では、選択的開示やゼロ知識証明により、資格情報全体を明かさずに必要なclaimや条件を提示する考え方が説明されています。
参考: W3C Verifiable Credentials Data Model v2.0

また、W3CのData Integrity BBS Cryptosuites v1.0では、BBS署名方式がselective disclosureとunlinkable proofsを直接提供すると説明されています。
参考: W3C Data Integrity BBS Cryptosuites v1.0

デジタル資格情報の流れを単純化すると、次のようになります。

ここで大切なのは、デジタルIDの文脈では、ゼロ知識証明だけが唯一の方法ではないという点です。

選択的開示には、BBS署名、SD-JWT、モバイル運転免許証の仕組みなど、さまざまな方式があります。
その中で、ゼロ知識証明やそれに近い暗号技術は、必要な属性だけを示す複数回の提示が同じ人だと結びつきにくくする といった目的で使われることがあります。

目的 関係する考え方
最小限の情報だけ出す 生年月日ではなく「18歳以上」だけを示す 選択的開示、predicate proof
同じ提示者だと追跡されにくくする 別サービスで同じ資格情報を使っても結びつきにくくする unlinkable proof
発行者の信頼を確認する 本当に大学や企業が発行した資格情報か確認する デジタル署名、検証可能な資格情報

💡 豆知識
デジタルIDで大切なのは、「デジタル化すること」だけではありません。
紙の身分証をそのままスマホに入れただけでは、提示する情報量が減るとは限りません。
本当に重要なのは、場面に応じて 必要な情報だけを安全に示せるか です。

7.5 匿名認証:誰かは隠しつつ、権限は確認する

ゼロ知識証明の考え方は、匿名認証にもつながります。

たとえば、あるオンラインコミュニティで「会員だけが投票できる」仕組みを考えます。

このとき確認したいのは、次の2つです。

  1. 投票者が有効な会員であること
  2. 同じ人が何度も投票していないこと

一方で、投票内容と個人の実名が直接結びついてしまうと、自由に投票しにくくなる場合があります。

ゼロ知識証明を使うと、理想的には次のような設計が考えられます。

このような仕組みでは、「本人を完全に隠すこと」と「不正利用を防ぐこと」のバランスが重要になります。

たとえば、完全に匿名にしすぎると、不正利用があったときの対応が難しくなるかもしれません。
逆に、すべての操作を実名にひも付けると、プライバシーが弱くなります。

そのため、匿名認証の設計では、次のような観点が必要になります。

観点 考えること
権限確認 本当にその操作をしてよい人か
二重利用防止 同じ権利を何度も使っていないか
追跡可能性 不正時にどこまで追跡できるようにするか
プライバシー 通常利用時にどこまで情報を隠すか

ゼロ知識証明は、このようなバランスを取るための候補になります。
ただし、制度や運用の要件によっては、完全な匿名性ではなく、条件付き匿名性や監査可能性を組み合わせる必要があります。

7.6 検証可能な計算:計算結果を全部やり直さずに確認する

ゼロ知識証明は、「秘密を見せない」だけでなく、計算結果の正しさを効率よく検証する ためにも使われます。

たとえば、次のような場面を考えます。

  • 大きなデータに対する集計結果が正しいことを確認したい
  • 外部サーバーが実行した計算を、手元ですべて再実行せずに確認したい
  • AIや機械学習モデルの推論結果について、一定の条件を満たすことを示したい
  • ブロックチェーンの外で行った処理が、ルール通りだったことを証明したい

このような場面では、検証者が計算を全部やり直すと重すぎる場合があります。

ゼロ知識証明やvalidity proofを使うと、計算を実行した側がproofを作り、検証者はそのproofを確認することで、結果の正しさを検証できる場合があります。

この考え方は、ZK rollupにもつながります。
ZK rollupでは、多数の取引処理をオフチェーンで実行し、その結果が正しいことをproofで確認します。

また、より広い意味では、クラウド計算や外部サービスに処理を任せる場面でも、「結果を信じる」のではなく「結果が正しいことを検証する」という考え方が重要になります。

💡 豆知識
ゼロ知識証明は「秘密を守る技術」として紹介されることが多いですが、実用面では「計算結果の正しさを短いproofで確認する技術」としても重要です。
特にブロックチェーンでは、プライバシーよりもスケーリング目的で使われる場面も多くあります。

7.7 監査・準備金証明:内訳をすべて出さずに条件を示す

ゼロ知識証明は、監査や準備金証明のような分野でも応用が研究されています。

たとえば、ある事業者が「十分な資産を保有している」ことを示したい場合を考えます。

単純な方法は、すべてのアドレスや残高を公開することです。
しかし、それでは事業上の機密や利用者のプライバシーに関わる情報まで見えてしまう可能性があります。

そこで、次のような方向が考えられます。

内訳をすべて公開せずに、合計額や条件を満たしていることだけを証明する。

研究例として、zk-SNARKを使い、取引所が管理するBitcoinアドレスや残高を直接明かさずに、資産を保有していることを証明するProof of Assetsプロトコルの提案があります。
参考: A zk-SNARK based Proof of Assets Protocol for Bitcoin Exchanges

ただし、この分野では注意が必要です。
「資産を持っていること」を証明できても、「負債がどれだけあるか」「その資産が本当に自由に使えるか」「監査対象が完全か」までは別の問題です。

証明したいこと ZKPが役立つ可能性 それだけでは足りないこと
ある資産を保有している アドレスや残高を隠しながら条件を示す 負債や全体の財務状態までは分からない
利用者残高の合計と整合している 個別残高を隠しながら合計を確認する 入力データが正しいかは別途確認が必要
一定のルールを満たしている ルール適合性をproofで示す ルール自体が十分かは別問題

つまり、監査用途でのゼロ知識証明は有望ですが、監査そのものを完全に置き換えるものではない と考える必要があります。

7.8 実用例を見るときの注意

ここまで、ゼロ知識証明の利用場面を見てきました。

便利そうに見える一方で、実用例を見るときには注意も必要です。

特に、次の点は混同しやすいです。

混同しやすいこと 注意点
ZKPを使っている = すべて匿名 proof以外のメタデータやアプリ設計から情報が漏れる場合がある
ZK rollup = 取引内容が必ず非公開 ZK rollupの主目的はvalidity proofによるスケーリングであり、必ずしもプライバシーではない
デジタルID + ZKP = 何も見せなくてよい 実際には必要な属性、発行者、失効状態などの確認が必要になる
proofが正しい = 入力データも現実世界で正しい proofは定められたstatementの範囲を検証する。入力データの真実性は別問題
研究で提案されている = すぐ実運用できる 標準化、実装、監査、法制度、運用設計が必要になる

ゼロ知識証明を理解するときは、「何が隠れているのか」だけでなく、何が公開されているのか を見ることが大切です。

たとえば、次のように考えると整理しやすくなります。

この見方を持っておくと、「ZKPを使っているらしい」という情報だけに流されず、そのシステムが実際に何を守っているのかを考えやすくなります。

7.9 この章のまとめ

この章では、ゼロ知識証明が実際に使われている、または応用が検討されている場面を整理しました。

ブロックチェーンのプライバシー保護では、取引の正しさを検証しながら、送信者・受信者・金額などを隠すために使われることがあります。
ZK rollupでは、多数の処理をオフチェーンで実行し、その結果が正しいことをvalidity proofで検証することで、スケーリングに役立ちます。

デジタルIDや資格情報では、年齢や会員資格のように、必要な属性だけを示すために、選択的開示やunlinkable proofの考え方と関係します。
匿名認証では、本人を直接明かさずに権限を確認する設計に応用できます。

また、検証可能な計算や監査・準備金証明の分野でも、計算結果や条件を満たしていることを、必要以上の情報を出さずに示す技術として研究・応用が進んでいます。

ただし、ゼロ知識証明は万能ではありません。
ZKPを使っているからといって、システム全体が自動的に匿名・安全になるわけではなく、public input、private input、メタデータ、アプリ設計、運用、法制度まで含めて考える必要があります。

次の章では、ここまでの内容を踏まえて、ゼロ知識証明について初学者が特に誤解しやすいポイントを整理します。

8. ゼロ知識証明だけで安全になるわけではない

ここまでで、ゼロ知識証明の基本的な考え方、3つの性質、対話型・非対話型、zk-SNARKやzk-STARK、実際の利用場面を見てきました。

では、ゼロ知識証明を使えば、プライバシーや安全性の問題はすべて解決するのでしょうか。

答えは、それだけでは足りません

ゼロ知識証明はとても強力な考え方ですが、守れる範囲には限界があります。
また、何を statement として証明するのか、何を public input として公開するのか、proofの外側にどのような情報が残るのかによって、実際の安全性やプライバシーは大きく変わります。

家の鍵でたとえるなら、ゼロ知識証明は「鍵を見せずに、鍵を持っていることを示す」ための便利な仕組みに近いです。
しかし、玄関の前に名前や住所を書いた紙を置いていたり、毎回同じ行動パターンが記録されていたりすれば、鍵そのものを見せていなくても別の情報が漏れてしまうかもしれません。

この章では、ゼロ知識証明を使うときに注意したいポイントを、誤解と限界をまとめて整理します。

8.1 誤解1:ZKPは「秘密を暗号化して送る技術」ではない

まず混同しやすいのが、ゼロ知識証明と暗号化の違いです。

暗号化は、データを読めない形に変換し、正しい鍵を持つ相手が復号できるようにする技術です。
一方、ゼロ知識証明は、秘密情報そのものを相手に送るのではなく、秘密情報に関する主張が正しいことを証明する 技術です。

たとえば、年齢確認で考えると次のようになります。

方法 相手に渡すもの 相手が確認できること
生年月日を見せる 生年月日そのもの 年齢条件を満たすかどうか
生年月日を暗号化して送る 暗号化された生年月日 復号できるなら生年月日そのもの
ゼロ知識証明を使う 条件を満たすことを示すproof 生年月日を見ずに、条件を満たすこと

NIST CSRCの用語集では、ゼロ知識証明は、証明者が検証者に対してあるstatementが真であることを、その真偽以上の情報を与えずに納得させる暗号方式として説明されています。
参考: NIST CSRC Glossary - Zero-Knowledge Proof

ここで大切なのは、ZKPが「秘密を隠して送る技術」ではなく、秘密を渡さずに、秘密に関する条件だけを確認してもらう技術 だという点です。

8.2 誤解2:ZKPを使えば何でも匿名になる

次によくある誤解は、ゼロ知識証明を使えば自動的に匿名になる、というものです。

ゼロ知識証明は、証明の中でwitnessを隠すための技術です。
しかし、システム全体で見たときに匿名性が成り立つかどうかは、proof以外の情報にも左右されます。

たとえば、proof自体が生年月日を隠していても、次のような情報が一緒に公開されていれば、利用者の行動が追跡される可能性があります。

  • 毎回同じ識別子
  • ウォレットアドレス
  • IPアドレス
  • 利用時刻
  • 取引金額
  • サービスごとのログ

つまり、ZKPが守るのは主に「証明の中で秘密を明かさないこと」です。
システム全体の匿名性やプライバシーは、識別子、ログ、ネットワーク情報、運用ルールまで含めて考える必要があります。

Ethereum公式ドキュメントでも、ゼロ知識証明はプライバシー保護や検証可能な計算に使える一方で、実際の用途では計算コストや実装上の課題があることが説明されています。
参考: Ethereum.org - Zero-knowledge proofs

8.3 public input と witness の分け方に注意する

ゼロ知識証明では、witness は証明者だけが持つ秘密情報です。
一方で、public input は検証者にも見える公開情報です。

ここを間違えると、せっかくZKPを使っていても、必要以上の情報を公開してしまう可能性があります。

たとえば、「20歳以上であること」だけを示したいのに、生年月日をpublic inputに入れてしまうと、本来隠したかった情報がそのまま見えてしまいます。

# 学習用の例です。
# 実際のZKP検証コードではなく、public input と witness の分け方を考えるためのサンプルです。

# 悪い方向の例:
# 20歳以上かだけを示したいのに、生年月日まで公開情報に入れている。
bad_public_input = {
    "claim": "age_over_20",
    "birth_date": "2000-01-01",  # 本来は見せたくない情報まで公開している
}

# よい方向の例:
# 検証者が知りたい条件だけを公開し、根拠となる生年月日はwitness側に置く。
good_public_input = {
    "claim": "age_over_20",
}

private_witness = {
    "birth_date": "2000-01-01",  # 証明者だけが持つ秘密情報として扱う
}

この例のポイントは、ZKPを使うかどうか以前に、何を公開情報として設計するか が重要だということです。

NISTのPrivacy-Enhancing Cryptographyプロジェクトでも、ZKP of Knowledgeでは公開されたinstanceと整合する秘密情報witnessを知っていることを通じてstatementを証明する、という整理が示されています。
参考: NIST Privacy-Enhancing Cryptography - Zero-Knowledge Proof

8.4 「proofが通る」と「本当に確認したかったこと」は別

ゼロ知識証明では、proofが検証に通ると、設定されたstatementが成り立つことを確認できます。

しかし、ここで注意したいのは、検証できるのは、あくまで設計したstatementの範囲 だという点です。

たとえば、次のようなstatementを考えます。

私は20歳以上である

このstatementだけでは、次のようなことまでは確認できません。

  • その年齢情報を誰が発行したのか
  • その資格情報が失効していないか
  • 本人がその資格情報の正当な保持者なのか
  • このサービスで求められている条件をすべて満たしているのか

つまり、proofが通っても、statementの設計が不足していれば、システムとして確認したかったことには届かない場合があります。

# 学習用の例です。
# 実際のZKP回路ではなく、「何をstatementに含めるべきか」を考えるためのサンプルです。

credential = {
    "age_over_20": True,
    "issuer": "unknown",      # 発行者が信頼できるか不明
    "revoked": False,          # 失効していないか
    "holder_bound": True,      # 本人に紐づいているか
}

# 年齢条件だけを見ると通ってしまう
if credential["age_over_20"]:
    print("年齢条件は満たしています")

# しかし実際には、発行者や失効状態なども確認したい場合がある
trusted_issuers = {"trusted-city-office", "trusted-university"}

if credential["issuer"] not in trusted_issuers:
    print("年齢条件だけでなく、発行者の信頼性も確認が必要です")

このように、ZKPでは「何を証明するか」を慎重に設計する必要があります。

8.5 proof生成・検証のコストを見積もる

ゼロ知識証明では、proofを作る処理が重くなる場合があります。
また、検証側の処理も、方式や用途によってコストが変わります。

特に、複雑な計算を証明したい場合、証明者側で多くの計算時間やメモリが必要になることがあります。
ブロックチェーン上で検証する場合は、検証コストが手数料や処理性能にも関係します。

観点 確認したいこと
proof生成時間 利用者の端末やサーバーで現実的に生成できるか
proofサイズ ネットワークや保存領域に負担が大きすぎないか
検証時間 検証者が大量に検証できるか
実行環境 ブラウザ、スマホ、サーバー、ブロックチェーン上で動かせるか
更新性 方式やライブラリを将来変更できるか

Ethereum公式ドキュメントでは、ZKPの課題として、proof生成の計算コストや検証コストなどが説明されています。
参考: Ethereum.org - Zero-knowledge proofs

8.6 trusted setup と信頼前提を確認する

zk-SNARKなどの方式では、方式によって trusted setup が必要になる場合があります。

trusted setupは、ざっくり言うと、証明システムを使い始める前に必要な共通パラメータを生成する準備段階です。
この準備が安全に行われなかった場合、方式によっては不正なproofを作れるリスクにつながる可能性があります。

一方で、すべてのZKP方式に同じ形のtrusted setupが必要なわけではありません。
たとえば、zk-STARKはtransparentであることが特徴として説明されることがあります。

誤解 実際の見方
trusted setupは常に必要 方式によって異なる
trusted setupがあれば必ず危険 手順・方式・運用によってリスクは変わる
transparentなら何も考えなくてよい 別のトレードオフや実装上の注意がある

ZKProof Community Referenceでも、ZKPの用語や設計上の考え方を整理する取り組みが進められています。
参考: ZKProof Community Reference

8.7 乱数・nonce・リプレイ対策を軽視しない

ゼロ知識証明では、乱数やnonceの扱いも重要です。

たとえば、Schnorr系のプロトコルでは、証明ごとに新しいランダム値を使う必要があります。
同じランダム値を使い回すと、秘密情報が漏れる危険があります。

また、非対話型のproofでは、同じproofを別の文脈で使い回されるリプレイ攻撃にも注意が必要です。
そのため、ハッシュに何を含めてchallengeを作るか、どのサービス・どのユーザー・どの用途に結びついたproofなのかを設計する必要があります。

RFC 8235では、Schnorr NIZK proofについて、UserIDやOtherInfoなどの文脈情報を含めることや、リプレイ攻撃への注意が説明されています。
参考: RFC 8235 - Schnorr Non-interactive Zero-Knowledge Proof

💡 豆知識
ZKPのproofは、ただ「正しい形のデータ」を作ればよいわけではありません。
「誰に対して」「何の目的で」「どの文脈で」作られたproofなのかを結びつけないと、別の場所で使い回される可能性があります。

8.8 回路・制約の実装ミスに注意する

zk-SNARKなどでは、証明したい計算を回路や制約として表現することがあります。

ここで制約が不足すると、検証者が本来受け入れるべきでないproofを受け入れてしまう可能性があります。
たとえば、入力値の範囲チェックを忘れたり、発行者の確認を制約に含めなかったりすると、statementとしては不十分なものになってしまいます。

実装上の注意 何が起きる可能性があるか
範囲チェックの不足 想定外の値が通る
制約の不足 本来確認したい条件を満たしていないproofが通る
public inputの設計ミス 必要以上の情報を公開してしまう
ライブラリの誤用 安全性の前提を崩してしまう
テスト不足 境界条件や異常系を見落とす

USENIX Security 2024の研究では、Circomで書かれたZKP回路の一般的な脆弱性と、それらを検出する静的解析フレームワークが扱われています。
参考: USENIX Security 2024 - Practical Security Analysis of Zero-Knowledge Proof Circuits

8.9 標準化・ライブラリの成熟度を確認する

ゼロ知識証明はすでに実用例がある一方で、方式やライブラリ、標準化、相互運用性は現在も発展中です。

そのため、実システムで使う場合は、次のような点を確認する必要があります。

  • 利用する方式の安全性前提
  • trusted setupの有無と手順
  • ライブラリのメンテナンス状況
  • 監査やレビューの有無
  • 既知の脆弱性
  • 参考実装や仕様の成熟度
  • 将来の方式変更に対応できる設計

NISTのPrivacy-Enhancing Cryptographyプロジェクトでも、ゼロ知識証明を含むプライバシー強化暗号技術が扱われており、標準化や実用化に向けた動向を確認する入口になります。
参考: NIST Privacy-Enhancing Cryptography

ここで大切なのは、ZKPを「使っているから安全」と考えないことです。
実際には、どの方式を、どのライブラリで、どの設定で、どの運用ルールのもとで使うかまで含めて確認する必要があります。

8.10 この章のまとめ

この章では、ゼロ知識証明だけで安全になるわけではない理由を整理しました。

ポイントは次の5つです。

  • ZKPは秘密を暗号化して送る技術ではなく、秘密に関するstatementを証明する技術である
  • ZKPを使っても、識別子、時刻、ログ、ネットワーク情報などから別の情報が漏れる可能性がある
  • proofが通ることと、システムとして本当に確認したかったことが確認できることは同じではない
  • proof生成・検証コスト、trusted setup、乱数、リプレイ対策、回路実装には注意が必要である
  • 実用時には、方式・ライブラリ・標準化状況・運用設計まで含めて確認する必要がある

ここまでで、ゼロ知識証明の便利さだけでなく、使うときに注意すべき範囲まで見てきました。

次の章では、記事全体を振り返りながら、「秘密を見せずに正しさを証明する」という考え方をもう一度整理します。

9. まとめ

最後に、本記事で見てきたゼロ知識証明の考え方を振り返ります。
細かい方式名を覚える前に、まずは 「何を見せずに、何を証明したいのか」 という視点を持つことが大切です。

この記事では、ゼロ知識証明をいきなり数式やアルゴリズムから説明するのではなく、年齢確認、会員資格、ログイン、ブロックチェーンなどの身近な例から整理しました。

最初に見た年齢確認の例では、本当に確認したいのは「20歳以上であること」でした。
しかし、実際に身分証を見せると、生年月日、氏名、住所など、確認に必要な範囲を超えた情報まで相手に見えてしまうことがあります。

ゼロ知識証明は、このような場面に対して、次のような考え方を与えてくれます。

秘密そのものを見せるのではなく、
秘密に関する主張が正しいことだけを証明する。

ここが、ゼロ知識証明の一番大切なポイントです。


9.1 本記事で整理したこと

本記事では、ゼロ知識証明を次の流れで整理しました。

それぞれの章で見てきた内容を、簡単にまとめると次のようになります。

観点 本記事で整理したこと 押さえたいポイント
なぜ必要か 年齢確認や会員資格のように、必要以上の情報を見せたくない場面がある 「確認したいこと」と「見せる必要がある情報」を分けて考える
基本の考え方 秘密そのものではなく、秘密に関する主張の正しさを証明する ZKPは秘密を暗号化して渡す技術ではない
用語 Prover、Verifier、statement、witness、proofなど 誰が何を持ち、何を公開し、何を隠すのかを見る
3つの性質 完全性、健全性、ゼロ知識性 正しい人は通る、嘘は通りにくい、秘密は漏れにくい
証明形式 対話型と非対話型 ブロックチェーンのように後から多くの人が検証する場面では非対話型が重要
実用方式 zk-SNARK、zk-STARKなど 方式ごとに証明サイズ、検証コスト、trusted setupなどの違いがある
利用場面 プライバシー保護、ZK rollup、デジタルID、検証可能な計算など ZKPは匿名化だけでなく、計算結果の検証にも使われる
注意点 statement設計、public input、メタデータ、回路バグ、標準化状況など ZKPを使えば自動的に安全になるわけではない

このように見ると、ゼロ知識証明は単なる「すごい暗号技術」ではなく、必要な情報だけを確認するための設計思想 としても捉えられます。


9.2 暗号技術全体の中での位置づけ

暗号技術というと、まず「情報を読めない形に変換する暗号化」を思い浮かべる人が多いかもしれません。

もちろん、暗号化はとても重要です。
しかし、情報セキュリティを支える暗号技術は、暗号化だけではありません。

たとえば、ハッシュ関数はデータの指紋を作り、MACやデジタル署名は改ざん検知や本人性の確認に使われます。
そしてゼロ知識証明は、秘密を直接見せずに、必要な条件を満たしていることを示す ために使われます。

つまり、ゼロ知識証明は「暗号化の代わり」ではありません。
暗号技術の道具箱の中で、プライバシーを守りながら検証する ための道具として見ると分かりやすくなります。


9.3 ゼロ知識証明を学ぶときに意識したいこと

ゼロ知識証明を学ぶときは、最初からzk-SNARKやzk-STARKの内部構造に入ると、かなり難しく感じます。

そのため、まずは次の順番で理解すると進めやすいです。

  1. 何を隠したいのかを考える
  2. 何を証明したいのかを考える
  3. 公開してよい情報と秘密にしたい情報を分ける
  4. 完全性・健全性・ゼロ知識性を理解する
  5. 対話型・非対話型の違いを知る
  6. zk-SNARKやzk-STARKなどの方式名を位置づける
  7. 実用時のコスト、信頼前提、実装ミスに注意する

特に大切なのは、statementの設計 です。

ZKPでは、「何を証明するか」をstatementとして定めます。
このstatementが曖昧だったり、本当に確認したい条件とずれていたりすると、いくら高度な証明システムを使っても、目的に合った安全性は得られません。

たとえば年齢確認なら、証明したいのは「生年月日を知っていること」ではなく、「一定年齢以上であること」です。
ブロックチェーンなら、証明したいのは「計算をしたこと」ではなく、「あるルールに従った正しい状態遷移であること」かもしれません。

このように、ZKPでは暗号技術そのものだけでなく、証明したい内容を正しく言語化する力 がとても重要になります。


9.4 ZKPは便利だが、魔法ではない

ゼロ知識証明は、プライバシー保護や検証可能な計算を支える強力な技術です。

一方で、ZKPを使えば自動的にすべてが安全になるわけではありません。

たとえば、proofの中で秘密が守られていても、public inputに個人を特定できる情報を入れてしまえば、プライバシーは十分に守れないかもしれません。
また、proofを生成する回路や制約に漏れがあると、本来通してはいけない不正な証明を受け入れてしまう可能性があります。

この点は、暗号技術全般に共通しています。

強いアルゴリズムを使うことは大切ですが、それだけでは不十分です。
実際には、設計、実装、テスト、監査、運用、更新方針まで含めて考える必要があります。

ゼロ知識証明についても、次のような姿勢が大切です。

  • 方式名だけで安全だと判断しない
  • 何を公開し、何を隠すのかを明確にする
  • 利用するライブラリや回路の前提を確認する
  • 実装例をそのまま本番利用しない
  • 標準化やセキュリティ監査の状況を確認する
  • proof外のログやメタデータにも注意する

ZKPは「秘密を守るための魔法」ではなく、正しく設計して初めて力を発揮する暗号技術 です。


9.5 今後深掘りしたいテーマ

本記事では、ゼロ知識証明の全体像を初学者向けに整理しました。
ただし、ZKPの世界はかなり広く、この記事だけでは扱いきれないテーマも多くあります。

今後さらに理解を深めるなら、次のようなテーマを順番に学ぶとよさそうです。

テーマ 深掘りすると分かること
Schnorr識別方式 対話型ZKPの基本的な流れ
Fiat-Shamir変換 対話型証明を非対話型にする考え方
zk-SNARKの制約システム 計算を証明可能な形に変換する方法
zk-STARK transparentでscalableな証明方式の考え方
ZK rollup ブロックチェーンのスケーリングでZKPを使う仕組み
Verifiable Credentials デジタル資格情報と選択的開示
ZK回路の脆弱性 under-constrained circuitなどの実装リスク
プライバシー強化暗号 MPC、FHE、PSIなどとの違い

特に、実装に進む場合は、数学的な理解だけでなく、回路設計やテスト方法も重要になります。
「proofが生成できたからOK」ではなく、「証明すべき条件が本当に制約として表現されているか」を確認する必要があります。


9.6 最後に

ゼロ知識証明は、最初はかなり難しそうに見える技術です。

実際、zk-SNARKやzk-STARKの内部構造、楕円曲線、有限体、制約システム、多項式コミットメントなどに踏み込むと、簡単な分野ではありません。

しかし、最初の入口としては、そこまで一気に理解する必要はありません。

まずは、次の一文を押さえておくと十分です。

ゼロ知識証明は、
秘密を見せずに、ある主張が正しいことだけを証明するための技術 である。

この考え方は、年齢確認、会員資格、本人確認、ブロックチェーン、検証可能な計算など、さまざまな場面につながります。

これからのデジタル社会では、「とりあえず全部見せて確認する」のではなく、必要なことだけを、必要な範囲で確認する という考え方がますます重要になるはずです。

ゼロ知識証明は、そのようなプライバシーと信頼を両立するための有力な技術の一つです。

この記事が、ゼロ知識証明を学び始めるための地図のような役割になればうれしいです。

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