はじめに
よわよわエンジニアとして名高い私ですが、チームではあることをよく褒められます。
「設計で分からないことが多いにもかかわらず、頑張って設計の会議で発言をしている」 ということです。
でも、最初からできたわけじゃないんだよなあ……。
分からないのに発言とか、できなくない!?
以前の記事でも書いていましたが、かつての私は設計の会議に参加しても何も発言できないことが多かったです。
チーム内の会議であれば、みんな私が設計分からないことも知っているし、話も降ってもらえるので少しは話せましたが、チーム外の上級者との設計の会議に関してはその前提がありませんから、全く無理でした。
「だって聞いても分からないし……」
「自分の質問がただの遅延行為になっちゃうかもしれないし……」
「私が設計したわけじゃないし……」
「私は何も貢献できない、この会議に参加している意味がない」 と、割と本気で悩んでいました。
発言できるようになりたくて、やってみたこと
「何かひとことは絶対に質問/発言しよう」と覚悟を決めて会議に臨むようにしました。
こう聞くと、普通は、会議で「分からないことがある/言いたいことがある」というときに発言をすると思うので、目的と手段が逆になっているように感じると思います。
しかし、私にとってはこの方法はかなり有効でした。
何故かというと、「発言をしよう」と思うと、
「どこか、分からないところ、気になるところはないかな? 自分でも質問できるところはないかな?」
と、会議の内容をわからないなりに一生懸命聞いて、理解しようと努めるようになります。
そうすることで、設計の中で分かる範囲が少しずつ増えていくのです。
最初のうちは聞くだけで精一杯で、質問するに至らないことも多いです。
しかし、分かるところが増えてくると、
「質問する勇気は出なかったけど、分からなかったところ・気になったところ」 が生まれてきます。
そうなれば、あとはちょっと勇気を出すだけです。
「よくわかんないなー」と、ぼーっと話を聞いてしまうよりは、「発言してやるぜ!」と息巻いて会議に参加していた方が、何倍も学習効果があると思います。
そしていざ質問をしてみると、案外みんな優しく教えてくれるものだったりするのです。
逆に、やっちゃダメだった!と思うこと
「もうn年目だから、もっと設計分かるようになって、もっと"ちゃんとした"意見を言えるようにならなきゃ!」と思い込むことです。
私は入社3年目の頃に上記のようなことを考えて、結果として発言に対する心理的ハードルが上がってしまいました。
「3年目のくせにこんなこともわからないのか」と思われたらどうしよう、と思っていました。
しかし、ある時気づきました。
自分のチームの先輩は、会議の中で分からないことがあったときに、「分からないんですけど、」とその場で率直に伝えて質問をしていました。
そしてそのおかげで、私が全然分からないと思っていたことを説明をしてもらえて、不明点を解消できたことがありました。
「分からないことを分からないと発信することで、他のメンバの理解の助けになることがある。チームに貢献できることがある。」
このことに気づいたことで、「n年目だから……」の呪いは、ちょっとずつ解けていったと思います。
効果
以前の記事にエピソードを書いていますが、徐々に設計に関する質問ができるようになっていきました。
そして、チーム内の設計の会議だけではなく、もっと人の多い、部署全体の会議や、挙句の果てには全社会議でもためらいなく質問ができるようになっていきました。
昔の私であれば、「何も分からないから静かにしていよう……」と思って、気配を消していたと思います。
しかし、今ではどの会議であっても、「何か聞けることないかなー」 と考えるようになりました。
たとえ自分があまり明るくない技術の話であっても一生懸命聞いて、自分の浅い知識を掘り返しながら理解しようと努めています。そして、気になることがあれば手を挙げています。
さいごに
個人的には、「わからない」ことを「わからない」と言って質問できることって、やっぱり勇気のあることだと思います。
自分も、勇気が出なくて発言できない、と思うことはよくあります。
つい先日も、「全然わかんないんだけど質問していいかな……」と悩んでいたら、
「(私)ちゃん質問しなくていいの?」
と、フォローされてしまいました。(「全然わかんないな」と思ってたのが全部顔に出ていたようです。)
できる人からすると「いやそんなの当たり前やん」という内容の記事だと思います。
でも、「何も発言できない、自分はこの会議に参加している意味がない」と、かつての私のように悩んでいる方がもしいたら、「自分にもできるかも!」 と思ってもらえたら、とてもうれしいなと思います。