学び方の種類
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何かを学ぶ時、そこにはいくつかの枠組みがるなという感覚はあったのですが、先日、とある勉強会で「耳学問」というフレーズを仕入れたのでそれに倣って体系化してみました。
眼学問
誰かが書いたものから知りたいことを読み取るという学びの手法。
「読む」ことと「読み取る」ことは、重なってはいますが一致はしていません。「読み取る」のは非常に能動的なプロセスで、自分が知りたい事に対して何がどの程度得られているのかを常に意識しながら読み進める事でクオリテイを上げることができるようです。
耳学問
誰かの語りから知りたいことを聞き取るという学びの手法。
「聞き取る」については承前。眼学問に比べて1段階ぐらい受動的なプロセスだと思います。知りたいことという軸をしっかり持って、主体的に聞き取りに行く事も大切です。が、それに加えて、想定していなかった内容であったり喋り方や伝え方といったメタ的な情報を浴びるという体験を大切にするとクオリティを上げることができるようです。
手学問
自分の手を動かして知りたいことを知るという学びの手法。
キーボードを叩く、身体を動かす、考える、など、自分のバイオリソースを費やし、無いものを作り出す事で理解が進めます。非常に能動的なプロセスであり、必ず得られるものがあります。リソースの限界量がボトルネックになりますが、投資に見合う成果はよく相関します。何をどのぐらいどう投資するのかを動き出す前によく練り上げる事でクオリティを上げることができるようです。
口学問
誰かに自分の知っていることを伝える過程で知識を作るという学びの手法。
「知りたいことを知る」と、「知識を作る」というのは重なっていますが一致してはいません。「知る」というのは「知ったら終わり」です。「知識」は、他のヒトと共有できなければなりません。共有できるようにするためには、体系的なフォーマットを満たす必要があります。このプロセスを通して時間を止めることができます。これは非常に能動的なプロセスであり、投資量に対して成果量は必ずしも相関しません。どのフォーマットの上で誰を対象に何を知識として共有するのかを意識的に調整しないと、投資量だけ無尽蔵に増え続けるので注意が必要です。