ありがとう or よくやった or よかったね
まだわたしが駆け出しのPMの頃、いやむしろガンガンにプログラムを書きたかったのに無理やりPMもやらされていた頃。小さな会社で他にやる人もおらず仕方なくやっていたのだけれども、あまり感謝を口にされたことはありませんでした。お金もあんまりもらえたことはありませんでした。
その当時、大炎上でどうしょうもないプロジェクトをまとめました。
その時に言われたのは 「ありがとう」 でも 「よくやった」 でもなく 「よかったね」 でした。
薄っすらと不満を持ちつつも成果を噛み締めていたのですが、振り返ってみると、これはサーバントリーダーシップみたいなことを体現されてたんだなぁと、折に触れて考えさせられてることを記事にしました。
誰のために働くの?
当時のわたしは、炎上しているプロジェクトをまとめるのは「会社のため」だと思っていたので、薄っすらと不満を持ったわけですが、そうではないという示唆に富んだセリフが 「よかったね」 だったと思います。
そもそも日頃から 『会社のため』 と思って働いている人はそんなにいないと思います。
『お時給の分はしっかり働きます』 という品格のある想いの方が多いかは分かりませんが、お時給の分働いていない方は正社員として定年まで勤め上げるのは難しい世の中なのかなとは想います。
大炎上したプロジェクトが納品までこぎつけなかった場合、プロジェクトチームのメンバーが苦労して積み上げた物が無に帰します。数ヶ月~数年の間、わたしだけではなくプロジェクトメンバー全員がお時給の分働かなかったことになります。
「会社のため」というと社畜っぽく聞こえますが「同じプロジェクトのメンバーのため」と言うと随分印象が違います。結果は同じなのですが、不思議ですね。
さらには「大炎上しているプロジェクトをまとめる能力」を身につける事はPMとしては必要な能力であり、それを身につけるために働いたと考えると「自分のため」に働いたとも言えます。
ですが、自分のキャリアパスとして興味ないことを「自分のため」と自発的に自覚して努力するのは相当難しいものです。
これを 「おまえのためだからやれ」 などと直接的に言われても 「は?仰る意味が分かりません」 という話になって大乱闘なブラザーになります。
任せるということ
駆け出しPMのわたしが大炎上しているプロジェクトを確実にまとめられる保証があったかというと、そんなものはどこにもなかったわけですが、わたしに任せるというのは勇気のいる決断だったのかなと、今にしてみると思います。
プチ炎上させる度に、報連相や見積もりについて指導を頂くことはありましたが、任されている仕事に対して手出しをされたことはなかったと思います。
プロジェクト中に盛大にやらかした事があり、菓子折り持ってお客先に一緒に謝りに行って頂きましたが、この時も無駄に叱責される事もありませんでした。
叱責された方が楽だよなぁと普通に思いましたが、大変反省しました。
まとめ
感謝の気持ちは伝えるべきだし「ありがとう」が溢れるプロジェクトは良いプロジェクトだと思います。
ただ、きちんと仕事を任せて、任せた相手の成果と成長を評価する「よかったね」。
このケースでは「よくやった」や「ありがとう」は、相手の成果や成長を小さなモノになってしまうのではないかと思いました。
ということで、ありがとうございました。