先日、小児がんを乗り越えて出産を果たしたサバイバーの記事を読んだ。幼少期に過酷な治療を生き抜いた彼女の記憶に触れ、私自身の胸にも、あのがん病棟で過ごした極限の記憶が鮮烈に蘇ってきた。
私は前立腺がんを患い、全摘出手術を受けたがんサバイバーだ。
尿管結石の千倍と称した、あの激痛
手術は、尿管と膀胱を切り離し、前立腺を切除した上で、残った尿管と膀胱を再び縫合するというものだった。人間の身体の根幹を組み替えるような外科手術の痛みを、私は後に尿管結石の千倍の痛さと例えたが、決して大袈裟ではない。術後、襲いかかる激痛に対して病院側が当初提示した選択肢は、ロキソニンやカロナールといった一般的な鎮痛剤だった。当然、そのようなもので抑え込めるレベルの痛みではない。私が極限の苦痛を訴え続けた結果、ある時、何を投与したのかは明かされなかったが、あれほど眠れなかった痛みを完全に忘れ去り、深い眠りに落ちることができる強力な痛み止めが一度だけ投与された。しかし、その継続を希望したものの看護師からは拒絶された。今にして思えば、依存性や呼吸抑制のリスクが世界中で問題視されている、オピオイド系の強力な医療用麻薬だったのだろう。医療というシステムが敷くガイドラインの限界線を、身をもって知った瞬間だった。
生き残るか、延命か。境界線の巣窟
私が収容されていたのは、国立がん研究センター。国レベルのがん専門病院であり、まさにがん治療の最後の砦だった。周囲のベッドを見渡すと、年齢層の高い患者が多く、その大半が糖尿病などの基礎疾患を併発していたり、絶え間ない抗がん剤治療に晒されていた。激しい嘔吐、食欲不振、排尿不全の制御に苦しむ彼らの姿を観察するうちに、ある冷徹な現実に気づかされた。彼らは切除という根治の選択肢を選べないステージにあり、あれは治療ではなく延命措置だったのではないか、と。あの病棟は、生き残るか、それとも時間を引き延ばすかという、二択の境界線上に立たされた患者たちの巣窟だった。そこは文字通りの戦場だった。
隔離された聖域と、密室の力学
あの場において、健常者である家族や友人の面会は病室への立ち入りすら許されなかった。免疫力が著しく低下した患者をウイルスや細菌から守るための、厳格なリスクマネジメントの結果である。外部から完全に遮断されたその聖域で、患者が依存できるのは医療従事者しかいない。看護師たちは決して言葉には出さないが、投薬という手段を通じて、患者の生殺与奪の采配を暗に握っている。そんな感覚すら抱かせる閉鎖空間だった。もしここで人間関係を損なえば、自分の命の尊厳すら危うくなるのではないかという、限界の密室特有のプレッシャーが常に漂っていた。地獄のような張り詰めた空気を、私は今でも忘れることができない。
生還という名の運
あの過酷な空間から生還した今だからこそ言えるが、私はただ単に運が良かったのだと思う。
医療技術の進歩や、執刀医の技量、そして自分の身体の耐性に救われたことは事実だが、生死の境界線でどちら側に転ぶかは、最終的には確率と運の領域に委ねられている。あの戦場で散っていった多くの患者たちと、私との間に明確な境界線があったわけではない。地獄の記憶や、あの病棟の白い壁、そして人間の限界を超えた激痛の記憶は、これからも私の頭の片隅に残り続けるだろう。しかし、その境界線を越えて今こうして生きているという事実を、私は静かに噛み締めている。