1990年、NHKが「電子立国日本」と持て囃した半導体業界に 30年ぶりにスポットライトが当たっています。舞台に立っているのは最先端製造技術ですが、ここでは裏方として舞台を支えてきた製造+設計の橋渡し役である PDK の話をさせてもらいます。半導体業界にて当たり前のように扱われている PDK の商品価値に注目して解説します。PDK が半導体業界の栄枯盛衰に果たして来た役割の真の理由等を、設計者だけでなく、製造やプロセス開発畑の方にも参考になる内容に膨らましていますので、ご笑読頂ければ幸いです。
なお、本内容は、過去の業務経験を元にした、個人的意見・見解の表明であり、いかなる組織を代表したものではありません
Process Design Kit の価値とは?
本稿では PDK の本来の意味、つまりファウンダリーサービスの顧客であるユーザー(=設計者)に選択してもらう商品としての価値に関して、なるべく分りやすく解説致します。
拙著のPDK 今昔物語 やオープンソースPDKの戦略的思考にて詳しく解説していますが、TSMC は PDK を武器にして、微細化技術では後続であった半導体ビジネスを、ファウンドリー(製造受託)事業として大成功させています。では、具体的に TSMC の PDK は何が優れていたのでしょうか?端的に言えば設計者に寄り添う PDKであったということです。
日本が微細化技術で先頭ランナーであった 1999 年、東芝を辞めてファブレスでの設計エンジニアとしてキャリアを重ね始めましたが、その年はTSMC Japan の設立2年目でもありました。ファブレスのエンジニアとしてお付き合いを始めた TSMCは、当時の再先端技術とは2世代程遅れていましたが、PDK(当時はデザインキット)の商品としての完成度が高かった事は、今でも記憶に残っています。
微細化競争を戦う体力のない、日本の Tier-2 IDM(沖電気や川崎マイクロ等)が、微細化後発組の TSMC や UMC の旺盛な需要を横目に見て、こぞってファウンドリー事業に参入して来たのもその頃です。勤務していたファブレス会社への売り込み営業対応で、各社のデザインキットを見る機会も多く、TSMC との違いを肌で感じる事ができたのもよく覚えています。
拙著の作りたい半導体、使いたい半導体では、半導体ビジネスをレストラン経営に例えて、設計者を「メニュー(仕様)と調理(実装)」を担当するシェフと定義していますが、PDKは、シェフが手にする包丁やフライパン等の調理器具にあたります。ファウンダリー=厨房を使ってもらうには、シェフが使いやすい、調理器具を揃えることが必須ですよね。
では「設計者に寄り添うPDK」とは、具体的にどのようなモノなのでしょう?
Process Design Kit = 厨房仕様
PDK(デザインキット)とは、1) 当該半導体製造プロセスに必要なマスク製造時の制限情報と、2) 当該半導体製造プロセスで製造可能な能動素子(トランジスター等)の電気特性情報の2つであり、①は製造プロセス(=ファブ)が、設計者に守って欲しい物理ルールであり、②は製造プロセス(=ファブ)が、設計者に製造保証する電気特性となります。設計者は、①の制限を守りつつ、②の動作性能の範囲内でチップの設計・開発を行います。
前項で、PDKをシェフが手にする包丁やフライパン等の調理器具に例えましたが、①は厨房の広さや電気・水道・ガス等の制限、②はフライパンや包丁等の料理道具の数となります。シェフにとって見れば、①の制限は緩い方が良いし、②は多い方が、美味しくて、高級な料理が提供できます。
ある微細化プロセスを仮定(例えば1umとか)すると、①や②の制限は、ファブが変わってもほぼ同じような制限条件になるはずですが、そこにちょっとの工夫をすることで、シェフが「使いたい厨房」になるか、「あまり使いたくない厨房」になるのか、大きな違いが生まれます。
また、他の厨房を渡り歩いたことの無いシェフには、自分が働いている厨房の良し悪しが分かりませんので、厨房を使いやすくする工夫がある事に気づかず、与えられた環境で黙々と料理をすることに疑念を抱きません。
同じ状況が、元IDMからファウンドリー事業に転じたファブが提供するPDKと、微細化に遅れながらも、はじめからファウンドリーとして世界中の設計者と切磋琢磨してきた TSMC/UMC のPDKの違いとなったのでは無いのでしょうか?
つまり、TSMC/UMCは、「厨房貸し出し業社のプロ」であるのに対して、当時の元IDMは、お客の少なくなった老舗レストランが始めた「居抜き厨房貸し」といえば直感的に分かり易いでしょうか?
MASK Layer と Drawing Layer
2025年10月 OpenSUSI の GitHub repository に東海理化の1umCMOSのPDKが公開されました。国内では初めて商用ファブのPDKが公開されたのですが、NDAの必要のないPDKですので、この情報を使って、厨房の「ちょっとの工夫」の実例を、実際のPDKの内容に照らし合わせて解説したいと思います。
まず公開されたリファレンス資料によると、マスク数は24層、HVデバイスや抵抗・容量素子を除いた純粋にCMOSトランジスタを作る為に必要なマクス数は17層になります。
公開された情報から、再構築した想定プロセスフローがOpenSUSIのレポジトリで公開されていますので、ご興味がある方はご参照下さい。
また、代表的なロジックセルである D-F/F のレイアウトが OpenSUSI のリポジトリに公開されています。
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| Fig.1 オリジナルの MASK Layer の設計図面 |
オリジナルPDKでは、CMOS トランジスターの製造に必要なマスク数と同じだけの MASK Layer 情報を設計者は設計図面に書き込まなければなりません。当たり前のことのように思えますよね。
しかし、MASK Layer のいくつかは、頭を捻ると、基本となる数枚の基本設計情報(Drawing Layer)から計算処理で再構築することができます。このようなちょっとの工夫をすると、設計者への負担が大幅に軽減されることになります。以下は、OpenSUSI が Repository で提案している Drawing Layer を使った同じ D-F/F の設計図面になります。
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| Fig.2 OpenSUSIが提案する Drawing Layer の設計図面 |
設計に必要な Drawing Layer 数は8層、オリジナルのPDKでの設計に必要な17層から半分以下に低減されます。この7層の描画情報から製造に必要な17層の MASK Layer は計算機処理にて自動的に再合成します。以下に単純化した計算処理を示します。
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| Fig.3 Drawing から MASK Layer への計算機処理の例 |
設計図面に必要なレイヤー数が少ないということ以上に、レイヤーが増える毎に複雑化する設計制約への対応、当然増えるミス修正にかかる工数増、DRC(Design Rule Check)の工程増と計算処理時間増、同じ 1um CMOS 向け PDK ですが、Drawing Layer で設計するのと MASK Layer で設計するのとでは、設計者への負担がレイヤー数の増加と共に指数関数的に増加してしまうのです。
社内の設計者しかいない元IDMでは、このような設計者視線の改善が進みません、社内の設計者は、与えられたPDK環境で黙々と設計を進めますので、PDKを改善するというインセンティブが働きません。一方、世界中の設計者を相手にしなければならない、ファウンダリー専業のTSMCやUMCには、世界中の設計者からの改善要求が入りますし、PDKを改善しないと、同業他社と差別化して新規設計案件を受注することができません。
ここまで東海理化のPDKを題材にして、MASK Layer と Drawing Layer を例として「設計者に寄り添うPDK」の説明しましたが、これは「一例」に過ぎません。高耐圧トランジスタ混載プロセスの米国のファウンドリーの PDK では、マスク構成をちょっとの工夫してマスク総数をなるべく増やさずに、複数の高耐圧トランジスタを作り分けていたのが印象的でした。ファブレスの設計者にとっては初期コストが抑えられます。
PDKは製造プロセスと設計者を結ぶ架け橋なのですが、厨房の例えと同じく、ちょっとの工夫をするか?しないか? でその商品価値に大きな違いが生じることになります。そこに気がついたのがファウンダリー専業メーカーであり、国内IDMが、大規模投資が必要な微細化競争に必須となった、ファウンダリービジネス業で敗退していった原因だと考えています。最近話題の、インテルがファウンダリービジネスで苦しんでいる遠因も ちょっとの工夫 に有るのかも知れません。
PDKのオープンソース化の意義
PDKは、プロセス情報と密に関連があるので、長い間 NDA を結ばないと入手できない情報でした。この NDA を結ばないと入手できないという Close 性が故にイノベーションから遠く取り残された技術と言えるかも知れません。
海外の SkyWater 130nm/GF 180nm/iHP 130nm のオープンPDK化の流れの中で、2025年10月 OpenSUSI の GitHub repository に東海理化の1umCMOSのPDKが公開されたことは、単なるPDKのオープン化を超えて、PDK自体のイノベーションのキッカケや競争力の強化の萌芽となるのでは無いかと考えています。
前述した TSMC PDK と IDM Foundary PDK の違いが、ユーザーからのフィードバックにあるのであれば、PDK のオープン化による、世界中の設計者からの多様なフィードバックが、オープンソース PDK を TSMC PDK 以上に使いやすい PDK へ進化させる可能性を期待できます。
OpenSUSI が東海理化のオリジナルPDKを改善する提案をしていることは、半導体設計エコシステムの中で画期的な事ですし、NDAの要らないオープンなPDKが故に可能となったのだと思います。
PDKのオープンソース化=イノベーション
「NDAの要らないオープンPDKは、機密情報が古いレガシープロセスだから可能なんですよね?」というのが一般認識かも知れないですが、先端半導体のPDKをオープンにしても、先端プロセスのレシピを競合他社で再構築できることは絶対にありません、むしろ最先端プロセスに成れば成る程に、PDKで提供される情報からプロセスレシピを再構築することは不可能になっているはずです。それよりも、PDKをオープンにすることで、多様なアイデアやフィードバックを得てPDK自体のイノベーションを進める事が、半導体デバイスの未来と、全世界の人類に価値があることだと考えています。
「居抜き厨房貸し」から「居抜き厨房をフリースペース化」することで、素人から玄人までの多様な料理人のちょっとの工夫が集まってくる。先端プロセスであればあるほど、多様な設計者の知恵を集めてPDKを使いやすくして、多様で斬新なアイデアを集約する事が求められると考えます。


