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はじめに
最近ずっと引っかかっていることがある。
AIは信じられない量のテキストを出してくる。一方で、人間が1日に処理できるテキスト量はまったく増えていない。むしろ、AIが出してくる情報が増えたぶんだけ、相対的に劣化しているようにすら感じる。
この違和感に対する、ひとつの仮説を書いておきたい。
結論を先に書くと、これからのボトルネックは「情報を作れるか」ではなく「人間が処理できる形まで情報を削れるか」に移る、というのがこの記事の主張です。
生成能力だけが無限に近づいている
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AI時代の非対称性は、はっきりしている。
| 生成側(AI) | 受信側(人間) | |
|---|---|---|
| スループット | ほぼ無限に近づく | ほぼ据え置き |
| コスト | 限りなくゼロへ | 時間・集中力・体力を消費 |
| スケール手段 | 並列実行・モデル強化 | ほぼ無い |
文章を作る能力そのものは、実質的に無制限になった。しかし、人間が読む・理解する・判断する・記憶する能力は、この数年でほとんど増えていない。
生成コストがゼロに近づいた結果、希少資源は情報そのものではなくなった。希少なのは、人間の注意力と判断力のほうだ。
本当のコストは「読む速度」ではない
ここで重要なのは、問題が読解速度だけではないという点だ。
AIが出した内容に対して、人間は最低でも次の処理を回している。
- 重要かどうかを判断する
- 事実として間違いがないか確認する
- 自分の状況・制約に当てはめる
- 手元の他の情報と矛盾していないか考える
- 最終的に何を実行するか決める
これらはすべて、単なる読字よりはるかに重い認知処理だ。しかも、大半は並列化も外注もできない1。
AIが1分で数万字を作れても、人間がその内容に責任を持てる状態まで持っていくには、何十分、何時間とかかる。生成コストと引き受けコストの間には、桁違いの非対称性がある。
出力量が増えるほど、その差分は人間側の負債として積み上がる。
言語インターフェースそのものが帯域制限になっている
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もう少し踏み込むと、これは「人間のインターフェースが言語であること自体がボトルネックになる」という話につながる。
AI同士であれば、膨大な情報を高速にやり取りできる。しかし、意思決定者として人間を1人挟んだ瞬間に、テキスト・音声・画面という極端に低速なインターフェースを通す必要が出てくる。
パイプライン全体のスループットは、最も遅い区間で決まる。そして今、その区間は明確に人間側にある。ならば最適化すべきは、そこに流し込む量そのものだ。
設計として何が重要になるか
そう考えると、AIの使い方の重心は「詳しく書かせる」から「削らせる」に移る。具体的には、こうした設計のほうが価値を持つ。
- 重要度順に並べる
- 結論と、その判断材料を分離する
- 読む必要のない部分を捨てる
- 人間が判断すべき箇所だけを提示する
システムプロンプトのレベルでも、方針として書ける。
出力方針:
1. 結論を最初に1〜3行で述べる
2. 判断が必要な論点だけを最大3件、重要度順に並べる
3. 各論点には「推奨」と「その根拠」を1行ずつ添える
4. 確認不要と判断した情報は本文に含めず、末尾に見出しだけ残す
5. 冗長な補足・一般論・前置きは出力しない
「とりあえず詳しく書かせて、あとで人間が取捨選択する」は一見安全に見えて、判断コストを丸ごと人間に転嫁しているだけになりがちです。取捨選択こそが一番重いのに。
もちろん、削ることにはリスクがある。捨てた中に重要な情報が混ざっていた場合、人間はそれに気づけない。だからこそ「何を捨てたか」を後から辿れる形にしておくことが、圧縮とセットで必要になる。削るのは無責任さではなく、責任の所在を明示したうえでの設計判断であるべきだ。
まとめ
情報を作る競争は、もう終わりつつある。次に来るのは、人間の限られた注意力をどこに配分するかという設計の競争だと思う。
極端に言えば、こうなる。
AIの性能が上がるほど、長文を出すAIより、何を人間に読ませないかを判断できるAIの価値が高くなる。
……という話を、それなりの長さの記事にしてしまった時点で、この記事自体が反証になっている気もする。3行で済んだかもしれない。
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検証の一部はAIに投げられるが、「最終的に責任を持つ」という工程だけは人間側に残り続ける。ここが詰まる。 ↩