世間では連日、横綱日馬富士の暴行問題がホットな話題となっていますね。一流の、それもプロのスポーツ選手であるならば、自分の能力の高さはそれだけで簡単に凶器となってしまうわけですから、プロであるという誇りとともに、その事実を認識しつつ、日々行動して欲しいなと思うところです。
ところで、横綱の出世スピードというのは、完全に実力に比例するものなのでしょうか? それとも他にも要因があるのでしょうか? 気になるところです。これは、それぞれの横綱の、初土俵から横綱になるまでの軌跡を可視化したらひょっとしたら何か見えてきそうな気がします。今回もプログラミングなしでデータサイエンスができるツールであるExploratoryを使って、分析を行ってみたいとおもいます。
Wikipediaの各力士のページには、それぞれの初土俵から現在まで(もしくは引退まで)の全ての場所の番付と成績が載っています。これをWebスクレイプすることで、昭和の大横綱、千代の富士から、現在の横綱に至るまでの全ての横綱のデータを用意してみました。以下は、そのうちの100行をサンプルしたものです。
このデータを、それぞれの横綱がどうやって番付を駆け上がっていったのかを以下のように可視化してみました。縦軸が番付で、全ての力士が一番下の序の口からスタートするのですが、徐々に駆け上っていって最後には一番上にある横綱の位置に達するようになっています。横軸はそれぞれの力士が何場所目でそれぞれ該当する番付に到達したのかを表しています。駆け上がっていく線の傾きが急なほど、他の力士に比べて早いスピードで昇進していったことになり、逆に先の傾きがゆるいと遅いということになります。
大抵の場合は昇進のステップは上に向いて上がっていくのですが、中には落ちてしまうこともあります。例えば、隆の里(一番右のピンク)の場合は関脇と小結の間を行ったり来たりするのが見えると思います。
現役横綱は遅咲き
まず、現役横綱と既に引退した横綱の出世スピードをくらべてみました。
38場所というスピード出世で横綱に昇進した白鵬以外は、横綱同士で比較すると、割と出世に時間がかかっている、というのがわかります。最近は実力の拮抗した力士が多くて、複数場所に渡って勝ち星を重ねるのが難しい、ということでしょうか。
1番のスピード出世、スロー出世
一番のスピード出世、一番のスロー出世の横綱に注目してみます。
一番のスピード出世で横綱になったのは朝青龍でした。初土俵から横綱までわずかなんと25場所。本場所は年に6場所あるので、わずか4年たらずで頂点まで駆け上がったことになります。彼はどうしても暴行事件で引退した、という記憶が強いのですが、勝ち続けて一直線に横綱になるほど強かったのですね。まさに、生まれ持った何かで一気に横綱になった感じです。
逆に、一番のスロー出世は隆の里で91場所でした。この力士は千代の富士と同世代の力士で、力はあるものの持病の糖尿のせいでなかなか成績が安定せず、それでも諦めずに節制に節制を重ねてようやく横綱になったそうです。こう考えると、横綱にも、天才型、努力型、など、様々なタイプがいるようです。
外国人力士の出世のスピードははやいのか
横綱になるまでにかかる場所数が少ない力士 (グラフの左下から頂上にたどり着くまでが短い力士) を見てみると、朝青龍、曙、白鵬、と、外国人力士が目立つのがわかります。そこで、外国人力士かどうか、という観点でくらべたグラフが下記になります。
これを見ると、上位は外国人力士が占めているものの、出世の遅い外国人力士もいるので、単純に外国人力士だと出世スピードが早いとは言いきれなそうです。
出身国別スピード出世1位の横綱
出身国ごとに1番のスピード出世だった横綱を可視化したのが下のチャートになります。
モンゴル出身では先ほど出た朝青龍、ハワイ出身では曙、そして日本人では貴乃花が一番のスピード出世でした。今はサングラスとストールだけが目立つ貴乃花ですが、かつて若貴ブームの火付け役となった彼は、話題性だけでなく、一気に横綱に上り詰めるだけの実力も兼ね備えた力士だったということがわかります。
稀勢の里の横綱昇進は相撲人気を上げるためだったのか
稀勢の里は、横綱への昇進条件の慣例である、2場所連続優勝を満たさずに横綱に昇進しました。これには、19年間日本出身の横綱が不在という状況で、相撲協会が国内での相撲人気を上げるために、あえて横綱に昇進させたのではないか、という噂が絶えません。実際のところ、どうなのでしょうか。
こちらが稀勢の里をハイライトさせたチャートです。
このチャートだけを見ると、勢いをもって横綱の地位まで駆け上がっていった他の力士と比べて、稀勢の里の場合は何か特別に遅いと気づかざるをえません。そのスピードは歴代2位の遅さで、それよりも遅いのは先ほど紹介した隆の里だけです。ただ、隆の里の場合は持病があったためという理由がありますが、稀勢の里は休場が少なくて有名なほど、丈夫で健康な力士だと聞きます。ちなみに、稀勢の里は、隆の里が親方をつとめていた鳴戸部屋の所属です。憶測ですが、ひょっとしたら、そこにデータには現れない何か、があるのかもしれません。
ところで、チャートをもう一度よく見てみると、稀勢の里は、大関在位の期間が他の横綱に比べて非常に長いように見えます。横綱になった力士が、大関にいた期間というのは大体どれくらいなのでしょうか。わかりやすいように以下のように棒グラフを使って大関在位期間を縦軸に可視化してみました。
稀勢の里よりも大関在位期間が長いのは武蔵丸だけですね。武蔵丸は強い横綱でしたが、武蔵丸が大関のときには既に曙、貴乃花、若乃花という3横綱がいたために昇進への条件がなかなか揃わなかったといいます。こう考えると、ただ強いだけではなく、同時期に他に強い人がいない、という運も大切な要素なのかもしれません。稀勢の里の場合も、武蔵丸のときと同様に、既に強いモンゴルの3横綱がいる状況でした。それが、大関の期間が長く続いた理由、ということでしょうか。
ということで、最後に私なりの推測をまとめてみます。
横綱になるスピードが遅かった稀勢の里。それに近いのは隆の里のみで、しかしながら隆の里と違い稀勢の里には健康上に問題はなかった。ただ、モンゴル人横綱3人がいたためなかなか横綱になれなかった。日本出身の横綱がいない状況が長く続く中、国内での相撲人気をあげるために、相撲協会が後ろからひと押しした、というところでしょうか。
ちなみにこれは特に統計的な手法で検証したわけでもなく、あくまでもこうしてデータを可視化した上での私の推測であることを付け加えておきます。
まとめ
それぞれの横綱の、横綱になるまでのデータを比べることで、最近の横綱は遅咲きの傾向にある、外国人力士は必ずしもスピード出世ではない、といったことがわかりました。また、憶測の域を出ませんが、出世のスピードには実力以外に、運またはその他の要素も関係しているかも、ということがわかりました。
追記 (12/2): 私の同僚が書いた「昭和以降の全横綱データをスクレイプしてサバイバル分析にかけたら、突っ張り横綱は短命なのがわかった。」 が面白かったので、シェアしておきます。
今回の分析に使用したデータをこちらに共有しました。Exploratoryを使うことで、この記事で紹介したデータを再現することができます。もし、興味を持たれた方はぜひこれを機会にお試しください。最初の30日間は無料でお試しいただけます。登録及びダウンロードはこちらから行うことができます。
データサイエンスを学んでみたい方へ
また、来年1月の中旬に、Exploratory社がシリコンバレーで行っているトレーニングプログラムを日本向けにした、データサイエンス・ブートキャンプの第4回が東京で行われます。データサイエンスの手法を基礎から体系的に、プログラミングなしで学んでみたい方、そういった手法を日々のビジネスに活かしてみたい方はぜひこの機会に参加を検討してみてください。こちらに詳しい情報があります。