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警察庁が検討する「スマホの遠隔解析」はPegasus型なのか──E2E暗号と端末侵害の境界から考える

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Last updated at Posted at 2026-08-11

筆者

役割 担当
課題提示 K⁺oji Na⁺kamura
原案作成 Claude Opus 5
全面改訂 GPT 5.6 Sol

はじめに

2026年8月10日、警察庁の有識者検討会が初会合を開いた。議題は、トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)の指示役が使うスマートフォンの通信内容を 「遠隔で」 入手する新たな捜査手法の是非である。

報道では「秘匿アプリの解析」「遠隔分析」と表現されるが、この構想が技術的にどのカテゴリの手法を指すのかは明確に語られていない。本稿では、要件から取りうる手段を切り分けたうえで、Pegasusをはじめとする既存製品の系譜を整理し、制度設計の議論に持ち込むべき論点を提示する。

あらかじめ断っておくと、警察庁がどの方式を想定しているかは公開情報からは確定できない。本稿が示すのは「警察庁案はPegasusである」ではなく、「もし標的端末でOSレベルの権限を取得し、秘密裏にインプラントを実行して平文を取得する方式を採るなら、それはPegasusと同じ技術カテゴリに入り、そのカテゴリ特有の統制問題が生じる」 という条件付きの命題である。

本稿は、標的端末へ秘密裏にコードを送り込む「遠隔感染型」の手法を中心に扱う。押収端末のフォレンジック解析(Cellebrite、MSAB等)や、回線傍受・IMSIキャッチャーは対象外とした。目的も侵襲度も異なるため、同じ「スマホ解析」という言葉で一括りにすると議論を誤るからである。


1. 何が検討されているのか

元となった報道によれば、警察庁は2026年8月6日、トクリュウが仲間内で使う秘匿性の高い通信アプリの内容を遠隔で把握し、犯行計画を事前に察知する新たな捜査手法を検討すると明らかにした。主眼は被害の未然防止に置かれている。8月10日には有識者検討会の初会合が開かれ、通信の秘密をはじめとする人権上の課題と、必要な法整備が論点として掲げられた。政府は同年7月の犯罪対策閣僚会議でも、新手法の検討を加速する方針を示していた。

報道で例として挙げられているのは、SignalやTelegramといったアプリである。暗号化や自動削除によって秘匿性が高く、現行の手法──実行役から押収した端末を解析し、関与者を特定する方式──では時間がかかるうえ、得られる情報も限定的だとされる。末端の実行役を摘発しても、上位の指示役が次に狙う対象までは把握できない。

初会合で警察庁の森元良幸官房長は、匿名性・秘匿性の壁を突破できるかがトクリュウ対策の成否を握るとの認識を示した。検討会はIT・サイバー分野に詳しい弁護士と、憲法・刑事訴訟法を専門とする大学教授らで構成され、提言の早期取りまとめを目指すと報じられている。

なお、本稿執筆時点では、警察庁サイト上で検討会の正式名称、委員名簿、配布資料を確認できていない。この章の記述は報道ベースである。

解決しようとしている捜査上の空白

技術論に入る前に、警察庁側の必要性を正面から見ておきたい。トクリュウ型の犯罪では、実行役が事件ごとに入れ替わり、上位者は匿名アカウントや自動削除機能を使って指示を出す。実行役の端末を事件後に押収しても、上位者が次に何を計画しているかは分からない。末端を摘発しても組織は再編され、被害が繰り返される。

この問題意識自体は軽視できない。単に捜査を便利にしたいという話ではなく、事後追跡型の捜査では次の被害を防ぎにくいという構造の問題である。

一方で、必要性が重大であることと、特定の侵入手法が必要かつ相当であることは、別に検証しなければならない。制度検討では、メタデータ分析、資金追跡、協力者捜査、連携端末の保全、迅速な押収などの既存手段と比較し、遠隔での端末侵入がどの場面でのみ必要になるのかを示す必要がある。

技術要件から、取りうる手段を切り分ける

ここで技術的な整理が必要になる。

Signalでは、メッセージや通話の内容がエンドツーエンド暗号化され、サービス運営者も復号鍵を持たない。通信経路上で暗号文を取得しても、本文そのものは読めない。

ただし、Telegramは事情が異なる。既定のクラウドチャットはエンドツーエンド暗号ではなく、E2E暗号が適用されるのはシークレットチャットのみである。したがって、「事業者側が通信内容を持たないため捜査照会でも取得できない」という説明はSignalには当てはまるが、Telegramには留保が要る。必要な手段の強度は、アプリと会話方式ごとに異なる

真のE2E暗号が使われ、事業者側に平文も鍵もない場合、経路上の暗号文を取得するだけでは本文を読めない。平文を得るには、平文または鍵が現れる場所──標的端末、連携端末、通信相手の端末、復号可能なバックアップ──のいずれかに到達する必要がある。

その方法は一つではない。リンク済みデバイスを不正に追加する方法、アカウントやバックアップ鍵を取得する方法、アプリのプロセス内でコードを実行する方法、OSの脆弱性を使って端末全体を侵害する方法がある。侵襲度も、継続性も、検知されやすさも大きく異なる。

対象者に気づかれず、継続的・能動的に、上位者の通信を取得するという要件をすべて同時に満たそうとすると、標的端末側の「平文が現れる場所」へ継続的にアクセスする方式が有力な候補になる。

さらに、標的端末でOSレベルの権限を取得し、秘密裏にインプラントを実行して復号後のデータを取得する方式を採るなら、それは技術的にPegasusと同じ「遠隔端末侵害型」の大分類に入る。

以下、この大分類を本稿では「遠隔感染型」と呼ぶ。繰り返すが、警察庁がこの方式を採ると確定しているわけではない。以降は、仮にこの方式を採るなら何が問題になるかを検討する。


2. 遠隔感染型スパイウェアの代表例

Pegasus(NSO Group/イスラエル)

商用スパイウェアの代名詞的な製品である。iMessage、WhatsApp、ネットワーク注入など複数の経路が確認され、マイク、カメラ、位置情報、メッセージ、認証情報など、端末上の広範な情報へアクセスする能力を持つ。

2019年には、WhatsAppのVoIPスタックの脆弱性CVE-2019-3568が約1,400アカウントへの攻撃に使われた。この事案を対象とするMeta/WhatsApp対NSO訴訟では、2025年5月に陪審が約1億6,700万ドルの懲罰的損害賠償などを認定した。その後、同年10月に懲罰的損害賠償は約400万ドルへ減額された一方、NSOがWhatsApp利用者を標的とすることを禁じる恒久的差止命令が出された。2026年6月には、Metaが命令違反を理由とする法廷侮辱手続を申し立てている。命令を設けることと、その遵守を検証し、執行することは別の問題である。

NSO Groupは2021年、米商務省のエンティティリストに掲載された。

Graphite(Paragon Solutions/イスラエル)

2019年設立の比較的新しいベンダーが提供する製品である。2025年1月、WhatsAppは約90人のジャーナリストや市民社会関係者に、Paragon製スパイウェアの標的となったとの通知を出した。WhatsAppの説明に近い報道では、標的をグループチャットに追加し、悪性PDFを送るゼロクリック経路が使われたとされる。ただし、公開された技術分析では、PDFのどの処理が脆弱性の発火点になったかまでは示されていない。

2025年6月、Citizen LabはiOS端末へのGraphite攻撃をForensicで確認した。攻撃はiMessage経由のゼロクリック型で、Appleは関連する脆弱性にCVE-2025-43200を割り当てた。

米ICEは2024年9月30日、Paragonの米法人と最大200万ドルの契約を締結した。契約は同年10月に停止され、2025年8月に再開されたとされる。ただし、米麻薬取締局(DEA)によるGraphite使用は2022年にすでに報じられているため、ICE契約を「米法執行機関による初の使用例」とは位置づけられない。

Predator(Intellexa/Cytrox)

初期に確認された事案は、標的へリンクを送るワンクリック型で、WebKitを起点に端末を侵害していた。Citizen Labの分析では、再起動後にShortcutsのオートメーションを使って再導入する仕組みも確認されている。

2023年には、エジプトの通信網内に置かれた装置が、標的による未暗号化HTTPサイトへのアクセスを悪性サイトへ強制転送するネットワーク注入型の攻撃が確認された。通常のHTTPS通信を解読したのではなく、HTTPへの通常アクセスを、利用者による追加操作を要しない攻撃経路へ変えたものである。

ギリシャではPredatorをめぐる事件が刑事裁判に発展し、2026年2月、Intellexa創業者Tal Dilianら4人に有罪判決が言い渡された。Citizen Labは、傭兵スパイウェア企業の幹部が有罪判決と収監刑を受けた初の事例と評価している。判決は控訴中である。

Intellexaは米商務省のエンティティリストに掲載され、関係者の一部は米財務省の制裁対象にもなった。ただし制裁指定は固定的ではなく、2025年12月には一部関係者の指定が解除されている。

Reign/KingsPawn(QuaDream/イスラエル)

2023年4月、MicrosoftとCitizen Labが並行して分析を公表した。iOS 14を標的とするゼロクリック「ENDOFDAYS」は、日付を過去に遡らせた不可視のiCloudカレンダー招待を利用する。招待は通知やプロンプトを伴わずに追加されるため、通常の利用中には標的が気づきにくい。

マイクやカメラのライブ取得が確認され、痕跡を縮小する専用エージェントと自己消去ルーチンも備えていた。北米、中央アジア、東南アジア、欧州、中東で、少なくとも5人の市民社会関係者が被害者として特定された。公開資料では、ENDOFDAYSに対応する個別のCVE番号は示されていない。

近縁技術と歴史的事例

  • DevilsTongue(Candiru):主にWindowsを対象とする商用侵入ツール。悪性リンクや水飲み場型の攻撃が確認されており、本稿の中心であるスマートフォンのゼロクリック感染とはやや系統が異なる。
  • Hermit(RCS Lab):一部事案では、攻撃者が通信事業者と連携して標的のモバイルデータ通信を停止し、「通信を復旧するアプリ」を装ったリンクから偽装アプリを導入させた。Predatorで確認されたHTTP応答へのエクスプロイト注入とは別の方式である。
  • FinSpy/FinFisher(Gamma Group):PCとモバイルの双方を対象とした歴史的な代表例。ドイツ連邦刑事庁(BKA)が調達し、使用承認を受けたことで知られるが、実際の使用件数や範囲は公開資料から確認できない。国家による端末インプラントをめぐる法制論議の参照例である。

3. 製品比較──5つの技術軸

比較軸として意味を持つのは、①侵入経路(デリバリ)、②対応OS、③権限モデル、④再起動後も残るか、⑤解析を妨げる仕組み(アンチフォレンジック)の5点である。公開された技術分析で確認できる範囲に限定し、2表に分けて整理する。

表A:侵入経路と権限モデル

製品(開発元) 主な侵入経路 対応OS 公開分析で確認できる権限・能力
Pegasus(NSO) iMessage(FORCEDENTRY/BLASTPASS)、WhatsApp、ネットワーク注入など iOS/Android※ カーネル権限を含む全面的な端末制御
Graphite(Paragon) WhatsApp経由の悪性PDF(発火処理の詳細は未公表)、iMessage経由(CVE-2025-43200) iOS/Android Androidでは複数の正規アプリのプロセスへのロードを確認。詳細な権限モデルは公開分析では不明
Predator(Intellexa/Cytrox) ワンクリック型リンク、HTTPへのネットワーク注入 iOS/Android iOSの攻撃連鎖ではカーネル権限昇格まで確認
Reign/KingsPawn(QuaDream) ENDOFDAYS(不可視のiCloudカレンダー招待) iOS 14.4~14.4.2 マイク・カメラ等への広範なアクセスを確認。権限取得連鎖の全容は非公表

※Citizen Lab、Amnesty International、Meta訴訟資料など、公開された一次分析でPegasus感染が確認されているのはiOSとAndroidである。Windows版・macOS版Pegasusの実地分析は確認できないため、本表では扱わない。

表B:再起動後の残存性とフォレンジック痕跡

製品 再起動後の残存性 解析妨害の仕組み/確認された痕跡
Pegasus 初期事案では再起動後の永続化を確認。2021年時点のiOS事案では非永続型が観測された システムDBの改変、自己消去など。HomeKitやBlastDoor周辺のクラッシュ・異常終了ログなど、間接的な痕跡が残る場合がある
Graphite 公開分析では詳細不明 AndroidではBIGPRETZEL、iOSでは指令・データ送信先(C2)とみられる生IPへの通信やiMessageアカウントなどを確認。SMALLPRETZELはParagon標的群との近接性があるが、Citizen Labは特定製品への帰属を確定していない
Predator iOSではShortcutsのオートメーションを使って再起動後に再導入 UserEventAgentcom.apple.WebKit.Networkingなど正規プロセスに似た名称を使用。実行ファイルを/private/var/tmp/、作業データを/private/var/logs/keybagd/に配置し、クラッシュログや通知表示を抑制
Reign/KingsPawn 詳細不明 痕跡縮小用の監視エージェントと自己消去ルーチンを確認

OSレベルのゼロクリック感染で想定される流れ

比較から読み取れる4つの性質

① 利用者の注意だけでは防げない攻撃がある

ゼロクリック型では、リンクを開く必要も、ファイルを手動で開く必要も、アプリを追加する必要もない。細工されたメッセージが端末へ到着し、アプリやOSが自動処理した時点で脆弱性が発火する。強固なパスワードや「怪しいリンクを開かない」という注意だけでは防げない。

ただし、更新が無意味だという話ではない。未修正のゼロデイが使われている時点では利用者側に確実な回避策がない場合もあるが、脆弱性が修正されれば、その攻撃経路は閉じる。OS・アプリの更新、攻撃面を狭めるロックダウンモード、ベンダーによる脅威通知は、依然として重要である。

② 「メッセージだけ取得する」という説明を、外から検証できるとは限らない

ParagonはGraphiteを、端末全体を掌握する製品ではなく、メッセージアプリへのアクセスに絞った比較的狭いツールとして位置づけてきた。一方、Citizen LabはAndroidの分析で、WhatsApp以外の正規アプリにもスパイウェアがロードされた痕跡を確認している。

この観測から、少なくとも「WhatsAppの中だけに技術的に封じ込められている」とまでは確認できない。ただし、Graphiteが得た権限と取得可能範囲の全容も、公開分析からは確定できない。

問題は、範囲を限定する実装が不可能だということではない。ベンダーや運用者の説明だけでは、限定が実際に守られているかを第三者が独立に確認できないということである。

③ 検体や痕跡を回収しにくくする設計がみられる

Amnesty Internationalは、2021年時点のiOS事案について、Pegasusが再起動後の永続性を維持しなくなったと推定している。非永続型では、不揮発領域からインプラント本体を回収できず、感染中にメモリを取得しなければ実体を分析できない場合がある。

Reign/KingsPawnには自己消去ルーチンがあり、Predatorにはクラッシュログを削除し、正規プロセスに似た名称を使う仕組みが確認されている。すべての製品が同じ方式を採るわけではないが、解析側に検体を残しにくくする設計は、複数の高性能な商用スパイウェアで確認される傾向である。

非永続化の設計意図まで公開資料から断定することはできない。ただし、運用上の制約であると同時に、結果としてフォレンジック解析を難しくする効果を持つ。

④ 標的端末に保存された通信相手の情報も取得対象になりうる

侵害された端末には、情報源、同僚、取引先、家族とのやりとりが保存されている。相手方の端末そのものが感染するわけではないが、標的と通信したというだけで、その内容や識別情報が取得範囲へ含まれうる。相手方は通常、それを知ることも防ぐこともできない。

そして、この産業は縮小していない。Google Threat Intelligence Groupの2025年版ゼロデイ年次報告は、2025年に実地悪用が確認されたゼロデイ90件を追跡した。攻撃主体を帰属できた42件では、商用監視ベンダーとその顧客への帰属が15件を占め、従来型の国家支援サイバー諜報集団への帰属12件を、GTIGの集計開始以来初めて上回った。

この数字は、GTIGが検知・追跡できた事例を対象とするものであり、すべてのゼロデイ悪用を表すものではない。それでも、商用監視ベンダーが例外的な存在ではなく、ゼロデイ利用の主要な担い手になっていることを示す重要な変化である。

2025年に実地悪用されたゼロデイの攻撃主体別内訳(出典:Google Threat Intelligence Group, Figure 4)


4. 制度設計の議論に落とすときの論点

論点1:端末侵入型を採るなら、これは「暗号解読」ではなく「端末侵害」である

当局の説明や報道では、「秘匿アプリの解析」「遠隔分析」といった表現が使われる。

仮に、標的端末でOSレベルの権限を取得し、インプラントによって復号後のデータを取得する方式を採るなら、その実態は暗号を数学的に破ることではない。復号点である端末へ秘密裏に侵入する行為である。

従来の通信傍受が「配管を流れる水の一部を採る」行為だとすれば、OSレベルの端末侵入は「蛇口の内側に装置を置く」行為に近い。技術的な到達可能範囲は通信内容にとどまらず、マイク、カメラ、位置情報、保存済みデータ、認証情報にも及びうる。

もちろん、法令や製品実装によって取得項目を限定することは可能である。問題は、その限定が実際に守られているかを、運用者やベンダーとは独立した立場から検証できるかどうかだ。

議論の入口で技術方式が曖昧なままでは、必要性・相当性や比例原則の評価を正しく行えない。検討会はまず、「事業者側データの取得」「アカウント・連携端末へのアクセス」「アプリ層での取得」「OSレベルの端末侵入」を区別して示す必要がある。

論点2:遠隔コード実行を認める明確な権限根拠が必要になる

刑法168条の2(不正指令電磁的記録に関する罪、いわゆるウイルス罪)は、「正当な理由がないのに」、人の意図に反する動作をさせる電磁的記録を作成・提供・供用する行為を処罰する。遠隔感染型インプラントは、端末利用者の意図に反する動作をさせるプログラムという外形を持つ。

ただし、同条が「正当な理由がないのに」を要件としている以上、将来、適法な捜査権限が法定された場合まで当然に同罪が成立するとはいえない。論点の中心は、刑法上の適用除外を先に置くことではなく、遠隔コード実行、インプラント投入、権限昇格、取得、保存、廃棄を許す明確な権限根拠と、その限界を法律で定めることにある。不正アクセス禁止法との関係も明示的に整理する必要がある。

加えて、憲法21条2項の通信の秘密、35条の令状主義との関係整理が要る。ここで参照すべき国内先例が、GPS捜査に関する最高裁大法廷判決(最大判平成29年3月15日)である。同判決は、個人の意思を制圧して私的領域へ秘密裏に侵入する捜査について、既存の令状で対応できるかを厳しく検討し、立法的措置が望ましいと述べた。

端末侵入の具体的な法的評価は、取得対象や技術方式によって異なりうる。ただし、GPS判決が示した「新しい技術による重大なプライバシー侵害には、その性質に即した特別の根拠規定が必要になる」という分析枠組みは、まず参照すべき先例である。

現行の通信傍受法は、「現に行われている他人間の通信」を取得する制度として構成されている。一方、標的端末へのコード投入、権限昇格、保存済みデータ、認証情報、マイク・カメラ情報の取得を認める明文の規定はない。したがって、Pegasus型のOSレベル端末侵入を、通信傍受法だけで根拠づけることは困難であり、別個の明確な立法が必要になる。

比較法としてはドイツが参考になる。ドイツ刑事訴訟法は、進行中の通信内容を端末上で取得する源泉通信監視(Quellen-TKÜ)と、端末内の保存データ全般へ及ぶオンライン捜索(Online-Durchsuchung)を、異なる要件で規定している。

ただし、制度を二分すれば問題が解決するわけではない。ドイツ連邦憲法裁判所は2025年、刑事手続上の源泉通信監視について、対象犯罪の重大性に関する要件が不十分な部分を違憲と判断した。どの技術を使うかだけでなく、どの犯罪について、どの程度の嫌疑で、どこまで許すかが引き続き争点になる。

論点3:検証可能性は、証明力・違法収集証拠排除・防御権に関わる

最も見落とされやすく、刑事手続上は重大な論点である。

自己消去・非永続型のインプラントでは、端末上に完全な検体が残らない場合がある。その結果、端末単体のフォレンジックだけで、「捜査機関がいつ、どの端末へ、何を投入し、どこまで取得したか」 を再現・検証することは大幅に難しくなる。

ただし、痕跡が乏しいことだけで、取得データの証拠能力が直ちに否定されるわけではない。日本の刑事手続上、問題は少なくとも三層に分かれる。

  1. 真正性・証明力:取得時刻、対象端末、使用したツールとバージョン、取得項目、令状対象外データの処理が記録されていなければ、そのデータが本当に主張どおりの方法で得られたかを検証しにくくなる。
  2. 違法収集証拠排除:権限外の取得や令状範囲の逸脱が疑われる場合には、令状主義の精神を没却する重大な違法があったか、将来の違法捜査を抑止するために証拠を排除すべきかが問題になる。監査資料がなければ、その当てはめ自体が難しくなる。
  3. 証拠開示と防御権:弁護側が、ツールの誤作動可能性、実際の取得範囲、データの完全性を争うための情報を得られなければ、実効的な防御が成立しない。

事案によっては、Citizen LabやAmnesty International Security Labによる端末分析に加え、Apple、Google、WhatsAppなどが保有するテレメトリーや脅威通知情報が、攻撃経路や帰属の同定を支えている。

Citizen LabはGraphiteのAndroid事案について、ログが散発的であるため、ある端末でBIGPRETZELが見つからないことは、感染していないことを意味しないと留保している。端末側の証拠だけでは、感染の有無を確定できない場合がある。

したがって制度上必要なのは、端末に痕跡が残ることを期待するだけではない。令状情報、投入時刻、対象識別子、ツールとモジュールのハッシュ値、取得したデータ項目、除外・廃棄したデータ、操作担当者を、改ざん耐性のある監査ログとして別系統で保存する必要がある。

さらに、そのログを裁判所と独立監督機関が検証でき、営業秘密や捜査手法を必要以上に開示せずとも、弁護側が取得の適法性・範囲・信用性を具体的に争える制度が要る。端末側の証拠だけでは足りないなら、別の検証経路をあらかじめ設計しなければならない。

論点4:「上位者に限定」の実効性

構想は指示役など上位者を対象としている。しかし、標的端末には通信相手の情報も保存されており、OSレベルの権限を持つツールでは、技術的に到達できる範囲と、法律上取得を許される範囲との間に落差が生じうる。

対象犯罪の限定列挙、令状審査の厳格化、取得項目の特定、目的外利用の禁止、令状対象外データの即時隔離・廃棄は不可欠である。加えて、その限定が実装上守られたことを監査ログや独立検証によって確認できなければならない。

さらに、目的が「被害の未然防止」に置かれている点も見過ごせない。犯罪発生後の証拠収集ではなく、発生前の計画把握である。どの段階の嫌疑を要件とするのか、将来犯罪の具体性をどこまで疎明させるのかは、令状主義の根幹に関わる。

論点5:調達・供給網とVEP(脆弱性開示ポリシー)

本稿で扱った、公開分析済みの代表的な製品には、イスラエルやEU圏に拠点を置く企業のものが多い。NSO Groupは米エンティティリストに掲載され、Intellexaとその関係者は米国の制裁・輸出管理の対象になった。Paragonについては、イタリア議会の情報機関監督委員会(COPASIR)が、同国情報機関によるGraphite使用を認める報告を公表している。一方、ジャーナリストFrancesco Cancellatoを誰が標的にしたかは特定できなかったとしている。

日本が国外製品を調達するなら、輸出管理、外交、ベンダー依存、ソースコードや更新基盤への検証アクセス、契約終了後のデータ処理を同時に考える必要がある。

制裁や企業属性も固定的ではない。関係者の指定解除、企業買収、米法人化、契約の停止・再開によって、調達時の法的・外交的前提は変わりうる。長期運用を前提にするなら、ベンダー変更、サービス停止、輸出許可の取消しに耐える退出計画が必要になる。

国産開発を選ぶ場合も、脆弱性の調達という問題が残る。エクスプロイト市場から購入するのか、自ら発見するのか。把握した未公知脆弱性を製品開発者へ知らせて修正させるのか、捜査能力のために一定期間秘匿するのか。

米国のVEP(Vulnerabilities Equities Process)は、政府が把握した未公知脆弱性について、開発元へ開示して修正を促すか、捜査・情報・国家安全保障上の利益のため一定期間秘匿するかを、省庁横断で比較衡量する仕組みである。

日本にはIPA・JPCERT/CCによる脆弱性届出・調整やJVNがあるが、攻撃的利用のための秘匿と国民全体の防御利益を政府横断で比較する、VEPに相当する公開制度は確認できない。遠隔感染型の捜査能力を制度化するなら、この判断過程も同時に整備する必要がある。


5. 参考資料:エクスプロイト/CVE年表

主要な公開分析で確認された事案を時系列で整理する。公開されているのは発見・分析された攻撃に限られ、未発見の事案を含む全体像ではない。

時期 製品 エクスプロイト名 CVE 概要
2016年8月 Pegasus Trident CVE-2016-4655/4656/4657 UAEの人権活動家Ahmed Mansoor氏への不審SMSを端緒にCitizen Labが発見。WebKitからカーネル権限まで連鎖し、再起動後の永続化も実現。iOS 9.3.5で修正
2019年 Pegasus WhatsApp VoIP CVE-2019-3568 WhatsAppのVoIPスタックの脆弱性を悪用し、細工したRTCPパケットによってコード実行。約1,400アカウントが標的となり、Meta/WhatsApp対NSO訴訟の対象になった
2021年1~11月 Reign(QuaDream) ENDOFDAYS 公開資料上、対応する個別CVEは示されていない 日付を遡らせた不可視のiCloudカレンダー招待によるゼロクリック攻撃。iOS 14.4~14.4.2が対象
2021年9月13日 Pegasus FORCEDENTRY CVE-2021-30860 CoreGraphicsのJBIG2処理を悪用するゼロクリック攻撃。iOS 14.8等で修正
2021年11月 米商務省がNSO GroupとCandiruをエンティティリストへ追加
2023年4月 Reign(QuaDream) MicrosoftとCitizen Labが分析を公表。少なくとも5人の市民社会関係者を特定
2023年9月7日 Pegasus BLASTPASS CVE-2023-41064(ImageIO)+CVE-2023-41061(Wallet) 悪性画像を含む.pkpass添付によるゼロクリック連鎖。iOS 16.6.1で修正
2023年9月21日 Predator ネットワーク注入連鎖 CVE-2023-41993(WebKit RCE)→CVE-2023-41991(証明書検証不備による署名検証回避)→CVE-2023-41992(カーネル権限昇格) エジプトの元国会議員Ahmed Eltantawy氏を標的に、Vodafone Egypt網の境界装置がHTTPアクセスを悪性サイトへ強制転送。iOS 16.7/17.0.1で修正
2024年6月13日 帰属未確定 SMALLPRETZEL イタリア在住の人権活動家のiPhoneで、appleaccountdに関する不自然なCloudKit活動を検出。Paragon標的群との近接性はあるが、Citizen Labは特定製品への帰属を確定していない
2024年12月 Graphite WhatsAppがParagon関連のキャンペーンを遮断し、停止要求書を送付
2025年1月 Graphite WhatsAppが約90人のジャーナリスト、人道支援関係者、市民社会関係者へ標的化を通知
2025年3月 Graphite BIGPRETZEL Citizen Labが、Paragon感染を識別するAndroid上の痕跡としてBIGPRETZELを公表
2025年5月 Pegasus 米連邦地裁の陪審が、NSOに約1億6,700万ドルの懲罰的損害賠償などを認定
2025年6月 Graphite iMessageゼロクリック CVE-2025-43200 Citizen LabがiOS感染を法医学的に確認。Appleによれば、iCloud Linkで共有された悪性な写真・動画をMessagesが処理する際のロジック不備。iOS 18.3.1等で修正。同月5日、COPASIRはイタリア情報機関によるGraphite使用を認める報告を公表
2025年10月 Pegasus 米連邦地裁が懲罰的損害賠償を約400万ドルへ減額する一方、NSOによるWhatsApp利用者の標的化を禁じる恒久的差止命令を発令
2025年12月 Predator 米財務省がIntellexa関係者の一部について制裁指定を解除。創業者Dilianへの指定は継続
2026年2月 Predator アテネの裁判所がTal Dilianら4人に有罪判決。控訴中
2026年3月 GTIGが2025年に追跡した実地悪用ゼロデイ90件を分析。帰属できた42件では、商用監視ベンダーとその顧客が15件、従来型の国家支援サイバー諜報集団が12件となり、前者が初めて上回った

主な情報源

警察庁の検討

暗号方式

Pegasus

Graphite/Paragon

Predator/Intellexa

Reign/QuaDream、Hermit、ゼロデイ市場

日本法、比較法、脆弱性政策


おわりに

警察庁が検討しているのは、押収した端末を事件後に解析する従来型の手法だけでは届きにくい、上位指示役の通信を遠隔で把握する方法である。その背景には、末端を摘発しても次の犯行計画へ到達できないという、トクリュウ捜査の構造的な困難がある。

この必要性は軽視できない。一方、公開情報からは具体的にどの技術方式を想定しているかは分からない。事業者側データの取得、アカウントや連携端末へのアクセス、アプリ層での取得、標的端末へのOSレベルの遠隔コード実行は、技術的にも侵襲度の面でも別物である。この区別を曖昧にしたまま、「遠隔解析」という一語で議論を進めることが最も危うい。

仮に、脆弱性を使って標的端末でOSレベルの権限を取得し、秘密裏にインプラントを実行して復号後のデータを取得するなら、それは技術的にPegasusと同じ大分類に入る。その場合、技術的に到達できる範囲と、法律上許される取得範囲との間に大きな落差が生じうる。

だからこそ、議論すべきなのは「導入の是非」だけではない。

  • どの場面で、他の捜査手段では代替できないのか
  • 対象犯罪、嫌疑、期間、取得項目をどう限定するのか
  • 令状対象外の第三者情報をどう隔離・廃棄するのか
  • ツールが限定どおりに動いたことを、誰が独立に検証するのか
  • 裁判所・監督機関・弁護側へ、どの情報をどの形で開示するのか
  • 未公知脆弱性を秘匿する利益と、国民全体の防御利益をどう比較するのか

端末側に完全な痕跡が残らない設計であるなら、令状から投入、取得、除外、廃棄までの監査証跡を別系統で残すほかない。事後に検証できる仕組みは、導入後に付け足す付属機能ではなく、捜査権限そのものの成立条件である。

検討会の提言では、技術方式の名称や対象犯罪の列挙だけでなく、この検証可能性がどこまで具体化されるかを注視したい。


本稿は2026年8月11日時点の公開情報に基づく。検討会の議論は継続中であり、制度設計の詳細は今後変動しうる。

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